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魔女とエルフと兄妹と

 木造の壁を、フェリシアは何をするでもなく呆と眺めていた。

 単純にやることがないのと、ついでに何となくやる気も起こらないからだ。


 しかしそうして手持ち無沙汰にしていると、どうしてもつい先ほどのことが思い浮かんでしまう。

 先ほど別れを告げたことと、その相手のことを。


 あの時語った内容は、嘘ではない。

 嘘ではないが……本当かと問われたならば、否と答えるだろう。

 あの時彼に――ソーマに告げた言葉は、そういう類のものであった。


 だが敢えてそんなことをしたのは、そうした方がいいと思ったからだ。

 自惚れかもしれないけれど……自分の現状を伝えたら、ソーマは助けようとしてしまう気がしたから。

 事実ソーマは助けてくれると言ってくれて……でもだからこそ、その手を振りほどくことを、あの時に決めたのだ。


 自分一人が生き延びるつもりならば、それは不要なことであった。

 龍にすら認められたソーマだ。

 きっと本当に助けてくれと言えば、ここからフェリシア一人を連れだすぐらい、可能だったことだろう。


 魔女は誰かの願いを対価に呪術を使用するため、その効果は自分自身に及ぼすことは不可能である。

 そして呪術が使えなければ、魔女など一般人以下の存在だ。

 ここから逃げ出すには、誰かに何とかしてもらうしかなく……ただしそれは、フェリシアが望めばの話である。


 そう、結局のところ、問題はそこだった。

 フェリシアは、逃げるのを良しとしなかったのである。

 自分だけが生き延びるのではなく、皆に生きていて欲しいと思い、その道を選んだ。

 それだけのことであった。


 父や母が、そうしたように。


 と、不意に部屋の扉がノックされた。

 相手が誰なのかということは、確認するまでもなく分かる。

 その必要は色々な意味でないのに、相変わらず変なところで律儀だと、苦笑を浮かべながら声をかけた。


「どうぞ」

「ふんっ……失礼する」


 そうして姿を見せたのは、やはりと言うべきか、見知った顔であった。

 エルフという種を束ねる族長であり、またフェリシアの兄でもあるヨーゼフだ。

 一通り今日の儀式が終わった後、まだ仕事があると別れたのだが、どうやら終わったらしい。


 そんなヨーゼフは一見すると不機嫌とも見えるような顔でこちらを見下ろすと、鼻を鳴らした。


「……元気そうだな」

「そうですね、おかげさまで」

「……それは嫌味か?」

「何故そうなるんですか? わたしが今元気でいられているのは、真実兄さんが色々と便宜を図ってくれていたからでしょう? それは今日も例外ではありませんし。ですから今の言葉は、そのままの意味です」

「ふんっ……そうか」

「あれ……?」


 そこでフェリシアが疑問の声を漏らし、首を傾げたのは、ヨーゼフがただ頷くだけであったからだ。

 今までであれば必ず――


「……なんだ?」

「いえ……兄さんと呼びましたのに、訂正がありませんでしたから」

「ふんっ……事実俺はお前の兄だ。ならば訂正する必要がなかろう。ここには今俺達兄妹しかいないのだしな」


 それを言ったら、いつも会っているのだってそうだったはずなのだが……本当に、相変わらず不器用な人である。

 まあ、自分も人のことは言えないのだけれど。


「そうですか……」

「ああ……」


 そこで、互いに言葉が途切れた。


 沈黙がその場へと訪れ……それでもそれは、悪いものではなかったように思う。

 少なくともフェリシアは、嫌ではなかった。


 だがヨーゼフは何処となく居心地が悪そうにしており、そのことに小さく口元を緩める。

 本当に昔から、何一つ変わっていない。


「それで、その確認のためだけに来たわけではないんですよね?」


 そうして話を向けてやれば、ヨーゼフは数度目を瞬いた後で、鼻を鳴らした。

 その様子に、フェリシアはさらに口元を緩める。


 この癖もまた、変わらないことの一つだ。

 確か父達がなくなり族長を引き受けねばならなくなった時、威厳を出すためにと、何を勘違いしたのかやり始めたのが切欠だったか。


 結局出たのは威厳ではなく、無駄に偉そうに見えるだけの態度だったわけだが……さて、当時きちんと指摘していたら今頃どうなっていたのだろう。


「ああ、勿論だ。明日以降の予定の、最終確認のためだ」


 しかしそんな思考も、その言葉の前に、一瞬で現実へと引き戻された。

 分かっていたことであるし、覚悟していたことでもあるが……やはり、そう簡単には開き直れないらしい。


 それでも、ほんの少しの強がりと、何よりも家族を心配させないため、平静を装って頷く。


「はい」

「これから一日かけてお前の身を清め、準備を整えていく。そして明後日に……お前は、死ぬ」


 その、欠片も事実を隠さず、直球で不器用な言い方に、自然と笑みが浮かんだ。

 本当に、相変わらずすぎる。


 そこは素直に、生贄、という言葉を使えばいいのに……我が兄ながら、本当に大丈夫なのだろうかと思うほどであった。


「はい、分かっています」

「…………そうか」


 そこで何かを口にしようとしたのか、不自然な形で口が開いたまま止まり、だが結局は頷くだけで閉じられる。

 その後で放たれた言葉は、多分今言おうとしたのとは違っていたが、それはそれでフェリシアが驚くには十分なものであった。


「この後、お前に自由はない。だがその分、お前の身は我らが必ず守ると誓おう。そしてその間お前のことを最も身近で守るのがこいつだ。……入れ」

「……ん。……よろしく」

「……え?」


 そうして現れたのは、フェリシアにとって見知った顔であった。

 実際に会うのは数年ぶりとなるわけだが、忘れてはいない。

 忘れるわけがない。

 そこにいたのは、自分達の妹であるシーラであったからだ。


「ど、どうしてシーラがここに居るんですか……? 確か、旅に出ていたはずですよね?」

「……ん、ちょうど帰ってきてた」

「本当に、つい先日、な。そのせいで、皆に帰還の挨拶をさせる暇すら与えられていない」

「それはまた……本当に、ピッタリのタイミングでしたね」


 もしももう少しだけ帰ってくるのが遅ければ……或いは早ければ、今回のことは知らずに、関わらずにいられたかもしれないのに。


 勿論、妹に会えたことそのものは嬉しい。

 だがそれでも……知らない方がよかったのではないかと、そんなことを思うのだ。


「……ん、大丈夫」


 しかしそんなこちらの思考を読んだかのように、シーラはこちらを真っ直ぐに見つめていた。

 そこには僅かな迷いも浮かんでいるような気もしたが……それでもそこには、強固な意志が存在していた。


「……少し変わりましたか?」

「……そう?」

「はい。昔のシーラでしたら、もう少し迷い悩んでいたような気がします」


 エルフとはいえ、数年も経てば変わるのは当然だ。

 しかも、旅に出ていたのならば尚更だろう。


 だが、何となくではあるが……それだけではないような気がした。


「……ん、そう見えるなら……多分、彼らのおかげ」

「……そうですか」


 普段は表情に乏しいシーラだが、そう語った時、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。


 だから、大丈夫だろうと思った。

 辛い思いをさせてしまうだろうけれど……そんな風に言える人達と出会えたのならば、きっと。

 それは姉としてはとても嬉しいことで、自然と自分の口元にも笑みが浮かぶ。


「ふんっ、その辺のことはこの後で好きなだけ話せばいいだろう。明日からは忙しくなるが、今日ならばまだ時間はあるのだからな」

「え、いいんですか……?」

「ふんっ、明日以降の予定だと言ったはずだ。今日はこれ以上特に予定はない。ならば好きに過ごしたところで誰に文句を言われる筋合いもないだろう」

「……そうですか。ありがとうございます」

「……ん、ありがとう」

「……ふんっ」


 二人で礼を述べるや、途端に鼻を鳴らし顔を背けた兄の姿に、思わずフェリシア達は顔を見合わせた。

 直後に笑みを浮かべ合い、変わらない自分達に胸が温かくなる。


 例えこの後どうなるとしても、今この時間だけは確かなものであった。


「ところでこの後兄さんは、どうするんですか?」

「……ここは俺の家で、帰ってきたんだぞ? ならば、あとはゆっくりと寛ぐにきまっているだろうが」

「……いつもはもっと遅くまで仕事してたはず?」

「いつの話をしている。数年あれば効率もよくなっているに決まっているだろう。……まあ、今日は偶然仕事が捗り、さらには他の皆も何故か頑張ったからでもあるだろうがな」

「……そうですか」


 それはつまり、家族三人で過ごすために頑張り、皆も協力してくれた、ということなのだろう。

 素直にそう言えばいいだろうに……本当に、不器用な兄だった。


 ただ、そのおかげで、どうやら心置きなく去れそうだ。

 ちょっとだけ、気にしてはいたのである。

 結局家族三人、ゆっくり過ごすことはほとんどなかったから。


 ……そのことが、残された側には重石になってしまうのかもしれないけれど。

 それぐらいは、大目に見て欲しかった。


 ともあれ、これであとは――


「――あ」

「……? ……どうかした?」

「……いえ、気にしないでください。どうでもいいことを思い出しただけですから」

「……そう?」

「はい……」


 そう、それは本当に、どうでもいいことだ。

 少なくとも、相手にとってはそうに違いなく……或いは、今まで思ったことの中で、最大級に身勝手なことかもしれない。


 ただ、ふと思ったのである。

 そういえば……別れの挨拶はしたけれど、別れの挨拶をされていなかったなと。

 そんな、身勝手極まりないことを、フェリシアは脳裏を過ぎった少年に対して、思ったのであった。

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