元最強、歓迎を受ける
見知らぬ光景を前にして、ソーマは溜息を一つ吐き出した。
ただ厳密にはそれは溜息というよりは、困惑に近いものである。
ヨーゼフに案内されて、とりあえずここまでやってきたのだが――
「ふむ……さすがにこれは我輩予想外であるな……」
それは素直な感想であった。
そして多分、当たり前のものでもある。
ソーマと同じ状況に陥れば、誰だって平静ではいられないに違いないだろう。
何せソーマは、どうしてここに連れてこられ、何故座らされているのかを、未だに聞かされていないのだから。
そんなソーマの視線の先にあるのは、先に述べたように見知らぬ光景――森だ。
周囲には、見上げてもその頂を望めないほどの巨木が乱雑に、数え切れないほどに生えている。
奥は見渡せず、闇に沈んでいることから、相当に深い森のようだ。
ソーマが座っているのは、そんな森の中でも開けた場所のようであった。
広場、などと呼ぶべきなのかもしれない。
今居る場所から木々までの距離は三十メートルほどはあり、だが今はその空間を埋めるように、別のものが存在している。
それは、異様なほどに陽気で、賑やかな音だ。
人の声であった。
視線を向けてみれば、その場には数十人ほどの人影が存在している。
ついでに言うならば、その者達は全員が全員同じ特徴を有しており――
「おっ、どうしたんだい、お客人? そんな辛気臭い顔して! 今日はめでてえ席なんだ、楽しまなきゃ嘘ってもんだぜ!?」
と、そうして周囲の観察をしていると、不意に絡まれた。
その相手は男であり、当たり前のように他の者達と同じ特徴がある。
即ち、先端が尖った長耳を持ち、寒気を覚えるほどの美貌を有し、何よりもその髪と瞳は金色だ。
そう、彼は、彼らは、エルフなのであった。
「ふむ……そうは言われても、であるな。我輩何も知らずに引っ張り来られた故、何を楽しめばいいのかすらも分かっていないのである」
「あん? そうなのかよ? ったく、誰が案内したのか知らねえが、随分大雑把な対応だな。まっ、だが今日ぐらいは構わねえか!」
だというのに、そう言ってがははと笑う男は、思わず本当にエルフなのかと疑ってしまうほどの様子であった。
目を瞑れば、そこに居るのはただの酔っ払った中年にしか思えないだろう。
エルフというのは、もっと物静かというか、理知的というか、そんなイメージを持っていたのだが、見事にぶち壊された気分である。
しかもこんな様子なのは、目の前の男だけではないのだ。
周囲に居るエルフの全て、それこそ遠くに見える者までもが、程度の差こそあれ、騒がしくも楽しそうに笑っていた。
まるで花見にでも来たようにも感じるが、もちろんそうではない。
少なくともソーマの目には花など一輪足りとも見えない以上、違うだろう。
もっとも、では何なのかと問われれば、むしろこちらが聞きたいぐらいなのだが。
ソーマは本当に何も伝えられておらず、時間がないから事情は後で説明すると言われただけなのだ。
何故エルフ達がこうして騒いでいるのかなど、知るわけがなかった。
いや、そもそもの話……ソーマはここが何処なのか、ということも、実は知りはしないのだ。
当然推測は出来る。
状況を考えれば、おそらくここは、エルフの森なのだろう。
というか、それ以外に有り得ない。
ここまでのエルフがいる場所など、エルフの森以外には存在していないはずだからだ。
まあそれ自体は、ヨーゼフの姿を確認した段階で推測できていたからいいのだが……問題は、やはりこの状況か。
騒いでいる理由が分からないということもそうだが、何よりも、元来エルフとは排他的な種族なはずなのだ。
一体どんな理由があれば、こんな状況に至るというのか。
本当に、何が何やら、という感じなのであった。
「がはは……っと悪ぃ悪ぃ、で、何の話だっけか?」
「そうであるな……結局これは何の騒ぎなのか、というところであるか?」
「何の、か……そう言われると、明確にこれ、ってのはねえんだよなぁ……ぶっちゃけ今のとこは勝手に騒いでるだけだし。それでも敢えて言うんなら、森神様に感謝と祈りを捧げるための祭り……の、前段階、ってとこか? まだ始まっちゃいねえしな」
「森神様、であるか……?」
それは初めて聞く名であった。
とはいえ、土着の存在を崇める者達が存在しているというのは、以前にも述べた通りだ。
エルフは元は精霊だったらしいし、自分達の住んでいる場所に畏敬の念を抱くのは不思議なことでもないだろう。
だが。
「ま、やっぱそんな反応になるか。俺達以外には知られてねえって話だしな。だが、森神様は本当に居て、俺達に手を貸してくださってるんだぜ? 俺達がこの森の中では普段以上の力を振るえるのだって、そのおかげだしな」
「ほぅ……?」
そこまで断言するということは、実際に居るのだろう。
それをソーマは否定することはなかった。
ただ……それでもそれは、本当に神というわけではないはずだ。
この世界には、邪神に堕ちた神と、女神と呼ばれる神しかいない。
実際に女神に会ったことのあるらしいヒルデガルドもそう言っていたので、それは間違いないはずである。
となれば可能性としてあるのは、自称か他称のどちらか、ということだ。
もっとも、エルフに強大な力を与えているのは確からしいので、それなりの格の存在であるのも事実なのだろう。
あるいは、幻想種あたりなのかもしれない。
とはいえ、ソーマとしてはそんなものが実在しようがしまいが、どうでもいいことだ。
そんなことよりも、気になるのは――
「ふむ……ちなみに、これは定期的に行われたりするのであるか?」
「あん? そんなわきゃねえさ。それなら皆もこんな馬鹿騒ぎしたりしねえしな」
「なるほど……久しぶりだから、というわけであるか。なら、前にやったのはいつだったのである?」
「あー、いつだったかなぁ……悪ぃ、俺が生まれる前のことだから、そこまではよく分かんねえんだ。確かじー様の代にはやってたらしいから、数百年前とかそんなもんなんだろうが……」
久しぶりどころの話ではなかった。
いや、エルフにとってはそれでいいのかもしれないが、少なくともソーマにとってはそうではない。
しかしそうなると……まあ、ほぼ確定だろう。
フェリシアは多分、これに関係する何かで呼び出されたのだ。
さすがにそれらを無関係とするのは無理がありすぎる。
「まあそれならば確かに、これほど騒ぐのも頷ける話であるか。我輩がここに来る事が出来た……というよりは、居る事が出来ているのも。こう言ってはなんであるが、エルフは排他的だと聞いていたであるし」
「ま、それは事実だし、実際こんな時じゃなきゃお客人もここに呼ばれることはなかっただろうな。何か事情があったところで、そのまま森の外にほっぽり出されて終わりだっただろうぜ。お客人が何でここに来たのかは、知らねえが」
「ふむ……となると、我輩は運がよかった、ということなのであるな」
もっとも、これがなければソーマ達は未だに魔女の森に居ただろうことを考えれば、一概にそうとも言えないのだが……ここに簡単に来られたということだけを考えれば、運がよかったという言い方で間違っていないだろう。
と。
「……む?」
「お、ようやく主役のお出ましか」
瞬間、周囲のざわめきが増し、その意識が一斉に同じ方向へと向けられた。
男も同じであり、その呟きから状況を正確に理解していると思われる。
だがその説明をわざわざ求める必要はなかった。
何が起こっているのかは、ソーマにもすぐに分かったからだ。
いや、より正確に言うならば……誰が現れたのかを、というべきだろうか。
そう、皆が意識を向けた方向からは、新しい人影が現れたのだ。
しかもそれは、二つである。
そのうちの一つは、ヨーゼフであった。
先ほど別れた時のままの格好で、後ろから続く者の先導をするように、ゆっくりと森の奥から歩いてくる。
ヨーゼフの後ろを歩く者が、もちろんもう一つの人影ではあるが……その人物はソーマの知らない者であった。
否。
一瞬、知らない者に見えた、と言うべきか。
何故ならば――
「……フェリシア?」
それは間違いなくフェリシアではあったが、纏っている服装が今まで見たことのあるどれとも異なり、それどころかまったく違う印象を与えてくるものだったのである。
上半身には白い小袖と呼ばれるものを身につけ、腰から下に着用しているのは、緋袴と呼ばれるものだ。
いわゆる巫女装束などと呼ばれるものを纏う白い少女が、そこにはいたのであった。




