魔女と呪術
「そういえば、呪術って具体的にどんなことが出来るのである?」
事の切欠は、ソーマのそんな一言であった。
雑談とも討論ともつかない時間の一幕である。
ソーマが調合まで手伝ってくれるようになり、フェリシアは薬作りを大分楽に行えるようになってきていた。
その分早く終わるようになり、だが調合を終える時間は変えられない。
そのため時間が余り暇になってしまい……それを潰す一環としてソーマに提示されたのが、互いの持つ知識の披露というか、話し合いというか、そういうものであった。
フェリシアは魔女の書には載っていないような魔女のことや、呪術に関して。
ソーマは主に魔法全般のことを話し、その中で先の一言へと繋がったのだ。
「確かに、ソーマさんに呪術を見せたことはありませんでしたね……特にその機会もありませんでしたし」
「まあ、薬の調合とかで忙しかったであるしな」
「とはいえ、具体的にどうと言われましても、説明が難しいと言いますか……そうですね、実際に見てみますか?」
そう口にしていたのは、ソーマの魔法への興味や関心が人一倍強いことを、この時間の積み重ねにより理解していたからだろう。
あるいはそれは、普段ソーマに世話になりっ放しの現状で、少しでも何かを返せたら、という想いからのものだったのかもしれないが――
「むしろそこで見ないと答える選択肢が存在しないのである」
真顔でそう断言するソーマに、苦笑を浮かべる。
魔法への想いが、ひしひしと伝わってくるようであった。
まあ、実際に呪術を見せたところで、どうこうなることもないだろうが……ソーマは普段から何が切欠になるかは分からないなどとよく言っているのだ。
ならばこれももしかしたら、と思えば、無意味ということもないだろう。
ともあれ。
「では、行きましょうか」
「うん? 行くって、この場で使うのではないのであるか?」
「この場で使って見せるには少し不向きですから。それに、ちょうどいいですし」
「……?」
首を傾げ不思議そうにしているソーマに、少しだけ口元を緩める。
普段は何でもかんでも知っているような様子を見せるソーマにしては、珍しい姿だったからだ。
そんなソーマと連れ立ちながら、フェリシアはリビングとして用いられているその部屋を後にする。
開く扉は、奥へと向かうものではなく、その逆。
満点の星々が輝く、その下へとであった。
夜空に星が煌く中、まるで祈るような格好で、フェリシアは両手を組み、目を瞑っていた。
いや、実際のところそれは、祈りで間違ってはいないのだ。
そして同時に、懺悔でもある。
祈りを届ける先は、この世界。
懺悔を向ける先もまた、この世界だ。
それは世界を侵す願い。
それは世界を蝕む呪い。
それらは等価で、同一だ。
世界にとっても、魔女にとっても、それらは何一つ変わらない。
それを違うものとして捉えるのは、いつだって人間だけである。
そしてだからこそ、魔女は人のためにのみ、願い祈るのだ。
その結果世界から、どのように見られようとも。
その帰結として、当の人間達から、どのように思われようとも。
――そんな取り留めもない思考が後から後から湧いては、そのまま留まることもなく消えていく。
それはいつものことであった。
呪術を使う際には、軽い催眠状態へと陥るらしく、あまりまともに意識を保っていることは出来ないのである。
だがその先にこそ、それがあるのだ。
まるで川の流れに身を任せているような、何処かへと意識が漂っていく感覚の後で――不意に、何かに繋がったと、そんな自覚を覚えた。
「――雨よ」
――魔女の呪い(根源励起):呪術・雨乞い。
それと同時に、自然と願いが口から零れ落ちる。
その一瞬後には、もうその繋がりが絶たれてしまったということも分かるが、願いを届けることが出来たということは確信を持って言えた。
その場に変化があったのは、直後のことだ。
雲一つなかったはずの星空に、少しずつ周囲から雲が集まり始める。
そして。
「天候操作、であるか……しかも、これほど容易に。なるほど、魔女が特別とされる所以が、少しだけ分かったような気がするであるな……」
雨音に混ざり、ソーマの感心したような声が響く。
手を解き、目を開き、一つ大きく息を吐き出してから、フェリシアは後ろを振り返ると、首を傾げた。
「そうですか? 正直、得意分野の違い、というだけな気もするのですが……」
それは本音だ。
フェリシアは他の魔法をまともに見た覚えはないものの、ソーマの話を聞きそこそこ理解出来ているという自覚がある。
だからこそ、そう思うのだが……。
「ふむ、認識の違い……というよりは、単純に常識とか価値観の問題、という感じであるかな。少なくとも我輩の知る中では、天候への干渉は大規模魔法に相当するであるし……一人でこれほどのことをするには、魔導特級を持っていようとも可能かは分からんであろうな」
「んー、そういったことも含めて、向き不向きのような気もしますが。だってわたし、火を灯す方が、この何倍も大変ですし」
「ふむ? そうなのであるか?」
「はい」
これも本当のことで、例えば料理に必要な火を点けようと思えば、今の三倍ほどは疲れるだろう。
実は果物だけしか食べないのもそれが……いや、やはりそれは無関係か。
そもそも大変とかそれ以前の問題で、呪術は自分の為に使う事は出来ないのだから。
大体の話、料理をするのに必要そうな器具や魔導具は、きちんと用意されているのだ。
尚更関係のないことであった。
それに、最初の頃はきちんと料理もしていたのである。
先代も料理はしていたし、それを引き継ぐような形で、フェリシアもしていたのだ。
しかも、それを楽しいとすら感じていた。
ソーマに果物を丸ごと渡してしまったのは、すっかり忘れてしまっていたからだ。
だがそうなるほどに、ずっと止めてしまっていたのは……いつしか気付いてしまったからだ。
それはとても、虚しいことなのだということに。
「ふむ……それにしても、見た目の印象としては、普通の魔法よりも法術の方が近い気がするであるな」
「法術、ですか? 初めて聞きましたけど……」
ふと思い出してしまった感情を誤魔化すように、ソーマの話に言葉を返す。
その話題に興味を抱いたというのも偽りではないが……ソーマが話を続けたことに安堵を覚えたことが、何が本音であるのかを明確なまでに示していた。
「まあ、定義的に魔法には含まれないものであるからな。我輩も実際に見たことはなく、文献等で読んだだけであるし」
「法術とは、一体どんなものなんですか?」
「単純に言ってしまえば、神へと祈ることで奇跡を起こす術式であるな。主に法国のあたりで使われているもので、聖神教の信者になることで使えるようになるという話も聞くのであるが……」
「あれ? 聖神教といえば、以前ソーマさんが聖神教に入ることで魔法が使えるようになると言われている、などとも言っていませんでしたか?」
「それも合っているのである。というか、元々聖神教で使われていたのは法術の方らしいのであるが……色々な資料を読んでいくと、どうにも信者獲得の為にそこら辺のことも取り入れるようになっていったようであるな」
「はぁ……それは、何と言いますか……」
「世知辛いと言うか、貪欲というか。まあともあれ、法術を使うには祈りが必要とのことで、先ほどのフェリシアの姿から連想したわけであるが――」
いつの間にか、いつもの話し合いのようになっていることに、フェリシアはほんの少しだけ苦笑を浮かべた。
本当にソーマはこの手の話題が好きなのだということが、心底伝わってくる。
そしてだからこそ……ソーマは近いうちにここを出て行くことになるのだろうなと、そんなことを思った。
最も可能性の高かったであろう薬を飲んでもソーマには何の変化もなく、またこうして呪術も見るに至ったのだ。
ソーマがここに居ても得られるものがなくなるのは時間の問題であり……その時になれば、きっとソーマはあっさりとここを出て行くのだろう。
それだけは何故か、はっきりと確信を持てた。
それは来月かもしれないし、半年後かもしれない。
具体的にいつなのかは、多分ソーマ自身にも分からないだろうが……その時がいつか訪れるのは確実であり――不意に、やっぱり怪しまれてでも、先月は肉とかも頼んでおくべきだったかもしれないと、そう思った。
最近ではソーマも果実だけの食事には慣れてきたようではあるし、手軽で楽でもあるのだが……そうすれば、虚しく感じることなく、料理をすることが出来たかもしれないのに、と。
……いや、或いは、まだ遅くはないのだろうか。
ちょうど明日は、食料を渡される日だ。
ならば今度こそ頼んでみるのもありかもしれない。
勿論無駄になってしまう可能性はあるが……それでもきっと、何もしないでこのまま別れてしまうよりは、マシだろう。
雨避けの下で、いつも通りの会話をソーマと交わしながら、フェリシアはそんなことを考えるのであった。
窓の外で、いつの間にか雨が降っていることに、ヨーゼフは不意に気付いた。
雨音をしばし聞きながら、そういえばもうそんな時期だったかと、そう思う。
森神の力で満ちているエルフの森は、基本的に雨が降ることはない。
それでも川や泉があるため、水に困ることはないのだが……それでもさすがに、時折天の恵みは必要なのだ。
とはいえ森神の力は、その恩恵を授かるエルフといえども、制御することは出来ない。
だからこそ、奇跡を望むのだ。
理を歪める力を、理不尽にも一方的に。
「ふんっ……そしてこの上さらに、理不尽を強要しろ、と? どれだけ我らは傲慢で恥知らずなのだ……」
組んでいた腕に力がこもり、みしりと音を立てる。
いや、分かっていたことだ。
それこそ、最初から。
今更過ぎる話だし――
「罪悪感を覚えるのは結構ですが、さすがにそろそろ準備しねえとまずいんじゃねえかと思うですよ?」
「――っ!?」
声に、反射的に振り向いた。
今この部屋には他に誰もいないはずであり、だがその聞き覚えのある声は――
「あ、ちと雨宿りに邪魔させてもらってるですよ。いや、急に降りだすなんて油断してたですが、そういえばこんなことも出来るんでしたね」
「貴様……何しに来た……!? いや、そもそもどうやってここに……!?」
「どうやってはともかくとして、何しにかに関しては、決まってるじゃねえですか。まだ決断できてねえみたいですから、その後押しですよ」
「後押し、だと……?」
「これでも、それなりに気にしてやってるんですよ? 折角助かるための案を出してやったのに、それを実行しないで全滅されても後味悪いですし」
「ふんっ……余計なお世話だ……。そもそも、別に罪悪感から連れ出さなかったわけではない」
「あれ? そうなんです?」
それは事実だ。
先月伝える事がなかったのは、単に準備不足だったからである。
「万が一のためにも失敗は許されんが、そのための警護役がまだ見つかっていないのだ」
「ふむふむ……それならそれで、先月伝えるだけ伝えちゃってもよかったんじゃねえかと思うですけどねえ。突然よりは心の準備ってのも出来たと思うですし」
「ふんっ、だから余計なお世話だ……いや? というか、貴様何故伝えていないことを知っている……?」
「あれ、やっぱり伝えやがらなかったんですか。カマかけたのが当たっちまいやがりましたねえ」
「っ……!?」
これ以上何を言ったところで徒労にしかならないと悟ったヨーゼフは、それから顔を背けると前方に向き直った。
「それが言いたかっただけなら、さっさと出て行け。オレは忙しい身なんでな」
「暇そうにしか見えなかったですが……まあ、いいです。ならあと一個だけ伝えて消えるです」
「いらん、いいからさっさと――」
「――封印はもう、一月ももたねえですよ? 準備不足だとか罪悪感だとか、家族の情だとかで誤魔化せる期間は終わりです。死にたくねえなら……いや、一族を殺されたくねえなら、決断することですね。ま、最終的にどっちを選ぼうが、こっちの知ったこっちゃねえんですが」
「――っ」
その言葉に、再度振り向くも、その時にはもう、そこには誰の姿もなかった。
薄闇が広がる中、雨音だけが響く。
「……分かっている……ああ、分かっているともさ……!」
その先を、睨みつけるように見つめながら、ヨーゼフは呻くようにして、そう呟くのであった。




