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魔女と契約

 以前にも述べたことではあるが、魔女の森が存在しているこの世界は、非常に限定的で閉ざされた世界だ。


 外界とは空間的に隔絶された、封印世界。

 外の世界に放っておくには危険だが、殺しきれない、あるいは殺すには惜しい存在を隔離封印し、管理するための場所。

 それが、ここであった。


 いや、あるいは、世界などとは呼べないのかもしれない。

 単純な、閉じた空間とだけ呼ぶのが、本来は正しいのか。


 しかし何にせよ、ここが閉じていることだけは確かだ。

 そしてだからこそ、何もせずにそこで放っておけば、普通の者は数日ともたずに死んでしまうだろう。

 その理由は単純に、食料を自給することが出来ないからである。


 もしかしたら食べられる野草やキノコなどがあるかもしれないが、毒を持つものが多数存在している以上、それを食すのは自殺と大差ない。

 動物が存在しているにはしているので、それから肉を取ることは可能だが……その動物とは、魔物と呼ばれる存在だ。

 肉を取る前に、自分が餌となるのがオチだろう。


 だからこそ、そこには月に一度、食料が運ばれてくるのだ。

 餓死させるのであれば最初から殺していたはずなので、当然のことでもあるが。

 ともあれ。


 その受け渡し場所は、ログハウスから十分ほど歩いた先だ。

 魔物避けの結界は、ログハウスを中心にして張られているが、ちょうどその結界が途切れる場所である。

 つまりはそこから一歩でも外に踏み出せば、魔物に襲われる危険があるということだが、その境ギリギリの場所に立っているフェリシアに、緊張や不安の色などはない。


 だがそれも当然だ。

 既に慣れたというのもあるが……何より、そもそもその先には魔物どころか、文字通りの意味で何もないのだから。


 つまりそこは結界の端であると同時に、世界の端でもある場所なのであった。


 そこに広がっている漆黒は、見ていると不安になるようなものだが、これもまたとうに慣れたものである。

 その場でジッと、フェリシアはそれを眺め……不意に、その視線の先で、何もないはずの空間に変化が生じた。

 ほんの僅かではあるが、空間が波打ったのだ。


 さらにその変化は続き、しかもより顕著なものとなる。

 明確に空間が歪み――それが起こったのは、次の瞬間だ。


 何もなかったはずのそこに、気が付けば自身の居る場所と同じような森が出現していたのである。

 そして同時にそこには、一つの人影が存在していた。


 それが何者なのかが分からない者は、おそらくこの世界には居ないだろう。

 金色の髪に、金色の瞳。

 数多ある色の中で、それを纏うことを許された種族は、たったの一つだけだ。


 エルフであった。


「相変わらず時間に正確ですね」

「ふんっ、当然だ。これでも色々と忙しいのでな。これが遅れたりすればその分だけ他に影響する。というわけで、さっさと終わらせるぞ。これが今回の分だ」


 そう言ってエルフの男――ヨーゼフが放り投げてきたのは、一つの袋であった。

 それほど大きいものではなく、フェリシアでも余裕で持てる程度のものだ。

 抱える必要すらないだろう。


 それを初めて見る者が居れば、何だコレはと思うかもしれない。

 実際フェリシアも、最初の時はそう思ったものだ。


 一月分の食料だと聞いたのに、これの何処にそんなに入るのだ、と。

 勿論今ではそんなことを思うことはないが。


「分かりました。いつもありがとうございます」

「……礼は不要だと、いつも言っているはずだ。これは契約で、対価を払っているだけでしかないのだからな」

「それでも、です。わたしがこうして生きていられるのはあなたのおかげであることに、代わりはないのですから」

「……ふんっ。まあ、好きにすればいいがな。オレの知ったことじゃあない。それよりも、そっちのを早く寄越せ」

「はい、こちらになります」


 そうしてフェリシアが差し出したのは、今放り投げられたのと同じような袋……否、事実同じものであった。

 そこには魔女の作り出した薬が幾つも入っている。

 これが契約であり、対価だからだ。


 食料を渡す代わりに、魔女の薬を差し出す。

 そんな契約を、フェリシア達は結んでいるのだ。


 もっとも、契約とは言ったところで、ただの口約束と大差ない。

 契約書は作成したものの、スキルを用いたわけではないので、そこには何の拘束力も、強制力もないからだ。


 それでも、未だにフェリシア達は律儀にそれを守っていた。


 少なくとも、フェリシアにとってそれは意味のあるものだったのだ。

 今となっては、それが残された彼らとのたった一つの繋がりだったし、何よりも、多分それがあるからこそ、フェリシアはこうしてきちんと食料をもらえている。

 魔女の書を読めず、魔女の出来損ないとでも呼ぶべきフェリシアでも、生きるのを許してもらえているのだ。


 実際先代が亡くなった直後は、それを理由にして食料を減らされたことがある。

 一月分と言いつつ、その半分程度しかなかったのだ。

 ギリギリ餓死はしなくとも、本当にただそれだけだった。


 しかしヨーゼフとこの契約を交わしたことで、それが一気にマシになったのである。

 一月分と言いつつ、今度はその倍ほどが渡されるぐらいに。

 ソーマが居ても何とかなっていたのも、そのおかげなのだ。


 それは多分、ヨーゼフがその袋を使って食料を渡すようになったのとも、無関係ではないのだろう。

 フェリシアが渡したそれと共に、それらは魔導具であり、内部の空間が拡張されているのだ。

 二月分の食料を詰め込んでも余るほどにそこは広く、同時にそれは外からでは分からない、ということである。


 尚、フェリシアが渡している薬は、歴代の魔女が作り貯めをしていたものだ。

 それを少しずつ切り崩すことで、何とか対価を支払っていたのである。

 そろそろその残りも心許なくなってきていたが……ソーマのおかげで何とかなりそうであった。


 それどころか、きちんとあの中身を理解出来るようになれば、正式に魔女として動けるようになるかもしれない。

 本来の魔女は、呪術を対価として、生かされるのだ。


 フェリシアも一応呪術は使えるものの、魔女の書を読めなかったために的確な補助を働かせることが出来ず、その効果が不足していたのである。

 その代わりとして、薬を差し出していたのであり……だが、これで。


 もっともそれは、残されたたった一つの繋がりを断ち切ることにもなってしまうが……それこそが、普通なのだ。

 それが可能なのに、これ以上甘えているわけにはいかない。


 と、そんなことを考えている間に、袋の中身を確認していたヨーゼフが顔を上げた。


「確かに、確認した。それでは――」

「あ、すみません、一つだけ確認したいことがあったんですが、よろしいですか?」

「……何だ? 手短にしろ。さっきも言ったが、忙しい身なんでな」

「分かっています。その……これはただの好奇心で聞くんですが、この空間に無関係な人が迷い込んでしまった場合、その人はどうなるんでしょうか?」

「……何だそれは? 意味が分からんのだが?」

「ですから、ただの好奇心です。ふと、そういえばそんなことがあったらどうなるのだろうかと思ってしまいまして」

「ふんっ……なるほど、時間が有り余っているから、そんな余計なことも考えるというわけか。まったく、うらやましいものだな……」


 そんなことを言いつつも、ヨーゼフは腕を組むとその眉根を寄せた。

 どうやら一応真剣に考えてくれるらしい。


 ……それは勿論ソーマのことではあったが、そんなことをわざわざ聞いたのには意味がある。

 というのも――


「そうだな……まあ間違いなく拘束することになるだろうな。状況次第では、その場で斬首する可能性もある」

「斬首っ……!? えっ……そ、そこまでするようなことなんですか?」

「そこまでのことだ。ある程度自分の立場というものを理解しているものとばかり思っていたが……ふんっ、その様子ではまだ理解が足りていなかったようだな。お前がここに居るということを知られるのは、絶対に避けねばならんのだ。一般人でも勿論まずいが、相手にある程度の立場でもあった場合は、まず間違いなくそうするだろうな」

「そ、そうですか……」


 ソーマの言った通りであったことに、フェリシアは内心冷や汗をかいていた。


 そう、そんなことを聞いたのは、ソーマにそんな風に指摘されたからなのだ。

 てっきり今日ソーマはここであっちに戻ると思っていたので、それは完全に予想外のことであった。


 だがその懸念が正しかったのだと分かり……同時に、どうしたものかとも思う。

 これでは、ソーマが戻ることが出来ないからだ。


 まあ、魔女の書はまだ全然理解出来ていないので、それを読むことの出来るソーマが居てくれるのは正直助かるのだが――


「……そうだ、事は我らエルフ全体に関わってくることだ。だから……」

「……あ、あの?」


 いつの間にか俯き何事かを呟いていたその様子は、どことなく鬼気迫るものがあった。

 そこにほんの少しだけ恐怖を覚え、背筋が震える。


 しかし顔を上げた瞬間、その気配は霧散し、そこにはいつも通りのヨーゼフが居た。


「ともあれ、そういうことだ。疑問は晴れたか?」

「は、はい……ありがとうございます」

「ふんっ、まあ、何にせよそんなことは起こりえんがな。どんな手段を用いようとも、世界が閉じているここに侵入することなど不可能なのだからな」

「……そうですか」


 じゃあソーマは、と思うが、その疑問と共に、昨日のことを思い出す。

 ……ソーマならば有り得てもおかしくはないのかもしれないと、そんなことをちょっと思った。


「それで、他には何もないな? オレは行くぞ」

「あ……はい」


 ふとその時、ソーマが果実以外のものも食べたそうであった、ということを思い出したが、今更他のも欲しいと言い出すのはおかしいだろう。

 ほんの少しだけ、フェリシアももう一度料理をしてもいいかも、と思い始めてはいたが……黙ってその言葉は飲み込む。


「それでは、また来月に」

「……ふんっ。……そうだな。ああ、また来月、だ」


 そこでフェリシアが驚いたのは、そんな風に返してきたことは今までなかったからだ。

 今まではただ、何も言わず立ち去るのみであり……だがこちらに向けられた背を眺めているうちに、空間が揺らぎ始める。

 それは一瞬で激しく波打ちだし……やがて呆気ないほど簡単に、全ては消失した。


 残ったのはただの、漆黒の空間であり――


「ふむ……中々に色々と興味深かったであるな」

「――っ!?」


 瞬間聞こえた声に、思い切り肩が震えた。

 反射的に振り返れば、すぐ後ろにあったのは、当たり前のような顔をして立っているソーマの姿だ。


「えっ……ソ、ソーマさん……? 何故ここに……?」

「いや、つい好奇心が抑えきれず、こっそりと眺めていたのである」

「み、見つかったらどうするつもりだったんですか……!?」

「その時はその時であるし、まあ見つからない自信もあったであるしな。実際見つからなかったわけであるし」

「それはただの結果論で……はぁ」


 そこまで言ったところで、何か色々と馬鹿らしくなって、言葉の代わりに溜息を吐き出した。

 確かに結果論でしかないものの、ソーマが言うと妙に説得力があったのも、理由の一つではあるが。


「ということは、わたし達の話も聞こえていた、ということですか?」

「うむ、最初からばっちり聞いていたのである」

「褒められたことではないので、そこで胸を張るのは間違っていると思いますが……まあいいです。つまり報告する必要はない、ということですね?」

「そういうことであるな。そして我輩の懸念が的中していた、ということでもある」

「そうですね……それに関しては、その……考えが足りず、申し訳ありませんでした」

「いや、気にする必要はないのである。ぶっちゃけ半分ぐらい実はでまかせだったであるしな。本当にその通りで我輩もちょっと驚いてたりするのである」

「……はい?」


 でまかせとは、どういう意味だろうか?

 昨日は自信満々に語っていたはずだが。


「魔女の書やら何やら、色々とまだ興味深いであるからな。まだ我輩はここから出て行くつもりがなかったのである。そのための建前を即興ででっち上げてみた、というところであるな。多分出ようと思えば押し通ることも出来たと思うであるしな」

「…………あなたは」


 一気に力が抜けて、思い切り溜息を吐き出した。

 ついでに睨みつけてもみるが、眼前の姿にはまるできいた様子がない。


「ま、とりあえず改めて、まだしばらくはよろしく頼む、ということである」

「……はぁ。まあ、そうですね。助けられているのは事実ですし……しばらくは、またよろしくお願いします」


 うむと大仰に頷く姿を睨んでみるも、やはりそれに意味はなく……何となく、苦笑が浮かぶ。

 ほんの二週間前までは想像することも出来なかったが、どうやらしばらくはまたこうした日常が続いてしまうらしい。


 そのことに、小さく息を吐き出し……ふと、後ろを振り向いた。

 去り際のあの人の姿が、やはり気になったからだ。


「どうかしたであるか?」

「……いえ、何でもありません。それでは、帰りましょう」

「そうであるな。ああ、それ我輩が持つであるぞ?」

「そうですか? 別に重くもないのですが……それでは、折角ですから、よろしくお願いします」


 それでも、既に気にしてもどうしようもないことである。

 だから、脳裏からあの人の――血を分けた兄の姿を追い出すと、ソーマと二人、自分達の家へと向かい、歩き出すのであった。

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