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幕間 日常マイナス一

「むぬぅ……やる気が出てこんのじゃー……」


 学院長室の執務机の上に突っ伏しながら、ヒルデガルドはそんな呟きを漏らしつつ、だれていた。

 その姿を見れば威厳も何もあったものではないが、今だけは仕方ないと開き直り、盛大にだれる。


 学院長でなければ処理できないような書類が溜まってはいるが、生憎と目を通す気は起こらない。

 いや、そもそも今の状態で出来るわけがないのである。

 一週間溜まりに溜まったそれらに後で泣きを見るのは分かっているのだが、それでも無理なものは無理なのだ。


「せめて居場所が分かればどうとでもなるんじゃがなぁ……」


 しかし分からない以上は、どうしようもない。

 分かったならば、学院のことなど放り投げてでも迎えに行くというのに。


 ――早いもので、あの日から既に一週間もの時間が流れていた。

 あの日……ヒルデガルドがソーマのことを見捨てて逃げ、そしてそのまま、ソーマが行方不明となってしまった日から、だ。


 邪神の力の欠片が消滅したのを感じ取ったヒルデガルドは、即座にあの階層へと戻った。

 だがそこにあったのは変わり果てた広間だけであり、その何処を探したところで、ソーマの姿はおろかその手がかりすらも見つけることはできなかったのである。


 それでもソーマが死んだと思っていないのは、ヒルデガルドはソーマの存在を感じ取ることが出来るからだ。

 何処に居るかは分からずとも、生きているということだけは分かるのである。


 それはヒルデガルドの元神としての力でなければ、元龍としての力でもない。

 いや、元神の力だと言われれば確かに近くはあるのだろうが……それは、ヒルデガルドがソーマをこの世界に転生させたことに起因している。

 それによって縁を得、スキルのようなものも得たため、ヒルデガルドはソーマがこの世界に生存しているか否か、という大雑把なことだけとはいえ、把握することが可能なのだ。


 だからこそ、少なくともソーマは生きている。

 その点に関してだけは心配していないのだが――


「ぬぅ……我にあの頃のような身体があれば簡単に探しに行けたのじゃが……。……いや、でもそうなるとソーマとの子作りが不可能になるのじゃから、意味がないのじゃ……? ……むぅ」


 それはそれ、これはこれ、ということである。

 学院長が仕事に復帰するには、まだまだ時間が必要そうであった。









 周囲を白一色で包まれた中、少年は一人天井を見上げていた。

 そこもまた白であり……何故白なのかは分からないが、これも異世界から持ち込まれたことの一つであるらしい。


 そんな場所へと向けて、少年は右手を突き出すと、そこにある何かを掴むように、拳を握り締めた。


「ちっ……礼ぐらい言わせろっつうの……」


 その感触に、違和感はない。

 拳を解き、顔に持ってきたところで、そこにあるのはやはり覚えのある感触だ。

 まるであの日のことが夢のようであり……だがそうではないことは、自身が一番よく知っている。


 あの時感じた恐怖も痛みも、忘れられるわけがなかった。


 だがその全てが、跡形もなく消え去っているのだ。

 直後の周囲の騒ぎようは、ある意味では面白いものではあったが――


「ったく、俺が使える魔法なんかより、テメエのやったことの方が何倍も魔法っぽいだろうが」


 それでいて本人は大真面目に魔法が使えるようになりたいなどというのだから、それこそが笑い話だ。


 そんなことを思いながら、今度は左手で、自分の右手と顔を順に触っていく。

 医者からは、魔法を使ったところで元に戻すことは困難だと言われたらしいそれらを、だ。


 だというのに、それを治したのが剣士だというのだから、まったく以って馬鹿馬鹿しい話である。


 本当に馬鹿なのは、力を求めるあまり、それが手に入るならばと、全てを投げ捨てようとした自分なのだろうが。


「……ちゃんと戻ってきやがれよな。借りっぱなしなんざ、性に合わねえ。絶対テメエに返してやる」


 そう宣言するように呟きながら、ラルスは病室の中から、窓の外を見上げた。







「……っ」


 数度の深呼吸を繰り返した後で、ヘレンは思い切って部屋の扉を開けた。


 そこに広がっているのは、当然のように寮の廊下だ。

 しかしそれでさえ怯えて下がりそうになる足を叱咤しながら、その先へと、一歩を踏み出す。


「っ……ふぅ……」


 それに成功したら、次の一歩を刻み、またさらに一歩へと繋げる。

 ゆっくりと、それでも確実に、進んでいく。


 傍から見たら滑稽だろうけれど、それでもずっと引き篭もってるしかなかったヘレンからすれば、今日はかなりの成果であった。

 上手くいけば、このまま教室まで行けるかもしれない。


 正直に言ってしまえば、そのことは未だに怖い。

 おそらくヘレンは、学院に通うということの意味を正確に理解してはいなかったのだ。


 そのことを……あの姿を、顔と腕を徹底的に破壊されたあれを見た瞬間に、思い知らされたのである。


 いや、或いはその認識も間違っているのかもしれない。

 実際そんなことは滅多にないのだろう。

 だが起こる可能性があるのも、それを想像出来ていなかったのも事実だ。


 そしてそんなことを、級友にされるということも。


 まあそれは勘違いだと後に分かったわけだが、それでもそこに覚えた恐怖が薄れることはなかった。

 そんなことを遭わされたのが級友で、遭わせたのが引率役の先輩。

 どちらがどちらなのだとしても、その双方とほんの少し前まで共に迷宮へと行っていたことに違いはないからだ。


 もしかしたら、次は自分がそんな目に遭うのかもしれない。

 自分をそんな目に遭わせるのは、見知った誰かなのかもしれない。

 そんなことを考えてしまえば、もう部屋からは一歩も外に出る事が出来なかった。


 あるいはその時点で、学院を辞めるべきだったのかもしれない。

 ヘレンは何だかんだで、魔導上級のスキルを持っているのだ。

 この国ならば、どうとでも挽回は可能だろう。


 そうしなかった理由は今でもよく分からない。

 でも、あのソーマが行方不明になったと聞いて、それから一週間経っても見つかっていないと聞いて。

 このままじゃ駄目だと、そんなことを思ったのだ。


 何をすべきなのかも、何をしたいのかも未だに分かっていない。

 それでも。

 逃げたままでいたくはないと、そう思った。


「……っ」


 だから、震える身体を抱きしめながら、ヘレンは少しずつ教室へと向かっていくのであった。









「……はぁ」


 自身の座る場所から左右を見渡して、シルヴィアは溜息を吐き出した。


 教室の最前列で、魔導の授業中だ。

 元より人気のない場所ではあるが……何せ今はそこに、自分一人しかいないのである。

 ばかりか、真後ろにすら誰も座っておらず、それは溜息も出ようというものだ。


 ここ最近はずっと、こんな調子であった。

 授業をしているカリーネも、何処となく寂しげだ。


 一週間。

 たったそれだけしか経っていないというのに、魔導科の雰囲気は随分と変わったと思う。


 それ以前も物々しくはあったが、それでも何処となく、そこには安心感が横たわっていたような気がする。

 不安はあるけれど……それでも、多分大丈夫だろうと。


 だが今は、その源であった少年の姿が、ここにはない。


「……はぁ」


 それを思えば、自然と溜息が漏れてしまう。


 脳裏を過ぎるのは、あの時の光景。

 ソーマを見捨てた時の、罪悪感と無力感が蘇り……でも、シルヴィアはそれを正面から見つめ返すと、顔を上げた。


 自分の無力を嘆くのは、もうやめにしたのだ。

 何もかもが足りていなかったのは事実で、だけどそれを悔いたところで、何にもなりはしないのである。

 それに、ようやく気付く事が出来た。


「……よしっ」


 だから小さく呟くと、シルヴィアは授業へと耳を傾けた。


 いつかまた、何かがあったら。

 その時こそは、後悔しないでいられるようにと。


 今出来ることを、精一杯頑張るのであった。








 目の前の光景を、アイナは何をするでもなくボーっと眺めていた。

 時折変化があるものの、基本的には同じことの繰り返し。

 聞きなれた音と、見慣れた物。

 それだけが過ぎるのを、ただ――


「……アイナ?」


 聞きなれた声に視線を向ければ、そこでは見慣れた金色の髪の少女――シーラが、首を傾げていた。

 まるで何をしているのかと、問いたげである。


「……別に何をしているわけでもないわ。強いて言うならば、気分転換、かしらね?」

「……わざわざ剣術科にまで来て?」

「だからこそ、よ。魔導科に居たら、どうしたって思い出して気になっちゃうじゃない」

「……それは多分、ここも同じ?」

「……確かにね」


 魔導科で授業を受けていれば、常に最前列で授業を受けていたソーマのことを嫌でも思い出してしまう。

 かといって、剣を見ていれば、必然的に頭に浮かぶのはソーマのことだ。

 これでは何の気分転換にもなってはいない。


「ま、あたしのことは気にしないでいいわよ。そのうち元に戻ると思うから」


 今は色々とやる気が起こらないけれど、いつかはこの胸を占めている虚しさのようなものを振り切る時が来るだろう。


 それはソーマのことを忘れるというわけではない。

 どちらかといえば、逆だ。


 だって今は、ある種のチャンスである。

 ソーマがここに居ないということは、ソーマの知らぬうちに自分を磨く事が出来るのだ。


 再会した時に、ソーマの驚きに染まった顔を見る。

 それは想像するだけで、とてもわくわくするものだった。


 ただ……今はちょっとだけ、立ち上がる気力が湧かないから。

 どうか少しだけは許して欲しい。

 ソーマから離れた場所で……離れすぎない場所で、次への活力を蓄えるのを。


「まあ、長期休暇が近いし、最悪でもその間には何とかするわよ」

「……ん」


 王立学院は、夏と春とに一月ほどの長期休暇が存在している。

 その間は、本当に自由だ。

 外に遊びに行くのも、外泊するのも学院に許可を取る必要はない。


 まあさすがに外泊する場合は届出が必要だが、届出さえしっかりとしておけばそれが認められないということはないのである。

 その期間を利用して、里帰りをする者も珍しくはない。


「そういえば、シーラは長期休暇の間何をするかって決めてるの? あたしは……色々考えてはいたんだけど、どうやらその大半が出来そうにもないし」

「……ん。……ちょっと帰ってみようかと思ってる」

「帰るって……あの街に?」


 帰ると言われてアイナが思い浮かぶのは、シーラと初めて会ったあの街、ヤースターだ。


 しかしシーラはそこで、首を横に振った。

 シーラが帰ると言った場所は、そこではなかったからである。


「……あの森に」

「え……それって、シーラが生まれ育ったっていう?」

「……ん」


 頷いたその姿に驚いたのは、シーラは確か魔法を使えるようになるまでは戻らない、などと言っていたはずだからだ。

 シーラはこれで割と頑固である。

 一度言ったことをそう簡単に翻すとは思えず――


「……今回のことで、私も色々と思うところがあった。……だから、ちょっと見つめ直してきたい」

「……そっか」


 その言葉に、アイナはそれはそうだと思った。

 今回のことでショックを受けているのは、アイナだけではない……いや、あるいはシーラは、アイナ以上にショックを受けているのかもしれないのだ。


 アイナもシーラも、ソーマが行方不明となってしまったことにショックを受けている。

 だがそれ以上に、今回完全に置いていかれたことに、ショックを受けているのだ。


 それはおそらく、アイナ達のことを考えてのものだろう。

 しかしそんな気遣いをされても、嬉しくはないのだ。

 特に腕に覚えのあるシーラの受けた衝撃は、きっとアイナの比ではない。


「……ついでに、刀の腕も磨いてくる。……今度は、絶対置いていかせない」

「……そ」


 そしてどうやらそれは、正しかったようだ。

 いつも通りの変化の乏しい表情の中、その瞳だけが決意に燃えていた。


 シーラの目的は、確かに魔法を使えるようになることだ。

 だが同時に、鍛えてきた刀の腕にも自負を持っている。

 そういうことだろう。


「自負と言えば……同じく剣の腕に自負を持ってただろうここの講師は何をしてるのかしらね……?」

「……さあ?」


 それは勿論リナのことだが、剣術科の講師であるはずのその姿は、今そこにはなかった。

 何でも最近は時折姿を消しているとのことである。


 それでいいのかと思うが、何でも基本剣術科の授業は自習なので問題はないらしい。

 そもそも向上心があるのは剣術科の生徒達も同じだ。

 むしろ放っておいたことを後悔させてやる、とかいう勢いで頑張っているのだとか。


「まああの娘も色々と考えることはある、ってことなんでしょうけどね」

「……ん」


 カミラなどは、ソーマが行方不明になったと聞いても割とあっけらかんとしていたものの、さすがにあの境地にはそうそうなれない。

 ソーマが死ぬわけがないというのは、同感ではあるも――


「……本当、今頃何処で何をしているのかしらね」

「…………ん」


 そんな会話を交わしながら、ふと二人はほぼ同時に空を見上げた。

 思うのは、同じことである。


「まったく、無茶ばっかりした挙句にこんなに心配かけさせて……早く帰ってきなさいよね、馬鹿」


 小さく呟いた言葉は、ほんの少しだけ震えていた。









 いつも通りの、緑ばかりが生い茂っているその場所を、少女は一人歩いていた。

 自身以外の生物の息遣いすらも感じさせないそこは、相変わらず静けさと共に、何処となく不気味さも感じさせる。

 あるいはそれは、その場所の名から人々が感じる印象、そのものなのかもしれない。


 魔女の森。

 そこは、そう呼ばれる場所であった。


 だが少女の歩みは淀みなく、迷いなく先へと進んでいく。

 庭と言っていいほどに慣れきったそこで、今更恐怖などを覚える理由はないからだ。


 しかしいつも通りのその歩みが、不意に止まった。

 何となく、違和感のようなものを覚えたからだ。


 首を傾げ……だがその正体が掴めずに、端正な眉を歪める。

 それでも結局は気のせいだと思うことにして、歩みを再開させ――それに気付いたのは、次の瞬間であった。


「――っ!?」


 足元にあったものから反射的に距離を取り……それでようやく、地面に転がっているものが何なのかが分かった。

 見間違いや、幻覚でないのであれば――


「……人? それも、少年……? ここに、ですか……?」


 その有り得ざる珍客を前に、真っ白に染まった髪を揺らしつつ、少女は――魔女と呼ばれるものは、驚愕に目を見開くのであった。

 というわけで、一応ここで第三章完となります。

 何処で区切るか迷ったのですが、まあここかな、と。

 もっとも区切ったところで何かあるわけでもないのですが。

 ともあれ、ここまでお読みいただきありがとうございました。


 第三章はじっくりと進めてしまうと話数と文字数が嵩んでしまうため、かなり飛ばし気味に進めたのですが……ちょっと飛ばしすぎたかもと反省しております。

 飛ばすにしても、もっとやり方があったのではないかと思いますし……相変わらず日々勉強中です。

 それでも何とか百話を超え、まだ続ける事が出来ているのは皆様の応援のおかげです。

 ネット小説大賞も一次を無事突破出来ましたし……二次がどうなるかはまだ分かりませんが、引き続き頑張りたいと思いますので、応援していただけましたら幸いです。


 それでは、皆様に少しでもお楽しみいただけますよう祈りつつ。

 失礼します。

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