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幕間 破滅の残滓と無意義な選択

 ――王立学院地下迷宮第九十九階層。


 その最奥の間へと足を踏み入れた少女は、そこに広がっていた惨状に、思わず眉を潜めていた。


 まず目に付いたのは、その足元に大きく口を開けている大穴である。

 深さにして直径十メートルはあるだろうか。

 そこからではギリギリその底が見える程度であり、落ちたところで出てくることは可能ではあるだろうものの、あまり積極的に落ちたいと思う者はいないだろう。


「……まあそれは、この濃密な死の気配も原因ではあると思いますけどねー。丸一日経っているというのにこれなんですから、本当に驚きですねー」


 それは、二重の意味での言葉だ。

 死の気配が薄れていないことと、この大穴が塞がっていないこと。


 或いは死の気配の方は、これで薄まっているのかもしれないが……それはそれで驚きである。

 元は果たしてどれほどのものだったというのか。

 力の欠片でしかないとはいえ、さすがは邪神と呼ばれた存在だ。


 大穴に関しても、ここが迷宮だということを考えれば、それに驚かないものはいないだろう。

 何せ迷宮の構造物というのは、基本的に破壊は不可能だ。

 壁も床も天井も、その全てはどれだけ力を加えたところで、罅一つ入る事はない。


 その理由は単純で、迷宮の構造物は概念の力によって守られているからだ。

 『不壊』という概念を与えられたそれらは、法則が違うが故に、物理的な力では傷つく事がない。

 だからこそ、迷宮は道順に沿って進む以外にないのである。


 まあ特級クラスの力で全力を叩き込めば、多少欠ける程度のことはあるかもしれないが、それも結局は無意味だ。

 迷宮には不壊の他にも、もう一つ概念の力が与えられているからである。

 それが『回帰』であり、その効果によって、迷宮はどれだけ傷つけられ壊される事があろうとも、すぐ元の形に戻ってしまうのだ。


 そう、だから今のこの大穴というのは、本当に有り得ないのである。

 回帰は秒と経たずして行われるものであり、本来ならばこの穴はとうに塞がっていなければおかしい。

 驚きというのは、そういうことであった。


「それだけ邪神の力が強いってことなんですかねー。まあ本体が既に滅んだとはいえ、この世界を運営していたたった二柱のうちの片割れなんですから、それも当然なのかもしれませんがー。……いや、それは分かっていますが、ちょっとぐらいいいじゃないですか。っていうか、今の程度褒めるうちに入りませんよー」


 そう言って唇を尖らせながら、少女はその穴の縁に沿うように歩き出す。


 本当に巨大なものであり、どうやらその広間とほぼ同じ大きさであるようだ。

 壁にも幾つかの穴が空いており、天井が近ければおそらくはそちらも同じことになっていただろう。

 それが幸いなのかどうかは、分からないが。


 爆心地は広間の奥のようであり、先に進むごとに深くなっているらしい。

 入り口近くはまだ随分と浅かったようで、底が見えなくなるのにそう時間はかからなかった。


「うえ、死の気配もさらに濃くなってきましたし、ちょっとこれは落ちたら本気でシャレにならなそうですねー。深さもどれぐらいあるのか分かりませんしー。……学院長さんは、ここを最後まで調べ尽くしたんですよねー? ちょっと尊敬しそうです」


 顔を顰めながらも、少女の足は止まらず……やがて、端へと到達した。

 とうに底は見えず、当然のようにその先に何かがあるのかすら分かることはない。


「まあ、やっぱり何も分からないですねー。予想通りですがー。……ところで、これ降りて調べろ、とか言いませんよね? ……よかったー、本当にそう言われたらどうしようかと思いましたよー。……いえ、確かに気にはなっていますけどねー。直後ならともかく、もう皆さんが一生懸命探した後ですから。そこに見落としがあるかもとか思うほど、私は無神経じゃないですよー」


 そう言いつつ、どう考えても未練たらたらといった様子ではあったが、意を決したようにそこから視線を外すと、少女は元来た道を戻り始めた。

 小さく吐き出された息は、さて一体何を意味するものであったのだろうか。


「そういうものは気付いていてもスルーするものですよー? ……それにしても、結局ここに来ても私が目覚めた理由は分からずじまいでしたねー。邪神のことが原因にしても、時間差ありすぎですしー。最近こんなことばっかりですねー。……嫌なことの前兆とかでないのならば、いいんですけどねー。……いえまあそれは確かに、そうなんですがー」


 言葉を交わしつつも、少女は足を止めることはない。

 何が分かろうが、分かるまいが、結局のところ、やることに違いはないのだ。


 それが本来の役目としてのものなのかどうかは、未だに分からなかったけれど――


「……兄さん、生きてますよね?」


 その惑う心を表すように、願望に似た呟きが零れ落ち、しかしそれは何処にも届くことはなく、ただその場の闇に溶けて消えた。













 緑の生い茂った場所であった。

 陰鬱さとは無縁のような、清々しさすら感じるような場所である。

 だがだというのに一概にそうとは思えないのは、その場に居る者達が原因だろう。


 男と女であった。

 しかしだというのにそこに甘い雰囲気は微塵もなく、別の意味での怪しさがあるだけだ。


「……これは本当のことなのだろうな?」

「折角苦労して手に入れてきた情報だってのに、今更疑うってんですか? さすがにそれは看過出来ねえですよ?」


 鋭い目と口調で問いかける男に、女もまた鋭い視線を返しながら言葉を口にする。

 その端正な顔立ちとも相まって、男の作り出している雰囲気はそれなりのものなのだが、女にそれを気にしている様子はない。

 それは女の言葉を受け、男がさらに目付きを鋭くさせたところで、同じだ。


 そのまましばし男は女のことを睨んでいたが、やがて根負けしたように視線を逸らすと鼻を鳴らした。


「ふんっ……そういう態度だから、いまいち信用がおけぬというのだ」

「んなこと言われても知ったこっちゃねえです。つーか取引相手の態度が信用出来ねえとか、そっちこそその態度はどうなんです?」

「……ふんっ。まあいい……それで、これは本当だということでいいのか?」

「もう一回同じことを言われても、こっちの返答は変わんねえです。そもそも、それを言われたところで、こっちに分かるわけねえと思うんですが? こっちはそれを持ってきただけなんですから」


 女の言う事が事実だということは、男にも分かっているのか、男は三度鼻を鳴らすと、女から渡されたそれ――望んだ情報が書かれているはずの羊皮紙へと視線を落とした。


 随分と時代がかかったもののようだが……男の望むことからすれば、その方がらしいのは事実だ。

 しかし先ほども目を通したその内容を再度確認すると、握り締めたくなる感情を押し殺しながら、代わりとばかりに女へと視線を向けた。


「んな睨まれたところで、情報は変わらねえですよ?」

「黙れ。……まあ確かに、貴様に聞いたところでこれが正しいのかは分からんのだろう。だがこれは本当に、森神様に関することが書かれたものなのか? とてもこれがそうなのだとは信じられん……!」

「だから、んなこと知ったこっちゃねえです」

「なっ……!? 貴様がそう言ってこれをもってきたんだろうが……!?」

「それはそうですが、そもそも森神なんてものがいるって言ってるのは、オメエ達エルフだけじゃねえですか? その時点で怪しいのに、それについて書かれたものが怪しいとか言われても、こっちが知るわけねえじゃねえですか」

「貴様……我らを侮辱する気か……!?」

「事実を言っただけで侮辱とか言われても、こっちこそ困るです。この世界に存在する神は、二柱のみ。邪神と呼ばれている神と、女神と呼ばれている神だけ。森神なんて神がいるなんて言ってるのは、オメエ達だけじゃねえですか」

「それはっ……!」


 男が言葉に詰まったのは、それが事実だということを知っていたからだ。

 少なくとも彼らエルフ以外で、自分達の信じる神である森神を、神と認めるものはいなかった。


 だが。


「森神様は確かにいらっしゃる……! そもそもだからこそ俺は、こうして目覚めそうになっている彼の方を再び眠らせるための方法を探しているんだろうが……!」

「いや、こっちも別にその実在は疑ってねえですよ? そう呼ばれる何かがいるってのは分かってるです。ただそれが本当に神なのか、ってとこが疑問ってだけで」

「貴様、不敬だぞ……!」

「んなこと言われても、敬う理由自体がねえですし。つーか、それを言ったら不敬なのはオメエの方じゃねえです? 眠らせるとか言ってるですけど、要は封印しようとしてるってだけじゃねえですか。仮にも自分達が神って呼んでるもんに対してそんなことをしようとしてるなんて……本当にオメエ達はその森神とやらを信じてやがるんですか?」

「っ、貴様……!」

「ああ、今のは悪かったです。さすがに言い過ぎたです」

「っ……!」


 男は今にも殴りかかりそうになるのを堪えながら、黙って拳を握り締めていた。

 殴ってしまったら、それを事実だと認めてしまうことになるからだ。


 例え……それがその通りだったとしても、である。


「まあともかく、その森神ってのを再び封じる方法ってのは、そこに書かれている通りです。つまり、オメエ達の仲間の誰かを生贄にするしかねえってことですね」

「そんなこと……!」

「つーか、別に躊躇うことなんてねえと思うですが? そもそも、どうせ最初からそのつもりだったんでしょうに。オメエ達の得意技ですしね。数百年前にもそうやって、邪龍を封印したわけですし」

「っ……!? 貴様……何故それを知っている……!?」


 それは一族の秘密だったはずだった。

 極一部を除き、外部にはその方法を伝えてすらいない。

 知る者が居るとすれば、それは当時の関係者の末裔ぐらいであり――


「あれ? もしかして、これって秘密だったです? それは失敗しちまったですねえ」

「いいから答えろ……! それは……!」

「残念ですが、こっちにも秘密にしなくちゃいけないことがありやがるです」

「そんなことで納得ができると――」

「ま、とはいえ今のはこっちの失敗ですからね。その代わり、特別に一つ、いいことを教えてやるです」

「……何?」


 瞬間、一気に怒りが冷めたのは、その言葉のせいだった。

 この女がいいことなどという場合は、大抵ろくなことではないのだ。


 ただしそれは同時に大事なことであることも多く……胡乱気にしつつも、ついジッと見つめてしまう。


「ふんっ……いいだろう。その内容次第では、今のは聞かなかったことにしてやる」

「それでいいです。絶対にオメエはこれを無視出来ねえですからね」

「いいから言え。いいこととは何だ?」

「それは――オメエ達が匿っている魔女のことです」

「なっ……!?」


 有り得ない言葉に、男は目を見開いた。

 その衝撃は先の比ではない。

 それこそは……それだけは絶対に誰かに知られてはいけないことだったからだ。


「まったく……世界の敵を匿っているなんて、誰かに知られてたら大変ですね?」

「……貴様」


 反射的に腰に手が伸び、そこにあるナイフの柄を掴んでいた。

 その意味するところは、明白だ。

 浮かび上がってきた殺意のままに、それをそのまま突き出そうとし――


「まあそう来るのも当然だとは思うですが……でももう少しよく考えるのをお勧めするですよ? こうやって簡単に開示するということは、この情報はもうそれなりに知られちまってるってことです。殺したところで意味なんて何もなく、むしろそれが事実だって認めることになりやがるだけです」

「……それは、貴様を見逃したところで同じだろう?」

「その場合はまあ、多少の欺瞞情報ぐらいはばら撒いてやるですよ。大切な取引相手が滅ぼされたら困るですしね。ただそれでも時間稼ぎが精一杯だと思うですが……それで十分じゃねえですか? ほら……ちょうどいい具合に、近日中に生贄が必要ですし? そのうえ、魔女はそれに最も適してるってんですから、一石二鳥じゃねえですか」

「……黙れ」

「ま、魔女を手元に残しておきたいって気持ちも理解出来るですよ? 単純にそれだけでも有用ですし、今後自分達じゃどうしようもねえことが起こる可能性もあるですしね。ただそうなると、他に生贄が必要ってことになるですが……さすがに王族が出張るわけにはいかねえですよね? そうなると、封印の効力が弱くなって多分定期的に生贄が必要となるですが……そっちを望むんです? それは一族の王の判断としてどうなんですかね?」

「…………黙れ」

「いつ来るかも分からねえ災厄に備えるより、今目の前にあるのを何とかすべきだと思うんですがねえ。頑張って誤魔化そうとしたとこで、誤魔化せるかは分からねえですし。下手すりゃオメエら絶滅させられるですよ? 何を優先とし選択すべきかなんて分かりきったことだと思うですが。一族全ての命か、あるいはいも――」

「黙れえ……!」


 叫ぶと同時、男は女へとナイフを突きつけていた。

 その切っ先が女の喉元へと迫り、あとほんの少し力を込めるだけで、その刃は女の喉へと突き刺さるだろう。


 しかしだというのに、女はそれを気にしていないかのように振舞っていた。

 避けるどころか、その場から動こうとすらせず、ただジッと男の目を見つめながら口を開く。


「無意味な死より、有意義な死を選んだ方が、誰にとっても幸せってもんじゃねえですか? オメエには……オメエにだけは、それを選ぶ、選んでやる権利と義務があると思うですが?」


 それはまるで、そのまま殺されても構わない、とでも言いたげであり――その狂気にも似たものに男は一瞬気圧され、僅かに後ろに下がってしまった。


「……っ」

「……ま、なんて、余計なお世話ですか。今のもまたこっちが悪かったです。でもこれでお互い様ってことで、お相子ってことにしねえですか?」

「…………ふんっ」


 変わらぬこちらを見つめたままの女を眺めながら、男はしばし逡巡すると、ナイフを引き、仕舞った。

 そのまま背を向け、女から逃げるように歩き出す。


「あれ? もうお終いです? 結局どうするんです?」

「……報酬は支払ったし、物はもらった。なら互いにもう用はないはずだ。我らがどうするのかを貴様に聞かせる義理もない」

「それも確かにそうですか……それじゃあまたよろしく頼むです」


 女の言葉には応えず、男は去っていった。

 それを女は黙って見送り……その背が見えなくなったところで、肩をすくめた。


「やれやれ、我ながら心にもねえことを口にして……本当に救いようがねえですね。無意味だとか有意義だとか、どの口が言うんだって話です。もっとも、最初から救われるなんて思っちゃいねえですが。それはともかくとして……魔女の呪いと、力を蓄え続けた亜神。果たしてどっちが上なんですかねえ。……ま、どっちでも構わねえですか」


 どうせ結果は変わらない。

 世界も変わらない。


 今日も世界のどこかでは誰かが死んで、その代わりに誰かが生きている。

 それだけだ。


「魔王様の復活には失敗して、邪龍は復活したけどすぐに倒されて……彼の方の力の欠片の回収も、どうやら失敗したっぽいですし。しかもこれが全部同じやつに邪魔されたってんですから、笑い話にすらならねえです。ま、さすがに今回はねえとは思うですが……さて、どうなりやがるですかね」


 それでも、女は……少女にしか見えない女は、笑う。

 あるいは、女にしか見えない少女は、嗤う。


 世界の全てを。

 そこに生きる人々を。

 何よりも、自分自身を。


「さて、この身に降りかかる死は、一体どこにありやがんですかね? 三人に来たってことは、そろそろだと思うんですが。……ま、ですがそれまでは、とりあえず頑張るですか」


 だから自分のやることも変わらないと、そんな風にうそぶきながら。

 少女は空を見上げ、忌々しそうに目を細めつつ……歪に口元を震わせながら、嗤い続けるのであった。

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