家庭教師と贖罪
自分の話に真面目に耳を傾けるソーマを眺めながら、カミラはふと苦笑を漏らした。
本当に大したものだと、そんなことを思ったからだ。
何せソーマ自身が理解しているのかは分からないが、今ソーマに話しているのは普通六歳児に話すようなことではないのである。
特に魔族に関するような話は、本来中等部どころか高等部になってから聞くような内容だ。
高等部――つまりは、学者や研究者であったり、国の要所に就くような者達のみが進むことを許される最高学府。
そこで話されるということは、国民の大半は知らない情報だということである。
機密というよりは、混乱を避けるため、またそもそも理解出来ないような情報があるが故の扱いだが……それをこの六歳児は、あたり前のような顔をして理解し、話しているのだ。
やはり――
「……ま、そういうことなんだろうな」
「うん? 何がであるか?」
「んにゃ、こっちのことだから気にすんな。ともあれ、確かに魔族はおまえの言うように、邪悪な存在ってわけじゃない。が、その戦闘力は確かだ。何せ魔族と戦うには、最低でも中級のスキルが必要だと言われてるからな」
説明を続けながら、カミラが思い返すのは、ソーマの家庭教師をしていた者達から、その担当を引き継いだ時のことであった。
……いや、厳密に言うならば、それは正しくはないか。
何故ならば、カミラは彼らからほぼ引き継ぎを受けることはなかったのだから。
特にどれだけソーマの勉強が進んでいるのか……その進行度に関しては、教えられることすらなかった。
算術、一般教養、国外史、などなど。
ソーマは今までその担当毎に異なる家庭教師がついていたわけであるが、その全てから同じように、だ。
まあソフィアの考え――早々に公爵家筆頭ということを知ってしまい、増長してしまう、或いは逆に委縮してしまったりすることのないよう、敢えて除いていた範囲こそ教えられたが、それ以外は本当に全滅だったのである。
何も教えていなかった、というのは有り得ないだろう。
彼らは公爵家が正式に雇っていた者達だ。
今はそのままソーマの妹であるリナの教育に携わっていると聞くし、仕事を放棄していたということは考えづらい。
だからカミラは最初それを、ソーマが嫌われているからだと思った。
ソーマの話し方や態度は人によっては気にする者もいるだろうし、公爵家の家庭教師などを出来るような者は基本相応にプライドが高い。
そのためそこで何らかの衝突でも起こったのではないだろうかと思ったのだ。
だが全員となるとそれもおかしい気もするし、そこで次に思ったことは、プライドはプライドでも、また別のことに関してであった。
事情が事情故仕方なくもあるが、家庭教師からすれば途中でもういいと言われてしまったも同然なのだ。
そこが気に障ったのではないかと思ったのだが……しかし考えてみれば、ならばそもそもここから去るだろう。
そのままリナへと移行したことを考えると、これも違う気もする。
さらに次の可能性を考え……だがそこで行き詰った。
他の可能性が浮かばなかった、というのもあるが、何よりそんなことを考えている場合ではなかったのだ。
嫌がらせのように、高等部相当までの参考書等は残されていたが、何にせよ何処まで勉強をしたのかはまるで分からないのである。
どうやって授業をするべきか。
それを考えるだけで精いっぱいになってしまったのである。
まあそれで色々と考えすぎて気分転換が必要になってしまい、裏庭でソーマと遭遇することになったわけだが……その意味は確かにあったと言えるだろう。
何故ならば、ソーマと手合わせをした直後に最も簡単な解決方法に思い至ったからだ。
気分転換に上手くいった……というか、何故それまで考え付かなかったのか、というぐらいそれは本当に簡単なことであったのだが……。
単純なことである。
ソーマに直接、何処まで授業は進められていたのかを聞いたのだ。
本当に、何故思いつかなかったのだという話である。
言い訳は色々としようがあるが、所詮言い訳である以上意味はない。
ともあれ、そうして教えてもらったわけだが……様々なことが合点いったのは、その瞬間のことであった。
高等部のものが用意されていたのは、何ということはない。
真実、そこからやる予定で用意されていたからなのだ。
それをそっくりそのまま譲られただけなのである。
そう、ソーマは既に、中等部までの全範囲を終えていたのだ。
それにどれほど驚いたか、というのは敢えて言うまでもないだろうが、同時に彼らの意図を察した気がした。
それはつまり、彼らが進行度をまったく教えなかった理由だ。
多分それは、こういうことなのである。
この才能を見誤るなという、家庭教師全員からのメッセージだったのだ。
そんな回りくどいことをしなくとも、口で直接伝えれば手っ取り早いとは思うが……まあ、ある意味でこの国らしいことではあるのだろう。
あとは、カミラがスキル鑑定士だということも関係しているのだろうが。
ともあれ。
「ふむ……魔族は基本的に所持しているスキルの等級が高いと思われる、であるか」
「ああ。少なくともうちの国は、魔族が強いのはそのせいだと判断しているな」
「……スキルの等級、いや、そもそも、相手がどんなスキルを持っているのかなどは、そう簡単に分かるものではなかったはずであるが?」
「まあ、それは正しいな。確かに私達スキル鑑定士は相手の所持スキル等を鑑定することが出来るが、それは相手の身体に触る必要があるしな」
「では何故そんな判断をしているのであるか?」
「単純な話だ。強いってとこからそう連想してるだけだな。実際に魔族の誰かをスキル鑑定したことは、今まで一度もなかったはずだ」
「むぅ……」
そこでソーマが唸った理由を、カミラは想像出来るし、多分間違ってもいないだろう。
おそらくソーマは、こう思ったのだ。
それは、あまりにも――
「……以前から感じていたことではあるのだが、この国は少しスキルを絶対視しすぎではないか? 確かにスキルは分かりやすいであるが……或いは、この国に限った話ではないのかもしれないであるが」
「いや、お前が感じたことが正しい。他の国も指標にしてることは間違いないが、ここまで絶対視してるのはこの国ぐらいだろうな」
「ふむ……ということは、何かしらの原因がある、ということであるか?」
「まあな。もっとも、大したことじゃない」
この国がスキルに偏重し過ぎているのは、この国が出来た経緯に由来している。
元々この国は隣接する国の一部であったのだが、あまりに扱いが悪すぎた故に独立したのだ。
ただ、扱いが悪かったのには一応理由があって、あまり土地が豊かではなかった……いや、はっきりと貧しい土地であったため、税収が悪かったのである。
そのせいもあって、魔の森が隣接しているにも関わらず、ここはそれほど重要視されていなかった。
どころか、魔族を抑え込んでおくための緩衝地扱いすらされていたのである。
それを知ってブチ切れた何人かがここに移住してきて、好き放題してた魔族達を追い払うどころか逆にボコボコにして、返す刀でここの独立と建国を宣言。
移住してきたうちの一人が王となり、国となったこの場所を守るために最初に始めたことが様々な人材を集めるのに、スキルを基準にしたことであった。
「スキルを基準に、であるか……?」
「ああ。今まで参考程度だったそれを絶対とするようになってから、明確に質が向上したのはやっぱり兵だろうな。最低でも武術系スキルを所持している必要があるとしたことで、元所属してた国が攻めてきたのを、その十分の一程度の兵力で返り討ちにしたってのは割と有名な話だ」
ただしそれを可能としたのは、出来たばかりのこの国が追い込まれていたからである。
やりたいことではなく、出来ることを最重視しなければ立ちいかず、そのことを住民全てが理解していたからだ。
他の国でやろうとすれば、市民達から猛反発され失敗するに違いない。
事実それが有効だということは判明したのに、未だ他に追随した国は存在していないのだ。
「ふむ……それがこの国がここまでスキルを絶対視するようになった理由であるか……」
「いや、それだけだったら、そうはなってなかっただろうな。言っただろ? 人材を集める基準にしたってな」
「……なるほど。そういえば、貧しかった場所のはずなのに、我輩今まで一度もそう感じたことはないであるな。それは我が家だからなのかと思っていたであるが……そこから脱却するため、農業やら何やらにもスキルを基準にして人材を割り振ったわけであるか」
「……相変わらず察しがいいっていうか、よすぎだな。本当に六歳児なのかおまえ?」
呆れた視線をカミラは向けるが、その通りではあった。
そしてそれが下手に成功した……いや、成功しすぎてしまったがために、この国の住人達は、未だにスキルを信じていれば絶対だと思うようになってしまったのだ。
「なるほど……まあ、そういうことならば、現状の有様も納得いくのであるが……」
「あん? 何か他に疑問でも出てきたか?」
「いや、先生は随分と詳しそうであるな、と思って」
「……ま、国内史で扱う内容ではあるし、そもそもこの国は未だ建国して十数年だ。さすがに忘れるほど歳取っちゃいねえよ」
忘れたくとも忘れられない、とも言うが。
「ふーむ……」
「なんだよ、まだ何かあんのか?」
「いや、ただ単に、我輩の現状について、さらに納得できたというだけなのである」
「ああ……ま、つまりはそういうことだな」
そう、ソーマはおそらく、他の国に生まれていたのであれば何の問題もなかった。
たとえ何のスキルも覚えなかったところで、公爵家の嫡男でい続けることが出来ただろう。
だがこの国でそれは許されない。
この国の住人達が許さない。
それはソフィアが望んだところで、どうしようもないことなのだ。
そして、だからこそ――
「……お前には、私を怨む権利がある」
――そもそも、カミラがソーマの家庭教師を請け負ったのは、贖罪のためであった。
いや、というよりは、そのための機会をソフィアが用意してくれたのだ。
かつて、後に勇者と呼ばれることになる、当時十歳だった少女の人生を狂わせてしまった時。
その罪に耐えきれずに辞職を申し出たカミラを、専属スキル鑑定士として拾ってくれたのと同じように。
それは別に、ソーマに復讐をさせるつもりだったわけではないのだろうが……少なくともカミラは、それでも構わないと思っていた。
或いは、心の底ではそれを望んでいたのかもしれない。
しかし。
「ふむ……? 怨む、であるか?」
ソーマが浮かべた表情は、きょとん、というものであった。
何を言っているのか分からない。
全身でソーマは、そう語っていた。
「……いや、だってそうだろう? 誰がどんなスキルを持つのか、覚えるのか、その詳細はスキル鑑定士にしか分からない。だから私が嘘を吐けば……お前が覚えることが可能だというスキルを適当にでっち上げれば、お前の人生が狂うことはなかった。だから……」
「いや、正直本気でどうでもいいのであるが?」
確かにその顔は、それを本気で言っているようであった。
先ほどから変わらずに、首を傾げたまま。
そう、本気で、本音で……カミラの悩みをどうでもいいと、斬って捨てたのだ。
「……どうでもいい? おまえは、自分の人生の転機となったそのことを、どうでもいいって言うのか?」
「うむ……既に言ったことだとは思うであるが、我輩が望むのは魔法の知識のみ……魔法を使えるようになることのみなのであるからな。それを考えれば、自分の時間が増えたことを喜びこそすれ、怨む理由などなく……む、もしかしたら我輩は、むしろ先生に感謝すべきなのではなかろうか?」
それどころか、感謝などと言いだしたことに、顔が変な風に引きつった。
それはどんな表情であったのか、カミラは自分のことながらよく分からなかったが……分かったことは、ただ一つ。
何故だか、無性に笑いたくなったということだけであった。
「そうか……そうか」
そうして、無意味に頷きながら、カミラはふと思っていた。
最初からそのつもりであり、手合わせの結果やる気は十分に出たのだが。
どうやらさらにやる気が出てしまったようだ、と。
軽くなった気がする心の命じるままに、カミラはその口元を緩めたのであった。




