元最強、家庭教師の授業を受ける
「――とまあ、というわけで、あそこは魔の森なんて名で呼ばれてる、ってわけだ」
無駄に広い部屋の中に、カミラの声が響いていた。
ソーマはそれを耳にしながら、ふむふむと頷いている。
自室であり、この場に居るのは二人のみ。
カミラが家庭教師として行う、初めての授業中であった。
時間的には、森でカミラと手合わせをしてから――アイナと再会してから、二時間ほど後のことである。
別に何かしていたというわけではない。
あの後アイナとはすぐに別れ、戻ってきたのだが、カミラが準備を終えるのにそれだけの時間を必要としたのだ。
まあそもそも具体的な時間は決めていなかったし、教えてもらう立場だということを考えれば、ソーマに文句はない。
余った時間についても、ソーマが筋肉痛で身動きが取れない間に課題として与えられていたものが残っていたので、やはり問題はなかった。
ともあれそうして始まった授業であるが……意外と言ってしまったら失礼になるだろうが、だが意外と分かりやすい、というのが本音であった。
ほんの少し前に手合わせをしたばかりだし、本人も自分は本来武闘派などと言ってはいたが、考えてみればそもそもの彼女の職業はスキル鑑定士なのである。
本当に脳筋であったらさすがに早々出来ることとも思えないし、結構そっちも本人の認識とは裏腹に得意だったのかもしれない。
閑話休題。
「ふむ……なるほど」
思考を現在へと戻せば、当然のようにそこを占めるのは今聞いたばかりの話である。
即ち、裏庭の先にある森が、何故魔の森などと呼ばれているのか、といった話であり――
「魔族の住む領域との境界にあたるが故に、魔の森、であるか……」
「ま、昔は魔族がうろついてたこともあって、それも合わせて、ってことだったらしいが、ここ数年どころか十年単位で姿は見かけてないしな」
「ふむ……ちなみに、その理由は分かっているのであるか?」
「ん? まあ、多分だけどな」
「聞いても?」
「別に問題はないけど、簡単なことだぞ?」
そう言ってカミラが語ったのは、確かに簡単なことであった。
散々ボコボコにされたから、あそこから侵入するのは諦めたのだろう、と。
なるほどそういうことならば、納得のいく理由だ。
ついでに言うならば、それによって分かったことが一つある。
「なるほど……我が家がこんな無駄に馬鹿でかい屋敷を構えているのは、それが理由であるか」
「ほぅ……? というと?」
「家の大きさというのは、家格の高さを示すのに最適であるからな。そして魔族の領域がすぐそこにあるということは、それ即ち国境だということ。国境近くに屋敷を構える家の家格がどうかなど、決まっているのだ」
ソーマは未だに自分の家がどういう位置に属するのか、ということを知らない。
だがこういう話を聞けば、自然とある程度分かってくる。
「辺境伯……までいくかは分からんであるが、まあ、うちはその辺の家だということであろう」
それならば、色々と納得がいくことも多い。
スキルをまったく覚えておらず、覚えないと分かった後のソーマへの対応などもその一つだ。
まあ厳密には、そこら辺から大体そうなんだろうと思っていたので、その判断の補強となるものであった、というところだが。
「ほぅ……?」
そして楽しげに目を細めるカミラを見るに、やはり正確に近いらしい。
「そういった貴族階級にまつわる話なんかはまだしていないはずだが……どうやってそこに行き着いたんだか。おまえは本当に興味深いな……」
前世知識である、などと返すわけにはいかないので、肩をすくめて返す。
それに前世の知識がなくとも、ある程度推測することは出来ただろう。
ソーマは色々な知識をカミラ以前の家庭教師から教わってはいたが、そういった類のことはまったく教わっていなかったのだ。
その時点で、何か意図があって情報を遮断していたと考えるのが妥当である。
そこからここまで至れたかは、また別の話ではあるが。
「ま、それはともかくとして……しかし不明な点が一つ存在してるであるな」
「ふむ……それは?」
「ここまで国境の近くに屋敷を構える意味が分からんのである」
利点は確かにあるだろうが、どう考えても欠点がそれを遥かに上回っている。
特に最も危険という時点で論外だ。
誰かが指示したとなれば、そこには悪意しか感じない。
「ああ、それなんだが、本来この屋敷はここじゃなくてもっと離れたところに建てられる予定だったらしいぞ?」
「ふむ……まあ、当然であるな」
「だがそれだと、魔族が襲撃してきた時に対応が遅くなるってことで強引にここに建てることに決めたらしい」
「……誰がであるか?」
「おまえの両親」
「…………うちの両親は馬鹿なのであるか?」
「否定する材料は特にないな」
頭を抱えたくなったが、そこまで自信があった、ということなのだろうか。
いや……?
「十年単位で魔族の姿を見かけないってことは、ただの過信、ということであるか……?」
「いや、馬鹿なのは確かだが、それが過信じゃないのも確かだ。何せ魔族をボコボコにした張本人達だからな」
「……十年以上前の話なのであるよな?」
「ま、こんなとこに屋敷を構えるのを許可されたのは伊達じゃないってことだな」
「ふぅむ……」
ソーマも前世の最盛期であればその程度の自信はあった気もするが、そもそも魔族がどれぐらい強いのかが分からないから何とも言えない。
検討するには、さすがにサンプルが少なすぎるだろう。
などと思っていると――
「さて、とはいえそれだけじゃあそれがどれほどのことかは分からんだろうから、ここからは少し魔族の話でもするとしようか」
「お、やっぱそうくるであるか」
「なんだ、やっぱ、ってもう分かったのか?」
「まあこれだけ話を聞いてれば大体分かるである。先生がどういった流れで話をしていくのか、ということは」
まあ、割と簡単な話だ。
今ソーマが思ったように、カミラは何らかの話をする際、そこにソーマの詳しく知らない事柄を必ず交えてくるのである。
今の話で言えば、魔族のことだ。
そうすれば、自然とそのことが気になり、そこでカミラは次にそれについて話をしていく、ということである。
それを上手く続けていけば、話にずっと興味を持って聞くことが出来るだろう。
そして興味を持った話ほど理解しようとするから、分かりやすいということに繋がる。
意外と分かりやすいというのは、そういうことであった。
「小一時間の話だけでそれが理解出来れば十分過ぎるがな」
「それだけ先生の話運びが上手かった、ということである」
「お前の理解度が高いってだけな気もするがな」
ちなみに一番最初にされた話は、ソーマ達の住んでいるこの国そのもののことだ。
実はそれも遮断されていた情報の一つだったのである。
だからそれまでソーマは、この国が何処にあるのかすらも知らなかったのだ。
大陸の中央に、最も古くからあり、また最も栄えているという皇国が存在しているのは知っていたが、そこから見て北西に自分達の住むこの王国が存在しているなど、今日初めて知ったのである。
勿論険しい山脈に囲まれた小国であることも、そこから外に出るための経路が実質的には二つしか存在しないことも、だ。
まあそうして、その一つがそこの魔の森だが――などという話に繋がった、というわけであるが。
ともあれ。
「さて、じゃあまあ魔族の話をするとするが……ちなみにお前は魔族についてどれぐらい知ってるんだ? まったく知らないってわけでもなさそうだが」
「ふむ、まあ多少知ってはいるであるが……多分大して知らんも同然だと思うのである」
「ちなみに、知ってることってのはどんなもんだ?」
「そうであるな……精々人類全体にとっての敵対種族、というぐらいである」
これぐらいはまあ、普通の子供でも知っているようなことだ。
悪い事をしたら魔族に連れ去られる、などという子供の脅し文句にも使われることであるし。
「なるほどな……確かに知らんも同然みたいだな。ちなみにそれ、嘘だからな?」
「ああ、やはりであるか……」
さらりと言われたことにソーマが素直に頷くと、逆にカミラが驚いたようであった。
軽く目を見開き、そこで何で頷くんだ、とでも言いたげな顔をしている。
「やはり、って……分かってたのか?」
「本当にそんなのがいるのであれば、まず真っ先に滅ぼそうとするであろうからな。十年以上も姿を見かけないからといって、そこに攻め込もうとすらしないのは有り得ないのである。あとはまあ、実体験故であるな」
「実体験?」
「そこはあまり気にしないでいいのである」
「ふむ……ま、とりあえずお前の言う通りだな。一応攻め込もうとしないのは余計な火種を積極的に抱える理由はないから、ってなことになってるが……相手が本当に全人類にとっての敵対者ならそんなこと言ってられんだろうしな。……ついでに聞くが、じゃあお前は魔族ってのは実際にはどんなもんだと思ってるんだ?」
「そうであるな……まあ、何らかの理由で人類と敵対せざるを得なくなった者達の末裔。そこにさらに、はみ出し者厄介者嫌われ者、そういった者達が集まって出来た、一種の共同体、といったところであるかな」
何となく考えていたことであったのですらすらと口に出来たが、カミラから向けられたのは、呆れたような視線であった。
「む、どうしたであるか?」
「いやなに、お前のことを大体理解出来てきたな、って思っただけだ」
意味が分からず首を傾げるが、カミラはただ肩をすくめただけであった。
何となく気にはなるが、答えてくれる気があるならば、今のでちゃんと答えてくれただろう。
ならばこれ以上聞いたところで意味はないと、気にしないことにした。
「まあそんなとこだが……一応聖神教の信者達の前では言うなよ? あいつらにとっては、その建前が真実ってことになってるみたいだからな」
「分かってるのである」
聖神教とは、この世界に存在している唯一の宗教だ。
まあ厳密には分派や亜種が存在しているらしいのだが、あまり気にする必要はないだろう。
どうせ信者でもない限りは、関わりようのない連中だ。
ちなみに唯一ということからも分かる通り、この世界の八割ぐらいは大なり小なり信じているものである。
ただ信者と呼ばれるほどになると、一割もいれば良い方だろう。
残りの二割は、宗教とは呼べない程度の土着のものを信じている者達であり、割合にすら含まれないような例外が極僅か。
何も信じていない者というのはほぼいない、といったところか。
カミラはどうやら土着系であるらしく、ソーマもどちらかといえばそっちになるだろう。
前世の関係もあって、厳密には異なるだろうが。
「さて、そんな魔族だが――っと」
そこまで言ったところで、カミラは不意に言葉を止めた。
懐から懐中時計を取り出すと、ふむと頷く。
尚、懐中時計はこの世界では一般的とは言いづらいが、携帯する時計という意味の中では最も一般的だと言える代物である。
広く出回っているというには少々値が張るが。
そんなものを普通に使っているあたり、カミラはそれなりに稼いでいるようだ。
まあ、それはともかくとして――
「どうかしたであるか?」
「いや、そろそろ一回休憩入れようかと思ってな」
「我輩はまだまだ大丈夫であるが?」
「一応病み上がりだってのも考慮に入れてあるんだが……確かにまだまだ大丈夫そうだな。なら、続けてもいいか?」
「むしろこちらから頼みたいほどなのである」
興味深い話のため、本当に疲れは感じていないのだ。
話を聞くほど、まだまだ知らないことは山ほどあるのだと認識するほどである。
勿論その中には、本命の話――魔法のことも、含まれているが。
しかしそれもまずは、この話を聞いてからだと、再開された話に、ソーマは耳を傾けるのであった。




