タケルの全力、銀平の本気
「平山さん、大丈夫ですか!しっかりして下さい!」
目視では目立った外傷は見受けられない。気を失っているだけのようだ。
タケルは少しだけ安堵して、流れ出ている蛇口の水を止めてから、優奈たちを呼びにいった。
平山を横に寝かせる。
道場内が騒然となる中で一人だけ微笑を浮かべている人物がいた。
この状況を楽しんでいるかのように傍観している。タケルは直感でこの人が何か知っていると悟った。それはおそらくこの場にいた全員そうだ。
「銀平••••お前、何か知っているな?」
銀平は団平の実の息子だ。唯一の息子であるが、親子仲は冷め切っている。そのため、問い質す声色も親密さがまるで感じられない。
「おいおい、何てこと言いやがるんだよ、親父。俺は別に何も知らねぇぞ?」
人を小馬鹿にした笑顔を浮かべている。その時、タケルには銀平が舌にもピアスをしているのが目に入り、目の前の人物の素行の悪さを垣間見た。
野木平一門の面々はその場で俯いていたり、苦悶に満ちた表情を浮かべていたり、様々な反応をしている。
「証拠はあんのか?俺が何か知ってるっていう証拠はよぉ?」
「貴様くらいしかいないだろう?」
「ふ、そんなことよりもどうすんだよ?次鋒戦は。」
証拠がない以上、銀平はずっとしらばっくれるだろう。
「•••••優奈くん、本当にすまんが、中止ということにさせて頂けないだろうか。この真相がわかったらいち早く連絡したいと思う。謝罪金も払おうと思っている。」
誠意な態度に慣れていない団平は不恰好な姿勢で頭を下げる。
確かに次鋒戦の一方の選手が戦闘不能に陥っているため、中止も致し方ないだろう。もう勝負は決まっている。無理して行う必要はない
「頭を上げて下さい。確かに平山くんは動けませんが、もう一人こちらには選手がいますので。」
優奈の視線がタケルへと向けられると嫌な予感が頭をよぎった。
「じゃあ、中止せずに次鋒戦を行うと?」
「こちらとしては出来ればそうしていただけるとありがたいのですが•••••」
「いやいや、それは普通はこちらから頼むことだからな。そうしてくれるならこちらとしても非常にありがたい。」
タケルはもう心に決めていた。なぜなら平山以外の男は他でもないタケルしかいないのだ。優奈の言葉の意図、そしてあの視線。
自分が力になれるかわからないが、全力をこの一戦に注ぎ込もう。そんな心意気がひしひしと伝わるような顔つきをしていた。
思った通り、優奈はタケルの前まで歩み寄って、
「鶴来くん、次鋒戦お願いできますか?」
優奈の頼みならタケルに拒否という言葉はない。この二週間でそれは規定の事実となっていた。
もちろん返事は、
「はい!頑張ります!」
優奈は美しく、気品な微笑みを浮かべ、タケルの心を癒す。
「おうおう、何だ?そこのチビが俺の相手かよ。」
優奈はその言葉を無視するように、団平に言った。
「浅倉流は鶴来 タケルを次鋒として、出場させようと思います。」
「おう、わかった。小僧、準備は出来てるか?」
「はい!大丈夫です!」
タケルは極度の緊張で声が裏返っている。それもそのはずで優奈と梶田以外の人物と手合わせしたことがないのだ。ましてや他の道場の人間と顔を合わせたこともない。
タケルには圧倒的に経験が足りないため、精神的にあまり強くない。
優奈はこれがいい経験になれば、タケルのためになると考えての行動だったが、彼の表情を見ていると、若干の不安を感じてしまった。
「大丈夫、いつもの稽古通り、ね?」
優奈の言葉がタケルの心に冷静さを取り戻させた。優しげな声色は人間を虜にするような甘さに満ちていた。
「それでは、準備も出来ていることだし、始めようか。両者、前へ。」
浅倉流は鶴来 タケル。野木平一門は野木平 銀平。
二人は今、道場の中央で向かい合っている
。二人の身長差はおよそ十センチ以上もあり、それだけでも攻撃範囲の面でタケルは遅れを取ってしまうだろう。そんな中、周囲の人達は音を立てずに開始を待っている。
「では••••••始め!」
「け!んじゃ、ちょっくら遊んでやるよ。」
余裕の表情を浮かべ、タケルに突進した。
非常に鋭い走り出しで攻めかかる。木刀を振りかざした後の次の一撃に入る動作に無駄がない。木刀が最短のルートを通る。
これではタケルは後手に回ってしまい、防御することしかできない。一撃一撃を上手く防いでいるが、攻撃が当たるのも時間の問題だろう。
「タケル!攻めろー!」
里奈が誰よりも檄を飛ばす。
優奈が見たところ、野木平 銀平は剣術に慣れ親しんだ環境で育ったため、ある程度の基礎はしっかりしているようだ。だが、動きの所々に隙が見える。優奈には散漫な動きに見えるが、剣術を始めて二週間のタケルが見切るのは非常に困難だろう。だが、もしもこの動きの隙を見つけることができれば、タケルにも勝機はある。優奈はそう確信している。
優奈がそんなことを考えている頃、タケルは焦ることなく、冷静に銀平の動きを観察していた。優奈との稽古ではこの動きとは比べものにならないほどの速度、キレ、変則性を目の当たりにしてきた。
タケルにはそれで培った眼がある。
(•••••ここだ!)
動きの隙を見つけて、タケルは木刀を叩き込む。
銀平は一瞬目を大きく見開いたが、すぐにリカバリーし、攻勢をかける。
「おらおらぁ、どうした?攻めないと勝てないぜ?」
優奈はこの状況に焦っていた。
戦闘が長引けば長引くほどにタケルの眼は衰えていく。そうなると相手の隙を見つけることも難しくなってしまう。
「まずいですね••••••」
尚も二人の攻防は続いている。まだ負けてないだけタケルは優秀な剣術士だと言えるだろう。
「ち、めんどくせぇ。」
そう呟くと、銀平の一撃がタケルに直撃した。タケルは後方に吹き飛んだが、なんとか両足で着地する。足に強い負担を感じ、筋肉が悲鳴を上げる。
「ほう••••思ったよりもやるなぁ。」
タケルは自分の目を疑った。銀平によって握られている木刀の刀身が分裂しているのだ。
「あれは•••••刀身分裂?」
「刀身分裂•••」
里奈と優奈はほぼ同時に呟いた。
付加型の異能剣技、刀身分裂。
文字通り、刀身を分裂させて、斬撃に変則性を生み出す技。右からの一撃を防いでも、他方向からもう一撃が迫ってくる。
基本的に防御は不可能とも言われている異能剣技である。この技の達人になれば、刀身を八つまで増やすことができ、その人物こそが世界一の刀身分裂の使い手とされている。
タケルの勝機は遠退いた。それはタケル自身もすぐに感じたことだった。
この状況を打開する方法はあるのか。
思考を巡らせるが、何も思い浮かばない。
タケルはこういう時どうすればいいのか、理解していた。
それはとても簡単で、とても難しいこと。
何も考えないこと。
タケルは無策のまま、銀平に向かって、突撃した。自分が出せる最速で迫る。
銀平は木刀を振りかざす。
木刀が一閃、二閃。
タケルは一撃目を躱し、二撃目を防ぐ。いとも容易くなし得たように見えるが、タケル自身も咄嗟に起こした行動で、全く何も考えていなかった。
銀平は二撃目を防がれてから、すぐに距離を取るが、タケルは考える時間を与えない。
先程とはまるで別人の動きに銀平には感じられた。
油断したら負ける。
銀平が平山を気絶させたのはトイレで肩がぶつかったから。ただそれだけの理由だった。練習試合をすると団平に聞いてから、ずっと機嫌は悪かったということもあり、何気ないことでカッとなってしまった。
練習試合をやるのは反対だった。
また負ける試合をするのか。
自分が強くても、他の奴らが弱すぎる。
何度やっても強くならない一門の面々に腹を立てていたのだ。
いつだったか。剣術の稽古をやらなくなったのは。
どうせ負ける。それだけでもう刀を握る気力は削がれていた。
タケルの怒涛の連撃で銀平は防戦一方に陥っていた。反撃の隙をなんとかして見つけたいが、その余裕はない。気付けば銀平の額には汗が浮かんでいた。
「へぇー•••••結構やるじゃん。」
タケルに対しては辛辣な態度を取っている里奈が賞賛の言葉を口にした。
他の門下生たちも口々に驚きの言葉を放っていた。
しかしタケルはこの状況を楽観視していなかった。
なぜならタケルは無尽蔵の体力を持っているわけではないため、いつまでも今の動きを続けてはいられない。どこかで勝負をかけないと、技術や経験の差で結果的には負けてしまう可能性の方が高いのだ。
それはこの戦況を見守っている優奈も同意見だった。タケルを見つめる瞳にも若干の陰りが見える。
その時、銀平が今までとは違う真剣な口調で言った。
「お前は、強い。そしてお前と戦うのは楽しい。だから俺はお前に勝つ。」
言い終えた瞬間、刀身が三つに増えた。
付加型の異能剣技、刀身三分裂。
別名 ケルベロス。
一般的には別名の方で呼ばれる。
異能剣技 ケルベロス、と。
これには優奈も驚きを隠せなかった。刀身を三つに分裂するとは想定外で、逆に有名な流派に属してないにも関わらず、その中でケルベロスを使えるほどの剣術士がいることに賞賛する気持ちもあった。
刀身の二つは捌けたけれども、最後の一撃がまともに直撃し、タケルの視界はブラックアウトした。
タケルが意識を失う前に見た最後のものは銀平の眼光鋭い瞳だった。
優奈はその光景を見てから、すぐにタケルのもとへと向かった。
他の人達は誰もがその場からすぐには動けなかった。
銀平もその一人だった。汗をかき、息も乱れている。それでも眼は死んでいない。
「銀平••••お前••••」
団平は息子の姿を凝視している。
今の戦闘の後半の動きは団平も見た事がないほど優れたものだった。
銀平は木刀を握る手をじっと見つめている。
「鶴来くん、大丈夫?」
「タケル、何負けてんだよ。」
「鶴来くん、聞こえる?」
なんとか動き出した浅倉流の門下生たちは口々にタケルに心配の言葉をかけた。
眠ったように動かない。
「気を失っているだけですね。大事には至りません。」
優奈の言葉に皆、胸を撫で下ろす。
「親父。」
「何だ?」
「俺は強くなってもいいのか?」
「そんなことは自分で考えろ。」
銀平は平山が意識を取り戻したことを知り、傍に行って謝罪した。
何かが変わった気がする。
いや、何かを変えられた気がする。
あの少年の一撃一撃が自分の心にも届いた。
銀平は倒れている少年を一瞥してから、道場を出ていった。
最後の一戦の結果がどうであれ、三勝二敗で浅倉流が勝利を手にした。
双方の敗者も意識を取り戻し、並んで一礼する。
この場にいないのは、銀平とタケルのみ。(タケルはまだ意識が戻っていない。)
全員が帰る準備をしている頃にはもう夕方になっていた。道場を照らす緋色の半円は燃えるように光り輝いている。
門下生が皆協力して、タケルをバスへと乗せる。もちろん里奈だけは愚痴を嵐のようにこぼしていたが。
「今日はありがとうございました。」
来た時と何も変わらない綺麗な所作で優奈は一礼する。
「わざわざ来てもらってすまなかったな。それに平山くんのことも申し訳なかった。俺からも謝罪する。」
優奈とは対照的な乱雑な一礼。それでも本気度が伝わる誠意が溢れていた。
「確かに平山さんの一件は驚きましたが、平山さん自身も悪い部分があったと自らおっしゃっていましたし、それに銀平さんも謝罪していましたから、もうこのことは一件落着ということにしましょう。」
首を傾げながら微笑む姿は言葉を失うほど美しい。
中年の団平でさえもそう思ってしまった。
男に年齢は関係ないということか。
「ま、また機会があれば、頼む。」
「はい、喜んで。では。」
もう一度綺麗な一礼をして、優奈はバスへと乗り込んだ。
こうしてタケルにとっては初めての、門下生たちにとっては恒例の春休みの小遠征は終わりを告げた。
タケルが目を覚ましたのは、窓の景色の半分が建物で半分が畑の時だった。隣町との中間地点と言えるだろう。
目をゆっくりと開けると、灰色の天井が見える。バスの上部分だ。
「ここは••••」
「気付いたようですね。」
もはや姿を見ず、声を聞くだけで安らぎを得られる。タケルの大好きな声。
「ゆ、優奈さん。」
前に座っていた優奈の存在に気付き、慌てて姿勢を正して座った。
「まだ安静にしていて下さいね。急に動くと危険ですから。」
「は、はい。あ、あの•••••」
タケルが急に言い淀んだことに優奈は疑問を感じた。
「どうしました?」
「あ、えっと、す、すいませんでした!」
「?」
優奈はポカンとした表情を浮かべている。何に対して謝罪しているか、全くわからなかったからだ。
タケルもそれに気付き、慌てて説明する。
「あの、さっき銀平さんに負けてしまって。優奈さんがせっかく推薦してくれたのに、期待に応えられなくて••••••」
優奈の期待を裏切ってしまった。タケルは敗北によって、そう感じていた。
優奈もようやく理解したようで、前を向きながら首を横に振った。
「鶴来くんが謝る必要はありません。とても立派で、素晴らしい動きをしていましたよ?何も恥じることはありません。鶴来くんはこれでまた成長したんです。私はそれだけで嬉しいですよ。」
そう言ってタケルに振り返り、今までとは全く違う少女のような可愛らしい笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます!」
「また稽古するのが楽しみですね、タケルくん?」
タケルの頬はとてつもないほど上気した。
それから浅倉家に着くまで、優奈もタケルも一言も喋らなかった。
それでもとても柔らかく、優しげな雰囲気が車内を包んでいた。
(その時、里奈はぐっすり眠っていて、皆が心配した大惨事にはならなかったとだけは伝えておこう。)