表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/74

翡翠の緑剣2

真夜中。詳しくいうと午前一時の夜風が気持ちいい時間帯。

琥珀から指定された場所は剣士養成学校からはずいぶんと離れた湘南区間にある大きな施設だった。

門を潜り抜けるとすぐに琥珀の姿が目に入る。

「翡翠、久しぶり。こっちよ。」


琥珀はそう言うと、翡翠を施設の中へと案内する。

外観だけを見ても何をするところなのか皆目見当も付かなかったが、中に入ることでその全貌が少しだけわかった気がする。

学舎だ。養成学校とは違い、一般市民が学ぶ場所。何部屋にも別れた構造、そしてその部屋の中にある机や椅子の数を考えても、おそらくそういうことだろう。

翡翠がそう考えたのと同じくらいのタイミングで琥珀は説明をし始めた。

「ここは学校よ。まあ学校になる場所、と言った方がいいかもしれないわね。まだ使われていないのよ。今年募集があって、来年からってところね。」


「ここはお姉様と一体どんな関係が?」


「翡翠は河瀬グループと離れた生活をしているから詳しくないと思うけど、河瀬は新たに教育の分野に手を付けようと考えているの。」

ひたすら廊下を歩きつつ、琥珀は翡翠の方を見ずに前だけを見据えている。


「教育?」


「ええ、それも剣術士を養成するための学校ではなく、普通の市民が剣術ではない学習をするところ・・・・・・それが狙い目だと考えたのよ。まあそれをやろうと思ったのは私が言い出したことなんだけどね。」


琥珀は立派に河瀬グループを引っ張っている。翡翠も姉が優秀で、啓一と共に経営者として河瀬の仕事をこなしていることは知っていた。翡翠と琥珀の年齢差は五歳。琥珀はまだ二十という若さだ。そして翡翠は同時に想像する。五年後、自分がこういうことができる人間になっているのかを。そして絶望する。不可能だろうとはっきりと理解してしまうから。


「・・・どうかしたの?翡翠。」


「な、何でもない。」


翡翠が俯いたまま、険しい顔つきだったので、琥珀は声を掛けた。劣等感を抱くことは最近ほとんど無くなっていたが、やはりこうして姉に会って話をすると心の奥にじわじわと浮かんできてしまうようだ。


琥珀の案内で三階の理事長室というところに来た。中に入ると焦げ茶色のソファが対面に置かれ、その真ん中に大きなテーブルがある。紫檀の素材で作られており、これでもかというくらいに美しく磨かれている。

さらにその奥に理事長が座るのであろう椅子があり、机がある。

机に置いてあるネームプレートに目が入る。そこに書かれていた文字は河瀬 琥珀だった。


「さあ、座って?」


「お姉様、ここの理事長になるんですか?」


「ええ、これから作られていく学校全ての理事長になる予定よ。」


学校全てとは一体全国にどれくらいの数を作るつもりなのだろう。想像するだけで少し怖くもある。


「まあそんなことより、お父様の話よ。」


琥珀の瞳が今までにない真剣さを帯びた。翡翠もそれを聞きにここに来たのだ。


「電話で話したことは事実よ。お父様は米国と手を結んでる。」


「個人的にってこと?それともグループで・・・」


「個人的に・・・と言いたいところだけど、グループでお父様に同調した者もかなりの数いたわ。」


「どんなことでもお父様がやることならば付いていくって人もいるだろうし・・・」


「ええ、お父様に忠誠を誓っている人の多くがそうだと思うわ。」


「それで、お姉様はどうするの?」

翡翠は核心に迫る。姉がどうしようと考えているのか、それは彼女自身の選択にとっても非常に重要になる事柄だった。

「河瀬 啓一と敵対するわ。」

琥珀は淀みなく、はっきりとした口調でそう言った。

「敵対ってどういう・・・・・・」


「あの人は米国と繋がりを持ってから新しい基地を作り出したの。」


自らの父親が米国と繋がりを持ち始めたことを知ったのはおよそ三ヶ月前ほど。琥珀にとっては晴天の霹靂。何かの間違いではと最初は信じられなかった。しかし極秘に調べていくうちにその基地の存在を知ることになった。

琥珀にさえ秘密にしておく基地の存在。それは疑惑を確信に変える一つの始まりだった。

基地について琥珀の配下にいる者に調べさせた結果、そこは人形パペットを保管するための倉庫のような存在らしい。ただし普通の人形ではなく、米国で作られ、米国の技術が使われた最巧な代物であった。


「人形を輸出することで米国は多額の資金を得ているの。その相手は大和。その中のひとつに私たちの河瀬グループがいる・・・」

自分の父や姉の会社が米国の力の源になっている。それは柔らかく言っても許せないことだった。

またあのようなことが起きるのではないかと翡翠は不安になる。米国が力をつけるということはそれだけ大和に危険が及ぶ可能性も高くなるのだ。


「私はそれは許せない。米国は大和の敵。大和の国益にならないことを率先してやることで、自らの会社の利益を上げる・・・あり得ないわ。私はそれを許さない。」

琥珀の決意に翡翠はどうしていいか分からない。ただ一つ言えるのは父である啓一がやっていることに賛同は全くできないということ。

なおも琥珀は話を続ける。

「だから私はその基地を叩き潰すわ。」


「え、それはいくらなんでも・・・」

翡翠の戸惑いに琥珀は薄い笑みを浮かべた。


「やり過ぎだと思うでしょ?でももう取り返しのつかないところまで来ている。あれを処分しないと政府に河瀬がやったことがバレてしまう。それはまずいのよ・・・」


確かに民間の企業は米国との取引、接触すること自体が禁止されている。政府でさえも多くの制限があるほどだ。

「でもそれこそ目立つ行動をすれば政府が嗅ぎ付けるんじゃないの?」


「お父様の方も政府に介入されるのだけは避けたいはずよ。」


 琥珀は立ち上がって机の方に歩いていく。

「そのせいか、基地内の衛兵の数が凄いみたい。常に警戒しているってことね。」

 机の引き出しから白い布に包まれた何かを翡翠の前まで持ってくる。外からではそれが何なのか分からない。

 琥珀は白い布をそっと剝がしていく。中から出てきたのは深緑に染まった短刀だった。


「・・・これは?」


「河瀬家の人間が成人したら授かる短刀よ。」


翡翠はテーブルの上に置かれた短刀に手を伸ばす。

短刀の柄を握ると初めてとは思えないくらいに手に馴染む。

「こんなものがあるなんて知らなかった・・・・・・」

父と姉が手にしているところを見たことはない。この短刀を渡すことが何を意味しているのか、分からないほど翡翠は鈍感ではなかった。


「河瀬から一人立ちしろってこと?」


「察しがいいわね。これから河瀬グループはバラバラになるわ。翡翠、あなたはあなたの道を行きなさい。」


一人で生きていけと。これを受け取るとはそういうことだ。

河瀬グループの幹部になりたいなどとはさらさら思っていないので、将来の地位が無くなることに何ら抵抗はない。

望んでいたことだ。これからの人生甘くはないだろう。今想像している数倍、いやもしくは数十倍の困難が待ち受けているかもしれない。翡翠はそれを覚悟の上で短刀を受け取った。そして大事に懐にしまう。


「渡したいものはそれだけよ。あとは・・・そうね。剣術士としてもっと強くなりたい?」

翡翠は琥珀からの突飛な質問に首をかしげたが、すぐに縦に首を振った。


「そう・・・まあ当たり前よね。あなたに教えたい異能剣技があるのだけど、興味ある?」

琥珀が自らこんな提案をしてくるなんてどういう風邪の吹き回しだろうと疑問に感じたが、今は藁にもすがる思いで強くなりたいと願っている。そのためならどんな小さなことでも試してみたい。翡翠は力強く頷いた。



琥珀から直接剣を習ったことなど生まれてこのかた一度もない。姉が稽古をしている姿もうっすらと記憶にあるだけで、ほとんど目にしたことはない。翡翠と琥珀の関係性はそれくらい薄いものだった。

だからこそ新鮮だった。次の日から河瀬家が所有する道場で共に稽古をするのは。

木刀を振るう琥珀の姿は優雅で無駄がない。隙を見つけようと思っても容易には見つからない。


「攻めることと受けること。これは同義なの。攻めているからといって守りが手薄になる訳じゃない。その分、相手からの手数は減るわけだから。攻撃することが自分の身を守ることに繋がるの。これが基本よ。」

琥珀の剣術は超攻撃型の剣術で、防御という概念は全て攻撃の中に詰まっていると主張していた。翡翠は黙々と姉の話を聞いて、頭に記憶する。

自分より強者の人間の話はどんなことでもまず吸収する。そこから取捨選択するのは自分の判断。


「ま、最終的にどうするかは翡翠が決めればいいわ。最低限これだけは教えとく。見てて。」


琥珀は木刀を前方に突き出した。目を瞑り、そこからゆっくりと腕を上げ、上段の構えを取る。一見隙だらけに見えるその格好も琥珀の周囲から漂う自信で攻撃をためらわせる空気に変わる。

そんな姿を翡翠は瞬き一つしないように注意深く見ている。


「緑剣。」


大事な一歩を踏み出して大きな動作で木刀を振り下ろす。木刀に薄緑の気が巻き付くように具現する。

ブオオオンという聞いたことのない風切り音が轟き、翡翠は目を瞠る。

「ちょっとゆっくりやり過ぎたかもしれないけど、今のが緑剣りょくけんの基本。異能剣技、緑剣は扱いが難しい剣技よ。肉体的にどうこうというよりも精神面がとても大事なの。誇りや自信、信念・・・ポジティブな思いや感情が心に宿れば自ずとできるようになるわ。何よりもそれが重要よ。忘れないように。」


「う、うん。わかった。」

翡翠は手にしている木刀に目を移す。

誇り?自信?そんな感情からは縁遠い人間なのは自分がよく知っている。それは琥珀もそうだろう。

そこまで考えて、ふと思ったのは翡翠が乗り越えなければならない壁をわざと提示したのではないか、ということ。


確認できないこともないが、さすがに恥ずかしい。

どちらにせよ全力で取り組むことに偽りはない。琥珀から教わった緑剣は精神面が重要。

翡翠は気持ちを強く持って、木刀を振るっていく。

上段の構えを取り、振り下ろす。その一連の動きを何度も反復する。


「筋はいいわね。見直したわ。それを続けていけばいずれできるようになるはずよ。」

「うん・・・」


「どうしたの?翡翠。」


「いや、えっと、うん、ありがとう・・・お姉様。」


琥珀は少し驚いた様子を見せたが、すぐに優しげな笑みを浮かべ、翡翠の頭に手をのせた。


「今まで構ってあげられなくてごめんね。」


姉と妹にとってここまで濃密な時間は初めてのことだ。父が犯した行為が理由というのが皮肉なことだが、今の翡翠の気持ちは決して悪いものではなかった。感じたことのない、そして言い表しようがない靄がかかった気持ち。でもそれは温もりに溢れていた。


翡翠と琥珀の稽古は三日間続いた。始める前は一日だけだと琥珀は言っていたが、仕事を移動させてどうにか三日という時間をつくることができた。

あっという間だった。三日間で特別強くなったわけではない。それでもこの三日で翡翠は自分は強くなれると確信した。

琥珀が三日目の最後に翡翠に伝えた言葉は頑張りなさいというエールだった。


琥珀との稽古が終わってからの初日、養成学校は休み。ただだからといって休もうとはならない。翡翠は朝早くに養成学校に行き、いつも使っている紅の武道場へ顔を出す。

予想通り誰もいない。まあ五時に来ている人がいたら、その人は相当な剣術バカだろう。翡翠は自分を棚に上げて、そんなことを思った。

武道場のギャラリーにある窓からは青白い朝日の陽光が照りつけ、武道場の床を所々四角に切り取ったように明るくしている。


早速木刀を握り、振り下ろす。風を切る鋭い音が響き渡る。調子がいい。自分でもわかる。

それから夢中で木刀を振り続ける。目の前に敵を想定し、攻めていく。ぶわっと浮かび上がるのは大河原 信春。数ヵ月前は友達てして接していた少年だ。翡翠はお腹をそっと触る。もう傷は癒えた。痛みなど感じるわけはないのだが、何故だか違和感を感じてしまう。彼を敵として思い浮かべるのはやはり吹っ切れていないからなのか。それは翡翠自身も分からない。


信春の剣術が一つの光の筋として見える。翡翠は光の筋を避けながら木刀を叩き込んだ。


「今のは良かった・・・気がする。」


ガチャンと武道場の扉が開く音が聞こえ、翡翠はそちらを振り向いた。


「あ、太郎。早いね。」


「あれ?翡翠?今日は休みなのかと思ったよ。」

翡翠は琥珀との稽古をしている最中も奏との稽古を続けていた。もちろん昨日も稽古をしていた。

奏との稽古は今日は休み。というよりも養成学校自体が休みなのだ。

「翡翠、ちょっと試合しない?」


「・・・・・・うん、いいよ。」

太郎の珍しい提案に翡翠は承諾の意を示す。


二人は向かい合い、共に木刀を構える。

初めの合図はない。構えた時点で試合は始まっている。どちらが先に仕掛けるか、翡翠と太郎はお互いに牽制し合っている。

幾ばくかの時間が過ぎ去り、最初に仕掛けたのは太郎だった。

刀身強化を即座に発動し、斬撃を繰り出す。翡翠の双眸は確実に太郎の動きを捉えている。時間が遅延しているかのようにはっきりと。

翡翠は無駄な動作を一切せず、心に自信だけをみなぎらせる。

精神的な要因が作用すると琥珀も言っていた。ここで試さずにいつ試す?


「緑剣。」

小さく呟かれた言葉は太郎の耳にも届いた。翡翠がいつもと違うことをしようとしている。ここは真っ向からぶつかっていくのが道理だと太郎は考えた。


翡翠色の気が木刀に絡み付き、振り下ろされた瞬間に凄まじい剣圧を生み出した。

武道場の床が翡翠を中心にして剥がれてしまうくらいの威力で太郎が手にしていた木刀は粉々に砕け散り、太郎自身も思わず尻餅をついてしまう。


「な・・・・・・!!!」


茫然自失とはこのことか。太郎は目を大きく見開いたまま、硬直して動けなかった。その現象を引き起こした張本人である翡翠も太郎と全く同じような反応をしていた。


「い、今のなに?どう考えてもおかしい威力してたけど・・・まさか新しい技とか言わないよね?」


「た、たぶん、そのまさかだと思う。」


それを聞いた太郎は粉々になった木刀の残骸を拾い集めて、翡翠の目の前に置いた。

「これを見て?木刀がこんな壊れ方するのなんて見たことないよ。それに翡翠の木刀に直接当たったわけじゃなかったのに。」


翡翠も何が何だか分からない。琥珀に教えてもらったように異能剣技を試してみただけだ。こんな風になるなんて想像もしていなかったし、今でも信じられない。琥珀の緑剣を見たときはこんなに強烈な剣撃ではなかった気がするが。手を抜いていたのだろうか?いや説明をするためにあえて威力を弱めたのかもしれない。翡翠はそれを緑剣本来の力だと誤解した部分がある。


目の前には木屑や砕けた岩が散乱している。翡翠は少々の嬉しさを感じつつも現実に引き戻される。

後片付けの問題。そして武道場の補修作業の費用など。考えるだけで頭が痛くなる。


「お、やっぱ来てたか・・・って何だこりゃ!?」


武道場に顔を出した奏は散乱した瓦礫に目を見開く。

「おいおい、竜巻でも発生したか?」


「あははは・・・・すいません。」

顔を引き攣らせながらも謝罪の言葉を述べる翡翠。その後、太郎が奏に何が起きたのかを詳しく話した。


「ほう、そんなことが・・・翡翠は自分が何をしたのかはわかってるのか?」

 最初は怒られているのかと思ったが、それは勘違いだった。どんな異能剣技を使用したのかを奏は聞いていた。翡翠は事細かに説明した。姉である琥珀に教えてもらった剣技を試そうとしたらこうなったこと、そして何よりこんな大規模な結果を招くとは思ってもみなかったことを伝えた。


「そうか・・・・あの河瀬 琥珀から教えられた剣技か・・・」

 いかにも興味があるという表情で奏は何度か縦に頭を振る。


 奏は河瀬 琥珀が非常に優れた剣術士だということを知っている。翡翠よりもその怖さと強さを・・・

 琥珀が養成学校に在学していた時代に何度か試合を見たことがある。相手は年齢も体格も上の剣衛隊の剣術士だった。奏は勝つことはないだろうと軽い気持ちでその試合をみていたが、結果は想像の真逆だった。しかも性別の違いを超えて、だ。当時の驚きは未だに新鮮なものとして心に残っている。

 奏が翡翠に会って自己紹介されたとき、正直かなり驚いた。河瀬 琥珀の妹だということはすぐに分かった。琥珀には一人妹がいると聞いたことがあったからだ。

 彼女の妹・・・だからこそ興味を持ったことを否定しきれない。それを口に出すことや態度に出すことはないが、翡翠に対して少し申し訳なく思っている。


「・・・・・・宮部教官はお姉様のこと知っているんですか?」

 深く考え事をしている様子だった奏に対して翡翠は気になったので聞いてみた。


「ん、あ、ああ、知ってるよ。まあ会って話したってわけじゃない。こっちが一方的に知ってるってだけだ。彼女の試合を何度か見たことがあってな。」


「え、そうなんですか?」


「ああ、今でも記憶に残ってる。大男を一瞬で倒すあの姿を・・・ま、今は剣術士としてではなく河瀬グループの経営者として名が売れてるみたいだがな。」


 第三者から姉のことを聞くのは新鮮な感じがした。逆に今までそういった経験がなかった方がおかしかったのかもしれない。


 太郎と奏は瓦礫を片付け始めた。翡翠も慌てて、木くずを集め出す。

 すいません、すいませんと二人に何度も謝罪しながらおよそ二時間掛かって邪魔な木片を処分できた。

 奏も太郎も笑いながら大丈夫と言ってくれたのは翡翠にとってもありがたかったし、ほっとした。

 

 補修作業は手に余るので、そこは業者に任せるしかない。今日のところはもう帰るようにと奏に言われた。

  

「凄いね、翡翠は。あんな技ができるようになってるなんて。」

 寮への帰り道。太郎はおもむろに口を開いた。

「できるようになったかは疑問だけどね。だって自分でも驚いちゃったもん。」


「一昨日くらいから動きが変わった気はしてんだよね。」


「私の?」


「うん。」


 琥珀との稽古の影響だろう。あんまり自覚はなかったが。

 太郎は買い物をする用事があるらしく、途中で別れた。太郎も自分で料理とかするのだろうか。寮に入っているのなら絶対一人暮らしなのは間違いない。そう考えると料理は必須だろう。

「タケルもしてるのかな、料理・・・似合わないな。」

 想像してもタケルが料理している姿が上手く思い浮かばない。今度何か作ってあげようか。

 

 女子寮の建物が目の前に近付いたその瞬間、漆黒に染まった車がすぐ側に駐車された。

 翡翠はすぐにその車の主が誰なのか悟った。眉間に少し皺を寄せて、降りてきた人物に不快な視線を向ける。


「法介さん・・・何の用ですか?」


「お久しぶりですね、翡翠様。まあ久しぶり・・・などという言葉を口にするとは思いませんでしたが。」

 車から降りてきたのは亀田 法介。彼は翡翠の護衛、いや正確には元護衛だ。ちょうど一か月前に翡翠は一方的に父親に対して護衛はいらないと告げた。それから法介とは一度も会っていなかった。

 いつものように右腕には金色の腕時計がピカピカと光り輝いている。

「それで何の用ですか?」

 翡翠は要件を急かす。


「世間話もなしですか・・・まあいいでしょう。実は啓一様が翡翠様と話がしたいみたいでして。それで迎えに来たというわけです。」


「お父様が・・・?今からですか?」


「ええ、今からです。」


「何の話かは伺ってないんですか?」


「ええ、全く。」


 翡翠は法介と向かい合っているその短い時間で頭をフル回転させた。どんな理由で私を呼ぶのかを想像するが、やはり思い当たるのは琥珀から聞いた米国との関わりについてだ。というよりもそれ以外でないだろう。  

 ここで拒否しても無理やり連れていかれるのは自明だ。亀田 法介は強い。その強さの一片しか翡翠は知らないし、彼自身も翡翠の前で力をほとんど見せていない。


 三十秒の時が経ってから、翡翠は法介に返事をした。

「わかりました。お父様に・・・会います。」

 その言葉を聞いて法介は大げさに喜びを露わにした。

「それはそれは!啓一様をさぞお喜びになるでしょう。では早速車にお乗り下さい。ご案内致します。」


 不敵にさえ見える法介の笑みを視界に入れないようにしながら翡翠は開けられた後部座席のドアから乗車した。


 走り出した車の窓からは寮から出てきた数人の女子が楽しそうにお喋りしている様子が見えた。


 






























評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ