きっかけ
新大和帝国は北の大地である蝦夷、東北の伊達地帯、関東の東京大都市、関西の西京大都市、四国連合、九州連合の六地方に分かれている。
東京大都市はかつて中部地方と呼ばれていた富山や新潟、愛知のような地域にも拡大した大都市であり、同じく西京大都市も中国地方と呼ばれていた広島や山口といった地域に拡大した大都市である。この二つの地方が大和の中心として動いている。
(東京大都市を関東地区と、西京大都市を関西地区と呼ぶ人もいる)
その中でも剣士養成学校があるのは蝦夷の北支部、東京大都市の東支部、西京大都市の西支部であり、剣衛隊や剣警局に在籍する多くの優秀な剣術士を輩出しているのだ。
他の地方、伊達地帯や四国連合、九州連合では剣術士よりも優れた刀工が続々と輩出している。それは世界的に見ても多くの鉱山や鍛刀地があることが一番の理由だ。
伊達地帯の山奥にある鍛刀地の刀工、千手院 国光や千子 村正。
四国連合の愛媛鍛刀地の刀工、八代目天国。
九州連合の薩摩鍛刀地の刀工、吉岡一文字雲生。
このような大和政府からの直接の要請で刀を打っている一流の刀工たちは皆、養成学校がない場所から生まれているため、他の地方も大和にとっては非常に重要な役割を担っていると言える。
浅倉家に居候し始めたタケルは毎日のように稽古漬けの日々を送っていた。
「相手の手元の動きをよく見て下さい。手元が一番最初に動くので、まずはそこだけに注意を払って下さい。」
「は、はい。」
優奈が加速して目の前に迫ってくる。木刀を振り上げた優奈の手元を見るが、相変わらず速すぎて肉眼で確認することができない。気付けば右斜め下から斬撃が繰り出される。タケルは後方に思いきり吹き飛んだ。
床と接触したため、摩擦が襲い、背中に強い熱を感じる。
「あいたたた………」
「大丈夫ですか?少し強くやり過ぎました。申し訳ないです。」
このやり取りも今日で何度目だろうか。今は太陽が真上に到達した時刻。朝早くから始めた稽古でタケルの体は疲弊しきっている。
「そろそろ休憩しましょうか。」
「はい。」
タケルは自分の実力が稽古を始めたこの一週間であまり進歩していないと感じている。実際にそうなのだ。
才能があると優奈に言われて、自分では意識していなかったように感じていたが、少し調子に乗っていたのだろう。だからこそ悩んでいるのだろう。自分に失望しているのだろう。
タケルの浮かない表情でそれを察したのか、優奈は綺麗な瞳を若者に向けて、言葉を授ける。
「鶴来くんにはきっかけが必要ですね。何か一つ変えることができたなら、成長できると思いますよ。」
「きっかけ•••••••••」
「午後からは気分転換に少し街に出てみましょうか。」
「はい、そうですね。」
屋敷に戻って、浴室で汗を流した後、尋奈お手製の玉子サンドウィッチを食してからタケルと優奈の二人は街へと繰り出した。
東京大都市でもここは南東にある江戸地区という場所だ。大和に二つあるうちの一つである元帥官邸や剣士養成学校東支部が存在する地区である。
その地区にある浅倉本家の土地は他流派と違って、街中に屋敷が存在している。普通は山奥に建てられるのが常であり、その方が広範囲の土地を買い取り、数多くの道場を作ることができる。
浅倉家の大門を潜って外に出ると、刀剣売り場が通りに広がっていた。比較的安価で家に飾る装飾として買う人が多いらしい。決して戦闘用ではなく、たとえ戦闘用として使おうとしたならば、一振りで刃こぼれ、または折れてしまうだろう。
展覧している刀に興味深そうな視線を向けていたタケルに優奈は詳しく説明してくれた。
二人は約一時間ほどバスに揺られて、江戸地区の中心へと向かった。
大きなビルが立ち並ぶ近代的な都市。道には木々や花を植えて、コンクリートだらけの街並みの中に人工的に緑を増やしている。
まずタケルは東京大都市の中でも一番大きな刀剣販売所である赤羽に案内された。
紅の色彩が目に映える古風な大門には伝説上の生物である赤龍と白虎が睨み合っている装飾が施されていて、その迫力に誰もが圧倒されてしまう。
門を潜ると、赤羽グループの龍と虎が描かれたエンブレムが目に入ってくる。二階建てのその建物は世界的にも有名な設計士のレンゾ シュバイツァーという人物が手掛けた作品の一つだと言われている。
大和一の大富豪である風林寺財閥の援助によりおよそ百年前に建設されたもので現在は赤羽グループの象徴となっている。
大和の名工たちが打った刀を買い取り、この赤羽販売所で戦闘用の刀剣を売りに出している。
タケルは周りが見えないほど夢中になって、飾られている刀剣を眺めていた。その姿を優奈は微笑を浮かべながら見つめていた。
次に訪れたのは剣士養成学校東支部。
本館は三階建ての白を基調とした建物で職員室やほとんど使われない一年、二年、三年の教室が壱組から陸組まである。
本館の傍にある別館はほとんど用具室と化していて、本館よりも人の出入りが多いという。
そして一番頻繁に生徒が出入りする場所が道場区画である。第一から第七道場まで建設されており、第一から第五は掲げられた旗の色の名前で呼ばれている。他二つは予備道場、サブアリーナのようなものだ。
これらは大和の中でも非常に規模の大きな剣術道場だ。
「この期間、養成学校には誰もいないんですか?」
「いえ、教師の方々はいると思いますよ。噂をすれば………」
優奈の視線の先には艶のある長い黒髪の女性がいた。ちょうど養成学校本館から出てきたところなのだろう。美しい顔立ちでありながら強く凛々しい雰囲気を持ち合わせている。タケルは一目見て、そう感じた。
女性は優奈に気付いたようで、道場区画へ向かっていた足を止め、こちらに向かってきた。
「どうした、優奈。珍しいな、お前が春休みに学校の敷地内にいるなんて。」
強い光を帯びている瞳は何だか吸い込まれそうな感覚に陥る。
「いえ、こちらの鶴来 タケルくんを案内していたんです。」
「ほう。入学希望者か?」
「鶴来 タケルです。今年度入学しようと考えています。」
少し緊張とした面持ちで自己紹介をするタケル。突然の美人の登場に頬を赤らめてしまう。
黒スーツを着た女性の瞳にじっと見つめられて、居心地の悪さを感じたが、優奈がすぐに口を開いた。
「こちらは剣士養成学校東支部の支部長である九条 奈々先生です。」
「支部長……ですか?」
「まぁ、この学校で一番偉いってことだ。」
奈々が朗らかに笑う姿に少しお茶目な部分を感じる。
九条 奈々はこの剣士養成学校東支部の元生徒代表であり、年齢は二十五歳。将来の剣聖候補と目されている。実力は東支部で教師、生徒を合わせてもトップであり、国際剣士ランキングで第四十四位となっている。養成学校に入学すれば、同時に国際剣士協会の会員になるため、入学しただけでランク付けされることになる。浅倉流で言えば、浅倉 優奈は国際剣士ランキング第二百五位、梶田 博樹は第九百八十八位である。
「入学試験、頑張れよ。一つだけアドバイスするのなら………考えすぎないことが大事だ。」
「は、はい……?ありがとうございます。」
その言葉を吟味するが、今のタケルにはよくわからない。
「それじゃあ、私は用事があるのでな。まぁ、好きに見ていくといい。」
奈々は手を上げて、道場区間に去っていった。
本館と別館、道場区間をある程度見回った後、優奈とタケルは帰宅の途に着いた。
午後四時になって、太陽が傾き、茜色に染まりつつある空が頭上に広がっている。
「今日、もう一度稽古してもらえませんか?」
真剣な表情を浮かべたタケルは優奈を強く見据える。
浅倉家の屋敷の前で肌を撫でるような夕刻の微風が吹いて、周りの木々たちがざわざわと鳴いている。
「……………わかりました。では、第三道場に行きましょうか。」
タケルを赤面させる優しげな微笑みが優奈の美顔に浮かぶ。
初めて剣を握った一週間前と同じような目も心も奪われる幻想的な風景が第三道場の近くに広がっている。あの日見た時からこの新鮮な感情は変わらない。それほどの絶景だとタケルは思っている。
今日は優奈に江戸地区を案内してもらった。
赤羽刀剣販売所、剣士養成学校東支部といった大和の有名な箇所を見て回った。
何かわかっただろうか。何か変わっただろうか。
タケルは木刀を握りながら自問自答するが、何もわからない。
「準備できましたね。それではこれから夕食までの時間まで稽古をしましょうか。」
「………はい。」
優奈は深呼吸する。そしてタケルも同じく深呼吸した。
沈黙が空間を支配する。
「では………いきますよ。」
優奈が飛び出すと同時にタケルも前方に飛び出した。
木刀と木刀が打ち当り、カンっと鈍い音が辺りに響き渡った。二人とも後方に飛び去り、正対する。
タケルがふと瞬きした瞬間、前方約五メートルにいた優奈の姿が忽然と消えた。この場合、消えたように見えたというべきか。
(消えた………!)
前後左右にはいない。その瞬間、これとよく似た状況が頭の中に浮かんできた。一つ一つの動きの速さは異なるが、状況だけはよく酷似している。
優奈と梶田が稽古している光景。あの時は……………
(上から来る!!!)
見上げると空中で優奈が木刀を振り上げて、タケルに迫っていた。
タケルの防御はギリギリ間に合ったが、強力な一撃にタケルの体はやはり後方に吹き飛ぶ。
優奈が上方へ飛んだことにここまで気付けないものなのかと感じる。動いた音が全くしなかったのだ。
「す、すごい………」
わかっていたことだが、自然と賞賛の言葉が口から出てしまう。
「もう一度、いきますよ。」
「は、はい!」
次は鋭い連撃で防御を崩されて、先程よりもあっさり吹き飛ばされた。
「く………駄目だ。」
浅倉 優奈は剣士養成学校東支部の三年生で東の四天王の一人。つい一週間前に剣を握ったばかりの素人が一撃入れるのは到底不可能だと言える。
それでも素人なりにタケルは想像以上に悩み、もがいている。
優奈が言うにはきっかけが必要らしい。
きっかけ、きっかけ、きっかけ。今日タケルが聞いた言葉で何かきっかけになりそうなこと。
考えすぎないことが大事…………剣士養成学校東支部の支部長、九条 奈々がアドバイスと言っていた。
(僕は考えすぎているのだろうか。)
目を瞑り、無心を心掛ける。瞼の裏の暗闇だけが広がっている。
「もう一度………お願いします!」
優奈はタケルの瞳を見据えるが、今までとは違う感情を有しているように見える。
優奈は少し驚きつつ、期待に満ちた眼を向ける。
「じゃあ………いきますよ!」
優奈は凄まじい速度で迫ってくる。思いきり地面を蹴って、駆るように跳ぶように。
その時、タケルは何も考えていなかった。
次に自分がどんな行動をするか、相手がどんな行動をするのか何も考えていなかった。
優奈は下から上へと素早く木刀を一閃する。それと同時にタケルは後方ではなく、前方に走り込む。
今までのタケルなら逃げの姿勢で後方に退いていたが、それは考えすぎていたのだろう。
攻めることを忘れるな。逃げても何も始まらない。この相手に後手に回ってしまうと、一撃当てるのは難しくなるぞ。
誰かがタケルの心の中でそう呟く。
誰かという疑問が頭に浮かぶよりも先にタケルは衝動的に体を動かしていた。
先程とは違いタケルは手数の多さで攻めていく。しかし優奈は軽い身のこなしでその全ての攻撃を防いでいる。
木刀を振るうタケルは初心者とは思えないほどの動きをしている。優奈はその木刀の一閃を跳躍して避けた。上から迫ってくるのは普通に前から迫ってくるよりもタイミングが取りづらいため、相手の斬閃を防ぐことは難しいだろう。
タケルも同じように跳躍する。優奈もこの行動には少し驚いたのか、木刀を振り上げるタイミングが若干遅れたようだ。それは凡人では気付かないほどの時間だが、今のタケルには必要な時間だった。このズレを生じさせることがタケルの目的だったのだ。だからこそ、優奈の動きを初めて遅いと感じることができた。
タケルは突きで腹部を狙うが、優奈は振り上げた木刀を縦に一閃し、突きを弾いた。木刀を素早く逆手に持ち替えて、もう振るえないように優奈の木刀を抑えつけた。優奈の瞳に本気の色が宿ったような気がした。二人の距離が接近するが、どちらも武器を使えない。
タケルは優奈の肩にそっと触れた。呆気に取られた表情でタケルをじっと見つめる。
「これで一撃ってことで………」
苦笑しながらタケルは呟く。
「ふふ………そうですね。ぎりぎり合格と言ったところでしょうか。」
優奈も釣られるように苦笑を浮かべる。
空中から着地して、二人は正対する。
「一皮剥けたみたいですね。」
「はい。何も考えずに臨んだら、良い動きが出来ました。」
「朝の稽古の時と比べれば、素晴らしい動きでしたね。私も少々驚いてしまいました。」
タオルで汗を拭く姿が艶めかしく、タケルの感情を昂ぶらせる。
優奈は半分の力も出していないだろう。それでも気は抜いていなかった。タケルに期待しつつも、自分に一撃当てることは難しいだろうと考えていた。
しかし良い意味で裏切られた。一撃を当てたわけではないが、優奈を出し抜き、肩に触れるという困難な業をタケルは成し遂げたのだ。
「今日はこれで終わりにしましょう。明日からはもっと厳しくいきますからね。」
「はい!」
夕暮れで朱色に照らされた木々たちが優しげな風で揺れている。まるでタケルを祝福するかのように。