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石狩駐屯地の戦い

鮮血が止めどなく流れる。

邪魔する者はバタバタと斬り倒していくその様はまるで鬼のよう。


その殺戮を目の前で見てしまい、腰が砕けて失禁してしまったのは蝦夷治安部隊の新人隊員。帯広駐屯地に配属されてまだ一ヶ月しか経っていなかった。


彼らの視線の先では先輩達がある男と交戦している。しかしまるで相手になっておらず、この場における絶対的強者の前に絶命していく。

やばい。このままじゃあ俺も•••••••••


そう思ったのもつかの間、殺戮を繰り返していた男の双眸がこちらを捉えた。淀んだ瞳の奥には悦に入った感情が見て取れる。


そうだ、思い出した。どこかで見たことがある人物だと今まで記憶を辿っていたのだが、薄っすらとしか出てこなかった。でも今、この瞬間に全てを思い出した。


あの男は蝦夷地で最も強大で最も恐ろしい組織、カムイクワの幹部の一人だ。


名前は••••••••••••



「荒島 陽角•••••••••」

それが彼の最後の言葉だった。

目の前が真っ暗になる。



陽角にとってはただの獲物に過ぎなかった。今殺した男はおそらく新人なのだろう。態度というか、雰囲気がそんな感じだった。

だからと言って、何かを感じるわけでもない。罪悪感など生まれてこのかた、感じたことすらない。


陽角は後ろを振り向く。自分が今さっき殺した蝦夷治安部隊の隊員達の死体が転がっている。数えるのも面倒になるくらいの数だ。


愉悦に心が満たされる一方で物足りなさも感じている。

もっと命のやり取りをするようなスリリングな戦闘をしたい。


しかしそれも叶わず、すぐに帯広駐屯地は陽角の手によって滅ぼされた。生存者ゼロ。


応援要請を受けた他の駐屯地の隊員が到着した頃には帯広駐屯地は火の海と化していた。



かくして四ヶ所目の駐屯地を壊滅に追い込んだカムイクワはまた一歩、蝦夷支配の手綱を手繰り寄せた。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





柊 咲姫は急いでいた。

医務室で寝ている場合ではない。メイフォンとの試合で受けた痺れはもうすっかり消えて、いつも通りに歩くことができている。


連絡は突然だった。あまりにも突飛な内容で俄かには信じられるものではなかったが、嘘を付くような不誠実な人間からの連絡ではなかった。


連絡してきたのは蝦夷治安部隊の副隊長である有沢 小春だ。彼女は現在二十一歳で、三年前に剣士養成学校を卒業し、今や蝦夷治安部隊全体の指揮を任されている。

隊長である咲姫は養成学校があるため、不在の時が多い。なのでその形を取らざるをえないのだ。


小春の緊急の報告は帯広駐屯地がカムイクワの手に落ちたとのこと。

咲姫の耳にもここ最近のカムイクワの動きは入っていた。どうにか対処しようと試みたが、戦力の実力差が凄く、どうにもならない状況が続いてしまっていた。


そしてついに蝦夷の中でもかなり大きな施設である帯広駐屯地が落とされた。しかも侵入者たった一人にやられたとのこと。


咲姫がこうしちゃいられないと蝦夷治安部隊の本部に向かおうとしている理由はそれだ。


咲姫は雪乃のもとへ向かう。はやる心を落ち着かせて、支部長室の扉をノックするとどうぞと声が聞こえた。

きちんと片付けられていて、埃一つない。雪乃が綺麗好きなのがすぐに分かるような部屋だ。

雪乃は何やら資料をじっと見ていたが、咲姫を視界に捉えると気遣わしげな表情を浮かべた。


「もう体は大丈夫なの?」


「はい。もう知っていましたか、私が負けたことを。」


「ええ、見に行きたかったけど、忙しくてね。それにしても咲姫が負けるなんて珍しいわね。」


「はい、次は負けません。」


「ふふ、ああ、何か用があったんじゃないの?」


「はい、蝦夷治安部隊の活動に移行してもよろしいでしょうか?」


「今日はその日じゃなかったはずだけど?」


東支部の生徒達が遠征してくるのだから、こちらもその対応に追われるし、何よりも咲姫は北支部の生徒副代表だ。試合をするだけじゃない仕事も多々あるだろう。


しかし雪乃は咲姫が身勝手な理由でそんなことを言うとは思っていない。何か事情があるのだろう。

そして心当たりがあるとすれば•••••••••


「カムイクワが何か引き起こしたの?」


「••••••はい。帯広駐屯地が落とされました。」


雪乃もこれには驚いた。確かにここ最近カムイクワの動きが活発化しているのは知っていた。現に知床駐屯地や稚内駐屯地などの末端で小さな駐屯地が壊滅に追い込まれる事態が発生していたのだから。


ただ帯広となれば話が違う。規模の大きさがまるで異なる。帯広駐屯地は部隊にとって無くてはならない場所の一つだ。そこが落とされたということは蝦夷全体の治安の問題にも直接関わってくる。


「そう••••••それは一大事ね。わかったわ、こっちのことは気にせずに、部隊の指揮をしてきなさい。」


「はい。支部長、もう一ついいですか。」


「何?」


「何かあった時は助けを乞うかもしれません。その時はよろしくお願いします。」


「ええ、いつでも言いなさい。それが蝦夷のためになるのなら。」


はっきりと語りかけるような雪乃の言葉は咲姫に安心感を与える。


咲姫はゆっくりと頭を下げ、その行為に感謝と願いを込める。


それから咲姫は支部長室を後にして、蝦夷治安部隊の本部へと急いだ。



閉められた支部長室の扉をじっと見つめながら雪乃は深い思考に耽る。

帯広駐屯地がよもや落とされるとは思いも寄らなかった。カムイクワという組織自体が規模を拡大しているのは知っていたが、そこまでの危機意識があったかといえば、答えはノーだ。


雪乃は軽く考えていた自分を後悔した。


咲姫が話している最中に深刻な表情を浮かべなかったところは良かったと思う。部隊のトップである咲姫に余計な危機感を植え付けるわけにはいかない。


「真剣に準備した方がよさそうね•••••••••」


雪乃は取り掛かっていた仕事を放り出し、部屋の隅に立て掛けていた太刀を手にして部屋を出た。

彼女の瞳は美しく、そして燃えるような熱さを宿していた。




咲姫が本部に着いたのは支部長室を出てから三十分後のことだった。

剣士養成学校北支部と蝦夷治安部隊本部の距離はそこまで遠くはないので、移動に苦労はしない。

つい最近、大天宮 花が訪問したのも記憶に新しい。


咲姫は本部の最も高級感の溢れる部屋にノックもせずに入室した。それはそうだろう、何故ならこの部屋は咲姫の部屋なのだから。


ソファに腰掛けていたのは副隊長の小春。


「私の部屋のソファに座ってるとはいい度胸ね、小春。」


「隊長がほとんど不在ですから、もう私の部屋と言っても過言ではないかと。」


「言うわね、小春。••••••まあ今はそんなことを言ってる場合じゃなかったわね。」


「ええ。」


咲姫は小春の正面に腰掛けて、すぐに切り出す、


「それで電話で言っていたのは確実なことなの?」


「ええ、間違いないわ。帯広駐屯地は完全に相手の手に落ちた。」


咲姫は一度大きく息を吐いた。

やはり直接聞くとダメージが大きい。本格的に咲姫自身がカムイクワの鎮圧に参加せねばならないだろう。他の仕事は誰かしらに委嘱して。


「小春、奴らが次に狙うのはどこだと予想する?」


「間違いなく石狩駐屯地でしょうね。彼らは別に何かを考えて攻める場所を定めているわけではないと思う。一つ一つ確実に潰す、それしか考えていないのなら次は石狩駐屯地だと思うわ。」

小春の答えに納得した咲姫は一つ大きく頷いた。

「私も同じ考えよ。奴らは蝦夷の東側から勢力を広げてる。ならば次は石狩。そして私たちはそこを何としても死守しなければならない。」


「具体的にはどうするの?」


「私が出る。」


「咲姫自身が先頭に、という意味?」


「ええ、そうよ。」


「それが意味することを理解している?」

小春の目が細まる。覚悟はできているのか、という意味がそこには含まれていた。


「私が負ければ、全てが崩れる。それくらい理解しているわ。」


「そうね、その通り。なんだかんだ私も咲姫の意見に賛成よ。というよりもそれしか有効な方法がないわ。」

咲姫が全面に出て戦うことこそがカムイクワを降すための最良の方法だ。選ばざるを得ない。


「ただカムイクワの組織のメンバーが何人いて、どれだけの強さなのかが明確には知られていないのが面倒なところね。対策を立てようにも立てられないわ。」


小春の言うことは最もだし、確かにカムイクワにはわからないことが多すぎて不気味な雰囲気すら感じる。


「何かあれば支部長にお願いしてるわ。」

咲姫の言葉は何気ないものだったが、小春はそれがどういう意味を持っているのか、正確に理解した。


「支部長が蝦夷の防衛戦に関われば、必ず政府が食いついてくるわよ?」


「仕方ないわ。政府の介入とカムイクワの支配、どっちかを天秤にかけた場合、私は政府の介入の方を取る。それだけのことよ。」


「その選択肢が実を結ばないように頑張るしかないわね••••••」


「どちらにせよ、負けなければいい話よ。」

咲姫は腰を上げて、すぐに部屋を出て行く。それに小春も続く。

一刻も早く石狩駐屯地へと向かいたいと体も心も動いていた。


小春は非番の者も含めた多くの隊員に連絡を取り、石狩駐屯地へと向かうように命じた。



石狩はにわかに騒然としてきた。

駐屯地周辺の住民を避難させ、一般人の被害が出ないように対策をとる。

そのため、付近は静寂に包まれている。

反対に駐屯地の内部は慌ただしさに包まれていた。

蝦夷治安部隊の主力となる四人の隊員が中心に始まるであろう防衛戦に向けて準備をしていた。



「お前ら!カムイクワの雑魚どもに好きなようにやれるわけにはいかねぇぞ!!せっせと働けよぉ!!」


そう叫ぶのは安寧あんねい 和秀。

蝦夷治安部隊のトップクラスの実力者で、「特攻の安寧」の異名を持つ戦闘狂だ。



そんな安寧とは正反対で戦闘に興味がない頭脳派の米原 圭吾。彼は今、カムイクワの情報を血眼になって調べていた。

「瀬能、荒島、我們•••••••••一人で百人分の実力と言っていいだろうな。こいつらを止められるかどうかが問題になる。うちの隊長と副隊長なら一人ずつ受け持てるか?いや最悪の場合を考えたほうがいいだろうな。ある程度こちらの力を低く見積もって計算するか••••••」

駐屯地のとある一室。カーテンは閉め切っており、薄暗闇の中でパソコンの電子的な光が圭吾の顔を照らしている。

部屋の扉には入るな!の文字が紙に書かれ、乱雑に貼られているので、誰も近付いてこない。ただあえて扉を蹴破る男が一人いた。

いつものように蹴りで扉を破壊する。


一瞬にして廊下から太陽の光が入り、部屋を照らし出す。しかし圭吾は気にせず、キーボードに手を走らせていた。


「おい、圭吾!そろそろお前も自分の部隊を動かせ。」


服の上からでも屈強な肉体だと分かるくらいの筋肉。対峙しただけで敗北の感覚を味わってしまうのではないかと思ってしまうほどに存在感が濃い。そんな男がぶっきらぼうに圭吾に話し掛けた。


「また堀田か。その扉、直しとけよ。面倒なんだよ、いつも直すの。」

圭吾はキーボードの手を止めないまま、背後にいる堀田 いしずえに向けて言った。

「今はそんなことをしてる場合ではない。」

感情の抑揚のない口調だ。まるで機械のように。

「今とは言ってないだろ。後でだ。この石狩駐屯地を守り抜いてからでいい。」


「それならば喜んで直そう。だからお前も力を貸せ。」

堀田は床に置いてあった刀を圭吾の近くに放り投げた。


「堀田、情報は大切だぞ?」


「そんなことは知っている。ただ情報があっても準備が間に合わなければ意味がない。」


「おいおい、準備も何も隊長も副隊長も到着してないんだろう?」

圭吾がちょうど話している今ちょうど、駐屯地に咲姫と小春が到着したことをまだこの二人は知らない。


「ああ、だがそれは準備をしない理由にはならん。」


「真面目だな。分かったよ。」


圭吾はよっこらせっと腰をさすりながら立ち上がり、刀を手にした。


堀田は部屋を出ようと後ろを振り向くと背中に何かが飛んできた。

振り返って、足元を見ると紐でグルグル巻きにした紙の束が落ちていた。

堀田がそれを拾い上げると圭吾は得意げに胸を張って言った。


「情報は大切だって言っただろ?カムイクワの主要メンバーについてまとめた資料だ。隊長達にも配れ。なかなか役に立つと思うぜ?感謝しろよな。」


その言葉を聞いて、堀田は口角をふっと緩めた。それがこの部屋に来て初めて堀田が見せた感情の変化だった。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




石狩へと足を踏み入れた武装集団。

彼らは顔にペイントをしていて、まるでどこかの部族のような容姿をしている。

そんな彼らの先頭に立っているのは二人の男。


「陽角はどうした?まだ来ないのか?」


「そりゃあそうですよ。彼が帯広を潰したのが一時間前のことですからね。」


カムイクワの最大戦力の三本の柱の二本がもう石狩駐屯地付近に待機していた。我們と瀬能だ。そんなことを治安部隊の面々は知る由もない。


「まあ二人でも十分か。」


「いえいえ、一人で十分でしょう。」

瀬能は我們の言葉に首を振る。

「あまり舐めてかかると痛い目見るぞ?」


「冷静に判断した結果ですよ?我們さんもそう思うでしょう?」


「さあ、どうだろうなぁ?」


口には出していないが、我們が一番余裕だろうと考えているのではないか?と瀬能は確信する。表情を見ればすぐにわかる。そしてそれを悟らせないようにする気が我們にはないのだろう。


「またまたご謙遜を。あなた一人でも十分でしょう、あの程度の戦力。ただ柊の娘が出てくるとそうも言ってられないですがね。」


「そういえば蝦夷治安部隊のトップが柊だったな。ちっ、蝦夷にまで勢力を伸ばそうって魂胆か?気に食わねぇな。関東で剣術ごっこでもしてろや。」


「柊と羽柴が本格的にやり合えば面白いんですがね。」

関東の柊と関西の羽柴。

大和国内で最も有名なライバル関係だと言っていいだろう。それも生易しい関係ではない。内乱をもたらしてもおかしくない殺伐とした関係性が今なお続いているのだ。


「おお、それは見てみたいものだな。ただそんなことが実際に起きてしまえば大和国内全体に波及するだろうな。内乱の流れが。」


「それも一興でしょう。カムイクワ、そして蝦夷がその時どうなるのかも興味が湧きますねぇ。」


「まあ、それもこれもあの石狩を落としてからだ。」

我們が見据える先には今までの駐屯地とは桁が違う防壁に覆われた施設が聳えていた。


蝦夷の地を表現したような広さと大きさ。

壊しがいがある。我們と瀬能はほくそ笑んだ。




周囲を覆う不気味な空気に気付かぬうちに咲姫と小春は石狩駐屯地へと到着した。


「お疲れ様です。隊長、副隊長。」


蝦夷治安部隊の主力メンバーの一人、平出ひらいで 踏真とうま

彼が治安部隊では最もまとも。隊長に従順で、咲姫も一番信頼を寄せている。


「ご苦労ね、踏真。」


「俺の部隊はいつでも戦える準備、出来てます。」


「遠慮なく働いてもらうわよ?」


「はい!お任せを!」


張り切り過ぎて逆に心配になってしまうほどのやる気が漲っている。



咲姫は駐屯地の中を歩きながら配備されている隊の状況を見つめる。

士気は悪くない。人の配置もこれが最善。


「後は神に祈るとしますか•••••••••」


そんな咲姫のもとに堀田が姿を現す。


「隊長、これを•••••••••」


「これは?」

堀田が咲姫に手渡したのは一枚の紙だった。目を通すとそこにはカムイクワの幹部の詳細なデータが羅列されていた。

咲姫はすぐにこれを作成したのが誰なのか察した。

「圭吾も最低限仕事はしたみたいね。」


咲姫が近くにあった椅子に座って、その資料を黙読していると、養成学校に入る年齢にさえ至ってない少年が震えながら歩いているのが目に入った。

少年が感じているのは間違いなく恐怖。

咲姫はゆっくりと少年に近づいた。


「君は治安部隊の一員?」

咲姫は膝に手を当てて、少年と同じ目線で話し掛けた。

誰かに喋りかけられたことに瞬時に怯えた少年はその相手が蝦夷治安部隊の隊長である柊 咲姫だと分かると、凍りついた。


自分のような末端の隊員に声を掛けてくれること自体がもはや信じられないことだった。そして同時に自分が今始まるであろうカムイクワとの戦いを前に恐れを抱いていることを咲姫に知られてしまった。誇り高き蝦夷治安部隊の隊員としてあってはならないことだ。

思わず少年は謝罪しようとした。

しかしその前に咲姫が少年に優しく微笑みかける。


「怖いのね?」


「え?」

少年は素っ頓狂な声を上げた。


「恐怖を覚えるのは悪いことじゃない。むしろ大切なことよ。」

咲姫の言葉に少年は反応できない。言っている意味が理解できなかったからだ。

蝦夷の治安を守る立場であるのに恐怖で震えているなんてみっともない。そう思うのは誤りなのだろうか?

そんな疑問が頭をもたげる。


「一か八かの賭けに出ることは勇気ではなく無謀よ。恐さを知っていれば戦場で冷静な判断ができる。それはとても大事なこと。覚えといて。」


「は、はい。肝に銘じます。」

上擦った声で少年は言った。

「君の名前は?」


「••••••無風むかぜ月夜げつやです。」


「そう••••••覚えておくわ。」

咲姫は月夜の頭を優しく撫でて、その場を立ち去る。


咲姫の後ろ姿をじっと眺めながら、月夜は自分の心がすっと洗われて軽くなったような思いを抱いた。


先ほどまでの恐怖は嘘のように心の中から消えていた。



咲姫も含めた全ての幹部がカムイクワの資料に目を通した後、教団に立つように隊員に言葉を述べる。

「皆、この場に来てくれたことを感謝する。この石狩駐屯地は蝦夷最大の砦。絶対に落とされてはならない場所よ。命にかえても死守し、我らの蝦夷を守る!」


おおお!という覇気のある声が瞬く間にその場を覆い尽くした。


咲姫は駐屯地から出て、敷地外にいる前線の隊員達の前に立つ。


「さあ••••••どこからでもかかってきなさい。」

咲姫がそう呟き、前方を見ると複数の人影が薄っすらと確認できた。それは徐々にこちらに近づいてきている。

タイミングが良いのか、悪いのか。ちょうど布陣が完成してすぐのことだった。



人影はやがてくっきりと見えてくる。青いローブのようなものを纏った集団だ。ローブには数本の白い線が入っているが、それが何を意味しているのかは見当もつかない。


人数は三十人にも満たない程度。

咲姫の背後にいた隊員達は目を皿のようにしてその集団の動向を注視する。



カムイクワの集団が数十メートル先で立ち止まる。


「お、もう準備は出来ているみたいですよ?我們さん。」


「待った甲斐があったってもんだな。んで、あんたが柊 咲姫か?」


「そうだけど、あなた達は何者?ここにどうゆう要件で来たの?」


「言わなくても分かってますよね?本当は。くくく、面倒な人だ。」

瀬能はゆっくりと腰の刀を抜いた。

それを見て咲姫も、続けるように他の隊員らも刀を抜く。


「ここを通すわけにはいかないし、あなたたちに好き勝手させるわけにはいかない。」


咲姫と瀬能の視線がぶつかり合う。


「我們さん、柊は私にお任せを。他の雑魚は全て我們さんにあげます。」


「どうせ拒否したって無理やりにでも柊とやるんだろ?勝手にしろ。」

呆れ口調でそう言ってから我們は咲姫の背後にいる隊員らを睨みつける。隊員達は何か値踏みされるような感覚を覚えた。


「ふふ、そういうことで私があなたの相手をしますので、どうぞよろしく。」

にこやかに微笑んでから、瀬能はすぐさま咲姫に襲い掛かる。

殺気をムンムンに漂わせて、瀬能のキレのある剣技が咲姫の喉元に迫る。


「甘い!!!」

瀬能の一撃はものの見事に防がれ、咲姫の回し蹴りをまともに喰らう。


「••••••やはり他とは違いますね。今ので殺せた人達とは。」


「その程度の剣技、見飽きているわ。出直してきなさい。」

咲姫の周りには千秋をはじめとして多くの優秀な剣術士がいる。そして今日戦ったメイフォンのような勝てない相手も。

そんな彼らとの戦いが咲姫の経験値となり、血肉となっているのだ。


こんなところで、こんな奴に負けない。その覚悟が人一倍強い。


「まだ始めたばかりですよ?私もこんなものじゃないというところを見せてあげましょう。」


瀬能は同じような軌道で剣技を放つ。馬鹿のひとつ覚えか。咲姫は防御態勢に入ろうとした。しかしそこで違和感に気付く。刀の速度が目に見えて遅い。まるで防いでくれとでも言っているようだ。


これは罠だ!防御してはいけない!

本能が叫ぶ。本能が訴えてくる。


咲姫はギリギリのところで瀬能の一撃を躱す。地面に当たった瀬能の刀はドロドロの液体になり、地面を瞬く間に溶かしていった。


「よく分かりましたね。私の攻撃が異能剣技だと。」


瀬能はニヤリと口元を緩めているが、内心の驚きは相当だった。柊 咲姫の実力は明確にではないが、大まかには知っていた。いや知っているつもりだった。しかしそれは誤りだったかもしれない。もっと奥深くに知らない何かがある、瀬能にはそんな気がしてならなかった。


一方で咲姫は自分の本能に従った結果が正かったことにホッとしていた。そして同時に瀬能に対して、もっと気を引き締めなければと心を改める。

瀬能についての情報は圭吾が収集して、まとめた資料に書いてあった。ただそこに書かれたものが全てじゃないと今、目の前で実感した。


地面を溶かしたあの技が何なのかは知らないが、無闇に相手の攻撃を受けるのは危険だ。


「だから言ったでしょう?出直しなさいと。」

ハッタリだ。咲姫にも何が何だか分かっていないのだから。ただ戦いは肉体的なものだけではない。精神的なものでもある。揺れ動く心理は直接体の動きの良し悪しを左右する。だからこそ心理的な部分も非常に大切だ。


「本当に面白い。久しぶりですね。こんなに昂ぶるのは。やはり強い人間と命のやり取りをするのは楽しい•••••••••」


「楽しんでいるところ申し訳ないのだけれど、私はすぐに終わらせたいの。」

咲姫は刀を両手で持ち、腕を返して、顔の横で突きの構えを取る。


精神を集中し、風の音を聞く。



「柊流異能剣技、絶句模様ぜっくもよう。」


水面に雫が落ちる音さえ聞こえてくるような静寂が咲姫と瀬能を包み込む。


異質な空間だ。暗闇ではない。周りの光景は何ら変わらない。変わらないのに。


何故こうも静かなのか。


瀬能は音のない世界に引きずり込まれた。しかしそれは幻想。それに気付くのに瀬能は数秒かかった。その数秒間は致命的な隙になり、絶句模様は瀬能を襲う。


乱れ狂う突きが瀬能の体を八つ裂きにする。もちろん防御は間に合わない。


瀬能は自分の体から鮮血が吹き出すのを見て、自分が殺してきた人間と自分自身を重ねる。

これが殺られる前の気持ち、か?


咲姫は間を開けることなく仕留めにかかる。

「柊流異能剣技、蓮の花。」


勝負は決したかのように思えた。

全ての剣撃を防ぐことなど不可能だし、満身創痍の瀬能は体を動かすのさえ困難であろう。

咲姫の考えは誰もが思うことだった。しかし現実は違った。

瀬能はニヤリと口元を歪めて、不気味な表情を見せた。

咲姫の背筋に悪寒が走る。


悪い予感は当たり、咲姫が放った蓮の花は全て防がれた。

咲姫の視界に現れた宙に浮いた複数の刃。鋼で作られたその刃はいとも容易く人間の肉を斬り刻む。

無論、咲姫もターゲットだ。変則的な動きで彼女を翻弄していく。


「な、何?この異能剣技は?」


「特殊異能剣技、浮世刃うきよやいば。私はこれを気に入っています。」


浮世刃。咲姫には全く覚えがなかった。人並みよりもあらゆる剣技を周知している。そう咲姫自身は思っている。


ただ記憶を探っても、浮世刃という異能剣技を聞いたことはなかった。


「浮世刃?聞いたことないわね。」


「これを解放した私に勝てたら教えてあげますよ。」


解放?その言葉が咲姫の頭に引っかかるが、考えている暇はなかった。

鋼の刃が咲姫に襲い掛かる。予想を超えた広範囲まで届く刃に打開策を見出せないまま、回避だけに専念する。


「このままでは••••••」


目の前にいる男を倒せる手段が見当たらない。考えても考えても咲姫は自分が勝利する未来が見えない。


「では、終わりにしましょうか!」

瀬能が愉悦に満ちた顔で血だらけの腕を振り上げた。

すると全ての刃が速度を増して、咲姫に迫った。


突如として咲姫の視界に人影が現れる。

咲姫も瀬能も戸惑いを隠せない。

「無粋な輩がいますねぇ?」


「君は••••••••」


「••••••これで三つは使えない、ぞ。」

鋼の刃が体に突き刺さった無風 月夜がそこにはいた。


何故君がここにいるの?

咲姫は呆然としながらも無理やり体を動かして、瀬能に斬撃を見舞う。


左胸から斜めに一閃された斬撃は瀬能 修一郎を間違いなく絶命させる一撃だった。


「月夜!」

咲姫はすぐさま月夜に駆け寄る。


「う••••••お、れ、にげま•••せん、でしたよ。」


「ええ、凄いわ。あなたのおかげよ。」

咲姫は努めて笑顔を見せる。

このままでは出血多量でこの少年は間違いなく死ぬ。


どうする?どうしたらいい?


戸惑う咲姫の背後からは悲鳴が聞こえてくる。それは苦痛に満ちている。誰の仕業かは明白だ。瀬能の隣にいた男、名前は••••••我們 辰馬。

彼は今、まさに石狩駐屯地に押し入っている最中だった。


そちらの加勢に行きたいが、目の前の少年を置いてはいけない。これは甘さだ。本当は切り捨てなければならないのかもしれない。


迷いを振り切り、咲姫は医術士を呼びに行く。幸いにも石狩駐屯地には医務室が数カ所あり、医術士もいつもより多く常駐していた。

我們を先頭にカムイクワの集団と治安部隊がまさにぶつかり合う戦場を駆ける。


副隊長の小春が忙しなく指揮している。予想以上にカムイクワの戦闘員個々の実力が高く、苦戦を強いられている。


面倒臭そうな表情を変えずに圭吾は一人の戦闘員と手合わせしている。

また他の主力である安寧と堀田は我們と対峙しており、今まさにぶつかり合う直前だ。



医術士を呼びに行くまでにかかった時間はおよそ三分。命の保証はできません、と汗だくの医術士はそう言う。

咲姫は大きく頷いて、近くの隊員に医術士の護衛をするように頼む。


そして咲姫は堀田や安寧の加勢に行こうと駐屯地のなかへ足を向けた。

が、思わぬ光景が目に入る。


立っている。殺したはずの、死んだはずの瀬能 修一郎が。


咲姫はその場に硬直する。

死んだかどうかの確認はしていない。それでも致命傷を与えたのは明確な事実だ。


なのに何故立っているのか。頭がパニックになりながらも咲姫は本能で刀を抜いて、戦闘態勢を取る。


その時、違和感に気付く。

瀬能の顔がおかしい。生気をまるで感じない。あれは死人の顔だ。確かにあの男は死んでいる!


「お前は、何だ••••••何者だ!!!」


死人の顔で瀬能は操り人形のように口を開いた。



「くくくく、私は浮世刃。意思を持つ異能剣技ですよ。」




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