北星の助力
蝦夷治安部隊知床駐屯地。
大自然に囲まれた中にひっそりと建てられた多数の家屋は隊員の休憩所となっている。
交代しながら周囲の警戒をしている隊員。知床駐屯地は蝦夷地で最も暇な場所だと言われている。とにかく害をなすものが少ないのだ。もっとも熊や鹿、猪などの野生動物は頻繁に現れるのだが、危害を加えられただの、死傷者が出ただの、そういった類の報告は知床駐屯地が作られてから一切ない。
知床駐屯地までの道のりは困難を極める、とまでは行かないが、面倒なほど長い距離になる。 しかも全てが山や森で、道は舗装されておらず、凸凹になっている。
なので外敵がわざわざ山岳を越えて、駐屯地まで来るメリットは皆無と言っていい。
しかし一方でオホーツクに面しているので、海からの外敵の存在が考えられる。
ただ海からの外敵に対しては剣衛隊の艦船が巡回を行っているために蝦夷治安部隊の領分から外れている部分になるのだ。
よって知床駐屯地は意味のない場所と呼ばれ、何かしらの失敗を犯した隊員がそこに飛ばされると噂されるほどだ。
蝦夷治安部隊隊員、佐野 天助は知床駐屯地の家屋で浅い眠りから覚めたところだった。
「いてててて•••••腰いてぇな。」
天助はむくっと起き上がって、腰をさする。
もう月明かりは消え去って、空には星ではなく、顔を出したばかりの太陽が快活に熱を放出し始めていた。
目覚ましが無くても交代の時間に目を覚ますように体が慣れてしまった。天助がここに飛ばされてもう二年になる。
ずっと知床駐屯地で飼い殺しにされるのは嫌だと思ってはいるが、天助自身に何か出来ることがあるわけでもないし、こればかりは我慢強く、新たな地へ異動になるのを願うばかりだ。
天助はそばに置いていたちょうど不快なぬるさのお茶を一気に飲み干し、眠りで失われた水分を取り戻した。
身だしなみを整えるのに数分もかからない。全部が終わった時にタイミング良くコンコンと扉をノックする音が耳に入る。天助は即座に扉を開き、頭を下げる。
「お疲れ様です。」
「ああ、交代だ。頼んだぞ。」
蝦夷治安部隊としては先輩である野尻 浩志が疲れ切った顔でそう言った。彼はそのまま自らの布団に横になり、泥のように眠っていった。
天助が部屋から出るとそこはすぐに外。
季節を考えれば寒さはそこまで強くないと思われるが、早朝ともなればやはり寒い。
天助は自分の見回りルートを歩き始める。警戒などの少しもしていない。もうただの早朝散歩だ。ほとんどの時間をこの見回りに割いているので、不満が出るのも当たり前だろう。それでも剣術の稽古は毎日欠かさず続けている。天助だけでなく、この駐屯地にいる隊員は漏れなくそうだ。
ここから離脱するために日々鍛錬を重ねて、目に見える成功を収めようと考えている。
成功を収める機会が来なければ意味が無いのだが。
天助が見回りルートの中盤に差し掛かったところ、いつもなら見かけることのない人影を確認した。
慌てて警戒心をオンにした天助は腰に携えている軍刀に手を添えた。
ゆっくりと歩いて近づいていく。向こうも天助の方へ歩いてきている。
見知らぬ顔だ。狐のような顔をしている。性別は男で、服装も山の中とは思えないほど小綺麗で、天助が予想していた山賊のような輩でもないらしい。
「そこで止まれ。動いたらどうなるか分かるな?」
天助は男の動きに全神経を集中させる。どんな些細な動きも見逃さないように。
「ああ、すいません。一つ尋ねてもよろしいですか?」
男は言われた通りにその場に立ち止まった。そしてにこやかに笑いながら天助に話しかけた。
「何だ?」
「知床駐屯地に行きたいのですが、こちらの方向で合っているでしょうか?」
「知床駐屯地に行きたいだと?あんた、何者だ?」
「ああ、私はこういう者ですよ?」
男は懐に手を入れて何かを探す素振りを見せた。
と思いきや、いきなり天助に何かを投じた。
ナイフだ。
天助はそれを素早い抜刀で弾き落とした。
自分自身でも驚いた。ナイフに反応できたことに。
「おっとぉ?凄いですねー。今のを防ぐなんて。少し舐めてました。申し訳ございません。」
「疑問の余地なし。お前を外敵とみなす!」
天助は戦闘態勢を取るが、男は笑ったまま、その場から動かない。
「来ないのか?」
「動くなって言ったのはあなたですよ?」
「ふざけているみたいだな!!」
天助は素早い動きで男と距離を詰めて斬りかかる。
しかし刃は男に届かない。
「こ、これは••••••?」
「特殊異能剣技•••浮世刃。私はこれを非常に気に入っています。」
数本の鋼の刃が男の周囲を漂っている。
これはヤバい。背筋に悪寒が走るのを感じ、天助は即座に距離を取る。
「良い判断です。でも•••••••」
ギュイイイインと機械的な音が聞こえたと思ったら、突如として左腕が熱くなった。痛いのか、熱いのか分からないくらい危険な感覚。
天助は恐る恐る自分の腕を見た。
「な••••••ひ、左腕が••••••」
切断。大量の血が止めどなく噴き出している。
距離を取ったのにもかかわらず、一つの刃が天助の腕を切断したのだ。
「ど、どんな有効範囲してやがる••••••んだ•••」
出血多量。天助は俯せに倒れ、そのまま動かなくなった。まだ死んでいない。だが死ぬのも時間の問題だ。
「もうそろそろ動いてもいいですかね?うん、この方がいる方向が駐屯地で間違いないようです。」
男は天助が着用していた服が蝦夷治安部隊の軍服だと気付いたようだった。
天助の霞んでいく視界が最後に捉えたのは一輪の黄色い花だった。
天助を放置し、男は無事駐屯地に到着することができた。
「何者だ!お前!」
堂々と正面から侵入した男に当然ながら多くの隊員が刀を向ける。
それでも男の余裕の笑みは変わらない。
「そうですね、冥土の土産に教えてあげましょう。私はカムイクワのメンバーの一人、瀬能 修一郎と申します。よろしくお願いします。」
「さぁ、名乗ったことですし、そろそろ始めましょうか。殺し合いを。」
天助に向けた笑顔を同じように振り巻いて、瀬能は蹂躙を開始する。
蝦夷治安部隊知床駐屯地の壊滅が知れ渡ったのはそれから半日後のことだった。
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まるで異国の大神殿かと思ってしまうほど壮大で厳かな屋敷が鬱蒼とした森林の奥深くに存在している。
何を意味しているか全く分からない奇怪な文様が壁のあちらこちらに見受けられ、入り口の大門にもそれらしき印が刻まれている。
その屋敷の中で最も広く、そして最も豪勢な部屋に二人の人影が相対している。
一人はいかにも高級そうなふかふかの一人掛けソファに腰を下ろしている。
もう一人は背筋をピンと伸ばし、緊張した面持ちで直立している。
どう見ても上位者はソファに座っている方だろう。
「ほう、では三箇所については無事成功したと考えていいのだな?」
「はい、まず間違いなく。」
「知床、根室、釧路をこんなに短時間で制圧したか。思ったよりもやるようだな、うちの組織のメンバーは。」
「はい、瀬能や我們、日野も育ってきています。この調子で行けば、西京漣会、そして反剣教団にさえ匹敵するくらいの組織となると思います。」
「もとよりそのつもりだ。ここまで長らく日陰を歩いていたからな。」
「はい、ただ一つ懸念が。」
「ん、何だ?」
「現在、蝦夷には大天宮 花が滞在しているとのこと。この存在は厄介かと思われます。」
「桜の女王か••••••確かに剣聖が干渉してくるとやばいな。うむ、まあそこは赤石衆の残党に任せればよい。」
「わかりました。」
二人が話をしている最中に部屋の扉が乱雑にノックされた。
「入れ。」
「うっす。お?宗田もいたのか。」
金髪でボサボサ頭の男が敬意のかけらを見せる様子もなく入室して、横にあるソファに深々と腰掛けた。
「陽角、稚内駐屯地はどうなった?」
「ふ、愚問だな。お望み通り壊滅させた。一匹残らず刈り取ってやったよ。」
荒島 陽角。瀬能 修一郎と我們 大作と並び、カムイクワの上位幹部の一人だ。
彼の実力は蝦夷地の中ではもちろんトップクラス。治安部隊の小兵達では到底太刀打ちできないだろう。
「そうか、これで四箇所の駐屯地の破壊に成功した。順調だな。」
カムイクワの最高権力者である根岸 重國は自慢の口髭を撫でながら薄く笑う。
そんな何でもない光景を見ながら場違いな感覚を覚えている人物が一人。幹部でもない自分がここにいていいのだろうかと宗田は心から思っていた。彼が今日この屋敷を訪ねたのは計画が順調に進行していることを報告するため。ただそれだけのためだ。
しかし今、宗田は上位幹部と組織の最高権力者の二人とともに同じ空間にいる。退出するタイミングを見出せない。
まるで鉄格子のない監獄に入れられた気分だ。
「それで次はどこをやればいいんだ?」
「帯広駐屯地を制圧してもらうか。ここは規模が大きいからな、時間が掛かるかもしれないぞ。」
「帯広ねぇ。はいよ、了解した。」
陽角は欠伸をした後に大きく伸びをした。
「愚問だと思うが、兵を使うか?」
「本当に愚問だな。そんなものいらねぇ。」
「くくく、だろうな。宗田、瀬能には知床からそのまま南西に下って北見駐屯地に向かうように伝えろ。我們には自由に動いていいと伝えとけ。」
突然の命令に少し驚いたが、それを顔には出さず、宗田は丁寧に頭を下げた。
「了解しました。至急そのように伝えます。」
宗田はもう一度頭を下げてから部屋を出た。
ゆっくりと音を立てずに扉を閉めてから深呼吸をした。それくらい緊張がピークだったということ。
「何故俺が報告係なんだ••••••」
深呼吸からため息に変わった。
しかし歩き出した宗田の足並みは牢獄から解放されたように滑らかだった。
宗田が退出してからすぐに陽角が口を開く。
「あいつを報告係にしたのは何故だ?」
「宗田は素直だからな。すぐに顔に出る。嘘をついたとしても分かりやすいから楽なんだよ。」
「け、まあそういう理由だとは思ってたけどな。」
宗田がいた時よりもずっと深くソファに体を預ける陽角を重國は咎めることはない。形式上では重國の方が立場は上だが、本質の部分では同等。それを本人達も理解しているし、そうであったほうがいいと思っている。
「それで東支部の支部長から連絡は来たのか?一応同盟を結んだんだろ?」
「ああ、予定通りに事を運ぶように、だとよ。」
「ち、何様だ。あの野郎。」
陽角は舌打ちをして不快感を露わにする。
「あいつら、本当に西京漣会の協力を得られたのか?」
陽角が気にしているのは同盟を結ぶときの契約内容の一つだ。
それが西京漣会の協力を得ること。
これを提案してきたのはカムイクワの方ではなく、向田 亜斗の方だった。
その時点で何か伝手でもあるのかとカムイクワ側は様子を見る形を取ったのだ。
そして結果が•••••••••
「ああ、その点に関しては大丈夫だ。西京漣会の幹部が一人、蝦夷に来ているからな。」
重國は葉巻に手を伸ばす。いかにも高級な質感の葉巻だ。
「もう接触したのか?」
「ああ、もちろん。西京漣会幹部、夜霧 影奈と言ったか••••••そんな感じの名前だ。」
「知らねぇ••••••ただ西京漣会についての情報はほとんど外には出ないからな。知らなくてもおかしくねぇか。」
「なかなか美人だったぞ?」
重國は何やら面白がった様子で陽角に視線を向けた。
「ほぅ、そりゃあ楽しみだなぁ。」
態度を豹変させた陽角に重國は肩を竦める。
「女遊びはほどほどにな。」
「け、今更だな。」
陽角は重國が置いた葉巻を奪い、そのまま部屋を出ていく。
やれやれと重國は苦笑いして、新しい葉巻を懐から取り出す。
独特な芳香と紫煙を撒き散らし、重國はこれからの計画について思考を深めていった。
重國はそれからすぐに来賓を迎えることになった。それは突然の話で迎える準備も何もしていなかった。
陽角は早速帯広駐屯地を落としにいっており、主力幹部は皆出払っている状況だ。
その状態での来賓は正直危険だと思ったが、ここで断るのはもっと愚策だ。
重國は冷静に、そしてにこやかに振舞うように注意することにした。
屋敷の玄関の大扉を開錠すると木材の軋む音が響き渡る。
「ようこそおいで下さいました。」
重國は過剰なくらい深々と頭を下げて迎え入れた。重國は内心ホッとしていた。陽角がこの場にいないことに。
陽角ならば非礼を重ね、相手の心証を悪くする一方だろう。
かといって重國も遜るだけではない。蝦夷の裏組織カムイクワの実質上のトップとしての態度を見せる必要がある。
ただ相手がこの人物じゃどうなるか分からないが。
「初めまして。八木 玄道と申します。」
来賓は名乗る。その名前を聞いたことがない人間など蝦夷地にはいない。そう断言できるくらいに有名な名前だ。
「カムイクワ最高責任者、根岸 重國です。どうぞよろしくお願い致します。」
重國は気を抜くことなく、目の前の男を見据える。
八木 玄道。蝦夷地で最も格式のある八木道場の師範代。五十五歳とは思えない筋肉隆々な姿が服の上からでも分かる。
噂では剣衛隊総隊長である桐原 武人と互角にやり合ったこともあるという。それが事実だとすると大和トップクラスの実力者ということになる。
「北星」と呼ばれるのも納得だ。
まず間違いなく重國など相手にならないだろう。
「立ち話もなんですので、こちらへどうぞ。」
「うむ、失礼する。」
屋敷に招き入れ、二人は先ほどの部屋で相対した。ただっ広い屋敷にもかかわらず、お手伝いと言われる存在は一人もいない。
細かいことまで全て重國が行っている。
「それで今日は何の用で?」
「単刀直入に言おう。あなたたちの力になりたいと思っている。」
「•••••••••それはどういうことでしょうか?」
重國はわざと警戒感を露わにする。
「カムイクワの蝦夷地制圧を目論んでいるのだろう?その力になりたいと言っている。」
間違っていない。確かにカムイクワは蝦夷地全域を支配しようと考えている。蝦夷地を新大和帝国と切り離し、独立した国家として認めさせることが最終目的だ。
「アルプスのようになる、とは考えなかったのですか?」
「それは正直わからない。しかし一つ異なるのは蝦夷地は政府の完全なる管轄下ではない。養成学校北支部が存在してはいるが、剣衛隊は国内で唯一常駐していないからな。そこがアルプスとは根本的に違う。」
「そうですね。確かにおっしゃる通りだ。加えて蝦夷治安部隊は反政府を掲げている。」
玄道は大きく頷く。険しい表情をしているように見えるが、それが彼のいつも通りの表情らしい。
「蝦夷治安部隊の隊長が柊の人間なのも一因だろうな。関東の柊は反政府だ。」
反政府ではない地域を探す方が難しいほどに新大和帝国は国の基盤がグラグラに揺れている。
ただあらゆる勢力も反政府という部分では一致しているのにもかかわらず、力を合わせてなどという考えは毛頭ない。
裏では、いわゆる様々な勢力が台頭している戦国時代の様相を呈しているのだ。
「だからこそアルプスのようにはならない。いやその可能性の方が高いと?」
「うむ、その通りだ。そして最も大切なのはカムイクワのような組織に蝦夷を統治してもらうこと。それが俺の望む未来だからだ。」
「政府から北星の名を貰ったあなたにそんなことを言われるのは非常に光栄ですね。」
八木 玄道が北星と呼ばれるようになった所以は十年前の三国戦争での活躍を評価されたためだ。軍人ではなかった玄道は自由軍という一般人が立ち上げた民兵のトップとして国防を担った。そして自由軍だけで五日間も蝦夷地を新欧州の攻撃から守り抜いたという。その戦果を国が大変素晴らしいと賞賛し、北星の二つ名を公的に捧げたのだ。
重國は今でもはっきりと覚えている。だからこそ問う。
「蝦夷を守り抜いた英雄である貴方が蝦夷を統治しようとは考えないのですか?」
「個人の力でどうにかなるものではない。圧倒的な組織の支配力でこそ統治は成功する。カリスマ的統治方法をするのであれば、俺では何もかも不足している。」
「だから私たちに力を貸そうと?」
「そういうことだ。」
「それを容易に信じるほど単純ではないですよ。」
「そうだろうな。もちろんすぐに信用して欲しいとは思わない。ただ力を貸して欲しいとそちら側が思ったのなら••••••こちらに連絡をして欲しい。」
そう言って玄道は連絡先が書いてあるメモを重國に手渡した。
「その時は力を貸すことを約束しよう。」
「ええ、それはありがたい話です。前向きに検討したいと思いますよ。」
「ああ、あと大天宮 花の動きに気を付けた方がいい。何やら動いているみたいだ。」
この発言には重國も表情を変える。
大天宮 花本人が動くことは無いとは思うが、それにしても大天宮 花が統括する組織である仏の冠が立ち塞がるのが大きな障害となるのは間違いない。
「気を付けます。その時は力をお貸しいただくかもしれません。」
「ああ、いつでも連絡してくれ。」
重國は屋敷の玄関まで玄道を見送った。
そしてふと疑問に思ったことを聞いてみた。
「そういえばよくここがわかりましたね、カムイクワの本部だと。」
人が誰も立ち入らないような深い森の中に建てられた大屋敷は非常に豪勢で目立つが、何しろ森の奥深くなので、存在を知る者などほとんどいない。
「まあ俺もそれなりの情報網はあるからな。ただ安心してくれ。そいつは俺の部下だ。」
「そうですか••••••それならば良かったです。」
じゃあこれでと玄道は言って、屋敷を出ていった。玄関の扉が閉まるまでしげくは頭を下げていたが、扉が閉まるとそそくさと部屋へと戻った。
携帯を手にし、ある人物に連絡を取る。
「•••••••••俺だ。宗田か?ああ、一つ調べて欲しいことがあってな。大天宮 花、いや仏の冠の動向を調べてくれ。ああ、よろしく。」
重國はパソコンを点け、仕事を始める。
これからのプランを考え直さなければならない。ため息をつきながら重國の作業は夜遅くまで続いた。




