剣士養成学校北支部
夏を迎えようとしている季節にもかかわらず、肌寒さを残した北の大地。
遅咲きの桜は散り、桃色の絨毯が広がっている。
剣士養成学校北支部ではいつも通りの日常が始まっていた。
青を基調とした校舎は蝦夷の周りを囲む広大な海を表し、別館の白は冬に降り注ぐ雪をイメージしている。
奥に進むと武道場が立ち並び、その中では生徒達が剣を振り、汗を流している。それは東支部の光景と何ら変わらない。
「参った••••••!!」
吹き飛ばされた少年は差し迫る木刀の切先に向かって叫んだ。
鼻先で木刀は止まる。ほんのわずかな距離。一歩間違えれば当たっていてもおかしくないくらいに。
「もう終わりですか?先輩。」
木刀の持ち主は長い髪をかき上げる。白い歯を見せ、声援に応えるように周囲に手を振るが、実際には何も聞こえてはいない。というよりもほとんど見物人がいないのだ。
そんな様子を見ながら座り込んでいる数少ない見物人の一人である少女が口を開いた。
「三十戦三十勝か、流石だね。」
「ふ、それほどでも。二葉先輩が相手をしてくれるならもっと楽しめるのですがね。」
「私は遠慮しとくよ。」
「逃げるのですか?」
「まーた、そういうこと言う。この学校の三番手を決めたいのはわかるけど、そんな焦んなくても••••••」
「僕は焦ってなんかいませんよ。ただ本気で戦うことが滅多にないので、腕が鈍るんじゃないかと心配なんです。」
少年は木刀を華麗に振った。空気を切り裂く音がはっきりと聞こえるほど鋭いものだった。まるで養成学校の生徒とは思えないほどの素振りだ。
「まあ、宗一郎と互角に渡り合えるのなんて千秋と咲姫くらいじゃない?」
「ん、その二人には一度も勝ったことはないですがね•••••••••」
目元をピクピクさせて、仏頂面で少女を睨みつける。わざと言っているな、宗一郎の心の中の声だ。
少女は口元に笑みを浮かべる。本当に楽しそうだ。そんな様子を見て、やれやれと宗一郎は一つため息をつく。
座り込んでリラックスしている少女は北支部三年の二葉 和美。そして男にしては長い髪でいわゆるイケメンの少年は北支部二年の金重 宗一郎だ。二人とも、校内では凄腕の剣術士である。
北支部は東支部と違って明確なランキングが存在する。学年関係なく、一位から三十位までを決めて、それが全生徒に向けて発表されるのだ。
彼女、二葉 和美は現在ランキング第三位。
金重 宗一郎がランキング第四位。
ただほとんど差はなく、二人が直接ぶつかり合えば、どちらが勝つかは分からないとも言われており、北支部内では非常に注目されている。
注目人物の一人である宗一郎が稽古をきりあげようと武道場の入口に向かおうとしたところ、場内いっぱいに響き渡る声が耳を攻撃する。
「あれれれれ〜?先輩二人しかいないんですか?」
「だから言ったじゃん。こんな時間に稽古やってる人なんてそんなにいないって。」
前者は快活な少女。小柄な体型で、よそよそと落ち着きのなさが際立っている。
足利 夏葉。蝦夷地の剣術大家である足利家の一人娘で足利流次期継承者でもある。非常に由緒正しき家のお嬢様だ。ただそんな雰囲気は微塵も感じられないが。
後者は童顔の少年。もしかしたら小学生だと勘違いしてしまう人がいるのではないかと思うほど幼い外見で、背も小さい。黒髪は少しボサボサだ。
彼は桐生 慶太。校内のランキング第六位の実力者である。
夏葉はその一つ上、ランキング第五位になる。
しかも二人揃って一年生であるからして恐ろしい。
「まあいいや。じゃあ宗一郎先輩、試合やりましょうよ!」
テンションの高い夏葉に全く合わせることなく、宗一郎はいつものように髪をかき上げる。
「ふん、僕は一年生だからって容赦はしないよ?」
「当たり前ですよ。手加減して勝てると思わないで下さい?」
「言うね。面白い••••••やろうじゃないか。確か君はまだ僕には勝てていないよね?」
「今日勝つから問題ありません。」
夏葉は木刀を構える。力みのない柔らかな構えだ。
「じゃあさっそく始めようか!」
二人は同時に床を蹴り出した。
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蝦夷の中心地である豊平。
その地区で最も巨大な建造物は蝦夷治安部隊という蝦夷を守護する民間部隊の本拠地である。今その建物の前に数台の車がゆっくりと速度を落とし、止まった。
見るからに高級車。煌びやかな装飾が施され、鮮やかな赤色は目に映える。周囲に聴衆はいない。交通規制なるものがされており、一定の範囲には人っ子ひとり存在しない。
三台の車が止まっているなか、中央の車の後部座席の扉を巫女姿の女性が丁寧に開ける。
すると出てきたのは同じく巫女姿の女性。しかし存在感の次元が違う。人間を超越し、恐怖すら感じるくらいに。
そしてただただ見目麗しい。初見の者は一瞬で虜になってしまう、それくらいの強烈な魅力を意識せずとも放っている。
お付きの者と同じ巫女姿ではあるが、車のように服装にも煌びやかな装飾が施されており、他とは異なる特別な感じがよく出ている。
巫女姿の女性や漆黒の袴を着た宮司がぞろぞろとその女性の後についていく。
「ようこそおいで下さいました。大天宮 花様。」
出迎えたのは二人の女性。
一人は剣士養成学校北支部の支部長を務める••••••
「白石 雪乃と申します。宜しくお願いします。」
そして二人目は雪乃よりも若い。だが凛々しさは変わらない。
「剣士養成学校北支部の生徒副代表、そして蝦夷治安維持隊の隊長を務めております。柊 咲姫です。宜しくお願いします。」
「柊••••••貴方があの柊家の長女、柊 咲姫さんね?」
「はい。父が大天宮様によろしくお伝えするように、と。」
「そう••••••こちらこそこれからもよろしくお願いしますとお伝え下さい。」
優しく微笑む花に思わず咲姫の頬は赤らんだ。同性でさえもそのような反応をしてしまう。大天宮 花の美貌は魔性そのものだ。
「ではさっそくご案内します。こちらへどうぞ。」
雪乃が先立ち、歩き始める。
「それにしても雪乃さん、久しいわね。何年振りかしら、こうして会うのは。」
「ちょうど五年振りかと記憶しています。」
「あれから五年•••早いものね。」
「はい。」
大天宮 花は現在、三十二歳。白石 雪乃は二十五歳。五年前に会ったきりなので、二人の年齢は二十七と二十。そう考えるとやはり久し振りな感は否めない。
だが雪乃は懐かしさに浸ることなく、花を会談の部屋へと通した。
「どうぞお座りください。」
雪乃の言葉に花はにっこりと笑顔を浮かべ、勧められた席へと腰を下ろす。
花が座るのを確認してから真正面に雪乃と咲姫が座った。二人、特に咲姫の内心はドキドキだ。改めて考えれば目の前に剣聖の一人が存在する状況は異様なものだった。それでも表情は冷静さを保っているのが咲姫の優れているところであろう。
花と雪乃、そして咲姫。この三人の他にあともう一人。
花の斜め後ろに存在感薄く立っているのは側近の由良 薫子だ。彼女はどこに行くにしても花の護衛とサポートを担当している。巨大組織、仏の冠のなかでも非常に上のポストに就いている。
雪乃は薫子にも席に座ったらどうか、と声を掛けたが、予想通り拒否される。
そのタイミングで飲み物が用意される。最高級のお茶。蝦夷は冷える土地のため、あまり栽培に向かないが、こうして味わい深いお茶が用意される。それも剣聖が訪ねてきたからこそ。
一呼吸置いて、雪乃は花へと話し掛ける。
「この度は蝦夷へとご足労ありがとうございます。」
雪乃が深々と頭を下げると隣の咲姫もこれまた綺麗な所作で同じように頭を下げた。さすがは名家の生まれ。
「いえいえ、やはり良いところね、蝦夷の地は。水も空気も、何もかもが綺麗で。」
「ありがとうございます。気に入っていただけたのなら幸いです。」
「ふふふ、でも無粋なものはどこにでもいるようね。」
花の双眸が強く光る。今回蝦夷に来た理由の核心に触れた。雪乃は少し目を見開き、気付かれないくらいの驚きを顔に出した。まあ正確に言えば花には気付かれていたのだが。
「はい。今回の敵はどうも今までとは違い、何らかの組織が関係している疑いがあるようで••••••」
「組織•••••••••ねぇ?」
花は小首を傾げる。
「詳しくはこちらでも分かってはいないのですが、おそらく内地由来の組織かと。」
「わざわざ蝦夷へ来て何が目的なのかしら。」
わからないわね、と言いながらどことなく楽しそうな花に少し不気味な感じはしたが、雪乃も同意するように大きく頷いた。
「アルプスが関係しているのかもしれないわね。」
「アルプス、ですか?」
咲姫が興味深げな目を花へ向ける。花が咲姫をじっと見つめ返すと、たじろぐように咲姫は視線を逸らした。妖艶な荊に絡み取られないように必死で。
「アルプスで大規模な戦闘があったのはご存知?」
「はい。存じております。たしかアルプス南方の赤石衆が裏組織、反剣教団の力を借りて、反乱を起こしたと聞きましたが••••••」
「その通り。その闘争は難なく収めることができたのだけど、火種はまだあるみたい。」
「火種とは?」
「赤石の幹部数名がいまだ行方不明だと聞いているわ。」
「その幹部達が蝦夷に潜んでいるということですか?」
「そういうこともあるかも、ね。」
またも笑顔を浮かべる花。
「貴重なお言葉、ありがとうございます。」
「私たちが来たのは蝦夷から不純物を取り除くこと。それは貴方たちも望むことでしょう?」
「はい、もちろんです。」
「力を貸しましょう。」
「本当にありがとうございます。」
雪乃と咲姫は起立し、背筋をピンと伸ばして、この日何度目になるのかわからない感謝の意を述べる。
「私は別荘の方に滞在しているから。会いたくなったらそこに来て?ふふ、いつでもどうぞ。」
花はそう言ってから会議室を後にした。
扉が閉まり終わって数秒してから二人しかいない会議室に弛緩した空気が流れる。
「•••••••••凄いですね。剣聖の覇気を感じました••••••」
先ほどとは違い、咲姫は姿勢悪く椅子に腰を下ろした。それほどの圧力を感じた。
「ええ、五年前と変わらない、いや、むしろ濃密な気を放ってたわ。」
雪乃は背中にびっしょりと汗をかいていた。
言葉を交わすだけで抗えない絶対的な力を理解した。
相手が強者であり、自分が弱者であることを自然と理解させられた。
雪乃の長い呼吸にはその時の全ての感情が詰まっていた。




