横浜港の反船
果てしなく広がる海は深い青に彩られ、のんびりとした波音がリズム良く耳元まで聞こえてくる。そんな雰囲気とはまるで真逆なこの横浜港の緊迫感。乱暴な運転を終えて、大輔と安藤の二人はそんな横浜港へと到着した。
船の往来は通常通り。二人の視線の先にはちょうど貿易船が向かってきている。
何も変わらない日常が過ぎている。はたからはトラブルが起きた様子は見られない。
「どの船ですかね。」
「さあな。俺らが一番乗りってわけじゃねぇから先行した奴らが何かしら見つけてるだろ。」
何台か剣警局員の車が止まっているのは港に着いてすぐわかった。おそらく港の近辺に元々配備されていた者達だろう。
二人が船着き場に足を運ぶと制服を着た数人の局員を発見した。見たところ船員と話をしているようだ。
「どうだ、お前ら。」
「あ、大輔さん。お疲れっす。見つけましたよ、この船です。」
先に到着していた局員の一人で後輩の男は世間話もなしに淡々と説明を始める。
「違法薬物の大量密輸っすね。船室にある樽やら木箱やらに大量に詰め込まれてます。おそらくブラストの奴らの仕業でしょう。」
「おそらく?」
大輔ははっきりとしない言葉に若干の疑問を感じた。
「この船の船員はこのためだけに雇われた奴らみたいなんすけど、案外口を割らなくて。でもこの船の型はブラストが所有するものと種類は同じっす。」
大輔も十中八九、ブラストコーポレーションが何かしらの悪事を起こそうとしていると目星はつけている。
しかしこの誰がどう見ても杜撰な計画はある意味恐怖を感じるものだった。
何を考えているのかわからない。そんな不穏な感覚が脳にこびりつき、警戒心を煽る。
それからしばらく調書を取り、大輔も全体の動きを指揮しながら周囲を観察していた。
「先輩、見てください。こりゃあすごい。」
安藤の声で大輔は思考の渦から解放された。そしてその後輩が驚きの表情を浮かべている理由はすぐに分かった。
「おい、こりゃあ•••••••違法薬物なんかよりもずっとやばいじゃねぇか。」
大輔の驚愕に周りの隊員も関心を向ける。
未だ調査をしている段階だったため、未発見の新事実があってもおかしくない。
「マジすか、これ。」
「理解不能••••••••」
「これ、本物かよ••••••」
口々に呟かれる言葉はネガティブなものばかり。それもそのはず、安藤が見つけたものは人の心臓、脳、その他臓器が丸々冷凍保存されていたのだ。
「冷凍庫にこんなものがあるとは•••••人を食ってる訳あるまいし••••••」
見つけた本人の安藤さえもかなり引いている。人喰いが存在するという話ははるか昔の文献に記述はあるが、今の時代にそんな荒唐無稽なことがあるはずがない。ならば何故こんなものがあるのか。
「ちっ、結構早く見つかっちまったな。」
先程まで大人しく事情を話していた船員の一人がまるで別人のような凶暴な顔つきで懐に隠していたナイフを取り出した。
大輔はその変わりように驚きはしなかった。半ば予想していたことでもあったからだ。この船に乗っていた人間の怪しさに。
彼等にとっては予想していたよりも早い段階で見つかってはいけないものが見つかったのだろう。それでもほとんど焦りは見えない。ただの雇われ船員ではないようだ。ナイフを構える姿は戦闘に慣れている人間の構えだ。素人では一つの隙さえ見つけられないだろう。
「これはどういうことだ?」
大輔の声は刺々しい。いつでも抜刀する態勢は整っている。
「俺から話すことは何もない。」
男は憮然として黙秘を示す。
「つまり黙秘すると?」
「••••••••••••」
何を聞いても無駄のようだ。
それは忠誠心からくるものか、それともただの自己満足な責任感からか。
大輔にとっては別に何でもよかった。
やるべきことは一つだけ。目の前の全ての船員を捕縛すること。
「まぁ、別にいい。それは後でたっぷりと聞かせてもらう。」
静まり返る港。海からの波の音だけがリズム良く聞こえる。
どちらから飛び出したのかは定かではない。おそらく同時に駆け出した。
大輔は抜刀するとすぐさま男の手元を狙いにいく。殺すためではなく捕縛するために。
圧倒的な実力差はあるものの、さすがはブラストコーポレーションが雇った者、大輔でも瞬殺とまではいかないようだ。
他の隊員達に限っては苦戦しつつある。
「おいおい、思ったよりも手練れみたいだな•••••安藤!」
「はい?」
「お前、手空いてるだろ?」
「いや、今は無理です。」
安藤は目の前の敵に手一杯の様子だった。
少しでも動きが狂えば一気に持っていかれる。それは安藤自身も感じていたし、横目で見ていた大輔もそう思っていた。
「仕方ねぇな。」
大輔は反転して、今まで相手をしていた男に背を向ける。男はその行動を安藤に加勢しにいくと勘違いした。それは小さな間違いだったが、戦いの場では大きな隙となる。
大きく振りかぶった男の懐へ大輔は滑らかな動きで入り込む。がら空きの鳩尾に向けて強烈な拳を叩き込むと男は泡を吹いて気絶した。その光景は他の船員達の動きを止めるまではいかなかったが、目に見えて彼等の動きは鈍くなっていた。そこを逃さない局員ではない。
何のために剣警局に入ったのか。
何のために毎日鍛錬に励んでいるのか。
それも全て犯罪を野放しにしないため。
この新大和帝国の真の治安を守るためだ。
政府になど任せていられない。
その共通認識のもとで集結した正義感の塊なのだ。
だからこそ対人戦闘は最も重要視されている。隙があれば逃さない。
鈍くなった動きは形勢を一気に変えるきっかけになった。
ドミノ倒しのように次々と捕縛されていく。峰打ちで気絶した船員達がゴロゴロと地面に転がっている。
大輔達は結果的に無力化に成功した。
しかし誰一人として勝利を手にしたと感じている者はいなかった。
剣警局から護送車が到着したのは三十分近く経ってからだった。
これでも距離を考えれば早い方と言えるため、大輔も表立って文句は言わない。
もう少し早く来るように嫌味のない程度に促しはするが。
続々と連行されていく船員達。ここまでいとも簡単に入港できたのは政府の怠慢が原因であろうとほとんどの局員はそう思っている。しかしそれはある意味で正解であり、ある意味で間違っていた。
大輔や安藤、他にも一部の局員は政府の中に裏組織と繋がっている人間がいることを疑っている。疑惑というよりもほぼ確信に近いとすら思っている。これは大和をひっくり返すほどの大問題でもし外部に漏れ伝われば帝国内が内乱状態になるのはわかりきっていることだ。
しかしあくまでも剣警局が掴んでいる情報はそうではないかという予想に過ぎない。だからこそ動くのはこの情報が確実なものだと判断できた時。そしてそれは政府を打倒するための免罪符になる。剣警局の目的はそこにあるのだ。
大輔は一本煙草を吹かした。白煙が目的地もなく、宙を彷徨っている。
政府は確実にスパイ、つまり入り込んだ裏組織の人間に気付いている。個人を特定しているとは思えないが、その存在自体には間違いなく気付いている。気付いているのにも関わらず、本腰を入れて捜査をしていないのだ。黙認している、と言った方がいいだろう。それが剣警局の見解だ。
「どういうつもりだ?………二条。」
「そんな煮詰まっても仕方ないっすよ、先輩。国のトップの考えてることなんて理解できませんよ。」
突然の背後からの声にさすがの大輔も驚きを隠せないようだ。
「安藤…………お前、気配隠すのだけは無駄にうまいな。」
しかし驚きはすぐに呆れに変わり、そして最後は軽蔑に変わった。
「それと人の考えてることを勝手に予測すんな。」
「いいじゃないですか。それくらいしか特技ないんだから。」
安藤は大輔から煙草を一本もらおうとするが、断固として拒否される。
「なら戦闘中に使え。」
「その戦闘中に使えないから今、使ってるんじゃないですか。」
「最も必要な時に使えないんだからたちが悪い。普段使ったら、ただ気色悪がられるだけだぞ。」
安藤の戦闘力は剣警局の中では並。一般的に見れば、高いと言ってもいい。しかしそれ以上に彼は高い思考力を持っている。簡単に言えば頭が良いのだ。自らは特技と言っているが、相手の考えていることを表情や仕草である程度予測することが出来るという明らかに特殊な能力を持っている。これがあるからこそ剣警局でも重宝されるのだ。
「まぁ、でも………確かにお前の言う通り、何考えてるかわからねぇ相手だからな。こうやって考えてること自体無駄だろうな。」
「そうっすよ。今は目の前の問題を解決しましょう。」
横浜港は喧騒に包まれていたが、船員達を連行した後は祭りの後のような静けさだけが残った。
人の姿はまばらで、局員も数名だけが残り、問題の貿易船を調べ始めている。
その中にはもちろん、大輔と安藤の姿もある。二人は船室を調べている。あらかた調べ尽くされただろうが、見落としがあるかもしれない。
実際に安藤が着目した古ぼけた机の上に文字が刻まれていた。
「先輩、これ。」
大輔もその文字を確認する。
「………ト、トラ、スフォー?どういう意味だ?」
「さぁ………何でしょうね。」
安藤もちんぷんかんぷんのようだ。理解できないのは当たり前だろう。予想としてはこの机のメーカーの名前が一番妥当な線だろう。刻まれた文字は素人が彫った粗さはなく、とても綺麗だった。
「机のメーカーか……でも聞いたことがねぇな。」
「大和製じゃないってことですかね?」
「ま、手掛かりが少ないんだ。調べるだけ調べてみるか。」
「了解。そういうのは俺がやっときますよ。」
「ああ、頼んだ。」
他には何も見つからなかった。新しく見つかった謎の文字に何の意味があるのかはわからないが、今はこれを頼りにするしかない。
大輔と安藤は他の調査を任せ、剣警局本部へと帰還した。
本部に着いたのはおおよそ三十分後だった。
さっそく安藤は謎の文字について調べ始めるため、本部で大輔と別れた。
一方で大輔は報告のため、局長室へと向かった。
豪勢な部屋を想像すると肩透かしを喰らうほどのごく普通の個人ルーム。
しかしそこは誰でも入れるわけではない。おそらく入ったことのある者は数えるほどであろう。
もちろん大輔は剣警局の実力者であるために何度も入室している。
いつものように大輔が入室すると局長である芝山が資料を片手に難しい顔をして考え込んでいた。
「どうしたんスか?眉間に皺よってますよ。」
「ん?ああ、ちょっと面倒なことがあってな。」
「どうせ柊のクソ野郎でしょ?」
「察しがいいな。でも今回は無理難題を言ってきたわけじゃない。」
大輔は何も答えず続きを促す。
「目黒 大寛は知ってるだろ?」
「ああ、もちろん。その名前を聞いたのは今日二回目ですけどね。」
目黒 大寛は剣警局が全総力を挙げて捕まえた。彼は東京大都市の広範囲に影響を与えていた裏組織の首領だった。そして何よりもその組織が反剣教団と大きな繋がりがあると確認されたのだ。剣奴と呼ばれる戦闘奴隷を教団に貸し与えていた。その糸口から一斉逮捕に至ったというわけだ。
そんな人物の名前が今日一日でこんなにもピックアップされるとは思いもよらなかった。それが大輔の率直な反応だろう。
「今日お前が捕まえた男が大寛の関係者だったようだな。」
「弟子らしいですよ。まぁ、あのじじぃになら弟子くらいいてもおかしくないでしょうけど。で、何なんです?」
「ああ、今回のブラストコーポレーションの件…………どうも目黒 大寛が絡んでるらしい。」
「………まさか。あいつは今、監獄暮らしでしょう?」
大寛は現在、政府直下の監獄で厳重な管理のもと過ごしている。
脱獄はおろか、一切の外出も許されていない。
「それは間違いない。それに脱獄したとしても政府には桐原がいるからな。すぐにまた捕まるだろう。」
芝山はそう言うと、手に持っていた資料を大輔に渡した。大輔は無言でそれを手に取る。
黙読している大輔に向けて芝山は続ける。
「大寛本人よりもその配下にいた何者かによって、だろうな。」
しばらくすると大輔は顔を上げた。資料を読む前よりも険しい表情だった。さすがに書かれていた内容に驚きを隠せなかったようだ。
「こんなことがあり得るんスか?」
「米国の関与なんて絵空事のように聞こえるだろ?」
芝山は少しふざけたような口調で言った。
そして米国の関与に終わらず、その米国のある組織が大寛の配下にいた者達らしい。彼らはブラストコーポレーションに人間の臓器を運んでいた。それが横浜港の一件の顛末だった。あの船員達は企業側か米国の組織側のどちらかが雇ったのだろう。
しかし単純な疑問が浮かぶ。彼らが何故ブラストコーポレーションにそんなものを運んでいるのか。
「わからないな•••••どんな企みがあるのか」
「何にせよ、ブラストは注意する必要があるな。」
「ああ。」
どんなに考えても正確な回答は得られない。そもそも二人はこの一件の全体像を完全に把握しているとは思っていなかった。出来ることといえば、何が起こっても対処できるように準備をすることだけだ。
大輔はこれから起こり得る戦いに思いを馳せた。




