闘争の余波
ギラギラと輝く太陽が人も建物も刀剣も溶かしてしまいそうなほど暑い。
アルプス闘争と呼ばれる戦いが終わってまだ一日も経っていない。おおよそ九時間ほどだろう。
それなのにいつにも増して街の雰囲気は落ち着かず、喧騒に包まれていた。
アルプス闘争の終結が正式に発表されたのだ。
予想もしなかった短期間での解決に様々な噂や憶測が飛び交っている。数日後から登校する予定の養成学校でもその話で持ちきりになるのは目に見えてわかった。
だがタケルは戦争に参加した当事者として闘争が終わっていないことを知っていた。
その事実には箝口令が敷かれている。
赤石衆の残党が何処かに潜んでいるということは間違いなく、養成学校が襲撃されるようなケースもゼロではないのだ。
寮の部屋でベッドに寝転がりながらタケルは物思いに耽っていた。
腕や足に疲労からくる痛みを感じる。自分が本当にアルプス闘争の場に居たことを実感させる唯一の感覚だった。
コンコン。突然扉のノックが聞こえてきた。
今まで訪問者など誰一人として来たことがないので少し驚いた。まぁ、それはそれで悲しいことなのだけれども。
ベッドから起き上がり、玄関扉の前まで近付く。
「はい、何ですか?」
扉越しに声を掛けるとくぐもった男の声が聞こえた。それは想像もしない相手だった。
「剣警局の者です。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
関西地区、京都。
西京大都市の中でも非常に歴史ある街並みや風景がそのまま現存する美しき都だ。
明瞭な四季は風情を呼び、人の心に安らぎをもたらす。
そんな京都で最大の広さを誇る和の建築がある。琵琶湖沿いに建てられ、未来には歴史的建造物と呼ばれ、保護の対象となっているであろうその建物にはある組織の統治者が住んでいる。
「アルプス闘争が終わったということかしら?」
鮮やかな緋色の着物をお召しになった誰もが見惚れるほどの美貌を持つ女性がまるで王座のような椅子に腰掛けている。艶のある黒髪は他の女性とは一線を画して、幻想的である。
「はい。」
短く返答した人物も女性。彼女は膝をつき、目の前の椅子に腰掛けた女性に対して忠誠心を表している。彼女の瞳は目の前の女性に憧れを抱いた強い心酔の色を宿している。そんな彼女自身の容姿も整っていて、実に綺麗だった。
「随分と早い決着だったようね。まだ数日しか経っていないと思うけど。」
一つ一つの言葉が穢れとは無縁な澄んだ音となって周囲に広がる。聞き手の鼓膜は喜びを感じている。
少し熱を帯びた身体を無視して言葉を続ける。
「その事なのですが、噂によると剣聖が参加したとのことです。」
「この闘争に?」
意外そうな声で尋ねる。
「はい。」
「桐原さんではないの?」
「桐原様はもちろん参加したようですが、他にもう一人、浅倉 新左衛門様が参加したとのことです。」
「あら、新左衛門様がねぇ。」
困った方ねと言いながら面白がっているのは明らかだ。
「花様、これはどういうことなのでしょう?」
「新左衛門様が参加された意図が知りたいの?」
「•••••••はい、恐れながら。剣聖が動くということはそれほどのことかと。」
剣聖の偉大さを彼女は身に染みて知っている。なぜなら目の前に座っている女性も剣聖の一人なのだから。
「可愛いお孫さんのためでしょう。あの方も親愛を持っているのですね。」
クスッと笑う顔は性別を問わず、魅了してしまう妖艶な雰囲気を醸し出していた。
七人の剣聖のうちの一人、大天宮 花。
それが彼女の名前だ。「桜の女王」の異名を持ち、仏の冠と呼ばれる超巨大組織の統治者として大和ならず世界でも知らぬ者はいないほどの超有名人。年齢は三十二歳。
国際剣士ランキングは第十位で大和の中でも三番目のランキング上位者である。
その実力は誰もが畏怖する。
「花様、新左衛門様の行動で他の剣聖も何かしらの動きを見せるかもしれません。」
彼女は仏の冠の一員であり、花の唯一の護衛だった。名前は由良 薫子。年齢は二十一歳と若く、剣士養成学校西支部の生徒代表の経験がある。この養成学校時代から花に憧れ、彼女の側に居たいという強い願いから仏の冠へと入会した。
「そうね。特に龍斬には注意を払いなさい。あの人の思想は危険すぎる。」
「はい、お任せください。」
薫子は深々と頭を下げた。
「あ、そういえば薫子?」
花は何か思い出したような表情を浮かべた。
「はい。何ですか?花様。」
「蝦夷の方に行く用ができたわ。準備をしといてくれる?」
気になったとしても詳しい内容は聞かない。薫子の頭には花の要求に首を振るという選択肢はないために聞いたとしても答えは何も変わらないからだ。
「はい、分かりました。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同じ頃、関西地区の大阪。
羽柴家が住まう黄金の居城、天羅城でもアルプス闘争での新左衛門の介入についての話がなされていた。
「新左衛門め•••••••政府側に寝返ったのか?」
「いや、それはないだろう。あやつは根っからの政府嫌いだ。あれがそう簡単に変わるものではない。」
「しかし国内の戦争に関与したのは事実。桐原以外の剣聖は今まで揉め事に積極的に関わってはこなかった。何も知らぬ者は政府の力がより強いものになったと誤解しかねません。」
一人目の男は羽柴 龍斬の弟にあたる羽柴 龍蓋。
二人目が同じく龍斬の二人目の弟、三男の羽柴 龍岩。
二人共が関西方面では知らない者はいないほどの権力者。羽柴流の道場を経営しており、多くの門下生を抱えている。もちろん彼等自身の剣術の腕も相当高いレベルなのは言うまでもない。
そして三人目は羽柴家の護衛総統を任されている柴田 敬三。
彼は龍蓋、龍岩が生まれる前から羽柴家の護衛を担っており、前出の二人からも強い信頼を得ている。
「落ち着け。新左衛門は孫があの闘争に参加していたのだろう。確かあいつの孫は東支部の三年だったはずだからな。」
羽柴家の絶対的な頂点。威風堂々としており、一目見ただけで人の上に立つ才を宿していると理解できる。羽柴 龍斬その人だ。
「だがお前らの言う通り、政府に味方したことに変わりはない。おの狸ジジイ、気に食わんな。」
感情を露わにすることはないが、心の内では新左衛門に対しての余計なことをやってくれたという感情で覆われている。
それもそのはずで羽柴家は反政府を正式に掲げており、いつか羽柴家が大和を統治することを目的としている。
そのために剣衛隊には羽柴流剣術を使いこなす人間は一人もいない。羽柴流を習った者はどんなことがあっても政府側につくことを禁ずると定めている。もしこの決まりを破った時はどうなるのか。それは誰も分からないが、其れ相応の罰があるのは間違いない。
龍斬は新左衛門に対してもあまり良い感情を持ち合わせていない。反政府という点では同じだが、思想が全く異なっている。その根幹であるのは野心の有無だ。
龍斬は政府を打破し、新たな大和を造ろうとしている。
しかし新左衛門は政府を毛嫌いしてはいるが、自らが国を変えようとは考えていない。その点が龍斬にとって気に食わないのだ。新左衛門の実力は大和でもトップクラス。そんな実力がありながら傍観者のままでいることは裏切りであり、怠慢だ。
実力者は実力者なりのやるべきことがあるのだ。それを怠っていることに我慢ならない。
龍斬が剣聖に選ばれ、初めて新左衛門と会った時からその感情は消えていない。
「兄者、どうする?もうある程度の戦力は揃ってる。赤石のように我らも国と戦火を交えるか?」
荒々しい風貌で羽柴家随一の争い事が好きな龍岩が遠回しに提案する。
「いや、今のままでは無理だ。政府を倒しても他の剣聖が邪魔になる。」
しかし龍斬には見事に却下される。
「そうですね。新左衛門殿を始め、大天宮殿も敵として立ち塞がるでしょう。」
敬三も落ち着いた口調で龍斬に同意する。
「桐原だけでも厄介だからな。他に剣聖二人•••••合計三人もまともに相手取ったら厳しいのは確かだ。」
次男の龍蓋が桐原と言った時の苦々しい顔つきはかつての因縁がそうさせたようだ。
桐原 武人と羽柴 龍蓋は剣士養成学校の同期だった。東支部の最強と西支部の最強。
当時二人は何度も顔を合わせていたが、直接剣を交えることは一度もなかった。
しかし養成学校最後の剣術大会でぶつかり合うことになったのだ。
桐原の方は全く龍蓋の方を意識してはいなかったが、龍蓋は桐原を強く意識していた。それを表立って態度には出していなかったが、会う度に戦いたいと願っていた。
その念願がついに叶ったのだ。
しかし彼の強い思いとは裏腹に結果は彼にとって最悪なものだった。
数秒で終わった。龍蓋は負けた。圧倒的な力の差。それは誰が見ても歴然だった。
あの時の屈辱はいまだに忘れていない。彼はあれ以上の屈辱を味わったことはない。
今もあの時のリベンジを果たしたいと胸に秘めている。
そのことは龍斬も龍岩も知っている。直接聞いたわけではないが、態度を見れば明らかだからだ。
「柊もここぞとばかりに攻めてくるでしょうな。」
龍蓋の気を逸らすように敬三は口を開いた。
「へ、柊なんて眼中に無い。あんなクソ流派今からでも滅亡させられるぜ。」
龍岩のこの発言には龍蓋も同意とばかりに大きく頷く。
龍斬は何の反応もしないが、同じように思っていることだけは分かった。
関東方面では最大の流派である柊流は昔から羽柴流と争ってきた。それは流派が誕生した頃からそうで初代継承者の二人が大和の代表剣術の座を譲らなかったからだ。
殺し合いもざらにあり、やられたやり返す精神で多くの死者を出した。
しかしそれも遠い昔の話。今では死者を出すような危険な争いは数十年起きていない。それでも関係が冷え切っているのは事実であるため、それぞれの流派が口々に馬鹿にしたり、嘲笑したりするのは日常茶飯事のことだった。
「とにかくもう少し様子を見よう。だが攻める準備は怠るな。何があるか分からんからな。」
龍斬の威圧感はそこにいる羽柴の重鎮達を包み込む。
「はい!」
三人共が背筋をこれでもかと伸ばし、今までとは違う態度で返事をした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太陽が大空の真上で暖かな光を放っている時刻。
国議大聖堂には政府の超重要人物が多く訪れていた。
大門の前には漆黒の車が列をなし、止まっている。門を見張る兵は呆気に取られたように口を半開きにしている。
その頃、幕政館のとある一室は既にいわゆる偉い人物で埋め尽くされていた。
「憂鬱ね••••••••」
小さな呟きは心からの本音だろうか。
桜田 詩織は隅の方で溜息をついている。彼女は目の前の巨大な円卓の席にはつかず、壁に寄りかかっている。席についてしまえば、隣席の人間と話さなければならない。それが非常に面倒なのだ。普段は真面目で冷静、思慮深く博識な女性として新大和帝国の外務大臣を務めているが、彼女も普通の女子であるのは間違いない。嫌なことを出来るだけ避けたいと思うのも無理はないだろう。
そんな彼女の姿を見て、笑いながら近付いてくる女性がいた。
年齢は六十を過ぎているだろう。しかし年を取ったなりの美しさがあり、厳格な雰囲気も兼ね備えている。
「また人間嫌いが出てるよ、詩織。」
「伊茅音さん•••••私、顔に出てましたか?」
「いや、行動に出てるよ。」
「よく分かりましたね。」
「だてに六十何年も生きてないからね。」
詩織の前に歩いてきたのは南田 伊茅音という人物。彼女は政府内で特務大臣という謎のポストに就いている。何故謎なのかというと何をする役職なのかほぼ決まっていないからだ。色々な場所に出張し、政府の息がかかった人間と食事を共にしたり、会談をしたりするのが通常の業務になっている。
また別の顔として女性剣術士の育成を目的とした女流剣術士育成委員会の会長を務めている。詩織にも何度か剣術を手習いしたこともあり、文字通り育成に力を入れている。
「そういえば詩織、亜細亜にはいつ頃行くんだい?」
「一週間後には経つ予定です。」
「あんたも大変だねぇ。本当はもっと早く行く予定だったんだろ?」
「ええ、でもアルプスの問題がありましたから。国内の事案が解決してからでないと外交になど行ってられませんから。」
詩織は外務大臣として亜細亜帝国で会談を予定していた。それも数日前のことだ。しかし突如として勃発したアルプス闘争のせいでその会談も延期になってしまったのだ。
また、なによりも大和国内が不安定だということが亜細亜側に露呈した。
彼等が何か仕掛けてくる可能性もあるため、国外にも十分な注意を払わなければならない。
面倒事が増えるなとまたも溜息をつきたくなる詩織だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ポタポタと静寂の中に雫が落ちる音がリズム良く聞こえてくる。
ここは犯罪者を幽閉する地下牢。剣衛隊が管理している大監獄の最も最深部で並の犯罪を犯した者ではなく、重大な犯罪に手を染めた者だけが収容される特別な場所だ。
「どうだ?悪くないだろう、ここの居心地は。」
漆黒の牢獄の前で桐原 武人は無表情で立っている。彼の放った言葉は目の前の外国人に向けられたものだった。
「俺、どうなる?」
人間とは思えないほどの巨躯。まるで動物園の虎のように獰猛な獣のような危険な雰囲気を漂わせている彼の名前はダンテ モーガン。米国でトップクラスの剣術士として世界でも有名だ。
「米国に帰りたいか?」
「ふ、帰っても惨めなだけだ。」
「そういう感情もあるんだな。」
桐原は意外そうな口調でそう言うと、咳払いをして話を続けた。
「一つ聞く。何故米国は赤石と手を組んだ?」
「知らない。」
「即答だな。」
「知らないものは知らないからな。」
「気にならないのか?」
「ならない。俺、言われたとおりにやるだけだ。」
「そうか。ならばルイス ファルカン•••••この名を聞いたことはあるか?」
「知っていたらどうする?」
「いや、どうもしない。ただそいつの行方について何か知っているかと思ってな。」
ルイス ファルカンは赤石衆の繋ぎ役として大きな役割を果たした米国の軍事管理官であり、大和政府がその動向を徹底マークしていたにも関わらず、行方を見失ってしまった。
「あいつそんな器用な真似できるとは思えない。」
「そうなのか?」
確かに桐原はルイス ファルカンの名を聞いたことがなかった。米国の外交管理官に任命されたと聞いて、誰なのか問い返したぐらいだ。
「あいつ、実力ない。でも取り入るのが上手かった。」
ダンテは苦々しい口調で半ば罵倒に近い言葉を並べた。
「酷い言われようだな。でも、お前がそう言うのならそうなんだろうな。」
桐原はアルプス闘争でダンテとは直接剣を交えなかったが、彼の実力が相当なものであることをよく知っている。
「世間話は終わりにしようか。ルイスの居場所を知らないのなら知らないで別に構わない。あとは•••••••そうだな、何か必要なものはあるか?」
「必要なもの?」
「ああ、ここでは何かと不便だろ?」
「何もいらない。」
「そうか。」
背を向ける桐原。
「また来る。」
「気を付けろ。まだ赤石の反乱、終わっていない。」
ダンテは桐原に忠告をした。それは気まぐれ。特に深い意味もなく、声をかけていた。
桐原はどんな顔をしていただろう。立ち止まった後ろ姿からは何も感じられない。
ダンテは遠ざかるその姿を薄い笑みを浮かべて見つめていた。




