アルプス闘争7
赤石 悟の捕縛完了。
なんとか隙をついた結果の産物。
それは全ての赤石衆の戦意を奪うのには十分だった。
「形勢は不利になったようじゃぞ?」
「はなから期待してないさ。」
周囲の喧騒の中でも尚、新左衛門と亜愚魔は剣を交えている。
暴れ回るような太刀筋で追い詰めようと試みるも新左衛門は何食わぬ顔で全ての攻撃を受け流している。
次元が違う。それが亜愚魔の抱いた感覚だった。
間違いなく自分よりは強い。そんな当たり前に分かっていたことを再確認させられる。 しかしそんな感情の中に強者を求める欲望が潜んでおり、亜愚魔は自らの矛盾する心に苦笑する。
「•••••••やっぱり無理だねぇ。」
「どうした?」
「いや、俺の力はあんたには到底及ばないらしい。まぁ、分かってはいたが。」
深淵が訪れる。
「ようやく来たか。このまま殺されるかと思ったぞ。」
「私も忙しいんですよ?亜愚魔さん。」
次元が歪み、一人の女が姿を現した。
眼鏡を掛けた優等生風の女はちょうど亜愚魔の隣に立っている。まるで魔法のようにどこからともなく現れたことに新左衛門も目を丸くした。
「浅倉 新左衛門。あんたと剣を交えることができたのはラッキーだったよ。剣聖はやっぱ別格だねぇ。でも••••••••今度はどうなるか分からないよ?」
「今度があると思ってるのか?」
新左衛門は居合の構えを取る。
「おっと、いくら剣聖でもツッチーの次元破壊には干渉できないと思うけどねぇ。」
「ツッチーって呼ぶのやめてくれません?」
女は苦言を呈する。
そんなことには目も暮れず、新左衛門が躊躇することなく振り抜いた斬撃は無情にも空をきった。
「ほぉ•••••••••••」
またも深淵が訪れる。
「だから言ったでしょ?無駄だってね。」
「次元破壊•••••••••特殊異能剣技じゃな。」
「これはこれは。さすがは剣聖といったところだねぇ。」
「その若さで特殊異能剣技に目覚めるとは•••••••教団の連中も甘く見てはいられないのぉ。」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。」
綺麗な一礼で感謝の意を述べる女。
土屋 美鈴。彼女は反剣教団の情報収集担当で最年少幹部でもある。
頭脳明晰であり、大和トップクラスの剣術学の秀才。それが彼女の表の顔だ。
「亜愚魔さん、そろそろ戻りますよ。」
「そうだな。早く戻らないと晴嵐にドヤされるな。」
二人の存在が薄まる光景を新左衛門は無言で見つめている。いくら剣聖でも彼等にダメージを与えることは不可能。次元破壊は完全に防御、回避に重点が置かれた異能剣技なのだ。
完全に消失した空間には今はもう何もない。
人の形は存在を消し、何の余韻も残さない。
「これは••••••困ったのォ。」
新左衛門ですら手が出せない究極の移動剣技。それは反剣教団の力が想像以上のものになっていることを表している。
赤石 悟が拘束され、指導者はもういない。
彼等赤石衆の士気はみるみるうちに下がり続け、ある者は膝をつき、ある者は剣を落とす。この戦場の勝敗は決しつつあった。
新左衛門と亜愚魔の戦闘を呆然と眺めていた梨央奈はハッと周りを見渡して言葉を掛ける。
「赤石衆を暴れさせないようしっかりと拘束して。それと赤石 悟の身柄は丁重に扱って。」
そんな指示が飛ぶと時が動き出したかのように部下達はせかせかと言われた通りの行動を起こす。
「おじいさま!何故ここに?」
「おお、優奈。無事じゃったか?」
「は、はい。私は大丈夫ですが•••••••」
「わしがここにいる理由か?それは九条に頼まれたからかのぉ。」
実の孫が心配だったからという理由が半分を占めてはいたが、新左衛門も本人を前に口に出すのはさすがに照れ臭いようでもう半分の理由を前面に押し出す。
「支部長がいらっしゃっているのですか?」
優奈の中では尊敬している九条 奈々は今でも支部長のままなのだろう。それは暗に現支部長である向田 亜斗を認めてはいないということになる。
「ああ、今こちらに向かっておるところじゃろう。」
怪我人の救護や赤石衆の連行など慌ただしく動き回る隊員達を尻目に麗奈は小さな違和感を覚えていた。
それは単純な疑問。
容易すぎるのではないか、というもの。
彼等にとっても新左衛門の参戦は大きな誤算であったと想像できるが、麗奈が見た戦況はあのまま続いていたとしても赤石衆に勝ち目はなかったと思われた。そもそも赤石山脈への入山から見張りの薄さが際立っていた。まるでわざと誘っているかのように。
「何か他に狙いがある?」
「麗奈、どしたの?」
考え込む麗奈に疑問を持ったらしく、メイは覗き込むように尋ねた。
「赤石衆には参謀役はいないのでしょうか?」
唐突で理解不能の言葉にメイは首を傾げる。
「参謀役?」
「ええ、飛騨衆や木曽衆にはトップを支えるための参謀役がいます。でもここにはいない。」
「へぇ、ほんとに一つの国みたいだねぇ。」
「彼等はそう言い張ってますからね。アルプスは大和とは違い、独立した国だと。」
「プライド高そうだねぇ。赤石衆以外もそんな感じなの?」
「そうですね。大なり小なりの差はあるとは思いますけど、ある程度は一致していると思いますよ。」
麗奈はふと疑問を感じた。
飛騨衆と木曽衆がやけに静かなことに。
確かにアルプス連帯の三つの山脈をそれぞれ統治する民族は独立した考えと認識を持ち、今まで動いてきた。他山で起こった反乱についても無関心であることに大きな疑問を待つことはほとんど無い。
しかし今回の場合は国に対しての反乱。加えて戦場が近辺であるということで飛騨、木曽に何かしらの動きがあってもいいのではないかと麗奈は思った。
「何かまだあるのかもしれない••••••••」
そんな当たって欲しくない嫌な予感が心の中で延々と燻り続けていた。
時を同じくして麗奈と似た考えを持つ者が一人。
実質上、この剣衛隊を率いている西木 梨央奈だ。彼女もまた赤石衆の杜撰な動きに何か狙いがあるのではないかと読んでいた。
彼女が麗奈よりも深い部分に達していたのは情報をより多く所持していたからだ。そのなかでも飛騨衆が赤石衆討伐のために力を貸すという書状を出したことに着目していた。
「飛騨からは書状があって木曽からは何もない••••••」
それはどちらの側にもつかないという意思表示なのだろうか。
「木曽に向かうか•••••••」
桐原への連絡は一度下山しなければ不可能であるため、梨央奈が決定した事項がそのまま隊の最終決定となる。
「西木、梨央奈じゃな?」
気付けば深い思考に耽っていたらしく、梨央奈は目の前に佇む老人に気付かなかった。
「浅倉••••••••新左衛門、様?」
先程までの圧倒的な迫力を微塵も感じさせない穏やかな気が辺りを漂う。
「お主と会うのは初めてじゃな。」
梨央奈は慌てて敬礼をする。
「はい!新大和帝国剣衛隊第一部隊隊長を務めています!西木 梨央奈です。」
「その若さで立派なことだ。それで何をそんなに悩んでいたんじゃ?」
「いえ、それは•••••••••」
「何か裏がある•••••そう考えとるのか?」
剣聖を前に隠し事をしても意味がない。それは桐原と接する時と全く同じような感覚だった。
「••••••はい。赤石衆の反乱がこのままでは終わらない気がしてなりません。」
「赤石 悟も馬鹿ではない。何かしらの策を講じている可能性はあるな。」
新左衛門の瞳が鋭く光る。
「いくら米国と手を組んでもそれほどの戦力を割いてくれるとは思えん。それにも拘わらず手を結んだのは双方に利益のある何かがあると見ていい気がするのぉ。」
「双方の利益••••••••」
何かが心の奥で引っかかった。それは曖昧でボヤけていたが、徐々に霧が晴れるようにくっきりと見えてきた。
国と国。同盟。正式な米国の軍事基地。
「そうか••••••赤石はアルプス連帯を正式な独立国家にしようとしているのですね。アルプス連帯が正式に国家として認められれば、大和は干渉できない。そしてそこで米国と同盟を結び、米国の軍事拠点をアルプスに作ろうとしている。」
梨央奈の閃きはそんなにも唐突なことではなかった。
国と国との戦争は重火器や爆弾の使用が不可能になってからは非常に原始化した。はるばる遠方の国へと空路や航路を使用し、その場で斬り合いを始める。そのような移動のストレスによる身体的な疲労が戦いの結果に及ぼす影響は小さくない。だからこそ刀剣革命が起きたあの時から国々は他国の領地に軍事拠点を作り出そうと考えたのだ。他国のなかで折り合いの悪い民族をけしかけ、独立国家を誕生させる。その国と軍事同盟を結ぶことができれば、敵国の腹に穴を開けたようなものだ。
この考えは珍しくなく、現在でも行われている方法だ。
現に新欧州帝国は亜細亜帝国内に存在する小国、アルトリエと同盟を結び、欧州の軍事拠点が亜細亜帝国の内部に存在している。
「まぁ、判断するのはお主じゃ。わしはこれでな。おっと、そういえば桐原じゃが知多半島に向かっておるぞ。米国が艦隊を送っているみたいだからのぉ。」
「知多半島ですか••••••ちょうど挟み撃ちされる位置になりますね。しかし桐原隊長がいるのなら心配はないですね。」
梨央奈の安心感は揺るがないもので、かつ客観的に見ても同意し得るものだった。
桐原 武人の実力はそれほど相手の脅威になることは新左衛門も認めるところだ。
「貴重な情報ありがとうごさいます。」
「それじゃあの。」
新左衛門が立ち去るのを見つめながらこれからの予定を立てる。
やはり木曽へと向かうのが現状では最も有益な手段であると考え、梨央奈は多方向に指示を飛ばし始めた。
愛知の南に突き出した半島は陸上にある程度の防壁が築かれてはいるが、敵の侵入を阻むほどの厳しさはない。
そんな知多半島には現在、数多くの兵隊が海上に目を光らせている。
剣衛隊の中でも選りすぐりの部隊である桐原一派。総隊長、桐原 武人の守備隊との名目で大元帥の二条 宗親が特別に編成した部隊でもあるため、非常に名は知られている。
桐原 武人は七人の剣聖の中で唯一政府直属の剣術士であり、政府内でも最高戦力とも呼ばれている。そのため自然と宗親には特別待遇を受けることもあり、何かと丁重に扱われる場合が多い。
今回の場合に第一部隊隊長の西木 梨央奈に全てを任せる方針は取らず、桐原が動いたのは単純に兵の数が足りなかったからだ。加えて桐原自身も部下に全てを投げて、自らが楽をするような怠惰な性格ではない。彼は国を守らなければならない重責を深く理解している。
「もうそろそろか•••••••」
それはただの勘。しかし絶対的に外れない自信がある剣術士としての勘だ。
それを裏付けるかのように桐原が呟いた瞬間、薄っすらと遠方から迫る船団を確認した。
「総隊長!敵と思しき船団を確認!視認できる数は八隻です!」
「了解した。全兵に伝えろ•••••戦闘準備だ。」
銃弾や爆撃が襲ってくることはないため、ある程度の距離が空いてしまうと気が緩みがちになってしまうが、異能剣技による遠隔攻撃は可能なので隙を見せると一瞬で足元をすくわれてしまう。
どちらがいつ、何を仕掛けるか。
その読み合いがまさに今、繰り広げられている。
米国も検知されている可能性を考えているだろうし、剣衛隊も気付かれている可能性を考慮している。
波の音が静かに鼓膜を震わす。
桐原が指示を出そうとするよりも僅かに早く、米国艦隊から一斉に赤く燃え滾る炎弾が空高々と舞い上がった。それは数秒もしないうちに雨のように陸上に降り注いだ。
「専守部隊!」
桐原の対処は迅速だった。
前方と後方にバランス良く配置していた守備専門の部隊による異能剣技である大防御が発動。広範囲にわたって視認できない重厚な壁が展開される。そのおかげで陸上に降り注いだ炎弾は僅か数個でその他は空中で燃え尽きていく。
「次はこっちの番だな。全部隊一斉に放て!」
桐原の掛け声と共に全兵士が異能剣技、鬼水弾丸を行使する。
この剣技は刀身を液状化し、凄まじい速度で弾丸のように相手に向かっていく遠隔攻撃。水辺での戦闘は最強と謳われる金沢流の異能剣技であり、桐原の部隊はこの金沢流を学んでいる者が多い。特にこの剣技は遥か遠方まで攻撃範囲のため、使い勝手が良く、最高では二キロ先の目標にまで到達したとの記録が残っている。
しかしこの剣技には決定的な弱点がある。
それは刀身が消失するため、一度きりの剣技になってしまうこと。川や沼、海などの豊富な水分が確保できる場所ならば水から刀身を再生し、半永久的に鬼水弾丸を使用できるが、それ以外ならば刀剣のストックを何本も用意しなければならないため、手間が掛かる。
この限定された条件に目を瞑ってでも素晴らしい異能剣技だと桐原は思っている。
今は幸運なことに敵が海上にいるため、永遠に攻撃を続けることができる。
銀の弾丸は次々と船に襲い掛かり、確実に穴を穿つ。水上では逃げ場はなく、防戦一方になるのもやむを得ない。米国がそんな容易な問題に気付かないわけがなかった。
「よっしゃあ!命中しとるぞ!」
誰かがそう叫んだ。
それは自分達が有利であると主観的に考えた結果の発言。
しかしそれは早計で誤りだった。
八隻の船が次々と薄くなり消えていく。
沈没したわけでもなく、魔法のようにスッと消失したのだ。
肉眼ではそこには何もないただの水平線が永遠に広がっているだけだ。
隊員達の動揺はそれなりに激しいものだったが、彼等のトップは冷静に現状を見極めていたために精神的にも安心感は強かった。
「これは次元破壊か?」
桐原の言葉を隊員達は理解できなかった。
いや、知識が不足していたと言った方がいいだろう。
次元破壊は特殊異能剣技であるため、使用できる人間は数少ない。目にする機会など一生に一回あるかないかだ。
「米国に使える人間がいるということか?」
そうなれば今回の戦闘は容易ではないと桐原は自らの心の内の危険レベルを上方修正した。
桐原が米国に次元破壊を使える人間がいると勘違いしてしまったのは仕方のないことだ。しかし事実は異なっていた。
「面倒事は御免なんですが••••••仕方ありませんね。」
遥か遠方に浮かぶ小舟の上には溜息をつく土屋 美鈴の姿。
先程まで南アルプスで危機に陥っていた亜愚魔を救助し、休む暇もなく米国のサポートに回っている。しかしあくまでサポートであり、彼女自身が矢面に立つことはない。はっきり言って、このまま米国側が打ち負かされても美鈴は構わなかった。反剣教団はただ米国の手助けを行ったという明確な事実が欲しいだけで勝敗はどうでもいいのだ。それが一つの新しい手札になれば。
「それにしても晴嵐様も人使いが荒いですね。」
次元破壊はそう何度も多用できる技ではない。もちろん美鈴の実力からして数回使用しただけで二日は寝込む、ようなリスクの高い技でもないのだが、繊細な集中力が必要なため、思った以上に精神が磨り減るのだ。
そんなこともあり、美鈴は亜愚魔に一言言いたい気分だった。
(まぁ、仕方ないか••••••)
働き詰めでそれなりの疲労を溜めているのは確かだった美鈴は早く終わらないかなといつも以上に時間を気にしていた。
次元破壊は人体に関わらず、物質ならば全て飛ばすことができる。飛ばす、とは異なる場所へと移動するという意味だ。
この技は剣技者の実力によって飛ばせる物質の大きさが決まる。
桐原が見たところ、目の前の艦隊ほど巨大な物質を一気に飛ばすのは通常困難である。 それをいとも簡単に移動させたのは剣技者の実力が相当なものだと判断できる。
「気を抜くな!海上に目を向けろ!いつ現れてもおかしくないぞ。」
桐原は腰に携えた太刀を抜く。その太刀の青白い刃紋は敵味方関係なく底冷えするような恐怖心を植え付ける。
静寂。 誰もが息を呑む。
時空が、歪む。
およそ百メートル。その距離は驚異。目の前に広がる暗黒の巨壁は絶望。八隻の艦艇は桐原の予想を超えてあまりにも接近していた。もはや米国の旗印が肉眼でもくっきりと見える距離だった。
「近い••••••!」
誰がそう呟いてから数秒後、米国の艦隊が先程と同様の炎弾が今度は水平方向からそのまま放たれた。
近距離であるが、大防御でなんとか防ぎきる。
しかしその均衡は剣衛隊に不利に働いた。
気付けば敵兵が上陸を開始していたのだ 。 次々と雨のように降りてくる敵兵の姿。
「迎え撃て!」
桐原は隊員達自身が士気の低下を感じる暇を与えないように即座に指令を出す。
もちろん先頭を突っ切るのは桐原自身。
それが隊員の士気を向上させる唯一で最高の方法だ。
凄まじい速度で桐原は相手に斬りかかった。
桐原 武人は剣聖のなかで最も弱い。
国際剣士ランキングを見ても分かることであるが、それ以上に自分自身でも劣等感を抱いている。
彼は天才ではない。天才ではないが、才能はあった。
剣士養成学校では生徒代表に選ばれ、剣衛隊にはトップの成績で入隊した。
順風満帆な人生だった。
しかしある時、それは訪れた。
自らの実力が大したものではないと理解させられた。
どんなに素晴らしい才能を持っていても、どんなに一生懸命努力をしても、全く勝てると思えなかった。
恐怖を覚えるほどの絶対的な力。
それが桐原を除く六人の剣聖だった。
流れるように刀を振るいながら桐原はそんな自らのかつての経験を思い出していた。
(懐かしいな•••••••)
その当時は自分は天才だと心のどこかで思っていたのかもしれない。その自惚れは弱さという重りになり、知らぬうちに自分を痛めつけていたのかもしれない。
しかし、今は違う。
弱さを知った。恐怖を知った。
それが桐原を新たな高みへと押しやった。
「では、行こうか!」
桐原の太刀は心臓のように音を立て始める。その鼓動は広範囲の人間にもはっきりと聞こえるほどに大きなものだった。しかしどういうことか、隊員達は必死に耳を抑えている。
鼓膜を揺らす不気味な鼓動音に敵は警戒を強める。しかしそれは何の意味も成さない。
自らの脳が人体に指令する速度は改変された。敵の動きがスローモーションになる。
幻術系付加型異能剣技、拍動剣。
桐原の得意技で彼の最も多用する剣技。
「人体に指令を下す脳の機能を著しく低下させた。お前達はもう自由に動くことはできない。」
「••••••••な•••••••••に•••••こ••••••••れ••••は•••」
米国兵士は思うように口を動かせないようだ。
「皆の者!敵兵を蹴散らせ!」
「おお••••!!!」
剣衛隊の圧勝に終わったその戦闘は後に知多攻防戦と呼ばれ、桐原の武勇を紹介する一つの歴史となった。
眺めの良い崖の上。
「私です。」
土屋 美鈴は支給された連絡用の携帯から電話をかけた。
「どうだ、そっちは。」
電話に出たのは嗄れ声の老人。
「米国はあっさりと負けてしまいましたよ。」
「ふん、だろうな。桐原がいるんだから。」
「それで私はどうすれば?本来ならこの仕事、凶魔さんの仕事だったはずですけど。」
「愚痴を言うな。凶魔は亜細亜に向かった。」
「ああ、あの件ですね。まぁ、あっちよりはまだマシですね。」
「だろう?まぁ、いい。お前はもう戻ってこい。どうせ米国に加勢はしたんだ。負けたのは相手に桐原がいたから。それで言い訳はつく。」
「了解です。それじゃあ。あ、そうだ、私が帰る前までに何かご褒美買っといて下さいよ?」
「何を言っとる。五秒じゃあ何も買えんわ。」
中央アルプス最上部。木曽衆の大集落。
巨木がバリケードとして何本も倒されている。
見張りは登ってくる者に全神経を集中させている。それは朝も昼も夜もいつだって変わらない。特にこの数日はいつも以上にピリピリとした雰囲気が漂っている。
それは仕方ないことだろう。何故なら地図上で言えばすぐ下に位置する赤石山脈で大和国と赤石衆が戦争を始めたのだから。
「それにしても本当に良かったのですか⁉︎赤石の軍師、桂は知性のある有能な軍略家でありますが、相手は大和••••••国でございますよ⁉︎」
これは木曽衆の軍師、三好 仁の言葉。彼は酷く取り乱し、強い焦りを感じていた。
「仕方がないだろう。赤石衆を木曽山脈に入れないということは間接的にでも大和に味方しているということになるのだぞ?」
「しかし飛騨の者はいち早く大和に味方すると表明しました。それに剣女衆が我が山脈に侵入し、赤石山脈に向かったとの報告が昨日挙がっています。」
「飛騨の奴らはアルプス民族の誇りを忘れている。赤石の奴らは勝手に反乱を企て、自滅していった。どちらかといえば赤石の方に俺は共鳴しているぞ。死んだ親父は正反対だったろうがな。」
男は皮肉な笑みを浮かべる。
アルプス参仙人の一人で木曽山脈の統治者である木曽 春夫だ。彼は父であった木曽 康夫とは比べものにならないほど反政府感情を持っていた。それにはアルプスの歴史が関係している。
アルプス連帯はかつて政府と友好的な関係を結んでおり、参仙人が政府の重要ポストに就くことも珍しいことではなかった。
現に木曽 康夫は三十代で大和政府地方管理局の副局長に就任していた時期もあった。
それはある一つの事件から終わりを迎えた。
当時のアルプス参仙人の一人であった赤石 三郎の処刑。
米国の人間を招き入れ、反乱を企てた容疑だった。
「あの疑惑の事件が全ての始まりですね。」
「そうだ。あれがアルプスの終焉だ。」
寒気を催すほどの静寂。
怒りや悲しみでもない複雑な感情が春夫の中で巻き起こっている。
「とにかく•••••赤石の連中が木曽を介してアルプスを抜けたことは政府には黙っておく。」
「そうですね。下の者にも伝えておきます。」
「よろしく頼む。」
剣士養成学校東支部では稽古に身の入らない生徒達の姿がぽろぽろと見えた。関東地方の多くのメディアは休止しており、街の中はいつもと異なる殺伐とした雰囲気が漂っている。
河瀬 翡翠は教室の窓辺で物思いに耽っていた。
何もできない無力感。
安否が確認できない不安感。
タケルや亜由美は無事だろうか。風邪は引いていないだろうか。
「••••••••何もできない、な。」
窓の向こうには雲ひとつない青空が永遠と思えるほど広がっている。
「翡翠?」
「あ、太郎。どしたの?」
「いや、稽古しないのかなと思って。」
太郎は翡翠の元気がないことを心配していたのだろう。それをわからない翡翠ではなかった。
「ごめん、心配かけたね。よし、ちゃんと稽古しないとタケルに怒られちゃうね。」
「うん。僕らもタケル達と同じ舞台に立てるようにならないとね。」
ちょうどその頃、支部長室では秘密の話し合いが行われていた。
「聞くところによると赤石 悟はもう手に落ちたとのことですが?」
支部長の向田 亜斗は椅子に寄りかかり、リラックスした姿勢で話している。
「そうですね。私もそのように聞いております。」
「ほう•••••差し支えなければ誰からお聞きになったのでしょうか?」
「ご想像の組織の人物とでも言っておきましょうか。」
「それは興味深い。それにしてもこんな場所に堂々と侵入するとは怖いもの知らずですね。」
「こんな時だからですかね。学校内外の見張りが非常に手薄ですよ。」
ほんの十分前にノックもなしにドアが開かれ、一人の男が入室してきた。
彼の纏った雰囲気は亜斗を警戒させるのには十分だったが、それ以上にこんな不法侵入を犯す彼の狙いが何なのかが非常に気になっていた。
亜斗は君の目的は何だと直球で聞いた。
するとその結果、驚きの答えが返ってきた。
私は赤石衆の軍師だと。
「まさかあなたが赤石衆の戦略家だとは。私が政府の人間であることは知っているでしょう?」
「ええ、もちろん。向田 亜斗、東支部の新支部長ですね。」
「では何故こんなところに?捕まりに来たのではないでしょう?」
「交渉をしに来ました。」
「交渉、ですか?」
「はい、交渉です。」
二人の視線がぶつかり合う。
亜斗は内心舌を巻いていた。今まで多くの権力者と話をしてきたが、ここまで全く読めない人間は始めてだった。まるで何か異なる生命体と話しているような違和感が終始拭えない。
「何故私なのでしょうか?」
これはただ単に純粋な疑問。
「それはあなたが政府に忠誠を誓っていないからです。」
亜斗は初めて顔色を変えた。
怒りではなく驚きの表情を浮かべている。
「••••••••何故そう思う?」
「向田 亜斗さん。あなたは政府の命令には絶対に従っていますね。一度も首を横に振ったことはない。この結果、大元帥もあなたに絶大な信頼を置いていることは確かだ。このまま行けば支部長よりも上、もっと高い位のポストが用意されるかもしれない。いや、大元帥になるのも夢ではないかもしれない。」
「何が言いたい?」
怒気を孕んだ声で男を睨む。亜斗の感情の変化を見れば、赤石衆の軍師が亜斗を手玉に取っているのが分かる。彼自身は冷静さを失いかけていることに気付いていないが。
「あなたのその野心。素晴らしいです。西支部の養成学校時代の経験があなたの原点になっているようですね。」
「貴様ぁぁ!!」
机を思い切り叩いて、怒鳴り散らした。しかし相対する男は顔色一つ変えない。
「安心してください。私はあなたに大元帥になって欲しいと思っています。そのお手伝いをわたしにやらせて下さいませんか?」
「手伝い、だと?」
「はい。まずあの二条 宗親は私の計画•••••いや、私達の計画の障害になり得る人間なので消えてもらいたいのです。」
「お前の計画は何だ?」
先程までの怒りの感情はどこへやら、これが男の術中であり、話術の真の力だった。
「私はアルプス連帯を独立国家にしたいと考えております。」
「馬鹿げた話だ。無理に決まっている。」
「今のままではそうでしょう。しかしあなたが大元帥になればそれも可能かと。」
「何年掛かると思っているんだ。」
「ご安心下さい。そこもしっかりと考えています。お聞きになりますか?」
警戒をしていたにも拘らず、知らぬうちに男の話にのめり込んでいることに心の奥で気付きながらも亜斗はこの男の話に乗ってみるのも悪くないかもしれないと首を縦に振った。
それが彼の災厄になるとも知らずに。




