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門下生筆頭!

 夕焼けがすっかりと闇夜の世界へと変貌し、何かわからない虫の鳴き声が月明かりの中で絶えず鳴り響いている。

「おじいさま、よろしいでしょうか。」

「••••••••ああ。」

 優奈は襖越しから若干くぐもった声が聞こえてから、目の前の扉を開く。


 背中を向けている新左衛門。その背中から凄まじい迫力を感じるが、優奈は努めて表情を崩さない。


「どうした?」

重く鈍い声だった。

「はい。彼••••••••鶴来タケル君のことでお話が•••••••」

 優奈は正座をして、背筋をこれでもかというほど伸ばしている。

 優奈が尋ねているのは浅倉流の継承者、そして剣聖である浅倉新左衛門の自室。部外者はもちろん、家族である優奈でさえも出入りすることは稀なことだ。

 そのためか優奈は慣れない重々しい雰囲気に少し緊張気味な表情を浮かべている。


「昼間の少年か?」

「はい。おじいさまは彼を一目見てどう思われましたか?」


 新左衛門は刀を鞘から抜いて、じっと刃紋を観察している。電気を点けていないその部屋には月の薄い光が差し込んでいるだけだ。光を浴びて青く光る刀身は優奈に空を舞う龍の姿を連想させる。



「とても良い眼をしていたな。」

 新左衛門はしばらく黙っていたが、徐に口を開いた。

「尋奈さんに聞いたが、剣術の稽古をつけたらしいな?」


「はい。」

「どうじゃった?」

その質問は彼の剣術の腕についてどう感じたのか、ということだ。

「今までいろいろな門下生を見てきましたが、彼の剣術士としての才能は感じたことのないものでした。」

「そうか•••••••••」

 眺めていた刀を鞘に納めると、部屋が先程よりも薄暗くなった。

「彼は記憶を無くしているようです。しばらくこの屋敷に住んでもらって、剣士養成学校の入学試験を受けさせるべきかと思います。」

 優奈にしては突飛で大胆な計画でここまで積極的になっている孫の姿に新左衛門は純粋に興味を覚えた。

「彼が気に入ったのか?」

「彼の成長を見てみたい•••••••それが私の偽りなき思いです。」

 優奈はそう断言する。

「彼は何歳じゃ?」

「十四歳です。」

「年齢はどうにかなるか•••••••••」

 少しの間、黙考した新左衛門は優奈の瞳を見据えて、微笑みを浮かべる。

「そうだな•••••••お前に任せよう。」

「ありがとうございます。」

 優奈は深々と一礼して、その場を後にした。


 鶴来 タケル。彼の実力は素人と変わらなかった。

 しかし•••••••秘められているその才能は優奈自身が畏怖するほどのものだった。

 それはあの木刀を交えた時に感じたことだった。

 彼は近いうちに想像もできないような剣術士になる。

 その才能を浅倉家から出した時、浅倉の名は大和、いや世界中で有名になるかもしれない。飛躍しすぎな考えかもしれないが、優奈はそれを望んでいた。

 そうすれば亡き父の悲願も達成できるだろう。

 優奈は今から浅倉の将来を想像して、体を震わせていた。





 屋敷のとある一室。

 タケルがこの屋敷でお世話になることが決まったため、優奈が用意したタケル専用の部屋だ。それを告げられた時はタケル自身恐縮しっぱなしだったが、申し出を断っても他に行くところもないため、お言葉に甘えさせてもらったのだ。タケルは数十回にわたり、土下座する勢いで感謝の言葉を述べていたが。


 その部屋には朝の日差しが降り注いでいる。

 布団しか敷かれていない寂しい部屋にも温もりを運ぶ自然の力を感じた。


 きちんと布団を畳んで、部屋の隅に寄せてから昨日食事を摂った和風の部屋に赴くと、テーブルに湯気の立つ食事が用意されていた。昨日と同じ光景だ。

「あ、起きたのね。さ、座って、座って。」

 促されるまま、席に着く。そして促されるまま、食事を摂る。

 なんだか罪悪感が心を染めるほど、何から何までお世話になって、申し訳ない気持ちになった。


「優奈さんは?」

 ふと優奈の姿がないことに疑問を覚えたので聞いてみた。まだ寝ているのだろうか。

「道場で稽古していると思うわ。」

「………こんな朝早くから、ですか?」

 部屋に備え付けられている振り子時計を確認すると、まだ六時になったばかりだ。


「ええ、日課なのよ。もう小さい頃からずっと欠かさず、ね。」

 食べて食べてと促されて、料理を口に運ぶ。

 薄味の京料理風と豪語するだけあってとても上品な味わいが口の中に広がる。


 あの動きはその積み重ねの努力の結晶なのだろう。何を目指して、そこまで頑張っているのだろう。

 無性に聞きたいという欲求をはねのけて、目の前の料理を乱雑にかきこむ。

 少しむせてしまったタケルの姿をあらあらと尋奈は本当の母親のように微笑ましく見つめている。


「優奈は第一道場にいるわ。この屋敷を出て、すぐ右側にある大きな建物がそうだから、迷わずに行けると思うわ。」

「あ、はい!ありがとうございます!」

 朝から屋敷には溌剌とした声が響いていた。



 朝食を食べ終わり、尋奈に言われた通り、屋敷を出た右側の大きな建物?に向かうことにした。

 外に出た瞬間、朝の日差しとそよ風がタケルを包み込み、気持ちを清めてくれる。空気がおいしいと初めて思った。


 屋敷の入り口で止まったままだったタケルは自己の世界から抜け出して、右の建物、第一道場へと足を運んだ。

 昨日稽古をした第三道場とは全く異なり、面積が比べものにならないほど広い。建物も歴史を感じさせるが、ボロいのではなく、一流の神社や寺のような荘厳な雰囲気を醸し出している。道場としては異色と言えるだろうが。


「失礼します………」

 恐る恐るといった感じでタケルは小さくなりながら建物に入ると、十数メートルの天井が広がっており、何百人という剣術士が稽古できるであろう吹き抜けの大空間がそこにはあった。

 その光景に目を奪われつつも、二人の人影を発見したタケルはそのうちの一人が優奈であることはわかったが、もう一人の男性が誰なのかわからなかった。

 剣術用の稽古服の上からでもわかる隆起した筋肉を見ただけでその男性が生物として自分よりも強者だと自然と認識してしまう。薄い赤の髪は尋奈さんの濃い赤髪とは違い柔らかい印象を与えるが、顔はタケルの感覚からすれば強面だと言える。

 あの人は自分の知らない浅倉家の人なのだろうか。疑問に思ったが、それは唐突に解決することになった。

 優奈がいち早く、タケルの存在に気付いたのだ。

「あ、鶴来くん。」


 タケルは一礼して答える。


「朝ご飯は食べたんですか?」

 こちらに近付きながら、優奈は聞いてくるが、その稽古姿は言葉にできない色香を放っている。

 そのため、タケルは少々頬を赤らめてしまう。

 優奈の後ろについている男性のこちらを見る眼光がやけに鋭く感じるのは気のせいだろうか。

「は、はい。お、美味しかった、です。」

 少し俯いているのは、恥ずかしがっているのをバレないようにするためだろう。

 優奈もそういう部分は鈍感のようで全く気にしていないが、そのすぐ後方を歩いている男性には丸わかりだ。

「そうですか、それは良かった。」

 微笑む優奈に見惚れかけたが、後ろの男性がいやに気になってしまう。

 そのタケルのちょっとした仕草に気付いたのか、優奈は男性を紹介してくれた。

「こちらは梶田 博樹さん。浅倉流剣術の門下生筆頭なんです。」


 身の丈百八十センチは余裕で超えるその体がタケルの目の前に覆いかぶさるように視界を塞いだ。

 タケルの身長は百六十四センチであるため、それも仕方ないことだろうが。

「よろしく!」

「よ、よろしくお願いします。」

 出された手の大きさに少しビビりながらもなんとか握手をする。


「門下生、筆頭っていうのは……?」

「えっと………」

「道場に通う人間で一番強いってことだ。」

 優奈が説明するよりも早く、そしてとても簡潔な説明だった。

 

 そして優奈が彼の経歴を説明する。

 説明によると梶田は風林寺財閥の配下にある有名民間企業、武戦組に勤めているらしい。武戦組は民間の護衛隊を政府の要人や会議中の施設の見回りなどに派遣する企業で国内でも一流の護衛企業だと言われている。


「梶田さんが浅倉流で一番ってことですね!」

「門下生ではな。新左衛門様や優奈ちゃんには敵わないからな。」

 タケルは目を見張った。正直優奈がこの梶田さんより強いというのが想像できなかった。

 それくらい明確な体格差がそこには存在した。

「そんなことありませんよ。私よりも梶田さんの方が遥かに力が強いので、刀を受け止められないですし。」

「いやいや、そんなことを言ったら、優奈ちゃんのスピードには俺一切ついていけないよ?」


 二人の交わす言葉に羨望の眼差しを向けていたが、タケルは自分が名乗っていないことに気付き、慌てて自己紹介をした。

「あ、あの……僕は鶴来 タケルって言います。よろしくお願いします!」


 ふと優奈から視線を逸らし、タケルを凝視する梶田。

「そうか………タケルは剣術やってんのか?」

「え?い、いや、昨日初めて体験しました。」

「へぇ~、そうかい。じゃあ、優奈ちゃん俺たちの模擬戦見せてやろうか。」

 その提案はタケルにとっても嬉しいものだった。この人がどれほど強いのか、純粋に知りたいという欲求が沸々と湧き出ていたからだ。

「そう、ですね。何か鶴来くんの勉強になるかもしれませんし……ね。」

 優奈と梶田の二人はお互い距離を取り、向き合った。タケルも壁際に移動して、二人の邪魔にならないようにする。



 沈黙が辺りを支配する。



 備え付けられた特殊な窓から差す日の光がやけに眩しく映えていて、静寂の中で風の音も聞こえている。

 タケルは何故だか緊張していた。それほどの重圧が二人の間には存在しているような気がした。

 言葉を発することも憚れる中、どこかで空き缶が倒れる音がした。


 その瞬間。


 優奈と梶田はほぼ同時に前方へと走り始めた。

 優奈の動きは昨日の動きよりももっと洗練されていた。これが本来の優奈の動きなのだろうか。


 走るというよりも駆る………


 同時に走り始めたが、見るからに優奈の速度が梶田よりも圧倒的に勝っている。気付けばもう梶田の懐に入っていた。

 木刀を下から上へと。その刀身は斬閃を刻む。

 それを梶田は真っ向から受け止める。

 受け止めても微動だにしないその巨躯は先程も言った通り、優奈に勝るパワーを秘めているようだ。

 優奈は梶田の木刀に一瞬のうちに何度も斬撃を叩き込むが、攻撃力が劣っているため、目に見えた効果はない。

 すぐさま梶田の背後に回る優奈。それは梶田ではついていけない速さに思われたが、背中に迫る斬撃を見もせずに木刀を逆手に持って防いだ。

 優奈の表情に若干の動揺が走った。タケルも大きく目を見開き、驚きを隠せない。

 危険を察知した優奈は梶田と距離を取る。

「すごい…ですね。今のを防ぐなんて………」

 言葉の節々に戸惑いの感情が現れている。

「ありがとう。でも今のは危なかった……相変わらずの速さだね。」


 優奈の木刀を握る両手に力が入るのがタケルにはわかった。

 次の瞬間、優奈は走り出す。その姿を梶田は集中した面持ちで凝視している。

 右か左か……正面か背後か……そんな思考が梶田の頭によぎる。


(これは………正面だ!)

 梶田は自分の感覚を信じた。

 肉眼で確認してからでは優奈の動きについていくのは自分では不可能だと理解している。

 ならば、感覚で動きを読むしかないと考えた。


 心眼を鍛えよ。師であった浅倉新造の言葉でもあった。

 

 そんなことを考えながら、優奈から目を離さないでいると、優奈の姿が目の前から忽然と消えた、ような気がした。

(な………き、消えた?)

 周囲を見渡してもいない。その梶田の姿は梶田自身でも無様なものに思えた。

 優奈が天井高く、飛んだことを認識するまでに梶田は一秒近く要した。前後左右しか考えていなかったことが悔やまれた。


 その時間があだとなる。


 優奈は天井を蹴って、梶田に迫る。通常の速度に重力もプラスされて、まるで隕石のような速さで梶田の肉体に斬撃を浴びせた。

 防御が間に合わず、梶田は思いきり吹き飛び、背後の壁に激突した。


 タケルもその威力に言葉が出ない。それよりも梶田の身を案じた。大丈夫なのだろうか。

 優奈の尋常ではない身体能力の高さ。タケルの優奈に対する好意にも似た羨望の眼差しは色濃くなった。


「だ、大丈夫ですか?」

 優奈は急いで、梶田のもとへと向かった。

「あ、ああ。大丈夫、大丈夫。だてに頑丈な体してないからな。」

 

 あの一撃を受けて無傷であるという事実にタケルは驚愕した。自分なら完全に気を失って、最悪の場合、骨が砕けていただろう。

 そう思うほど、凄まじい一撃だった。

「いや~それにしてもさすがだね。あんな上に一瞬で移動するなんて。」

 梶田は参りましたとばかりに脱帽していた。タケルも同じ気持ちだ。しかしタケルにとっては梶田も十分凄かった。


「お二人とも凄いです!優奈さんも昨日とは別人のような動きで驚きました!」

 興奮した様子で話すタケルを少し持て余していた二人だったが、道場入り口から声がかかったの機に意識がそちらに割かれる。

 梶田よりもずっと赤く染まっている髪。

「あ、尋奈さん!お、おはようございます!」

 声が裏返りながらも必死に挨拶をする梶田の姿は誰が見ても、浅倉尋奈に気があるのだとわかる、そんな態度だった。

「あら?梶田くん、おはよう。優奈も一緒ね。二人とも朝ご飯食べてから、稽古は再開しなさい。」

「はい!そうします!ありがとうございます!」

 尋奈のすぐ後を付いていく梶田を呆然と見送っていたタケルであったが、優奈に私たちも行きましょうと言われ、屋敷へと戻ることになった。

 

 

 誰もいなくなった道場の静けさには寂しさが溢れている。

 後ろをふと振り返りながら、タケルはそんな詩的なことを考えていた。








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