アルプス闘争1
聳え立つ山々は圧倒的な自然の脅威を人間に深く自覚させる。
妖しい風が頬を撫で、静けさの中で木々が揺れ動く音だけが虚しく響いていた。
南アルプスの山の麓。
そこには剣衛隊の拠点が築かれ、物々しい雰囲気が漂っている。
学徒兵団を乗せた軍車がその拠点へと到着したのは養成学校を出て、三時間ほどのことだった。
整備されていない険しい難路は生徒たちの体力を奪うのには十分だった。
生い茂る草花や樹木を切り倒し、無理やり広々とした空間を作り出したかのような場所に剣衛隊の拠点は設けられていた。
小さなテントが至る所に設置され、上空からはまるで山の吹き出物のように見えるであろう。
その中でも一際大きなテントがこの拠点の中心地であるのは見るからに明白だった。
車から降りた生徒たちを出迎えたのは軍服の女性。艶やかな茶髪は軍人だとは思えないほど美しく、顔立ちも整っていた。しかし意識せずとも強い眼力の持ち主でその瞳の奥にある燃えるような意志の強さを誰もが感じ取った。
「剣衛隊第一部隊隊長、西木 梨央奈です。」
その女性が敬礼をしながら名乗った。
「学徒兵団第一師団隊長、柊 南天です。この度は宜しくお願いします。」
「では、こちらへ。」
梨央奈は学徒兵団のトップである南天をテントに案内する。
残された生徒や教官は他の剣衛隊員の指示通りに動き始める。
「なんか殺伐としてるね。」
エリーがキョロキョロと辺りを見回している。
「そりゃあそうでしょ。今から戦いが始まるんだから。刺々しい雰囲気になってもおかしくないよね。」
亜由美が欠伸混じりに言った。
緊張感のない態度であったが、不思議とタケルを楽な気持ちにさせる。
日常とまるで変わらないのは本当に凄いと思う。
タケル達が所属する第五師団は南アルプスを東方面に回りこむ別働隊に組み込まれた。
逃げてきた赤石衆を後方に待機して捕らえるという最も安全だと思われる配置場所だった。
その理由としてはやはり選ばれた学生の中でも一番の練度の低さが主な要因だ。
しかし第五師団を率いる陸奥 慶次は喜びを露わにしていた。
「いや〜、良かった、良かった。ここなら戦場になるリスクは低いからね。君達も安全に過ごせるだろう。」
「なんか嬉しそうですね。」
「そりゃあね。危険な場所に配属されたら、死ぬ確率が格段に上がるからね。安全が一番だよ。特に君達学生は。」
一時間ほどの小休憩をしてから別働隊とともに拠点から移動を開始したタケル達は鬱蒼とした森の中をひたすら歩いていた。
日は傾き始め、夕闇が木の葉を紅に照らす。
赤い宝石が実った木々に圧倒される生徒達。
その柔らかな光景はこれから始まるであろう内乱とは全く不釣り合いなほど美しかった。
しばらく歩くと、横手に山道が見えてきた。かなり広々とした道幅であるが、出始めは緩やかな斜面だ。
その上へと続く道のずっと先に赤石衆が暮らす集落が存在する。それを意識するだけで何の変哲もない道が悪魔の道のように思えてくる。
「今日はここで野宿らしい。」
巨木の下で待機していた第五師団の生徒達に慶次が告げた。
別働隊の隊長に話を聞きにいっていたようだ。
支給された簡易テントを悪戦苦闘しながらも張り終えた頃には周囲一帯がもう薄っすらとした青の世界に変わっていた。
その夜は別働隊を真似て、焚き火をつけたまま、見張りを交代制で務めることにした。
タケルも真夜中に一人、暗闇の世界に目を光らせていた。
夜に慌ただしく虫が鳴いている。その音だけがずっとタケルの耳に入ってくる。
全く実感が湧かない。本当にこれから血みどろの戦闘が起きるのだろうかと疑問を感じずにはいられない。それほど何も起こる気がしなかった。
結局はそのまま夜が明けた。
朝。
山の小鳥や正体不明の虫が鳴き声で音色を奏でる。
それが合図になったのか、タケルは目を覚ました。身体中が軋むように痛い。剣衛隊の隊員達はそんな素振りを一切見せることなく、黙々とテントを片付けていく。
出発前に第五師団の全員に黒いマントと紋様が描かれた白い鉢巻が支給された。
「これは僕たちと赤石衆を完全に見分けるための印のようなものだ。マントはともかくとして、鉢巻は身体の何処かに巻いといてくれってさ。」
慶次はそう言うと、別働隊の隊長のもとへと戻っていく。
鉢巻はおそらく身元確認の印だろう。
戦死した際にすぐにわかるように、とのことだろう。
誰もがそれを察しながらも額や腕など思い思いの部位に巻いていく。
タケルもマントで体を覆い、さながら受験生のように鉢巻を額に巻いた。
そのうちにもはや別働隊の面々は山道を登り始めていた。
アルプス民族は決して頭の悪い民族ではない。むしろ頭が良いと言っても差し支えない。
だからこそ人一倍の自尊心を持つ民族となっているのだ。
丸石や倒木が道を狭め、通行を困難にしている。この山道の厄介なところはそれだけではない。
電波遮断地。
赤石衆が仕掛けた小型の装置は広範囲の電波を遮断する。この山道を進む者を孤立させるのが狙いだ。
今、別働隊がいる山道からは拠点に連絡できないということだ。
しかしこの情報は剣衛隊には筒抜けだった。
隊員達は全く焦らずに前進している。予定通りに目的のポイントまで到着するだろう。
徐々に険しくなっていく山道。
落ちている石は人の力では持てないほどの重さだ。
活気のある太陽の下でタケル達は荒々しい大自然の洗礼を受けていた。
日々稽古で鍛えている足腰が悲鳴を上げる。それでも淀みなく進む軍人。彼等の顔には汗が滲んでいるが、苦しい表情は一切見られない。
そこに学生と軍人の大きな差を感じた。同時に向上心も漲ってくる。
タケルは歯を食いしばり、一歩一歩足を前に出す。
精神と肉体の消耗に耐え抜き、やっとのことで学徒兵団の目的地へと到着した。
そこは広く見渡される平坦な場所でタケルには割と過ごしやすい空間に思えた。
慶次が別働隊の隊長と何やら話をして、数分後に小走りで戻ってきた。
別働隊は山道を登り始め、赤石衆が構える集落に出来るだけ近付こうと試みるようだ。
彼等は言うまでもなく別働隊だ。つまり本部隊が今まさに南アルプスの山道を正面から登っているのだろう。
そこが主戦場になるのは明白だ。
そして本部隊には学徒兵団の中で唯一、第一師団が配属されていた。
タケルにはそのことだけが気掛かりだった。
もちろん第一師団には優奈がいる。里奈がいる。不安と恐怖が混じり合った嫌な感情を抱えながらタケルはでかでかと広がる山をじっと見つめていた。
山道を登る別働隊の姿が見えなくなり、第五師団の面々は自分達の少なさに驚いた。
十人。慶次を合わせても十一人。
これで戦力になるのだろうか。
そんな漠然とした不安が舞い込み、冷たい空気が周囲を包む。
それでも黙々とテントの設営をする。丁度良い木陰にテントを張り、辺りを見回す。
おそらくは誰もいないと心の中では理解しているが、それでも不安な気持ちは晴れなかった。
「あれ?そういえば、教官は?」
不意に先輩の女子生徒が気付いた。
「そういえば、いないわね。」
タケルと同じ軍車に乗っていた二年の大富 綾が周囲を見回すが、姿は見えない。
その時、
「お〜い!みんなぁ〜!」
遠方から男の声が聞こえてきた。
その方向を全員が見つめると、慶次が支給された黒マントを包みのようにして何かを入れて引きずっているようだった。
「ねぇねぇ、何やってたの?教官。」
亜由美が好奇心を隠さずに言った。
「これを見てみるかい。」
慶次は引きずっていた黒マントを一瞥してから結び目を解いた。
そこには一頭の鹿が寝転がっていた。
鹿の存在にも驚いたが、何よりこれを運ぶ慶次の腕力にタケルは驚愕した。
「鹿だ!」
「え、本物?」
「すげーでけーな!」
「どうしたんですか?これ。」
各々が驚きの反応を口にする。
「まぁ、狩りをしたわけさ。今日の昼飯にいいだろう?焼けば美味いぞ、鹿肉。」
生徒達は顔を見合わせる。戸惑いの表情が浮かんでいたが、やがてそれも笑顔に変わっていった。
「やったぁ!こんな場所でも肉が食べれるなんて!夢のよう!」
エリーのはしゃぎっぷりは相当のものだった。
慶次は一瞬で先程の暗い雰囲気を消し飛ばした。
かなり斬新な方法だ。
腹が減っては戦はできぬではないが、戦地では尊い肉を用意し、非日常のキャンプのような雰囲気を作り出した。
それは生徒達をリラックスさせるのには十分だった。
程よい緊張感の中で割り当てられた区域を注視する第五師団。
鼻腔を刺激する肉の匂いは自然と彼等の顔を綻ばせた。
雲がいつもよりも近い。
隆起した地面には古代の化石が眠っているのではないかと想像してしまうほど巨大な地層群が目の前に広がっている。
今にも倒れてしまいそうな傾き方をしている巨木、奇形な形の大岩などありとあらゆるものが不自然に映る場所。
そこを歩くのは西木 梨央奈率いる剣衛隊本隊と柊 南天率いる学徒兵団第一師団だ。
彼等はもう赤石衆の集落の目と鼻の先まで迫っていた。
赤石衆の最も低い集落。名前はフラハ。
大和国内でも閉鎖された場所であるため、詳しくは分かっていないが、間違いなく赤石衆が築いた集落がそこにはあるのだ。
小鳥のさえずりがいつもよりも余計に耳に届く。それほど本部隊は集中を高めている。
梨央奈が大きな段差を軽々と登った時、異変は起きた。
遠くでガツンという動音が微かに彼女の鼓膜を揺らした。
同時に腰に携えた軍刀を握る。
周囲の警戒。前方。後方。左右両方。
特に異常はない。ということは•••••••••
「上から何か来るぞ!」
梨央奈が上空を見上げるのと同時に部下の一人が宙に向けて指を差す。
黒い大きな影がこちらに迫ってきていた。
「大岩だぁぁぁぁぁぁぁ!大岩が降ってくるぞぉぉぉぉぉぉぉ!」
赤石衆はこちらの接近に気付いたようだ。
投石機。火薬類が使用できない現在の世界で最も利用価値が高い飛び道具である。
かなりの遠距離からの攻撃も可能にするため、隣国の亜細亜帝国では投石部隊が組織されているほどだ。
太陽を覆うほどまで大岩が接近する。逃げ惑う者が誰一人としていない。
それは恐怖で足が動かなかった訳でもなく、立ち向かおうとしているわけでもなかった。
皆が見ていたのは剣衛隊第一部隊の隊長の背中。
絶対的信頼。
「皆は動かないで!私が行く!」
梨央奈は恐ろしいほどの跳躍力で巨木を飛ぶように登る。
迫り来る隕石のような大岩を見上げながら鞘から軍刀を抜く。美しい波紋が露わになると、そこには将来国を背負って立つ一人の女剣士の姿が現れる。
軍刀を両腕で持ち、突き上げる構えをとる。
「神楽獅子•••••••••••••••砕牙!」
一気に下から上へと斬閃を見舞うと、轟音が鳴り響く。
すると大岩は一気に真っ二つに両断され、激しい突風により押し返された。脆く崩れ去った岩は遥か前方に飛来する。
そして梨央奈は振り向き、軍刀を高々と空に掲げた。
「今の攻撃によって敵の位置は大体把握できたわ!我々の力を赤石に思い知らせよう!」
轟くような歓声が次々と挙がる。
士気が目に見えて上昇したのが理解できた。
次々と降り注ぐ大岩は梨央奈によって一つ残らず木っ端微塵にさせられる。
進軍速度が早まる。
その中でも第一師団の面々は何ら変わらぬ表情で突き進んでいた。
その冷静さは剣衛隊の隊員にも劣らないほどだ。
赤石衆の集落が肉眼でも確認できる距離まで本部隊が迫ると、ピタリと投石攻撃は止んだ。
自然と慎重にならざるを得ない状況だが、梨央奈は迷わずに突き進む。
このまま様子を伺うのは相手の思う壺だろうと考えた。
すると思わぬ方向から敵襲の声がした。
後方。
第一師団が進軍していた付近の木の上から人が飛び出してきた。
赤石衆の襲撃だ。
彼等はこの地域を誰よりも知り尽くしているため、地理の面では剣衛隊には非常に不利である。このような突然の敵が現れることを予知するのは困難だろう。
敵襲に気付いた瞬間、梨央奈は凄まじい速さで真っ先に先頭から最後尾へと駆け抜ける。
しかし結果として全く急ぐ必要はなかった。
数人の敵相手に学兵達は応戦していた。
その戦闘の様子には隊員達も見入ってしまうほどの凄みがあった。
特に四人の精鋭は際立っていた。
一人は整った顔立ちで冷静沈着な少年。
木をも薙ぎ倒すほどの怪力を持つ巨体の少年。
金髪碧眼の快活な米国風の少女。
そして大和撫子の言葉が似合う美しい黒髪の少女。
俗に言う東の四天王。
彼等は敵をすぐに無力化した。
圧倒的な実力は剣衛隊の面々にも衝撃として映っただろう。
「大丈夫でしたか?皆さん。」
梨央奈は怪我人を出さずに鎮圧に成功した学兵達を労う。
「ええ、大丈夫です。心配をおかけしました。」
優奈は頭を下げる。
「ふふふ、ちょろいもんだね。」
メイは余裕の笑みを浮かべている。
凌剣と風間は無表情で木に寄り掛かっており、はたから見ると非常に生意気な様相を呈しているが、先程の戦闘のお陰からか咎める声は聞こえてこない。むしろ近づき難い迫力さえ感じてしまう。
学兵達によって捕らえた赤石衆は黙秘を続けた。
どんな拷問を受けても言葉一つすら発しない。そんな大岩のように固い意志を感じた。
梨央奈も早々に聞き出すことを諦め、数人の部下に捕虜を連れて、下山するように命令を下した。
そして第一師団の一行に向き直り、
「これからも気を付けて下さい。いつ敵が襲ってくるかわからないので。」
「はい。ご忠告ありがとうごさいます。」
代表して南天と優奈が礼を述べる。
「そういえばさ、あの人のさっきの剣技凄かったね。」
梨央奈が先頭に戻りゆく後ろ姿を見ながらメイが呟く。
「ええ、あれほどの大岩を一撃で粉砕して、その上押し戻すというのは凄まじい威力が必要ですからね。」
メイの言葉に優奈が反応した。
確かにあれだけの一撃は養成学校の武道場レベルでは到底見られないものだ。
「剣衛隊第一部隊の隊長で、次期総隊長筆頭格と呼ばれてるんだから、当然のことだろうな。」
「真田っちも剣衛隊になるの?」
「わからん。決めていない。」
「ふぅ〜ん、じゃあ風間っちは?」
「俺も決めてはいない。だが、可能性の一つではある。」
「麗奈は剣衛隊に入るって言ってたよね?」
「私はそう決めています。メイはどうなんですか?」
剣士養成学校東支部の生徒副代表である矢吹 麗奈が問い質す。彼女は先程の敵襲にいち早く気付いた張本人。彼女のお陰で素早く正確な対応が取れたのだ。
「え〜、わかんないなぁ〜。きついのは嫌だからなぁ。優奈っちはどう?」
「私はたとえ望んだとしても、お祖父様に反対されるでしょうね。」
「あ〜••••••••••それはあり得るね。」
そんな話をしつつ、進軍を続ける本部隊は集落に到着した。一度の敵襲の後は何も起こらず拍子抜けした者も多かったろう。
げんに学兵達は周りの小さな変化に多大な集中を注いでいたため、大きな疲労を感じていたのだ。
人の気配は全くない時が止まったかのような集落。
使い古された木製の椅子や机が家の中に散乱していたり、生活感溢れる食器は殆どが割れてしまっている。
井戸も廃れ、水はない。
本部隊を攻撃してきた投石機も存在しない。その点に関しては梨央奈も首を傾げていた。
結果としてここは昨日、今日のうちに使われなくなったわけではないらしい。
集落の調査を終えた頃にはもう日が沈みかけていた。
人の熱を忘却された集落の一角でテントを張る国防軍。
彼等の熱によって集落は色を塗り替えたような小さな活気を取り戻したようだった。
地面に蠢く小さな虫を踏み付けると、一瞬で絶命する。
その死体に氷のように冷たい視線を注いでいる。
小屋と思われる空間に一人の男。
彼は椅子に腰掛けて、ナイフを持つ手を弄んでいる。
薄汚れた天井。埃まみれの机上。まるで何が描いてあるのか分からない絵画。
おおよそ身分の低い者が住むような部屋だ。しかしその人物はアルプス民族である赤石衆の長だ。
虚ろな目は尋常ではない殺気を放っている。
「く、く、く、攻めてきたか。大和の連中が。その独裁ぶり••••••••••相変わらずだなぁ、二条 宗近•••••••••••」
年齢は五十代。それでも軍人のような体つきのため、年齢よりも若く見える。
男はおもむろに立ち上がり、背後にかけられていた絵画に懐から取り出したナイフを思いきり突き刺した。
「待っていろ。貴様の支配するこの国を•••••俺がこの手で、変えてやる••••••••」
吊り上がった口角は般若のようだ。
男の淀んだ感情は月夜の闇に溶けていき、酷く悪寒のする風を呼び寄せた。




