学徒兵団
剣士養成学校東支部は政府に従属であるからして、国益に反する行為を行った者は教師や生徒関係なく、それだけの懲罰が与えられる。
これは新大和帝国政府が自らの強固な権力をより確実なものにするための決まりでもある。
その懲罰が実に数年ぶりに実施されたのだ。
朝日が顔を出し、いつも通りの日常が始まろうとしていた養成学校内は騒然とした空気に包まれていた。
昨日の選抜団発表は祝福と歓喜の渦を巻き起こし、タケルもその渦中に身を投じていた一人だった。しかし今日は打って変わって学内の掲示板には驚愕の文章が書かれていた。
真っ白な紙にプリントされた字はそれを見た誰もを酷く不安な気持ちにさせた。
「支部長•••••••••解雇?」
「•••••••嘘でしょ?」
「これは驚き、ですね•••••••」
タケル、翡翠、太郎の三者三様の反応も致し方ない。それだけの衝撃を生徒達に与えていた。もちろん生徒達だけでなく、教師達にも寝耳に水の話だった。
朝のしばらくの間、稽古が開始されず、皆対応に追われていた。
そしてようやく収まったのは事の真相を知る訪問者がやってきたからだ。
支部長代理として柊 南天教官が選ばれ、彼が訪問者を迎え入れた。そして彼の背後には補佐という形で香織の姿が。
「私が新支部長に任命された向田 亜斗だ。よろしく。」
「よろしくお願いします。支部長代理の柊 南天です。」
南天が頭を下げるのと同時に香織も同様のことをする。辛うじて違和感なく振る舞えている。内心香織は何故自分が支部長代理補佐という仰々しい立ち位置にいるのか、全く理解できなかった。
「ほぉ••••••君が柊の••••••北斗氏の弟ということかな?」
「はい。その通りです。」
南天は氷のような無表情で対応する。どのような人物か計られていることは明らかだったが、その上から目線は南天にとって癪だった。
柊流の現継承者は柊 茂春であるが、次期継承者として名が上がる人物として柊 北斗がいる。南天の兄であり、尚且つ政府内で東都安全管理局の局長を務めている。この役職は唯一政府と剣警局が対話を交えることを可能にする安全保障に置いて非常に重要なポストなのだ。
「なかなか博識そうだ。いやはや私も見習わなくては。」
「いえ、私などただの若輩者です。」
「ははは、それより支部長室は何処かな?」
「ご案内します。大峰教官は後ろの方々を案内して下さい。」
「は、はい。分かりました。皆さん、どうぞこちらへ。」
亜斗が引き連れた政府所属の国議員達は下劣な物を見る目で香織を見ていた。しかし顔色を変えることなく、学内案内を始めるところは流石と言える部分だった。
このような査察は年に数回あるのが通例のはずだが、奈々が支部長に任命されてからは一度もなかった。全て拒否し、安定した運営はなされていると口頭で説明するだけに留まっていた。それほど養成学校と政府との間には溝が出来ていたのだ。
しかし今回の事例で離れていた国との距離が縮まり、政府が望んだように養成学校を都合の良い傀儡にしてしまおうとする思惑が透けて見える。
どうなるのだろうという不安を感じていると香織は国議員の中によく見知った同僚の顔を見つけ、危なく声を上げそうになった。
「どういうことですか⁉︎富山先輩‼︎」
香織は詰め寄る真似はせず、至って普段通りの表情で富山に尋ねたつもりだったが、はたからみれば切迫した様子に見えたことだろう。
「少し落ち着け。」
「わ、私は落ち着いてます、よ?」
香織はムキになって強気な態度を取る。
この時点で教官としての落ち着きは皆無に等しい。
「いいか?支部長は正式に解雇された。理由は簡単なことで、大元帥の方針に従わなかったからだ。」
「方針って••••••何ですか?」
「それはだな••••••••」
言い淀む富山に疑問を覚えた香織だったが、国議員からの質問に答えなければいけなかったため、そこで話は中断された。
「絶対なんかの陰謀だよ。そうに決まってるよ。」
「まあまあ、亜由美、落ち着いて。」
「それにしても何故こんな急なんでしょうね。昨日まではそんな予兆見られなかったのに。」
紅の武道場での一年参、肆組の合同稽古であったが、今や自由時間と化していた。そこかしこでお喋りの花が咲き乱れ、さながらオーケストラのようだった。
タケル、翡翠、太郎、そしてこの三人に新しく加わった亜由美の計四人も同じように話をしていた。もちろん話題は支部長解雇について。
「やっぱり理由を知りたいわ!もう聞いてくるかな!」
「多分教官から話があるよ。だから待とう。ね?」
「むむむ〜!」
亜由美は落ち着かない様子で絶えず動き回っている。そんな彼女を宥めているのは翡翠。この二人はタケルが昨日登校するともう既に仲良さそうにしていた。翡翠はタケルと太郎に亜由美を紹介したが、その三人は対面してすぐに打ち解けた。なぜなら亜由美は相手の心の区域に遠慮なしに入り込む、人見知りとは到底無縁の少女だったからだ。
「支部長解雇ってことは新しい支部長が就任するってことですよね?」
太郎が興味深そうに言った。
「なに?太郎は九条支部長が解雇されて喜んでるわけ?」
苛立ちを隠さない亜由美の刺々しい声に思わず太郎は背筋を伸ばす。
「い、いえ、そんなことは。でも誰かしらが就任するんだろうなと思って•••••••」
「う〜ん••••••誰がなるんだろう。富山教官とか?」
「それは嫌。九条支部長の後が堅物教官なのは嫌。」
「そ、そっか•••••う〜ん、タケルはどう思う?」
「へ?」
「だから誰がなると思う?次の支部長に。」
タケルはう〜んと唸り、
「••••••••柊教官、かな?」
翡翠と太郎は亜由美の反応を確認する。
「まぁ、妥当だよね。」
大賛成とまではいかないが、その線が濃厚だろうと亜由美も考えているようだった。
「でも、教官の中から選ばれるとは限らない、よね?」
タケルの予想外の発言に三人それぞれが思案顔になる。
「外から選ばれるってことですか?」
「まぁ、確かに政府が独断で選ぶからね。政府の息がかかった人にするのが無難かも。」
亜由美は真剣な眼差しで何度も頭を縦に振る。
そんな話をしているとようやく武道場の扉が開き、香織が姿を見せた。朝見たときよりも痩せ細ったように見えるのは香織の疲労が想像以上に溜まっていたからだろう。
「教官!九条支部長は何で解雇なんですか?教えてください!」
誰よりも一目散に香織に近付き、餌を待ちきれない子犬のように絶えず動いている。
「えっと、大元帥様の方針に反対の意を示したため、らしいです。」
「大元帥の方針って何ですか?」
「それは••••••仰ってくれませんでした。」
今にも萎れそうな花のように深い落ち込みようだ。
「新しい支部長に就任する人が来るし、緊急の査察はあるし、ああ、もうやだ!」
少女のような容姿で少女のように泣き言を言う香織の姿は武道場ではより際立っていた。
「誰ですか!」
「え?」
「新支部長って誰ですか!」
掴みかかる勢いで迫る亜由美に香織はたじろいでしまう。
「む、向田 亜斗っていう人で、政府が派遣した人みたい。」
「やっぱり••••••••••」
亜由美が苛々を隠さずに武道場を出て行こうとするのを翡翠は羽交い締めして抑える。
その攻防は一見楽しげなものに見えるが、本人達はいたって真剣だった。
しかし勝敗が決まる前に中断を余儀なくされた。
武道場に姿を現したのは見るからに高級そうなスーツを身に纏った若い男性だった。
整った前髪の下の目つきは悪く、不気味な微笑を浮かべている。
「初めまして、諸君。新支部長の向田 亜斗だ。早速だが、選抜団に選出されている人は本館の大ホールに集まってくれ。」
それだけを言い終えると優雅な礼をして、武道場を去っていった。
「何なの?あれ!生理的に受け付けない!」
亜由美は奥歯が軋むほど力んでいる。
「まあまあ。というか、タケルと亜由美は大ホールに行かないといけないんじゃない?」
「そうだね、亜由美行こう。」
「•••••••うん。」
タケルは落ち込む亜由美を連れて、大ホールに向かった。
一年三、四組の中では五軍の二人。
そして龍魔が一軍として選ばれているためにタケル達と同じく大ホールに向かった。
東京漣会の襲撃事件によって本館大ホールは崩壊。
見るも無残な光景として目に焼き付いている。
しかしあれから一ヶ月も経たないうちに再び建築された大ホールはかつての面影を残した開放感溢れる空間として蘇った。
タケルと亜由美がその大ホールに足を踏み入れると、もはや一軍から四軍の生徒達のほとんどが揃っていた。
もちろんその中には優奈の姿もある。
見ているだけで頬を染めてしまうほど華麗で優雅だった。
気を取り直したところでタケルは気付いた。
どこにいればいいのだろう。
ふと後ろにいた亜由美を見遣るが、まだ復帰するのには時間が掛かりそうだった。
一軍の迫力に圧倒されつつも二人はなんとか壁際に居場所を確保した。
こんなにも広い空間なのにこの重苦しい空気は何だろう。
そんな風に思っていると大ホール入り口から新支部長の向田 亜斗と支部長代理の柊 南天が姿を現した。
その場にいた誰もが遠慮ない視線を向ける。それだけで生徒達の大半が彼に対して良く思っていないことが明白だった。
新支部長は物怖じすることなく、大ホールの正面舞台上に登壇する。
集まった生徒達を一度眺めてから恭しく礼をする。
「君たちにも言ったとおり、私がこの剣士養成学校東支部の新支部長に任命された向田 亜斗だ。どうぞよろしく。」
またも仰々しい礼を重ねる。
「さて、君たちに集まってもらったのは他でもない。君たちがこの国を救う英雄となる機会が訪れたのだ。」
シーンと静まり返る大ホール。
「まぁ、まずはこの国に迫る危機について話そう。君たちはアルプス連帯についてどれほど知っている?」
答えを求めた問い掛けではなかった。
リズム良く話すための一種のパフォーマンスだ。
「アルプス連帯は東京大都市の最西端にある山々を総称したものだ。飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈、この三つの山がアルプス連帯に入る。そしてこの山々にはアルプス民族という自尊心の高い民族が住んでいる。彼らはこの新大和帝国に我々は属していない。我々アルプス民族は誰の統制も受けない。そう言ってアルプス連帯を国の承諾を得ず、独立国家として振る舞うようになった。それが三十年前だ。そして現在、日に日にアルプス民族は国に対して悪感情を増大させている。ついにはアルプス民族の中でさえも温度差ができ、我々は飛騨衆を穏健派、赤石衆を過激派と呼び、区別した。」
長々と話す内容をタケルは吟味する。
アルプス連帯について存在は知っていたが、どんな場所なのかは全く知らなかった。
どうやらその説明を新支部長はしているらしい。
「•••••••••我々が戦うべき相手は、そう、赤石衆である。彼らの反国心はもはや目に余るものがある。つい先日、彼らは米国と接触を図った。」
後半の発言には生徒達からどよめきの声が上がった。
国と国の会談はさほど珍しいことではない。大和は那覇王国と永年同盟を結んでいるし、また数年に一度の割合で遥か北部に位置する氷河の王国に使者を派遣することもある。
逆もまた然りだ。
しかしある国と対立した組織が他国と接触を試みるその意味を理解するのはそう難しいことではない。
反乱。
一人の生徒が前へと躍り出る。
タケルもよく知っている生徒。いや、この生徒を知らない人間はこの学校にはいないだろう。入学試験の時にこの大ホールで生徒で唯一話をした人物。
「君は••••••生徒代表の真田 凌剣だな?」
「はい。お話を中断して申し訳ございません。」
丁寧な口調だが、敬意が全く感じられない。そんな態度をひしひしと感じる。
「いや、構わない。何だ?」
「赤石衆が米国と同盟を結び、大和に内乱を起こそうとしているのはよく分かりました。それで私達はどうすればいいのでしょう。」
暗に早く自分たちを呼び集めた理由を言えと急かす。凌剣はそんな不遜な思いを隠すことなくさらけ出す。
亜斗の方も目くじらを立てることなく、含み笑いを浮かべた。
「そうだな、すまない。話が長かったな。君たちをこの場に呼んだのは他でもない。その近いうちに来たる反乱に向けて、この東支部選抜団の面々を学徒兵団として組織することになった。」
戸惑い、驚愕、恐怖、不安。どんな思いで彼ら生徒達はその言葉を聞いたのだろう。
それは事実上の戦争参加の狼煙。
選抜団の試練の始まり。
タケルはあまりの展開に茫然自失し、亜由美も開いた口が塞がらない様子だ。
何の冗談だと思った生徒も少なくない。
未来の見えない戦火の舞台が手招きしてタケルを呼んでいる。そんな不穏な空気が感じられた。
得体の知れない感情がその場にいた全員の心をどこまでも埋め尽くしていた。




