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再 会

「あ、優奈さん!」

タケルの声は空気に溶け込み、風となって優奈の耳に届いた。

「タケルくん、無事だったようですね。」

「はい、何ともありません。」

「それは良かったです。」

優奈はホッとした表情を浮かべ、胸を撫で下ろす。電話越しの感覚を思い起こされるようでタケル自身落ち着かない。

「それにしても••••••ひどい有り様ですね。」

今はちょうど昼になる時刻。生徒達は全員休みとなっているが、タケルは学校に足を運んでいた。

「そう、ですね。」

「養成学校入学の審査はこれから一掃厳しくなるでしょうね。」

優奈が言っているのは生徒の中に黒幕が潜んでいた今回の事例は入学の手続きに大きな変革を生むということだ。

今まではタケルのような謎の多い経歴でも試験さえ受かれば問題はなかった。しかしこれからはそうも言ってられない状況になっている。政府内でも大幅な改革案が立案されているとも聞く。

「大丈夫ですよ。タケルくんは表面上だけは浅倉流の剣術士ということになっていますから。経歴を追及されることは万が一もありません。」

優奈が慰めたのは自然とタケルが暗い顔をしていたからだ。

タケルにはほとんど記憶がない。

優奈と出会う前の記憶。始まりは海辺だった。そこがタケルのスタートだと思っていた。しかし違う。そんな訳がない。いくら頭を捻っても、今までの記憶がないのだ。唯一覚えているのは蝦夷の山奥が出身地だということ。その情報だけが微かな記憶として頭に残っていた。

それでも何の問題もなく、タケルは日々を過ごしてきた。それほど濃密な毎日を送っていた。

しかし経歴、過去と言われるとやはり困惑してしまう。不安を感じてしまう。自分の存在が何なのかモヤモヤとした霧に包まれるような、そんな感覚が襲ってくるのだ。

タケルは大きく息を吐き出す。

何とか奥深い思考から抜け出し、優奈に大丈夫ですと声を掛ける。

校舎の中では慌ただしい作業が続いている。校舎外にも政府の人間と思しき人間が数人見られる。

その中で奈々や生徒代表である真田 凌剣が話の輪に加わっている。

「タケルくんはこれから何か予定はあるんですか?」

「え?いえ、特には。」

「では、一度浅倉家に戻りませんか?」

「優奈さんは大丈夫なんですか?」

「ええ、真田くんや麗奈さんとは違い、私は予定がないので。」

「じゃあ、久し振りに戻りましょう!」

タケルにとっては嬉々とした提案だったため、行きたくてウズウズしていた。

二人はそれからすぐにバスに飛び乗り、浅倉家へと向かった。



外からでさえも賑やかな声が響いてくる。おそらくは門下生が休憩中なのだろう。二人は気にせず浅倉家の大門をくぐった。約一ヶ月振りに目にした光景は良い意味で変わり映えせず、帰ってきたという安心感をもたらす。

気のせいか敷地に植えられている木々たちも歓迎してくれているかのように枝葉を揺らしている。

「あら?おかえり、二人共。」

尋奈が意外そうな顔でタケルたちを見ている。

「どうしたの?一体。」

口を動かしている時も洗濯物を干す手は全く緩まない。

「いえ、ちょっと用がありまして。お母様、お爺様はどこにおられるのですか?」

何か用事があるというのはタケルには初耳だった。しかしそうでなければわざわざ本家に戻ってくることもないかと心の中で納得する。

「そうね•••お義父様なら自室にいらっしゃると思うけど。」

少し考え込んでから尋奈は告げる。

「そうですか。わかりました。」

優奈はそう言うと、タケルを連れて新左衛門の自室へと向かった。

床一面に綺麗に張られた木板の上を歩きながら、永遠に続くのではないかと思われる廊下の突き当たりにある襖の扉の前まで到着する。優奈は小さく息を吸い、そして吐く。その動作はまるで試合をする前に気合を入れるかのよう。それほど神経を使う相手だと言えるのだろう。

優奈は部屋の中に声を掛ける。

「お爺様、私です。」

一呼吸置いて、重低音の声が篭って聞こえてきた。

「入りなさい。」

緊張した面持ちで入室した二人は重苦しい雰囲気に圧倒されつつあった。優奈も新左衛門には久しく会っていなかったため、押し寄せる異様な圧迫感に戸惑っている。

「久し振りじゃな。」

「お久し振りです。お爺様。」

優奈が深々と一礼する。タケルもそれに倣って頭を下げる。

「わしに何か用か?」

「今回の件では情報を頂いていたにもかかわらず、襲撃を防ぐことが出来ませんでした。申し訳ありませんでした。」

「気にすることはない。お前たち一軍が遠征時を狙うとは誰も思っとらん。ましてやここまで早く行動を起こすとはわしでさえも読めんかった。」

新左衛門が黒いパイプを口に持っていくと、白煙があてもなく宙を漂う。

タケルはその白い煙の奥に見える新左衛門の顔をじっと見ていた。

「わしも堀江 清十郎の確保が出来なかったからな。」

「たしか••••••殺されていた、とか?」

「ああ、あれは身内の犯行だろう。」

「身内とは••••••反剣教団でしょうか?」

「おそらくはな。この襲撃も教団内では成功するとは考えていなかっただろう。」

タケルは新左衛門の発言に強く頷いていた。今回の襲撃はタイミングこそ測れなかったものの、養成学校の敷地内に侵入してからの動きが見るからに散漫だったのだ。だからこそ早くに四方向の侵入口を封鎖することができ、尚且つ襲撃者の捕縛も上手くいった。予想外の強敵の存在を無視すれば、あまりにも計画性がないと言わざるを得ない。

「烏天狗が現れたという話を支部長から聞きました。」

「ああ、わしも政府の者を通じて聞いた。この件にそこまでの大物が絡んでくるとはな。」

「そこまで凄い人物なのですか?」

「わしも直接会ったことはないが、犯罪者の頂点であるS級犯罪者に認定されている国際的にも指名手配されている人物だ。」

タケルにはS級犯罪者がどんなものなのかわからなかったが、優奈の表情を崩すほどの脅威であることは理解した。

その時、尋奈が三つのお茶を盆に置いて持ってきた。

「あ、ありがとうございます。」

尋奈は笑顔をタケルに向けた。幾分か緊張が和らいだ気がした。尋奈が出ていってから思い出したかのように優奈は言った。

「そういえば、剣聖会議の日程は決まったのですか?」

「•••••••ああ。今年は天羅城での開催らしい。」

お茶を旨そうに啜ってから新左衛門は答える。苦々しい顔をしているのはどうしてか。

「お前の方も北支部との試合が決まったと聞いたが?」

「はい、一ヶ月後ですが。」

「そうか•••••久し振りではないか?他支部との試合は。」

「昨年の十月以来です。」

「一軍から五軍まで全ての選抜団が試合をやるのだろう?」

「はい、そうです。」

「ならば、鶴来くん。君にもチャンスがあるのぉ。」

新左衛門は視線をタケルに向けて、鋭く見据えた。いきなりのことでタケルは声が裏返った。

「はいっ?」

「五軍も試合をするということは一ヶ月後までに五軍に入れば、北支部の生徒と対戦できるということだ。」

「タケルくんにもチャンスがある、ということですよ。」

タケルは初めは事態を飲み込めなかったが、徐々に理解していった。

他の地方の強い人と剣を交えることができるチャンス。心の中で興奮の感情が襲ってきた。

「どうすれば!選抜団の五軍に入れるんですか?」

思わず大声になったのを自制しつつ、優奈に目を向ける。

「月に一度ある選抜試合で成績を残せれば可能性はあります。」

「選抜試合、ですか?」

今まで一ヶ月ほど養成学校に通っていたが、聞いたこともない試合の名称だった。

「はい。今月は今回の件で無くなったのですが、来月には確実に開催されますよ。」

タケルの気持ちはもはやその選抜試合にだけ向いていた。はやる気持ちを抑えるので精一杯だった。

優奈はそんなタケルの様子を見て、優しく微笑んでいる。

尋奈が持ってきたお茶はまだ湯気を立てて、仄かな苦味を香らせている。ふとタケルは湯呑みの中を見てみると、綺麗な茶柱が真っ直ぐに立っていた。


新左衛門の自室を後にした優奈とタケルは同じく屋敷の中にいる尋奈としばらく談笑した後、第一道場へと向かった。

近付くにつれて気迫に満ちた声が徐々に二人の耳に届く。

「お!久し振りだな。」

誰よりも早く、そして誰よりも大きな声を発したのは梶田 博樹。

その声に稽古に勤しんでいた他の門下生も次々と視線を向ける。

「お久し振りです。梶田さん。」

優奈が笑顔で応えるのを見て、タケルも一礼する。顔を上げた瞬間、思いがけない人物が視界に入り、思わず声が漏れる。

三月の遠征。その時に相対した野木平 銀平が気怠い雰囲気を醸し出しながら門下生達の輪に入っている。

タケルの反応を見て、梶田が心中を察したかのように説明を始めた。

「今日は俺の職場の連中を連れてきたんだ。最近、空いた時間に道場を訪問して門下生達と合同稽古をすることが多くてな。」

タケルにとっては初耳だった。対人戦闘の実戦スキルを伸ばすためだろうか。

しかしそれ以上に銀平が武戦組に就職していることに驚きを隠せなかった。

「しかし、大変だったみたいだな、タケル。」

梶田が何のことを言っているのかすぐに理解した。それだけタケルの身に振りかかったことは大きなもので、また無関係の人達にも知られていることであれは現実だったのだと心に重くのし掛かる。

「学校はしばらく休みか?」

「は、はい。およそ一週間くらいは。」

「俺の職場でもその話で持ちきりだぞ。」

「全国的に報道されている事件ですからね。それよりもあの•••••」

「ん、何だ?」

「あの人は武戦組に元々いたんですか?」

タケルが恐る恐る指を差した人物を確認して梶田は言った。

「いや、最近入ったんだ。腕は結構なもんだぞ。」

「そうですか•••••••」

「気になるのか?」

「いえ、一度試合をしたことがありまして。」

「ほぉー、あいつと試合したのか?そうか•••••••おーい!野木平!ちょっと来い!」

その呼び声に反応して、ゆっくりと髪を乱雑に掻きながら近寄ってきたのは間違いなく野木平道場の御子息。

「何すか?」

「お前、タケルと試合したそうだな?」

「タケル?誰すか、それ。」

「ん?目の前の少年だよ、知ってるだろ?」

銀平はじっとタケルを見つめるが、ピンとこないようで、首を傾げている。気のせいか頭の上に疑問符が見える。

「あ、あの三月の時にお世話になった鶴来 タケルです。」

タケルは改めて自己紹介し、遠慮がちに頭を下げる。

そこで銀平はこれでもかと言うほど大きく頷いた。ようやく思い出したらしい。

「ああ、思い出した、思い出した。いたなぁ、お前。ここの門下生として来てたんだよな?」

「は、はい。」

尚も銀平はタケルをじっと見つめている。その顔には複雑な心情が見え隠れしているようだ。

「•••••••まぁ、お前と剣を交えて俺も少しは自分のことを考えた。」

心の声が漏れ出たように低く、小さな声で囁いた。すると急にハッとした表情になり、頬が少し赤らいだ。咳払いをして誤魔化している姿は三月の時の印象とはまるで違った。

「う、なんでもねぇ!今のは無しだ!てか、もういいっすよね!梶田さん、早く稽古始めましょうよ。」

誰かが少しずつ更生の道を歩んでいく姿は悪いものではない。その朧げな足跡を見て、感慨に耽り、己の道をしっかりと歩んでいこうと自らに昇華することができる。

タケルも今、そのような心持ちで銀平の背を眺めていた。



いまだ春風が吹き付ける季節。

散歩をする人やベンチで昼寝をする人。過ごしやすい気候の中で東都は日常を刻んでいる。

「着いたか•••••••」

その恵沢の大地に降り立った白人の男性は空を見上げていた。青空の隠れ家である白い雲は所々にしか見られない。

「これが大和か•••••••」

そう呟いて、用意された漆黒の車に乗り込む。エンジン音を響かせて、とある目的地へと向かう。


新たな火種がどこからか芽を出しつつあった。
















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