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真実の結び目

東都には多くの刀剣博物館がある。地域に根付いた博物館を国営資金でまんべんなく建設し、遠方で行けないという悪い印象を改善した結果、刀剣博物館は国民により身近なものになってきている。その背景には国の方針が影響している。博物館に気軽に足を運んでもらい、そこで少なからず剣の道に興味を抱いた若者達に剣術士を志望してもらいたい。それが国の達成したいことだった。

世界一の超大国、新欧州帝国に対して軍事力では到底及ばず、世界二位に甘んじている新大和帝国の軍事的活性化を目指し、日々多くの議論が交わされているなかの一つがこの従軍兵、いわゆる剣衛隊員が減少傾向にあるということだ。

そんななかで密接に関わっているのが剣士養成学校だ。東都にある東支部は最も政府の意向が反映された組織だと言われてきたが、それも今や昔。


煙の塊がまるで学校を持ち上げる気球のような大きさで空高く立ち上っている。

襲撃から数時間が経過したが、いまだに政府の応援はなく、教師と剣警員だけで事態の収束に動いていた。その場で対処していたほぼ全員が政府を当てにはしておらず、準備に時間がかかったと言い訳で乗り切るつもりだなどと言った声さえも聞こえてきた(もちろんそれは剣警員の発言だが)。


彼等とは一線を画した場所。

静寂が辺りを支配して、まるで別次元に飛ばされたような錯覚に陥ってしまう。

本館展示室には三人の人影があった。

外界から遮断された空間ではあるが、唯一耳にした崩落する破壊音の正体は一体何だったのだろう。タケルは至極気になっていた。

しかしそれ以上に気になったのは正面に凛と立ったある人物の存在だ。

大河原 信春。

タケルと翡翠の二人とは同じクラスの同級生で、比較的仲の良い人物だ。剣術の腕も相当なもので、入学試験では全体の四位という優秀な成績を収めた優等生でもある。

彼はタケルを見ているようでどこか別の場所を見据えているような不明瞭な視線を向けている。

「ちょっと!信春、今日何で来なかったの?」

「•••••••来てるじゃないか?」

信春は両手を広げ、アピールする。

「そういうことじゃなくて、何で授業に来なかったのかってことだよ。」

翡翠は軽く責めるような口調で言った。

「ああ、すまない。どうしても外せない用事があったものでね。」

信春は遠くを見るように目を細める。表情には暗い影を堕ちている。

タケルにはその違和感が伝わった。きつく握られた拳が震える。

「そんなこと聞いてる場合じゃなかった!早くシェルターに行こう?」

「シェルター?」

信春は聞き返した。

「そうだよ。皆、そこにいるんだよ。」

「そうか••••••••あそこに、ね。」

黒々しい狂気の笑いが止まらない。

歪んだ邪悪な感情が溢れ出たような顔だった。そこで初めて翡翠も信春の異変に気付いた。

「••••••••ど、どうしたの?」

翡翠が警戒感を露わにした声で言うと、信春はギョッとするほどの冷たく鋭い視線を刺すように向けた。

「貴重な情報だよ。まぁ、可能性としてはそこしかないと思っていたんだけどね。」

「な、何のこと?」

「それは•••••••」

「君は誰?」

信春の発言を遮り、タケルは低く唸るように問う。

「うん?」

「君は大河原 信春•••••••なの?僕の知っている彼とは違うみたいだ。」

タケルの隣では不安に満ちた表情で翡翠が事の成り行きを見つめている。

「くくく•••••••君たちは僕の何を知っている?何も知らないだろう?」

「この一ヶ月間は三人で行動してたからね。少しは知ってるよ、信春と話している時にこんな感覚になることは今までなかった。だから、君が大河原 信春本人なのか気になったんだ。」

タケルは淡々と言葉を連ねる。

驚くほど鋭敏なタケルの感覚を信春は内心賞賛していた。

自分の真の感情が表に出ていたようだ。今まで抑圧していたどす黒い感情。

「すごいな、タケル。」

一呼吸置いて、

「僕は間違いなく、大河原 信春本人だよ。どちらかというと君たちが知ってるのは、僕の偽りの姿•••••••だね。本当に大変だったよ。ただの学生のふりをするのは。」

大きな溜息をつき、表情を曇らせた。しかしどこか楽しげな雰囲気を感じる。

「な、何を言ってるの?」

「君たちを騙してしまってすまないね。今日の一件•••••いや、今日に限らず、ここ最近の出来事は全て僕の差し金だったのさ。」

自らを誇るように、そして相手を見下したかのような態度。これが信春の本当の姿なのだろう。

翡翠は状況を理解しようとしても理解できず、ただただ困惑していた。その姿を隣で感じながらタケルは落ち着いた様子で信春を強く見据えていた。

不穏な空気が蔓延し、展示室は物音一つしていない。

「僕たちに近付いたのは••••••何のためだったの?」

「誰でもよかったのさ。怪しまれないほどの人間関係を構築できればそれでよかった。だから君たちと友達になったのも本当にただの偶然。運がいいね、君たちも。僕と友達になれたんだから。」

信春の高笑いだけが室内に響き渡る。

タケルも翡翠ほどではないが、現状に戸惑っていた。それでもある程度落ち着いて理解できたのは翡翠の存在が大きかった。彼女の様子は尋常なものではなかったため、逆に冷静な気持ちを保つことができたのだ。

信春は感情の赴くままに言葉を連ね、愉悦に満ちたのか、懐から小瓶を取り出し、琥珀色の液体を口に流し込んでいる。

「どうして、こんなことを?」

「どうして?理由•••••••ね。これでも僕はいち裏組織のトップだからね。他組織や企業との連携が大事なんだ。だからこそ機嫌をとらないといけないこともある。面倒だけど。」

殻になった小瓶を放り投げて、甲高い割れ音が耳に届く。

「つまり、自分のためじゃなく、他の組織のために学校を襲撃したってこと?」

「全面バックアップしてくれるっていうしね。襲撃という名分があれば、保有している鍛刀地を分け与えてもらう契約をしてるんだ。」

そう言い終えると、信春は背後に置かれた硝子ケースを見下ろした。煌びやかな装飾刀はただ金の鈍い光を放ち続けている。

「しかし••••••あまりうまくいってるとは言えないようだね。まぁ、仕方ないか。」

信春は静かに目を細め、突如としてケースの硝子を拳で砕いた。鋭い破片が飛び散り、信春の顔に切り傷が刻まれる。それでも全く動じずにケース内の装飾刀を手に取った。

「知ってたかい?この翔華翔乱は装飾刀でありながら、戦闘用の刀としても使用できるほど硬質な金属で出来ていてね。一回使ってみたかったんだ。」

ゆっくりと鞘から抜き放つと、銀光の刀身が姿を現した。

獲物を見るかのように舌舐めずりをする信春。その姿を見て、タケルはすぐさま木刀を構えた。

「ほう?僕とやるつもりかい?」

「信春がその気なら。」

タケルは震える手をなんとか抑えている。

今すぐにでも逃げ出して、誰かを呼びにいきたい。そんな衝動に駆られたが、翡翠が硬直しているのを見て、その考えを諦めた。

しかし戦っても勝ち目があるとは到底言えない。信春は一年生の中でも相当優秀な部類に入る。そしてタケルは全生徒の中で真ん中。良くても真ん中より少し上。

そんな目に見えた実力差で勝負を挑むのは勇気ではなく無謀である。タケル自身も承知していた。

「そんなに死にたいのかい?」

信春の言葉はタケルには届かなかった。


逃げる?いや、逃げちゃいけない。それじゃあ戦うのか。勝てるのか。相手は真剣を使う。下手をすれば死ぬかもしれない。

自問自答。タケルの心は大きく揺れる。

その時ふと聞き覚えのある男性の声が耳に届いた気がした。


あいつの力になりたいなら、もっと強くなれ。


微かに鼓膜を揺らし、心にスッと入ってくる言葉。この場に不釣り合いな温かさを感じた。タケルは小さく笑った。

「何がおかしい、のかな?」

信春は目敏く顔色を変えて、睨みを効かせた。

「いや、何でもないよ。」

「ふ、それなら••••••」

「僕は君を止める。そしてこの闘争を終わらせる。」

タケルの口調は有無を言わせぬものだった。信春は一瞬たじろいだが、すぐに余裕を取り戻した。

「君の実力は知ってるよ。あの程度でそんな口が叩けるとはね?」

「翡翠下がってて。」

「••••••••••」

「翡翠!」

「え、あ、う、うん。」

翡翠はおぼつかない足取りで扉の前まで下がった。


向かい合う二人の少年。何の合図もなく、二人は前方に駆け出した。空気が遅れてさざ波のように揺れ動く。

真剣と木刀の両刃が激突する。通常の装飾刀であれば、希木の木刀とぶつかり合うだけで折れてしまうのは周知の事実だ。やはり信春が言うように翔華翔乱は凄まじい鋭刃のようだ。刃こぼれすることなく、全くの無傷のようだ。

二人の距離は手を伸ばせば触れ合えるほどの近さだ。二人の視線も火花を散らすようにぶつかり合う。

「少しはやるようだね。でもこの程度かい?」

信春は余裕の表情でタケルを挑発する。

しかしタケルの方はそんな余裕はなく、押し切られる不安しか頭にはなかった。

二人はほぼ同時に後方に飛び去る。先に行動を開始したのはタケルだった。床を思いきり蹴り出し、加速する。すぐさまトップスピードに持っていく。加速度の高さだけなら一流の剣術士にも引けを取らないだろう。

体のバランスを取り、鋭い動きで接近する。床を這うような斬閃を信春の体に叩き込もうとするが、いとも簡単に防がれた。

一瞬で泡となって消えたように頭が真っ白になったが、すぐに二撃目を打ち込む。次は左腹部に向けて。

しかし信春はその攻撃も防ぎ、タケルの腹部に強烈な蹴りをかました。

後方に吹き飛び、壁に激突するタケルの体。一瞬動けないほどの体の痛みが襲った。

「剣術っていうのは、刀剣だけの戦いではない。武術、柔術、剛術••••様々な道術を学ぶことが強さにつながる。」

信春は噛み締めるように呟いた。

砕け散る壁を背にタケルは重い腰を上げ、ゆっくりと立ち上がる。幸いどこの骨も折れていないようだ。

「はぁぁぁぁぁぁ!」

タケルの轟く声。二人の交戦が再開された。

気迫に満ちたタケルの姿を扉近くで立っていた翡翠はしっかりと目に焼き付けていた。

潤った瞳で二人の激しい攻防を見ていたが、その双眸に悲しみと戸惑いの色はもう無かった。代わりに決意の色が感じ取れた。


銀の刃が右から迫る。次は左、そして上、下。気付けば防戦一方になっている状況にタケルは焦りを覚えていた。

それでも信春の斬撃は止まらない。

「そんなものか?少しも楽しめないな。」

信春が攻撃速度を上昇させる。少しずつタケルの体に刻まれていく傷。

「く••••••••••••」

遂に信春が繰り出した一閃に態勢を崩される。崩されたと頭で理解した時にはもう遅かった。

「終わりだぁぁぁぁぁ!」

猛々しく叫び、確実に絶命させる斬撃をタケルに見舞う。

その瞬間、タケルは背後から風を感じた。

頬に優しく触れるような微風。

信春の斬撃はタケルには届かなかった。

「ほう•••••••二対一か。翡翠、君も死ぬつもりかい?」

「••••••••私は友達を助けるだけ。」

震える手で、震える声で懸命に刀を防いでいる。翡翠の勇気ある行動はタケルを絶体絶命の危機から救った。

翡翠自身、この行動を勇気あるものだと思ってはいなかった。タケルが危険だと認識した時にはもう体が自然と動き出していたのだ。

信春は後方に飛び去る。

「少し時間が掛かってるな。急ぐとするか••••••••」

小声で呟き、またも攻勢を掛けにいく。タケルに続いて、翡翠との交戦。翡翠は信春が繰り出す素早い斬撃の数々を懸命に防いで、自らも隙を見つけては攻撃を当てにいっている。

数回のやり合いの後、信春が刀を振り上げた。今までと同じように防御する姿勢に入った翡翠だったが、その刻まれた斬撃は翡翠の持つ木刀を真っ二つにして、彼女の体に大きな傷をつくった。鮮血が舞い、信春の顔に斑点のような赤い滴が飛び散る。

翡翠はそのまま仰向けに倒れた。展示室の真っ白な天井を何が起こったのか理解できず、呆然とした様子で眺めていたが、次の瞬間、顔を歪ませて、吐血した。

(痛い••••••痛い•••••••私、死ぬ?)

視界が少しずつ霞んできたのと同時に思考さえもぼやけてきたようだ。

体に力が入らない。体の震えが止まらない。翡翠は死という感覚を生まれて初めて意識した。

「翡翠!」

タケルは即座に翡翠のもとに駆けつけて、自らの服を破り、出来るだけの止血を試みる。

こめかみから汗を垂らし、血まみれの手を動かしながらの懸命な作業の結果、なんとか血を抑えることには成功した。それでも予断を許さない状況であるのには変わりはない。

そんなタケルの姿をつまらなそうに信春は見ていた。

「ふぅ、終わったかい?」

憮然とした表情で翔華翔乱の刀身にべっとりと付着した赤い血をハンカチで拭う。

タケルは意識を失い、ぐったりとした翡翠を危害が及ばない場所まで運び、信春の正面まで戻ってきた。しかし先程よりも鋭く尖った視線で刺すように信春を見つめている。

タケルは木刀を握る手に力を入れ、前方へと勢いよく走り出す。

荒々しい連撃を信春に叩き込む。翡翠の怪我の状況が懸念される中、はやる気持ちがそうさせる。しかし焦りは隙を生み、その隙を信春は見逃さない。

横方向の一閃。タケルの胸から血が吹き出す。目を染めるほどの鮮やかな赤。自らが生物であり、この世に存在するものだと理解させる神の液体。

アドレナリンが出ているのか、まるで痛みを感じていなかった。どうやら心臓にまでは届いておらず、浅い傷のようだった。寸前で体が無意識のうちに回避行動を起こしたのだろう。

大きく見開いた瞳で前方を見ると、ちょうど信春が刀を振り終えたところだった。

タケルは赤い滴の奥に信春の醜く歪んだ顔を捉えた。

態勢を立ち直し、信春の懐に一気に入り込む。タケルの強打が信春の腕をかすめた。信春はギリギリで躱したが、一瞬の不意をつかれた表情は隠し切れていなかった。

そのままタケルは攻勢をかける。優奈との稽古を思い出しながら木刀を振るう。

(••••••こんなもんじゃない!)

徐々にタケルの動きのキレが増し、洗練されていく。気付いた時には信春は防戦一方に追い込まれていた。

信春は予想外の攻撃の数々に混乱していた。

(こいつ•••••••••こんな動きが出来たのか?いや、さっきとは全く違う••••••まさか、今ここで少しずつ強くなってるとでも言うのか?)

目に見える成長というものがこんなに恐ろしく、不気味なものだと初めて感じた。

余裕の表情は見られず、焦りの表情だけが彼の顔に残されていた。


二人の間に距離が開く。


「お、面白い。そろそろ僕も本気で行かせてもらうか!」

室内に響き渡る絶叫とともに、信春は上段の構えを取る。

それは翡翠の木刀を砕き、そして肉体を引き裂いた一撃を繰り出した時と同じ構えだった。

大河原 信春は東京漣会の会長であるが、個人として柊流の門下生でもある。

柊流は大和国内でも一、二を争うほどの規模を持つ超が付くほど有名な流派で、現在は柊 茂春が第十八代目継承者として君臨している。東支部の教師や北支部の生徒副代表、それに政府内の重要ポストにも柊家の人間がついている。その影響力は計り知れないものがある。

信春はそのなかで、基礎から全ての剣術を学んできた。立派な柊流の剣術士と言っても過言ではない。

柊流剣術の特性としては異能剣技の種類の豊富さが挙げられる。

付加型もあれば具現型の異能剣技もある。流派の中でさえ傾向が分かれるほどだ。

そして信春の剣技。

具現型異能剣技、日陰菫ひかげすみれ

刀身の前方に肉眼では確認するのが困難なもう一つの影の刀身を出現させる。

この剣技を使用した状態で繰り出された上段の一撃は通常の攻撃よりも刀身が二つに増加したのを考えて、二倍以上の威力になるのだ。

だからこそ翡翠の木刀を真っ二つに折ることが可能だった。

今、タケルにもその危機が訪れている。

慎重にならざるを得ない状況のため、タケルは動くことができないでいる。翡翠の木刀を意図もたやすく折った瞬間をこの目で見ていたことが結果的に功を奏している。

タケルは翡翠を一瞥して、容態が急変しないか注意している。

「集中しないと僕の一撃は止められないよ?」

信春はそう言って、タケルに向かって走り出す。上段の構えは脇から下がガラ空きになり、隙を生みやすい構えである。しかしタケルは不穏な空気を感じ取り、接近することは憚れた。

信春の一撃がタケルに迫る。タケルは早い段階で一気に後方に飛び去る。床が破砕し、一線の太い亀裂が作り出される。

今度はタケルが木刀を振るう。信春は即座に刀身で防ぐ。独特の金属音が響き渡り、空気を揺らす。目まぐるしく戦況は変化する。

タケルは信春の腹部に蹴りを入れた。すると信春の体は後方へと吹き飛んだ。そして先程の信春とまるっきり同じ言葉を口にする。

「剣術というのは刀剣だけの戦いじゃない。」

タケルは泰然とした様子で立っている。一方信春は眉間に皺を寄せ、苛立ちをなんとか押し殺している。

「僕に蹴りをかますとはいい度胸だ。鶴来 タケル。いいだろう。とっておきを見せてやろう。」

刀を天に高々と向ける。刀の周囲に数本の金色に乱反射する光の長剣が渦を巻くように出現した。

具現型異能剣技、多連朝顔たれんあさがお

空中に自在に浮遊する金の剣を発生させる剣技で柊流でも多くの門下生に好まれている。しかし信春のそれは門下生の中でもいっそう研ぎ澄まされたものだった。

室内を覆う光の射線は床で粉々になっている硝子の破片に反射した結果だ。

それは独創的で尚且つ、神秘的な光景だった。

「これで••••••終わりだ!」

数本の光剣は拡散して、全方位から矢のように鋭い乱撃がタケルに降り注ぐ。

自らの生命を脅かす脅威から必死の形相で逃れようとするが、タケルの移動速度を遥かに上回る速度で光剣は床に突き刺さっては消える。この攻撃は剣技者の意思とは無関係で不規則な技だ。つまりどこに光剣が落ちるのか誰にもわからない。

夢中に光剣を躱しながらタケルはなんとか倒れ伏す翡翠を見た。その眼前まで光剣の落下範囲は広がりつつあった。

すぐさま翡翠の元へ駆けつけようと試みるが、思うように進めない。過度な移動はそれだけ危険を大きくする。

その時だった。展示室唯一の扉が開かれ、タケルも見知った顔が飛び出す。それは信春にも言えることだった。

「な、こりゃあ•••••••一体何が起こってるんだ!」

あまりの眩しさからか、腕で顔を覆う少年。何にしてもタケルにとっては好都合だった。

「八尾くん!翡翠を安全なところに!」

「お、お前は、鶴来?く••••••翡翠って、河瀬のことかよ?」

「すぐ右の方に倒れてるから!」

尚もタケルは光剣を全力で避けている。

「一体何がどうなって••••••••」

突然の状況に八尾は混乱した様子を隠せない。タケルに言われた通り、翡翠の元まで近付いた時、光剣の嵐は突如として収まった。

「ほお、八尾くんだね。」

いきなりのことで困惑した表情を見せる八尾。彼は信春と同じクラスではあったが、目の前の人物の雰囲気が八尾の知る大河原 信春とは似ても似つかなかったため、得体の知れない何者かに話しかけられたと感じていた。

それを敏感に察した信春は不敵に笑った。

「僕のことがわからないかい?大河原 信春だよ。君と同じクラスの。」

「お、大河原だと。まさか、お前が?」

案の定、八尾はその事実に目を剥いた。しかし次の言葉はそれ以上の驚愕に満ちていた。

「その通り。僕が大河原だよ。そして君が崇拝する人の上司でもある。」

「な••••••••お、お前が。」

あわあわと口を半開きにして、呆然と立ち尽くす。そんな八尾の姿を嘲笑うかのように見つめる信春。

「で、でまかせを言うな!」

「堀江 清十郎。」

その一言で八尾の顔が血の気を失うのがわかった。相当なショックを受けているようだ。

「な••••••••何故、その名を?」

声を震わしながら八尾は問う。もはや目の前の人物はクラスメイトではなく、八尾にとって不気味な恐怖の対象に変わり果てていた。

「だから言ってるでしょ?上司だって。いや、同志と言った方がいいかな?」

「堀江様と同志だと?」

「うん。僕と同じく彼はこの養成学校襲撃を計画した一人なんだ。」

様々な感情が混じり合い、複雑で高度な思考が八尾の頭を支配していた。

堀江 清十郎は八尾にとって特別な存在だった。

剣客連合会の堀江 清十郎。それは表の顔として清十郎が利用していたもの。

剣客連合会は剣術士の人口増加、または技術向上を目的とした非政府組織であり、主に民間人の勧誘がメインとなっている。

その中の会員の一人として八尾は清十郎に出会った。もちろん八尾も勧誘され、入会した身。彼は丹波流の剣術を大和国中に広めたかった。それが入会の理由だ。

その会で出会ったのが堀江 清十郎だったのだ。人を惹きつけるカリスマ性。八尾はすぐにそれを感じ取り、これまで友好な関係を築いてきた。それは八尾だけではない。剣客連合会の面々は汚染されるように清十郎に依存していた。

しかしそれも今、揺らいでいる。

「君は堀江 清十郎を崇拝している。彼のすることに間違いがあるだろうか?」

ニヤッとほくそ笑み、言葉を続ける。

「そこでどうだろう。目の前の男を一緒に殺してはくれないだろうか?」

あまりにも突飛で、理解不能な話の内容に八尾は頭を抱えてしまう。

しかし少し悩むような表情が見て取れるほど清十郎に対する心酔の度合いは強いようだ。

タケルは訳がわからず、ただ視線を彷徨わせていた。

少しの沈黙。

「断る。俺は人殺しはしない。」

「清十郎はするよ。」

「それでも俺は、しない。今まで人を傷付けたりは何回もした。でも人を殺めたことはない!そしてこれからもそれはない!」

「それが君の答えかい?」

「ああ。」

八尾はまるで清十郎との決別が滲み出たような頷きを返す。

何も知らないタケルにもその八尾の姿はひどく目に焼き付いた。

「そうか。残念だが、その答えは不正解だね。」

淡々と言い切り、信春がまたも刀を上空へと掲げる。思わず後退りするほどの眩い閃光。しかしその光は発散せず、収束した。

「貴様ぁ。」

鬼のような形相で刀で防御大勢をとっているのは信春。そして攻勢を掛けたのは鶴来 タケル。二人はいつの間にか刃を交えていた。

「もう好き勝手やらせない!」

あの閃光の中で信春に正確に接近したことに驚きを隠せなかった。間違いなく視覚は機能していなかったはずなのに。

「八尾くん!翡翠を連れていって!」

「く••••••あ、ああ。任せとけ。」

閃光は八尾の視覚を奪ったが、時間が経つにつれて、徐々に白の光景が薄れて、完全に元の視界に戻った。八尾は入り口の壁付近にいた翡翠をそっと抱え上げた。そこで初めて翡翠の大怪我に気付く。止血されてはいるが、危険な状態だ。

「こ、これは。酷いな。」

そう呟くと猛烈な速さで展示室を出て行った。

「本当に運が良い奴だ。」

「え?」

「君だよ。タケル。」

「ぼ、僕?」

「本当ならもっと早くに殺せると踏んでいたんだが、多くの邪魔が入ってしまった。それもこれも君の運の良さだろ?」

なるほどとタケルは素直に感じた。確かにそう考えるとそう思えてくる。

翡翠の参戦、八尾の偶然の登場。全てが決まっていたかのようで、しかしそれは誰にもわからない。運命とは結果論だ。

こんな状況ながらタケルの頭は冷静に思考が脱線していた。

「違うよ。」

タケルは自分でも分からずに呟いていた。

「何だと?」

「君の言ってることは違う。」

否定。タケルの意思とは独立した未知の感情。

「何が違う?褒めてやってるんだぞ。君は運が良い、とな。」

信春は大袈裟に賞賛する態度を取る。

「僕の運が良いんじゃなくて、君には僕を倒すことが出来ないんだ。だから僕はここに立っている。その結果が全てだよ。」

その発言は信春の感情を逆撫でするには十分過ぎた。聞いたことのない怒声で絶叫する。

「じゃあ今殺してやるよ!」

信春は一直線に突っ込んでくる。

タケルは動じずに静観している。

信春の剣術は遥かにタケルのそれを超えている。それは誰が見ても明白なことだ。

勝負が長引けば長引くほどに有利になるのは信春だ。現状もそれは変わらない。

それでも今のタケルの姿にはその事実を覆すような言葉では言い表せない安心感があった。

信春の刀がタケルの右胸に向かって迫る。

渾身の突き。信春持ち前の一ミリもズレない正確性。これが当たれば確実に絶命する。

そんな一撃がタケルを仕留めようとした瞬間、タケルの体が信春の視界から消えたのだ。

戦慄が走り、信春は周囲を見渡すが、タケルの姿はどこにもない。そう思いきや、

「ここだよ。」

タケルの声が信春の鼓膜を揺らした。それは驚くべきことに前方から聞こえた。

前を向き直すとタケルは先程と全く同じように立っていた。凛とした表情で。

一つ大きな違いがあったのはタケルの左胸を狙ったはずの突きが肩をかするだけに留まっていたことだ。

タケルは少しだけ右に移動しただけだったのだ。それなのに消えたと錯覚した。いや、錯覚させられた。

信春は自分を恥じながらも最後まで理解しなかった。タケルが見えなくなった理由を。

タケルの肩から血が流れ、一本の細川を作り、指から湧き水のように滴り落ちる。

そんなことを気にもせずにタケルは左手で信春の刀を握る手をがっしりと掴む。

「これで逃げられない。」

「こ、こいつ。くそが!」

荒々しく手を振りほどこうとするが、タケルの手はびくともせず、固定されたままだ。

「これが•••••••僕の全力!」

タケルが右手に持っていた木刀は反時計回りの小さな気流を纏い始めた。

竜丸に教えてもらった初めての異能剣技。

力を込めた一撃を思い切り振り抜く。

下から突き上げるように上へ。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!昇竜閃!」

具現型異能剣技、昇竜閃。

床から身を切り裂くような鋭い気流が発生する。

「な•••••••••••」

拡大した上昇気流は信春を軽々と持ち上げ、凄い勢いで天井に激突させた。

その部分は瓦礫を散乱させて崩れ落ちる。埃や砂が舞い、視界を悪化させる。

信春は天井に当たる寸前にもはや気を失っていた。突然の幕切れに一番驚いたのは信春自身だろう。

何もなかったように静寂が訪れる。


崩落した天井の穴からは上階の人工的な光が差し込む。蛍光灯の光だろうか。

その光に普段感じない暖かさをタケルは感じた。









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