堀江 清十郎とは
人が死んでもその人が住んでいた場所は変わらない。命は輪廻。生死を繰り返しても生きる場所は変わらない。木々があって、水があって、風が吹く。
この浅倉家はそんな悟りの心情を抱かせるような不思議な場所である。
いつものように梶田を筆頭に門下生たちが道場で汗を流し、浅倉 尋奈は洗濯物を干している。そんな日常の時間が流れている。
いつもと違うことといえば、今日は浅倉家に来客があることだろう。
新左衛門の部屋。二人の男が向かい合って座っている。一人はもちろん浅倉 新左衛門。剣聖の一人で浅倉流の十四代目継承者だ。
そしてもう一人は姿勢を正し、正座をしてい中年の男性。年に似合わない若々しい隆起した筋肉はこの人物の強さを示している。
「いいのか、喜一郎。直接屋敷に来てしまって。」
「はい、正式にお邪魔させていただいていますので大丈夫です。政府内で怪しまれることはありません。」
「正式?どんな理由じゃ?」
「これをお渡しに来ました。」
喜一郎が懐から出したのは一通の茶封筒。
新左衛門はそれを受け取り、中身を確認した。
「これは剣聖会議開催の知らせ、か?」
「はい。」
「前に会った時は郵送すると言っていたような気がするが、何故わざわざお前がこれを?」
「それは••••••」
喜一郎の表情の変化を瞬時に感じ取ったのか、新左衛門は手を前に出し、言葉を遮る。
「いや、お前のことだ。何かわしに直接知らせたい情報があるのだろう。無粋な真似だったな、すまん。」
軽く頭を下げる新左衛門に慌てて喜一郎が手を振る。
「いえ、大丈夫です。しかし新左衛門様の言う通り、耳に入れてほしい情報がありまして。」
「そうか、早速聞こう。」
双方共に真剣な表情に変貌した。
「はい。実は前回も話した件なんですが。」
「裏組織、東京••••••漣会についてだったか?」
東京漣会は裏組織の一つで喜一郎の調べによると装飾刀の翔華翔乱を狙っている節があるとのことだったが、どうも目的は別にあるらしい。
「つまり、翔華翔乱を奪おうとしているのはミスリードだったと?」
「はい、独自に動いている東一族の情報網を利用されたようです。」
東一族の情報収集能力は桁外れに高い。そのためどこで何が起こったか、誰が何をしたかなどはすぐに筒抜けになってしまう。
しかし東京漣会はその能力を逆に利用して、偽りの情報を掴ませたということらしい。
収集能力は高くても、そこには取捨選択の能力は含まれてはいないのだ。
「しかし••••••そんなこと、ただの裏組織に出来るような芸当ではない気がするが。」
喜一郎は大きく頷いた。
「はい。私もそう思いまして、直接調べました。」
驚きの表情を浮かべる新左衛門。何故かというと東一族の族長自らが本腰を据えて調査を行うことは今回のような場合、ほとんどあり得ないことなのだ。それほどこの一件は喜一郎にとって何か引っ掛かるものがあったのだろう。
「やはり裏で手を引いている輩がいるようです。」
「それは?」
喜一郎は少し間を置いて、口を開く。
「反剣教団です。」
新左衛門は内心反剣教団の関与について予想していた。東一族の情報収集能力と均衡するほどの情報秘匿、隠蔽能力を持つ新大和帝国最大の裏組織。構成員についてはいまだに謎が多く、政府が最も警戒し、恐れていると言っても過言ではない。
「何故反剣教団が関与しているとわかった?」
「東京漣会の関係者を捕らえ、尋問したところ気になる名前が挙がりまして。」
喜一郎は折り畳まれた紙を取り出して、新左衛門の目の前に差し出した。
新左衛門は手に取り、書かれている内容に視線を巡らす。
「堀江•••••清十郎?」
そこには名前と顔写真。堀江 清十郎なる人物の履歴が書かれていた。
「この男が関与していると?」
「はい。そして堀江という苗字•••••新左衛門様も引っ掛かりませんか?」
今の若者たちはおそらく知らないであろう。この堀江という苗字がこの国にとって重要な名であることを。
「わしの記憶によると、反剣教団創設者にもそんな苗字があったはずだ。」
「その通りです。堀江 清三郎。まさしく反剣教団の創設者の一人だった男です。そのため政府は彼を危険視し、三十年前に処刑しました。」
「そうか•••••堀江 清十郎はその男の関係者ということか。」
「はい。堀江家の家系を辿ると、清十郎は清三郎のひ孫のようです。確認は取れました。」
剣士養成学校や道場に通っていた経験は皆無で、長い間反剣教団の中だけがこの男のコミュニティだったようだ。今では少しずつ表の世界にも足を向けているようだが。
喜一郎から渡された堀江 清十郎についての報告書には詳細な情報が羅列されており、新左衛門は目の前の男の能力の高さに呆れてしまった。
「ここまで詳しい情報を•••••••さすがは源一郎の息子、だな。」
喜一郎は表情を変えずに軽く頭を下げた。
「この男が東京漣会の裏にいるということか。それでその組織の動きは掴めているのか?
」
「一昨日、そして昨日、剣士養成学校東支部周辺で特別指定犯罪者が取り押さえられました。」
何かを察したような顔つきで新左衛門は聞く。
「相変わらず、政府はこの件に関与しないのか?」
「おそらくは。特別指定犯罪者を拘束したのも剣警局の剣警員のようですから。」
剣聖の鋭い視線にも表情一つ変えずに言葉を返す。
「そうか••••••わし自身この件には無関係ではいられんからな。喜一郎、お前は東京漣会の本部を徹底的に調べて、わかったら連絡してもらえるか?」
「はい。仰せのままに。」
二人が話していると、ふと襖が開き、尋奈が姿を見せた。
「遅くなりましたが、お茶を持ってきました。」
そう言って湯気の立ったお茶をテーブルに置いたのはちょうど午前十一時を回った頃だった。
山紫水明。日に照らされた山が紫に見え、川が清らかに流れる美しい自然の様子。
まさにその四字熟語が似合う場所がある。
ここは誰も知らない集落。正確には地図に明記されていない山村ということだ。なにも珍しいことではないが、そこに不釣り合いなほどの大豪邸がそびえ立っているのは大和の国中探してもこの場所しかないだろう。
その豪勢な屋敷の豪勢な一室。
堀江 清十郎はいつも以上に乱雑にウイスキーをそのままラッパ飲みしていた。
いつもは見せないような憤怒の表情を浮かべ、誰も近寄りがたい印象を与えている。
清十郎がここまで強く感情を表に出しているのには理由があった。現在この屋敷には反剣教団の幹部の数名が集まって、小規模な会議を開いていたのだ。このイライラはその会議から始まったものだった。
「俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ•••••••俺は堀江 清三郎の名が無くても、この反剣教団の幹部になれる••••••」
強く拳を握りしめて、なんとか感情を抑え込む。奥歯が軋むほどの怒りなどそう感じるものではない。しかし清十郎は清三郎のひ孫というだけで組織内で虐げられるのは我慢ならなかった。
実力がないのに、実力以上の地位にいる。
それが組織内での清十郎の評判だった。すると懐の携帯が着信を告げる。気持ちを落ち着けるために深呼吸をしてからら電話に出た。
「俺だ。」
電話相手の話を神妙な顔つきで聞いていた清十郎は次第に顔を歪ませ、唇の口角を吊り上げた。
「••••••そうか、わかった。いや、お前が漣会のトップだ。俺はその補佐役に過ぎないからな、お前の決定は組織全体の決定だ。••••••ああ、二日後、予定通り始めよう。」
そのまま電話を切って、しばらく携帯の画面を凝視していたかと思うと、突如として高らかに笑い出した。
ウイスキーを狂ったように一気に飲み干し、殻になった瓶を床に投げつけた。
無残に広がる瓶の破片。
清十郎はその破片に目も暮れず、部屋の窓辺に立ち、集落を眺める。
「俺を認めさせてやる。」
その呟きは誰にも聞こえることなく、山の中に消えていった。




