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迫る危機、始まりの予感。

各地にある剣士養成学校の支部長は政府によって決められる。現在の西支部の支部長は長い期間務めているが、この役目を負う者はここ最近、入れ替わりが激しいのが実情だ。そのため、東支部の九条 奈々も一年前に就任したばかりでまだ支部長としては新米の部類に入る。それまではただの教師として業務に就いていたが、度々支部長代理を任されることが多くなり、前支部長が退任してすぐに新支部長になるようにとの要請が政府から届いたのだ。



その日も養成学校ではちょうど三時限目が始まる時刻だった。タケルたちがちょうど汗を流している頃だ。

奈々は剣士養成学校本館三階の支部長室にいた。普段、外出していない時はだいたいこの部屋にいることが多いのだ。教師は職員室が本館の一階にあるが、支部長は教師とは違い、直接政府に所属しているため、扱いが天と地との差だ。一国の長と同じようにこの区画の中では誰よりも偉いと言える。

そんな長である支部長の部屋は種々の本や太刀で溢れているが、不思議と窮屈な感じはない。開かれた窓からの涼やかな風が開放感を演出しているようだ。

そんな心地良い風を台無しにするような悪風を運んできた一本の電話に奈々は顔を顰めていた。

「やはりな•••••」

警備を剣警局に頼んだのは昨日の一件の後すぐだった。

そのため期間を開けてくるだろうと予測していたが、まだ見ぬ不穏な組織はすぐにでも剣士養成学校に何かしらの行動を仕掛けたいようだ。


目的は何なのだろうか。


昨日の一件から考えているが、政府の誰かしらが関わっていると見て間違いなさそうだという結論に至った。

そうでないと特別指定犯罪者を施設から脱走させることなど不可能だと言える。しかも剣警局からの連絡から一人ではなく、数人が施設から消えているということになる。

これはいくらなんでもおかしい。しかし政府からの連絡は一切ない。支部長たる奈々は剣士養成学校のトップであり、尚且つ政府内でもある程度の地位にいる人物だ。そのくらいの報告を受けても何ら不思議はないのだが、何故だか何の連絡もないのだ。

このことが奈々の政府不信に拍車を掛けるきっかけにもなっていた。

腰掛けていた高価そうな椅子から立ち上がり、窓の外をじっと眺めると、自然と無言で思考の世界に入り込んでしまう。

不思議と吹き込む微風を心地良いと感じることが出来ていた。


奈々は微笑を漏らし、机の上の受話器を取った。


「私だ。至急教師陣を大ホールに集めてくれ。至急に、だ。」

そう言って受話器を置き、壁に立てかけられていた愛刀を手にして、支部長室を出ていった。





タケルはその頃、止まらずの打合いという名の稽古を行っていた。

これはその名の通り、ただ止まらずに打ち合うだけの体力強化のための稽古。非常に泥臭いこの稽古は伝統があり、今から三百年ほど前から剣士養成学校で行われている。

この稽古にもタケルは既に慣れていた。息をほとんど乱さずに制限時間を終えることが出来るようになっていた。他の生徒たちも同じように軽々と稽古をやってのけるため、スムーズに進んでいた。

そんな中で教官の香織が何かを取り出して、眺めている。携帯電話だ。真剣な目つきで画面を凝視する姿は稽古をしている生徒たちの視線を集めるには十分だった。

「み、皆さん!先生は緊急招集がかかったので、ここを離れます。自由に稽古してて下さい。三時限目が終わったら、武道場から出ていいです。それまでは出ちゃ駄目ですよ。」

未だに慣れないのか、若干のたどたどしさは抜け切れていない。それでも懸命さが伝わるだけマシということか。

香織は小走りで武道場を後にした。

その背中が見えなくなったのと同時に至る所から話の花が咲き誇った。話題はもちろん緊急招集のこと。この年代の少年少女は有る事無い事妄想するのが好きなため、仕方のないことだろう。タケルだけはポカンとした表情を浮かべていたが。


「タケル、緊急招集何だと思う?」

後ろを振り向くと信春が立っていた。タケルはそう聞かれて、初めて頭を働かせて考えた。そしてすぐに一つの思い当たる節を頭の中から見つけた。昨日から今日にかけてずっとタケルの頭にあったこと。しかしこれは支部長に言ってはいけないと釘を刺された話だ。いくら友達である信春であったとしても話すことはできない。

「う〜ん•••••何だろうね。想像もできないよ。」

タケルは首を捻り、わからないという仕草をする。

「大変なことにならないといいけどね。」

いつの間にか翡翠もすぐ隣に立っていて、困惑した表情で武道場の出入り口を見つめていた。今まで経験の無い教師たちの緊急招集で一年肆組の生徒たちほとんどの表情には不安の色が見て取れた。


結局のところ、三時限目は教官無しの実習という形になった。

教師たちの間で何が話し合われたのか、タケルは非常に気になっていたが、知る術がない。生徒の不安を不必要に煽るようなことはしないはずであるから、この話題について香織に聞いても黙秘されるのは目に見えている。

タケルは武道場から一人で外に出た。するとそこへ近付いてくる女性の姿が目に入った。優奈だった。久し振りの再会。数週間振りに顔を合わせて、タケルは若干の緊張を感じていた。

タケルが挨拶する前に優奈は口を開く。

「お久し振りですね、鶴来くん。元気でしたか?」

淀みなく流れるような言葉がタケルの鼓膜を揺らす。落ち着きを感じさせる声。

「は、はい。元気でした。すごく元気でした。」

こちらは声が裏返らないように必死に抑えるので精一杯だ。

「そうですか、それはよかった。今日は用事があって来たんです。」

タケルは用事が無くても来ていいですよと心の中で呟く。もちろん表情は変えずに。

「何かありましたか?」

「はい。鶴来くんに稽古をつけてくれる新しい先生を紹介しようと思いまして。」

「え、先生、ですか?」

いきなりのことでタケルはキョトンとした表情を浮かべてしまう。

「鶴来くんの剣術の腕はみるみる向上しています。それは誰が見ても明らかです。でもこれからこの剣士養成学校でやっていくには一つ、足りないものがある。それがなんだかわかりますか?」

「えっと••••••筋肉?」

「異能剣技です。」

タケルは的外れな回答に頬を赤く染める。

優奈は気にすることなく、話を続ける。

「異能剣技を使わない剣術流派は世界的に見ても、ほとんど存在しません。それは異能剣技を用いなければ、異能剣技には勝てないからです。一般的にはそういう認識がなされています。」

「でも、浅倉流は異能剣技を使用しないですよね?」

「はい。浅倉流は特殊な流派だと言えます。剣術固有の技術なら、他流派に勝る部分は多くありますが、全体的に考えたら劣っている、衰退の一途を辿っているのは間違いありません。」

「それは、異能剣技に対する有効打を見出せないということですか?」

浅倉流が優れた剣術流派であることは明白で、国から無形文化遺産に唯一登録されているのは有名な話だ。それでも他流派との比較をしてしまえば、劣っていると言わざるを得ない。そのことを浅倉流の次期継承者から聞くのは胸に響くものがあった。

「異能剣技を凌駕する絶対的な力•••••••それは私の祖父、剣聖である浅倉 新左衛門のレベルになって初めて達する境地だと私は考えています。」

思わぬ優奈の真剣な目つき、口調に引き込まれるようにタケルは彼女の言葉に耳を傾ける。

「本当はタケルくん、あなたを浅倉流の剣術士として大成させようと、私はそんな気概で臨んでいました。でもそれは自分のため、あなたのためではなかった。」

タケルもそれは知っていた。偶然知ってしまったと言うべきか。しかし何の問題もなかった。タケルもそのつもりだったのだから。

「でも今回は鶴来 タケル君。あなたのために。あなたを強くするために異能剣技を学ぶことを私は提案します。」

タケルは優奈から目を離さない。その視線を微動だにせず、優奈は正面から受け止めている。


「•••••••そうですね。もっと強くなれるなら、何でも挑戦したいです。」

急な話だが、タケルがこの提案を拒む理由はなかった。優奈の心情を慮っても、この提案を呑み、より強く、より優れた剣術士になることが恩返しに繋がると今は感じる。

優奈は柔和な笑みを浮かべた。

「異能剣技を指導してくれるのは、私の友人です。」

優奈の視線は道沿いの木々に向けられる。その一本の巨木に静かに寄りかかる少年は赤いバンダナをして、腰に木刀を携えた格好をしている。

「あの人、ですか?」

「ええ。」

眠るように目を瞑って動かないその少年にタケルは恐る恐るといった様子で近付く。それでも動く気配はない。

「あの••••••」

呼び掛けるが、返事はない。本当に寝ているのかもしれない。

「あ、あの•••••!」

今度は大きめな声で鼓膜を揺らしにかかる。すると咄嗟に少年の片目が開いて、ギョロリと目玉がタケルを見据えた。

タケルは少したじろいだが、一度咳払いして立て直す。

「鶴来 タケルです。この度は稽古をつけ••••••••」

「声が小さい!!!!!」

腹の底から吐き出されたような叫び声が空気を大きく揺らす。

タケルは一歩、二歩と後退りしてしまう。

「気合が足りないぞ!浅倉、本当に大丈夫なのか?」

「ええ、大丈夫で•••」

「まぁ、いい。俺が一から鍛え直してやる。俺は剣士養成学校東支部三年の牧場 竜丸たつまるだ。よろしくな。ちなみに選抜団は二軍だ。」

優奈の返事を最後まで聞くことなく、タケルに向かって口を開く。優奈も慣れているのか、気にした様子は見られない。

「はい!よろしくお願いします。」

タケルは大声で言い放ち、丁寧に頭を下げる。

「よし!早速、予定を決めていくぞ。」

「あ、あの!」

自然と手を上げてしまうタケル。

「何だ?」

「どうして稽古をつけてくれるのでしょうか?」

「不満なのか?」

「いえ!そんな!少し気になったもので。」

タケルはまるで軍人のように背筋を伸ばし、直立している。

その姿を見ながら竜丸は顎に手を当て、深い思考に入る。

「理由は••••ない。あえて言うなら、お前は強くなりたいのだろう?ならば先輩としてその手伝いをすることは俺にとっては当たり前のことなのだ。気持ちを強く持っている者には相応な気持ちで応えなければならない。そういうことだ。」

自分で言って自分で納得した様子の竜丸だったが、その言葉はタケルの心にもしっかりと染み渡った。

タケルと竜丸の二人がそのように話をしていると、優奈のもとに二年肆組の教官である大峰 香織が小走りで駆けてきた。

髪を乱しながらも急いだ様子でヒソヒソと伝言を伝える。

「••••••そうですか、わかりました。すぐに向かいます。」

そう言うと、事の成り行きを見守っていたタケルと竜丸の方に視線を向けた。

「牧場くん、鶴来くん。私はちょっとした用事が出来たので、申し訳ないですが、ここで失礼します。」

軽く頭を下げて、優奈はすぐさま本館に向かう。何か良くない、緊急時なのは誰が見ても明らかだった。

「何かあったんでしょうか?」

「あの様子だとそうみたいだな•••••心配か?」

「え?」

タケルは思わず聞き返してしまった。

「浅倉は強い。俺たちが心配してもあまり意味はないぞ。でも•••••あいつの力になりたいなら、強くなれ。もっと強くなれば、きっとあいつの隣、いや、それよりも前へと進んでいけるだろう。」

遠くを見るような目。憂いに満ちた横顔。竜丸は自分に言い聞かせるように言葉を噛み締めているようだ。

そんな姿からタケルは目を離せないでいた。何があったのか、その質問も出来ずにしばらくの間そうしていた。

頬を撫でるような優しい風はいつの間にか止み、タケルのいる場所は何故だか人気のない静寂で溢れていた。





「ほぉ、剣警局に警備を依頼したのか。意外だな。剣士養成学校の支部長は政府直属のはずだが。」

ランプの灯りが揺ら揺らと冷たい空間を照らしている。

「調べでは東支部の支部長、九条 奈々はこれまでも政府に対して背信と言えるような行為をしたことがあるとのことです。」

「思想は反剣教団に似通ったものなのか?」

「そこまではわかりかねます。」

「どう思う?輪花。」

ランプの灯りが届かない薄暗い空間から姿を現したのは剣士養成学校に通っていてもおかしくないほどの少女。

彼女は黙ったまま、質問者の座るソファの真向かいの木椅子に腰を下ろす。

「わからない。」

少女は囁くように小さな声で言った。闇を想像させる漆黒の髪と瞳。まだ幼さの残る顔立ちだが、自然と相手を貫くような視線をする。

その場にいた数人の配下たちはあまりの重圧に汗を浮かべ、唇は乾ききっている。

「そういや、あいつはどこにいる?」

「剣士養成学校内部に。」

「そうか、上手く潜り込んでるみたいだな。」

不敵な笑みを浮かべるその人物はこの場で一番の地位にいる者なのだろう。周りの態度を見れば明らかだ。

それでも気負うことなく、その男に接する人間が一人いた。

「私、いつ、出るの。」

男から輪花と呼ばれていた少女は単語を繋げたような不自由な言語能力だが、そこにはしっかりとした意志が滲み出ていた。

「そう慌てるな。お前の出番は用意されてる。その時は好きなだけ暴れればいい。」

諭すように、且つ頼りにしているという感情を含ませた絶妙な口調。相当な頭のキレを持つ人物と言っていいだろう。少女は何の反応もしない。それを男は承諾の意思表示だと考えた。

そして周りの配下たちに目線を配り、高らかに言った。

「我々は予定通りに事を進めるとしよう。準備は怠るな。」

「はい!」

背筋を伸ばし、胸に手を当てる。配下の者たちの男を見つめる眼には心酔の色が見え隠れしている。

彼等はもう帯刀しており、いつでも戦闘に移行できる。あとは指示を待つだけ。

「•••••••この一週間で全てが終わるだろうな。」

机の上に置いてあるウイスキーのボトルに手に取り、グラスに注ぐ。男は琥珀色の液体を喉に乱暴に流し込む。

男は深い味わいを堪能しながら惨劇の光景を想像し、不気味な笑みを顔に貼り付けていた。
















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