入学試験!!
暖かな日の光が街並みを照らし、それを合図にしたのか、国中の人々が今日一日のスタートラインに立つ。
小鳥のさえずりが安らかな音色として鼓膜を揺らす。
それが目覚まし代わりになったらしく、浅倉家の居候、鶴来 タケルは目を覚ました。
目をこすりながら、大きく伸びをする。
二度寝したい衝動を抑えつつ、布団から体を出した。
体の調子はどこも悪くないようだ。
それを確認してから、布団をいつものように綺麗に畳んで、一気に自室の窓を開け放つ。気持ちの良い風がタケルの眠気を吹き飛ばした。
着替えを済ませて、屋敷のリビングに行くと、もう既に食卓には湯気が立ちこめていた。ご飯、味噌汁、焼き魚、漬物と朝食の定番が並んでいた。タケルの起きたタイミングが絶妙だったらしい。
「おはようございます。」
「あら?おはよう。」
「おはようございます。」
前者が尋奈で後者が優奈だ。
タケルは席について、尋奈が用意した温かいお茶を啜った。
いつも通りの落ち着く苦味。
「いよいよ今日ですね。」
「は、はい。」
「試験は何時からなの?」
「えっと、始まるのが九時で、終わるのは•••••五時近くになるはずです。」
現在、時計の針は午前七時を指している。
「九時に全受験者が集まって、番号を引いて、その番号の時間帯に会場に入るように指示される。私の時はそうだったなぁ。」
思い出すように尋奈の視線は彷徨う。
「今も変わらないですよ。」
優奈が目を瞑りながらお茶を啜る。
「試験で気を付けなければならないことってありますか?」
タケルは気兼ねなく、質問をしてみることにした。
優奈は少し考え込む。彼女にとってはおよそ二年前のことだ。無理もないだろう。
「そうですね•••••正確さよりも速度を重視して臨んだ方がいいとは思います。全ては人形を戦闘不能にするまでの時間で決まりますから。」
通常の人形は人間には不可能な動きを可能にした人造兵器であるが、剣士養成学校の入学試験で使用される人形はそれと異なり、人間の動きに出来るだけ似せた動きをするように開発した低能力の人形である。
だからこそ低予算で量産することが出来るため、二、三百人は容易に超えるほど数多の受験者がいる養成学校の入学試験には持ってこいというわけだ。
タケルは人形について簡単にではあるが、優奈から情報を得ていたので、 何も知らない未知な相手と戦闘するよりもまだ少しは気持ちが楽になった。
朝食を食べ終わると、いつの間にか七時半になっていた。この浅倉家から会場である剣士養成学校東支部はバスで三十分以上かかる。なるべく早めについておきたいことを考えると、ここを八時には出たい。
昨日の夜にほとんど準備は終えたため、タケルは顔を洗ったり、歯を磨いたり、身支度を整えた。
そして時刻は八時近く。
優奈と尋奈からの応援を背に、タケルは浅倉家の大門を出た。
バス停にはいつもより数多くの人で溢れていた。ほとんどがタケルと同い年だ。そして同じ目的でこのバスに乗るのだろう。
その混み合うバスに揺られること約三十分。
到着したその先は剣士養成学校東支部前のバス停。
タケルはバスから降りて、養成学校の入口を見遣ると、受験者と思われる人々がやる気に満ちた顔つきで運命を決める門を潜っていく。
その姿にタケルも気持ちを新たにして、足を踏み出した。
一度優奈と一緒に訪れたため、迷わずに敷地内を進めた。何よりも人の流れに任せれば、目的地まで自動的に辿り着くのだ。
途中の道すがら、黒スーツの男や女が腕を後ろに組みながら受験者に睨みを利かせていた。
彼らは監察官。普段は養成学校の教師として指導を行っているが、試験日に限って、受験者の動向を見張っているらしい。わざと威圧感を放ちながら鋭い視線を浴びせているため、受験者たちの中には見るからに顔を引き攣らせている者もいる。タケルは事前に優奈に注意を受けていたため、その視線に何も感じることなく、不自由せずに歩くことができた。
学校の入口から別館を過ぎた所に白色の建物がある。それが養成学校の本館だ。三階建てで見た目は学校には見えず、どちらかといえば、病院に近い外観をしている。
タケルは迷うことなく入館すると、三階まで吹き抜けで天井が大きなガラス窓になっていた。まるで高級ホテルのような見ているだけでリッチな気分になる。
人の波に同化して、左右から伸びる階段の左側を上り、タケルは二階へと上がった。
奥まで進むと、特別ホールと書かれた大扉が見えてきた。受験者は皆、流れるようにその扉の先に進んでいく。
ここは滅多なことでしか使われない巨大なホール。例えば剣士養成学校東支部入学試験の日だとか。
「広い、な•••••••」
タケルも思わず、呻くように呟いてしまうほど広々とした空間で、二、三百人は容易に収容できる広さであるのは間違いない。
タケルがホールに入った時にはもう多くの受験者で溢れかえっていた。
軽く百五十人は超えるだろう。ホールに備わっている目を見張るほど巨大な時計はまだ八時三十五分を指している。
タケルは周りを見渡すと、中には緊張して震えている者、余裕の表情で口笛を吹く者、無表情で何を考えているかわからない者、少し一瞥するだけで様々な反応が見られた。
「あ、タケル!」
タケルが人間観察に勤しんでいると、聞き覚えのある少女の声が耳に届いた。
突然名前を呼ばれたことに驚いて、声が聞こえた方向ひ振り向く。
「翡翠?」
そこには手を小さく振りながら、嬉しさを爆発させたような微笑みを浮かべた河瀬 翡翠の姿があった。
「ふう、ようやく会えた。ずっと探してたんだ。」
翡翠は大きく息を吐き、疲れたと呟いている。
この雑踏の中で人を探すのは骨が折れそうだとタケルも素直にそう思う。
「でも会社のパーティーと似たようなものだから、自然と予習は出来てたけど。」
食卓時に優奈に聞いたことだが、河瀬グループは大和でも非常に有名な財閥らしく、数多くの子会社を抱え、様々な商業に手を出して、尚且つ成功しているとのことだ。
風林寺財閥や中御門財閥に比べれば、一歩及ばないが、大富豪と言っても過言ではないため、翡翠は生粋のお嬢様である。
「それは財閥が集まるパーティーなの?」
「うん。おじさんばかりだから話が退屈なの。」
その翡翠の辛辣な発言にタケルも思わず苦笑した。
これが翡翠のありのままの姿で、親しい者にしか見せることができない姿だ。
タケルと翡翠がお喋りに興じていると、ホールの前方にある大舞台に一人の男性が登壇した。
その場にいる全受験者が視線を向ける。
その男性はとても若々しく、美青年という言葉が似合う外見で、眼鏡を掛けているので博識な雰囲気も漂わせている。
男性は凛とした表情で左から右へと視線を流す。
誰も言葉を発さず、沈黙が辺りを支配する。誰かの呼吸音が聞こえるほどだ。
すると男性は右手に持っていたマイクを口元まで持っていき、話し始めた。
「受験者の皆さん、遠いところから御足労いただき、誠にありがとうございました。」
慣れたように一礼する。
「今日、皆さんには入学試験を行ってもらいます。当たり前な話ですが、剣士養成学校東支部の入学試験です。お間違えのないように。」
この内容は話さないといけない規定事項なのだろう。言い慣れたように淀みなく言葉にしている。
「まず入学試験の内容ですが、皆さんも知っているであろう人形との試合を行ってもらいます。そして人形を戦闘不能にするまでの時間で入学者を決定したいと考えています。」
ここで始めて、ヒソヒソと話し声が所々から聞こえてくるようになった。
しかし男性は気にせず、説明を続ける。
「試験の内容は非常にシンプルだが、この人数の試験となるとかなりの長時間になります。そこで制限時間も設けることにしました。」
唸るようなどよめきが起こった。
制限時間。
優奈も言っていなかったことだ。試験の時間が無くなれば、次の日に持ち越しになるとは言っていた。
男性の口調から察するに今年から初めて導入された制度のようだ。
単純に時間短縮が目的なのだろう。
「制限時間は五分。その中で勝負を決めてもらいます。決めることができなかった者は自動的に失格となり、その瞬間試験に落ちたものと考えてもらっていいです。」
ホール内の騒がしさはまだ残っている。
マジか、大丈夫かな、五分で倒せるかな、など口々に不安の声が挙がっている。
男性の話はまだ続く。
「今からこの舞台に上がって一人ずつ番号の書いた紙を引いてもらいます。その順に試験を行う。試験会場は数カ所に分かれているため、きちんと確認して下さい。」
受験者は全て合わせてちょうど三百人。
合格できるのは二百人であるため、百人は必ず落ちることになる。
その二百人に入れるかが勝負。
「それでは皆さん一列になって下さい。紙を引いてもらいます。」
言われるがまま、受験者たちは列をなし、舞台上の正方形の箱に手を入れて、小さな紙切れを取っていく。
タケルと翡翠も後列に並んで、自分の順番を待つ。
そしてタケルの番が回ってきた。箱に手を入れて、もう少なくなっている紙の山から一枚を手に取った。
四つ折りの紙を広げると、そこには黒い文字で二百十五番と書かれていた。
すると眼鏡の美青年の隣の生真面目そうな女性が一枚の紙を渡してきた。
番号によって会場が違うため、その案内が明記されているようだ。
一番から五十番までが紅の武道場。
五十一番から百五十番までが群青の武道場。
百五十一番から二百番までが常盤の武道場。
二百一番から二百五十番までが山吹の武道場。
二百五十一番から三百番までが暗黒の武道場。
そう書かれていた。
「僕は、山吹の武道場だ。」
タケルが小さく呟く。
「私は百五十四番だから•••••常盤の武道場だ。」
タケルの後ろに並んでいた翡翠も用紙を確認しながら口を開く。
全受験者の番号が決まったところで、一人の少年が登壇した。
タケルよりも年上なのは間違いないが、教師という感じでもない。
先程の眼鏡の男性と生真面目な女性は舞台の隅によって、それを確認してから少年は舞台中央に移動した。
簡単に一礼して、一歩前へと出る。
「剣士養成学校東支部生徒代表の真田 凌剣です。皆さんと稽古できる日を心待ちにしていますので、入学試験を突破し、この養成学校で素晴らしい剣術を学んでいきましょう。」
一歩下がり、また一礼した。そして降壇する。
おそらく生徒代表からの挨拶として形式的に行われるのだろう。行事としてはお馴染みといったところか。
「今の人、東の四天王の一人だ。」
「翡翠は知ってるの?」
「うん。すごい有名人みたいだよ。実力も東支部でピカイチみたい。」
タケルは降壇して、下で待機している当の本人を一瞥したが、表情が乏しく、何を考えているかわからなかった。
そして程なくして説明が全て終わり、タケルは翡翠とお互い健闘を祈りつつ、会場である山吹の武道場へと移動を開始する。
タケルは本館を出て、道場区画の山吹の武道場を目指す。
建物の外観はほとんど変わらないが、傍らにそびえ立つ一本の長棒の先の旗の色がそれぞれ違う。
紅、群青、常盤、山吹、暗黒の五色の旗がはためいている。
タケルはなんとか山吹色の旗の建物へと辿り着き、屋内に足を踏み入れた。
浅倉家の第一道場よりも広々としており、養成学校本館の大ホールよりは少々せまい空間というのが第一印象だった。
タケルが入った直後、武道場のなかにぞろぞろと人の波が流れていく。
午前九時十八分に五十人全員が揃った。
腕を組んで大股で立っていた男性は受験者が揃ったのを確認した後、マイクなしで大きな声を張り上げた。
「よし、揃ったようだな。俺の名前は富山 登だ。この武道場の試験官だ、よろしく!お前らは二百一番から二百五十番の受験者のはずだ!間違ってる奴はいないか?」
その言葉に受験者たちは周りを見回す。しかし誰も名乗りを挙げない。
「うむ。それなら早速始めるぞ。二百一番から二百十番はここに残れ。後は自由行動だが、自分の順番を忘れるな?自分の番になったら呼ばれるわけじゃないからな、その順番にいないと失格になるぞ。」
それは後半の番号になるにつれて、面倒になる仕組みになっているということだ。
一人がどれ程の時間で終わるのか、予想するのは困難であるため、事実上この武道場で出番まで待たなければならないからだ。
タケルは二百十五番のため、かなり前半の方であるため、待ち時間はたいしたことはない。
武道場は上方にギャラリーが設置してあるため、待ち時間はそこで過ごす。
タケルも階段を上り、手すりに体重をかけながら、試験開始を待つことにした。
ふと中央を見遣ると、ピクリともしない人間がうずくまっている。
「あれが•••••••人形?」
よく見ると、その人間からは生気が感じられない。しかし目を疑うほど、人間と全く変わらない見た目だった。
人形の精巧さにタケルが驚いていると、
「それでは二百一番、前へ!」
試験官の富山が手持ちの資料を見ながら言った。
「は、はい!」
声が裏返り、緊張した面持ちの少年が前に進み出た。
それと同時に人形と起き上がる。
富山は少年に木刀を手渡す。試験を受ける者は皆、同じ木刀を使用することになっている。
「よし、では••••••始め!」
試験官の笛の合図とともに戦闘が始まる。
少年は真っ直ぐに人形に向かって突き進む。受験者としては合格点の速さだ。
人形は木刀を構えて、仁王立ちしている。
彼は人形の目の前まで迫り、木刀を一閃させるが、容易に阻まれてしまう。
その動きは人間と何も変わらず、滑らかなものだ。
相手の一撃を受け止めた人形は一転、攻撃に入る。その凄まじい連続攻撃に少年は防ぐだけで精一杯のようだ。
ギャラリーにいる他の受験者たちもその様子を固唾を呑んで見守っている。人形の動きが予想以上のもので焦りを覚えている者も中にはいた。
結果的に受験番号二百一番の少年は四分二十秒で人形を戦闘不能に落とした。
「うわ•••••結構ギリギリだな。」
「つーか、人形の動き速くね?」
「俺、マジで無理かも。」
各々が不安な気持ちを吐露している。
「次、二百二番!」
「はい!」
試験は淀みなく、進んでいく。
ほとんどが苦戦しながらも四分台、速い人で三分台で人形を戦闘不能にしていく。
そしてこの山吹の武道場全体の空気が変わったのは受験番号二百十一番が人形との戦闘を開始した時だった。
目つきが鋭く、気の強そうな少女。
思わず見入ってしまったその動きは強烈な印象を周囲に与えた。
そして何よりも彼女の異能剣技は確実に人形を戦闘不能に追い込んだ。
刀身に水を纏わせて、硬化させる技。
具現型異能剣技 水流硬化を使用した付加型異能剣技、強水剣。
記録は二十秒。
驚愕な記録。誰もが息を呑むような。
受験者たちと同じように呆然とした表情を浮かべていた富山は一度咳をしてから、試験を再開した。
興奮が収まらないなかで、次の受験者が人形と戦闘を行う。しかし前の受験者の力量を見て、動揺したのか、思ったような結果が出せずにため息をつきながら戻っていく。
それが何度か続き、ついに次がタケルの出番。ギャラリーから降りて、既に準備は完了。
深呼吸をして、気持ちを整える。
「次は•••••二百十五番!」
「は、はい。」
木刀を手渡され、立ち位置につく。
ここでタケルは初めて気付いた。ギャラリーから見られることがこんなにも恥ずかしいことなのかと。
試験官の笛が鳴り響く。それが戦闘の合図。
タケルは優奈との稽古さながらの速さで人形に駆け出す。
(考えすぎちゃダメだ••••!)
必死に木刀を振るうが、人形に全ての攻撃を受け止められる。人形も攻勢モードに入ったのか、素早い動きでタケル目掛けて、斬撃の応酬を浴びせる。
一進一退の攻防が多くの観衆の前で繰り広げられる。
呆気にとられるほどの動きではないが、目を離せないほどの集中が伝わってくる。
何分経ったのかはタケルに知る術はない。それは終わるまで時間を測っている試験官にしかわからないことだ。それでもまだ五分は経っていないようだ。五分を過ぎてしまえば、試験官が強制的に戦闘を止めるからだ。
勝負に出たタケルは渾身の一撃を左から右へ斬閃する。人形はその一撃を受け止めたが、今までよりも凄まじい威力で身体のバランスが崩れた。
その一瞬の隙に人形の懐に入り込み、下から上へと木刀を振り抜き、顎を打ち抜く。
下から突き上げられる強力な一撃。
人形はそのまま宙を舞い、後方に吹き飛んだ。
「戦闘不能。停止モードに移行します。」
人形の無感情な声が耳に届く。
なんとかタケルは五分以内に人形を戦闘不能に持ち込むことができた。
時間が液晶スクリーンに表示される。
記録 三分三秒。
それを見て、タケルは悔しげな表情を浮かべる。目標が二分台で戦闘不能にすることだったため、非常に惜しい結果となった。
しかし三分台ならば毎年合格ラインを十分超えている記録だと優奈に聞いていたので、心の中では小さくガッツポーズをしている。
タケルは一礼して、その場を離れる。
試験を終えれば、そのまま他の受験者を見るのも良し、他の武道場の試験を見るのも良し、帰宅するのも良し、いわゆる自由ということだ。
タケルはそそくさと常盤の武道場へ向かった。翡翠は試験を終えて、他の受験者の剣術を見ていた。
翡翠の結果は三分十五秒。十分合格可能なラインだ。
「ふぅ•••••なんとか三分台が出た。」
翡翠は緊張が解けたように一度大きく息を吐いた。
「そうだね。このまま何もなければ、十分合格ラインだ。」
二人はそれから長い間、健闘を讃えあった。
それから二日後、様々な媒体を通じて、入学試験の結果が発表された。
一位 十三番 羽柴 龍魔 記録八秒。
二位 二百十一番 成瀬 鈴菜 記録二十秒。
三位 三百番 今川 輝元 記録四十秒。
四位 百二十二番 大河原 信春 記録五十五秒。
五位 百四十五番 林 亜由美 記録一分五秒。
上位五人は番号と名前、そして記録が明示される。
他の合格者たちは単純に合格か不合格かの通知を受け取るだけだ。
タケルは恐る恐る、届いた用紙に目を通す。優奈はその間も変わらずにお茶を啜っていたが、横目でチラチラとタケルの反応を覗く視線を隠し切れていない。
そして途轍もない絶叫がこだまする。
その日の夜、浅倉家で豪勢な料理が振舞われたのは言わずともわかるだろう。




