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お嬢様のお買い物

小遠征から帰ってきてから二日後の朝。

驚くほど澄んだ青空が地球の天井として人々を見下ろしている。

昨日の予報外れの大雨は何だったのだろうか。嘘のような暑さで身体中から汗が噴き出してくる。

タケルの体も昨日は節々に激痛を感じ、一日中起きられなかったため、昨日は天気など気にしなかったが。

二日目の朝になると、体の疲れもスッキリと取れて、自分が若いことを自覚する。

「ふぅ〜、気持ちいい•••••」

タケルは自室の窓を開け放ち、心地よい風を浴びながら大きく伸びをした。

ゆらゆらと揺れ動く木々たちも不思議と気持ち良さそうだった。


浅倉家での生活にもやっと慣れてきて、尋奈や優奈にも気軽に話しかけることができるようになった。つい二週間ほど前は話すだけで緊張していた。そんな自分が嘘のように思えてくるほど、慣れというものは心を楽にするようだ。


風を頬に感じつつ布団を丁寧に畳んで、タケルは部屋を出た。

廊下を歩き始めた瞬間に優奈とばったり出くわした。

「あ、おはようこざいます。」

「おはようございます。」

タケルは優奈の姿を思わずまじまじと見つめてしまった。

いつもは華やかな和服を召しているが、今日はいつもと趣向が異なる白いワンピース姿だった。タケルはその姿に何故だかウェディングドレスを想像してしまい、心の中で自分に喝を入れた。

「とてもお似合いです。」

こういう時に何と言えば正解なのかわからず、殊更普通の言葉で賞賛した。そんな自分に落ち込んでしまう。

しかし、優奈はいつもの笑顔でありがとうと言い、タケルの心を少し楽にしてくれる。

「もう体調はよろしいんですか?」

優奈もタケルのことは心配だったらしく、気遣わしげな表情で尋ねる。

「はい。一日休めば、もう完璧です!」

「それは良かったです。でも無理はしないで下さいね。」

「はい。それで今日は何処かにお出掛けですか?」

いつもと異なる服装の真意が知りたくて、タケルは質問した。

「はい。お買い物に行こうと思いまして。」


「そ、そうですか。気を付けて下さいね。」

タケルの内心としては行きたいという気持ちが少々渦巻いていたが、そんなことはおくびにも出さなかった。



すると、耳を疑うような爆弾発言が優奈の口から飛び出た。


「良かったら、鶴来くんも一緒に行きますか?」


「え?」

タケルは思わず、間の抜けた声を出してしまった。顔も阿呆のようだったろう。


「一人で行くのも寂しいですから。」

「で、でも僕が居たら、じゃ、邪魔じゃないですか?」

「そんなことありませんよ。色々と一緒に選んで下さい。」

色々と、一緒に、選んで。

タケルの精神に大きな一撃を与える言葉を優奈はわざと口にしている。タケルの初心な反応を楽しんでいるのだろう。案の定、頬を染めて、俯きつつある。

最初はここまで小悪魔的な言動や行動は見られなかったが、ここ最近はそれが多く見られる。これが優奈の本来の姿なのかもしれない。接することに慣れてきたのはタケルだけではないということだろう。


「ふふふ、でも二人で行った方が楽しいのは確かですから。無理にとは言いませんが•••」

「いや、ぜひお供させていただきたいです。」



今日は稽古でもなく、家の予定でもなく、外出する日だと前々から決めていたらしい。

タケルは簡単に着替えを済ませて、二人は浅倉家を出発した。


バスで湘南区間を出て、江戸区間へ。

湘南区間にも多種多様な店が軒を連ねているが、優奈の目的のものは江戸区間にしかないと言う。

およそ一時間近く、揺られて到着した先は

ヴェスティートというお洒落な店だった。

ショーウィンドウには真っ赤な薔薇を連想させる華やかなドレスやシックで落ち着いた印象を与えるワンピース(こちらは着こなすのが難しそう)が飾られてあった。


タケルはその店の雰囲気に少々たじろいだが、表情には出さずに、勇気を持って足を踏み出し、入店した。


鼻腔をくすぐる仄かに香る甘い匂い。

すぐに店内の雰囲気に呑まれ、タケルは体を硬直させてしまう。


「緊張しなくても大丈夫ですよ。さぁ、行きましょう。」

優奈はずかずかと店の奥へと吸い込まれるように進んでいく。こんな所で一人にされたらたまったものではないと感じ、タケルは慌てて優奈の後を追う。


色鮮やかな衣服が飾られて、派手な印象を受けるが、それでいて気品さも感じさせる店の内装は素人が見ても、力を入れているのがわかる。


緊張しながらもタケルは右に左に視線を彷徨わせる。湘南区間の浅倉家から歩いて数十分の衣服店には何度か行ったが、安価な品物しか置いておらず、ここまで上品なお召し物は目にしたこともなかった。


これが上流階級。


優奈は黙々とドレスを眺めている。ショーウィンドウに飾られていた真っ赤なドレスとは少し装飾が異なるものだったが、同じくらい美しいドレスだった。


「綺麗なドレスですね。」

タケルの口から自然とこぼれ出たその言葉に優奈は微笑を浮かべた。

「では、試着してみます。」

タケルの心臓は大きく跳ねた。


優奈は試着室に消えていく。


店内にいるお客さんは皆、何処かの財閥の娘や政府高官の孫などご令嬢ばかりなのだろう。剣聖の孫である優奈もその一人に数えられるが。


試着室の扉が開いて、妖艶な雰囲気を纏い、先程よりもずっと大人らしくなった優奈が出てきた。

「どうでしょうか?」

気のせいか、優奈の頬は若干の赤みを帯びている。


「とてもお似合いです!」

店内に響くような声量だった。

慌てて、平謝りするタケル。


「ありがとう。では、これをお願いします。」

傍に控えていた女性店員は畏まりましたと言って、その場を離れる。

優奈の即決即断は剣術でも買い物でも変わらないらしい。



次に二人は個人経営の和服屋、鈴木和服店に赴いた。

先程の店とは違い、入り口に飾られている綺麗に活けられた華が和の趣きを感じさせ、静の印象を与える。


「ここは?」

「お世話になっている和服店です。浅倉家にある全ての和服はこのお店の物なんです。」


紫紺の生地に桃色の花が彩られたものや純白の上に紅の花が散りばめられているものなど数多くの和服が左右の棚に並べられている。


こじんまりとしているが、この店にも独特の緊張感が漂っている気がして、タケルは自然と背筋を伸ばしてしまう。ここまで精神的に窮屈を感じるものなのかと思いながら、優奈の後に続く。


「いらっしゃい、優奈ちゃん。久しぶりだね。」

黒スーツが完璧に様になっている男性が姿を現した。

優奈の紹介ではこの人物の名前は鈴木 英二。四十二歳でこの鈴木和服店のオーナーを勤めているらしい。その割りに若い容姿で三十代前半と言われても疑わないだろう。


「それで今日はどうしたんだい?和服のオーダーメイドかい?」

「いえ、既製品を見せていただいてよろしいですか?」

「優奈ちゃんに似合う既製品なんて無いと思うよ。」

「今日は男性用の着物を見せてもらえますか?」


「あー、だから今日はこの少年を連れていたんだね?了解した。ちょっと待っててもらえるかな。」

英二は奥の部屋に去って行く。


「優奈さん、まさか•••••」

タケルは恐る恐る尋ねる。

「そうです。鶴来くんに和服をプレゼントしようと思いまして。」

「そ、そんな、悪いですよ。」

「私からのプレゼントはいらないですか?」

「そ、そんな訳ないじゃないですか!」

慌てて、否定する。むしろガッツポーズして喜びを爆発させたいところだが、そこまでしてもらっていいのだろうかという気持ちも強くあった。

「じゃあ、もらって下さい。これは命令ですよ。」

優奈は面白がるようにそう言った。

それを聞いて、タケルは自分が何も恩を返せていないことに奥歯を噛みしめていた。


「何かを返そうなんて思わなくてもいいよ。タケルは強くなることを考えて?」

優奈はタケルの内心を見透かしたかのようにゆっくりと言葉を口に出す。


タケルはその言葉に大きく頷き、

「はい!僕はもっと強くなって、誰にも負けないような剣術士になります!」

高らかに宣言した。

そして結果的に優奈からのプレゼントを受け取ることになる。




英二を待つこと数分。


「よし、ちょっとこっちに来てもらえるかな。」

奥の部屋に案内されると、様々な種類の男性用の和服が長机に綺麗に並べてあった。


「うわ、すごい。」

思わず、呟いてしまうほどの量だった。

これを数分のうちに並べるという偉業にタケルは感嘆していた。


優奈はその和服を視線を滑らすように見ていく。

一着の和服で目が止まる。

「これでお願いします。」

迷うことなく、即決即断。優奈は相変わらずのようだ。

「何、もう決めてたのかい?」

あまりにも早く決めたため、英二も疑問を持ったのだろう。


「はい。前回来させて頂いた時に目に止まったこの和服が彼に似合うとずっと思っていまして••••••」


濃青色の生地に白いラインが数本入った現代的なデザインの和服。

それがタケルへのプレゼントとなった。

試着室で着替えてみたが、自分では似合うか、似合わないかがわからない。しかし優奈が「よくお似合いですよ。」と言ったのだから、似合っているのだろう。

どちらにしろタケルには優奈からのプレゼントというだけで嬉しいことは間違いないのだ。思わずタケルの顔が綻んだ。


二人は買い物を終えて、帰路についた。


プレゼントを貰ってから浅倉家に着くまでタケルは終始ご機嫌だったのは言うまでもない。











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