小さな謝罪の声
『空。やっと気付いてくれたのね。空への手紙、全部入ってるから、見てね。最後に会えてよかった。本当によかった。ありがとう。最後に遊んでくれて。楽しかった。ありがとう。私は、とても幸せでした』
あの時、迎え入れていたら、ドアを開けていたら。加奈は私を救おうとしてくれていたのに、あの時加奈と会えていたら、加奈がこんなことにならずに済んだのに、それなのに、ノックだけって、声出せないんだから当然だよ。
あれは加奈だったのに、来てくれたのに、それなのに……それなのに。バカ、私、本当に私……バカ。もう、どうにもならないよ。
周りの目も気にせず走り続ける空。ちょっと前まで自分が住んでいたアパートが見えてきた。気が付けば雨が降り始めていた。まっすぐ、ただただまっすぐ重力に従って、雨粒が落ちてきた。
「…………」
空は階段をかけ上がった。そして、ドアの前に設置されてある、郵便受けに手を入れた。
「……加奈。ごめんね」
そこにはあった。手紙があった。まだ残っていてくれた。私の悪口が書かれているものではない。加奈からの、愛のこもった手紙があった。ようやく私のもとに届いた。
【空。私引っ越したの。家近くなったんだよ。遊びにいける距離なんだよ。私、空に会いたいな】
【空。元気? 学校楽しい? 新しい友達できた? 私は、全然ダメ……。喋れないからかな? でも、空ならきっと大丈夫だよね。だって空は優しいから。私なんかと、友達になってくれるくらい優しいからさ。ああ、何だかね、空とまた会いたいよ】
【空。また喋れるようになった? あっ、実はね私、田中さんから空の過去のこと聞いてたの。ごめんね、今まで黙っててさ。言っていいのかどうかってずっと思ってて。でも私、空の声がやっぱり聞いてみたいなぁって思うんだよね。きっと空に似合った素敵な声だと思うから、聞いてみたい。私がこんなこと言うのは違うのかもしれないけど、少し勇気を出すだけだと思うの。空は優しいからさ、きっと大丈夫。じゃあ、また手紙書くね】
加奈からの手紙。それを受け取りもせずに勘違いしていた私。
加奈からの手紙は優しい。加奈の方がずっと優しい。私より優しいよ。
涙を流しながら、空の発する小さな謝罪の声は、雨の音に溶けてしまう。慟哭している。体が濡れているのは雨のせいじゃない。私のせい。その一文一文、一文字一文字から、優しさが伝わって来て、苦しくなって、自分が許せなくて。
私は人とかかわることを辞めていた。それは、声が出せなかったからではなかった。自分に勇気がなかっただけだった。声を出していなかっただけだった。自分への罰じゃなくて、自分を守るために、それ以上傷つかないでいいように、現実を見ないでいいように。
そのせいで、私は加奈の心を受け取れなかった。加奈の優しさを感じられなかった。私には、毎日チャンスがあった。それなのに、私はすべて、踏み躙った。
空は泣いた。泣き続けた。泣き喚いた。
「加奈。ごめん。加奈。ごめんね。私、私は……」
空は雨に打たれ続ける。天高くから降り注ぐ雨粒は、空の体を貫通しない。寒さなんて感じない。涙は止まらない。
後悔の隙間に入ってくるものは、何一つとして存在しない。
「ごめんね、ごめんね……」
加奈が書いてくれた手紙を、全て抱きしめる。胸に強く強く押し当てる。あの時の自分に、この手紙を見せてやりたい。この中に込められた思いを強引にでも注いでやりたい。
「空ちゃん! こんなところにいたの? 突然いなくなって、私、心配で、また守れないかと思って……」
そう言って駆け寄ってきた田中さんも濡れていた。きっと、結城さんの家から傘もささずに、追いかけてくれたのだろう。
「私……私……」
田中さんを見て、声を聞いて、泣き続ける空。体が思ったように動かない。
「大丈夫。大丈夫だから」
空のそんな姿を見ても、田中さんは変わらず空を抱きしめる。暖かく、空のことを思う気持ちでいっぱい。
そして、田中さんに続いて、結城さんがやってきた。
「空ちゃん、落ち着いて聞いて。実は、さっき加奈ちゃんが見つかったって連絡があったの。今、病院に搬送されているの。だから――」
加奈が見つかった?
空の口は知らぬ間に動いていた。
「私……行かなきゃ。加奈に会って、会って、ちゃんと伝えたい」
涙声でもいいから、必死で喋る。今まで喋ってこなかった自分が憎らしくても。殺してやりたいくらい自分の声が大嫌いでも。
「うん、分かってる。分かってるわ。だから、早く行かないとね、今ここにパトカー呼んだから」
「はい。私、ちゃんと……言います」
空は手紙をすべて抱え、到着したパトカーに乗った。
ただ、この時の空は、結城さんの涙と雨粒の違いくらい、理解できていたのかもしれない。