そんなのもう、どうでもいい
「ねぇねぇ空? プールにさあ、ボールペン落としちゃってー、すっごい大切なのそれ。空ならさ、拾ってきてくれるよね?」
「私達も実はそうなんだ。空なら拾ってきてくれるよね?」
来た。クラスメイトA、B、Cが。いつものように始まって、毎日毎日繰り返して、一体何が楽しいのだろう。
「…………」
空は返事をすることもない。下を向いたまま動かない。ただじっと座っているだけ。
声が出せないのだから、仕方がない。
やり過ごす方法があったら、言い返す方法があったら――何もしないのだけど。
「えっ? 何? 何言ってるか全然聞こえないんだけど? あっ、ってことは拾ってきてくれるってことだよね」
黙っているだけなのに、何も反応していないのに、クラスメイトAは笑いながら腕を掴んでくる。
他のクラスメイトはいつものようにそれを見て見ぬふり。空のことを気にかけもせず、部活に行ったり帰宅したりと忙しそうだ。
「じゃ、行こっか」
今日クラスメイトA、B、Cが空をいじめる場所は、どうやらプールのようだ。なぜかクラスメイトBは空の通学カバンを持っている。
三人は笑いながら、自分たちが悪いことをしているなどと微塵も感じていない様子で、先生たちに会ったらご丁寧に「さようなら」とあいさつまでしている。
まあ、先生に頼ったところで何も解決しないことは空自身が一番分かっているので、助けを求めることもしない。
先生たちも気付こうとはしてくれないし。
***
「さあ、早く探してきなさいよ!」
プールに連れていかれた空は飛び込み台の上に立たされ、クラスメイトAに飛び込むように強要されている。
「ホント、早く入ったら? 冷たくて気持ちいいかもよ」
クラスメイトBは何が愉快なのか分からないが、腹を抱えて笑っている。大声で嘲笑っている姿が一番気持ち悪くて醜いことに、まだ気が付いていないのだろう。
それとちなみに、今はまだ二月である。
「…………」
空はクラスメイトA、B、Cの命令に何も感じることはない。自ら飛び込むような、馬鹿な真似はしない。
「何突っ立ってんのよ! ほら、さっさと入りなさいよ!」
しかし、落とされることに対して抵抗するわけでもなかった。
クラスメイトAから背中を力いっぱい押されても、空は抵抗しなかった。ただ重いだけの直立不動人形になっていた空の体は、プールに突き落とされた。
「…………」
感じるのは体中の細胞を突き刺すような冷たさ。視界に入るのは負の感情を洗い出すことすら許されないくらいの、濁って汚れた水。
空は水面から顔を出し、咳をする。汚い水を少し飲んでしまったのだが、どうでもいいと感じてしまう。頭の上に腐った何かが乗っているが、それも別にいい。
「うあっ、汚っ!」
クラスメイトA、B、Cは、プールに落ちた空を見て嬉しそうに笑っている。だから何がそんなに楽しいというのだろうか。
空はそんな三人を見上げて睨み付けることもせず、ただただ汚い水面にかろうじて映っている自分の姿を眺めるだけ。
涙も出てこない。悔しさも感じない。
「あはははっ、あはは、ごめん空。ポケットに入ってたわ」
「あっ、私たちもだ。ポケットの中に入ってた」
空にはそんなこと、最初から分かっていた。言わなかっただけだ。
「あっ? それでさ、この鞄って、誰のか分からないから、プールに落としてもいいよね? 空? 返事しないってことはいいってことだよね?」
クラスメイトBは不敵な笑みを浮かべながら、空の鞄をプールに放り込んだ。
空に誰のか聞いておいて、空の返事を待たずに。自分が教室からわざわざ持ってきて、空が喋れないことを知っておきながら。
「ごめんね空、じゃあ、また明日、学校で」
クラスメイトA、B、Cは笑いながら去っていった。空をプールから引き上げることもなく。これからどこに遊びに行くかの話をすでに始めながら。
「…………」
ごめんね、なんて、そんな顔するなら、言うなよ。
プールに落ちた空の鞄から、学校指定の教科書や筆箱が出てきて、真っ暗なプールの底に沈んでいく。わざわざ鞄を開けて放り込むところは、用意周到というか、そんなことを考える意地汚い頭があるなら、もっと別のことに使えよとつくづく思う。
まあ、単にクラスメイトというだけの赤の他人の人生なんてどうでもいいし、自分の人生にこれっぽっちも干渉しないものだし。
別にもう、こんなこと、どうでも……あっ。
空は沈んでいく荷物の中の一つに、目を奪われた。
拾わなくたって。どうせもう……。
空はすべての荷物を見捨て、そのままプールの端までゆっくり歩く。プールから這い上がり、その場に座り込む。制服が体に張り付いて気持ち悪い。当然ながら下着まで濡れてしまっている。
「…………」
曇りで太陽の光がない。風が吹くと寒い。影ばっかりで寒い。
そんなのもう、どうでもいい。