夢の中、あなたの手
いつも通りのいつもの朝。父は私に向かっていつも通りの台詞を吐く。
「お前はこの家の跡取りなんだ。今日も勉学に励みなさい」
続いて母もいつも通りの台詞を吐く。
「あなたはやれば出来る子なんだから」
母の台詞のあと、私はいつも笑って決まった台詞を言う。
「頑張るよ」
一体何をどれくらい頑張れば良いかなんて私には分からないけど、それが私の決められた道なのだ。親が敷いたレールの上をただひたすら歩く。自分の為じゃなく、親の為に。親の期待に応える為に。
私の父は世界でも多くの人に知られる財閥。私はそんな家の長女として生を受けた。生まれた時から決められた人生に何一つ疑問を抱くことなく、17年間生きてきた。欲しい物は何でも手に入るし、母と父とも仲が良い。
でも、最近そんな人生に疑問を持ち始めた。原因ははっきりしている。私にやりたいことが出来たから。
父も母も私のやりたいことに賛成してくれるはずが無い。分かっていながら、やりたいという欲求は強くなっていく一方だ。
そんなある日、私は夢を見る。
気が付くと、私は電車に乗っていた。
終電の地下鉄。私がいる車両には、私とともう一人、見覚えのある男性が乗っていた。私と彼はこんなに人がいない電車なのに、隣同士。彼は眠たいのか、船を漕いでいる。
私はと言うと、いつも通り、自分の苦手な教科である数学の本を読んでいる。
でも、私は現実では終電の時間帯に家に帰ることはない。そんなことをしたら怒られるどころじゃすまない。親が捜索願を出すかもしれない。けど、これは夢。あり得ないことを実現してくれるのが夢。
車掌が次の駅が終点であることを告げる。
私は鞄に数学の本をしまい、立ち上がる。隣の男性は車掌の声で起きたのか、寝ぼけ眼で暗い地下鉄の窓の外を見ている。実際には、そこに映る自分を見ていたのかもしれない。
地下鉄のホームの明かりが見えると、電車はゆっくりと止まった。扉が開く。
私は、電車を降りて改札へと歩き出す。ふと振り返るとあの男性は座ったままだ。終点ということに気付いてないのだろうか?
私は階段を上がり、改札を通る。
すると、誰かに手を握られた。ての凹凸とか感触まで夢とは思えないほどはっきりしていた。振り返ると、それは見覚えのある顔の男性だった。いつの間に私に追いついたのだろうか。そもそも、何で手を握られているのだろうか。
「こっち」
男性は短くそう言うと、私の手を引いて歩き始める。夢の中の私は抵抗もせず、ただ男性について行くだけ。
しばらく駅の構内を歩くと、景色が変わった。私達はたくさんの絵が飾られた部屋の中にいた。有名な画家の絵や、漫画の絵、様々な絵が額の中に収められていた。その中には私が描いた風景がもあった。
そして、子供や大人、お年寄りが絵を見て回ってる。子供は漫画の絵を楽しそうに見てるし、大人やお年寄りは画家の絵を見てる。私の絵の前でも立ち止まる人がいた。懐かしそうに風景画を眺めている。
絵には写真には無い、その人の思いが込められていると、私は思う。同じ風景を描いたとしても、その人の感情で変わってくる。もちろん、その人の画力でも変わってくるが、その人の感情がその絵にも感情を与えると思う。そして、見る人もその絵の感情を見て、さらに自分の感情を抱く。絵はそうやって変化していく。それがたまらなく面白くて、私は絵を描きたいと思った。お金にはならないかもしれない。でも、たくさん絵を描いて、たくさんの人に見てもらいたいという思いは、大きくなる一方だった。
「絵、素敵だね。もう描かないの?」
男性はそう言って首を傾げた。
「・・・親が反対するから描けないよ。そんな事より、勉強しなさいって言われるのがオチ。絵を描くことに何の意味があるのかって言われるだろうし」
「そっか。じゃ、こっち」
気付けば、男性がキャップを被った小さな少年に変わっていた。少年もまた私の手を握っている。
少年は私の手を引いて走り出す。
絵を見る人々の間をしばらく走ると、また景色が変わった。今度は原っぱだった。原っぱではたくさんの子供達がいた。見れば、何処からとも無く落ちてくる本やお菓子、お金を嬉しそうにキャッチしている。
「僕らの世界だよ。ここにいれば、何も考えなくて良いんだ。天がなんでもくれるから。僕らは勉強してれば良いだけなんだ」
少年はにっこり笑った。
何も考えなくて良い世界。誰かが決めてくれる世界。与えてくれる世界。楽な世界。もどかしさなんか無くて、自分の存在を疑うことも無くて、煩わしさも無くて。不自由も無くて。素敵な世界じゃない。
「君も、おいでよ」
少年が私の手を引いて、子供達の輪へと走り出そうとする。
私の足は、少年が向かおうとする子供達の輪へと一歩踏み出す。
「違う」
私は別の誰かに、手を握られた。
振り返れば、あの男性が私の手を握っていた。
少年は、男性を睨んだ。
「お姉ちゃんは、僕らと同じなんだ。こっちに来るんだよ」
「違う」
男性は泣きそうな顔で私を見る。
「絵を、描くんでしょ?」
「親が反対するから、描けないよ」
そう言うと、男性が私の手を握る力が弱くなった。
「僕は君の絵、好きだよ?」
「あなたが好きでも、両親はそんな事思わない」
男性が私の手を握る力がまた弱くなる。
「ほら、お姉ちゃんはこっちに来たいんだよ」
少年は嬉しそうだ。
「・・・違うよ。そんなの。君は、何もしてない。やってみなきゃ、言ってみなきゃどうなるかなんて分からないよ」
「ごめん。もう答えは見えてるから」
親が反対することくらい、目に見えてる。目に見えてるのにわざわざ逆らう理由なんて無い。関係がギクシャクするのも嫌だし。それなら諦めた方が楽じゃない。
「決めつけてるだけだよ」
男性はそう言いながら、私の手を離した。途端に、生まれたのはどうしょうもないほどの不安だった。
何、これ?
自分で決めなくて良い世界。与えられる世界。楽な世界。良い世界なのに、なのに、こんなに不安なのは何故?
男性が悲しそうな顔をしてる。
私は少年に引かれて、一歩、また一歩と子供達の輪へと近づいて行く。その度、不安が増していく。何が不安?与えられるだけで、自分を見失ってしまうのが、不安。
思い出した。あの男性は私の絵に涙を流してくれた人。中学時代の大好きだった先生だ。「君の絵をたくさん見たい」そう言ってくれた人。勉強ばかりしてて、友達のいない私を心配してくれてた。私の絵を見て、「君の素直な思いが溢れてる」って言ってくれた人。
そうだ。私は絵を描くことで自分らしさを見出してたんだ。その絵を捨てるの?嫌だ。捨てたくない。何で?それが自分だから。そして、絵が、好きだから。
私は遠ざかる男性へと走った。
そして、男性の手を握る。温かい、優しい手。
少年は目をぱちくりさせている。
「絵を、絵を描きたいっ」
そのたった一言に男性は満面の笑みをこぼした。
目をぱちくりさせていた少年も、微笑んだ。
「ちゃんと、言えるじゃん」
男性と少年の声が重なった。
目が覚めると、カーテンの隙間から朝日がこぼれていた。
私は布団から起き上がると、まだ男性と少年のての感触が残る手を握った。
いつも通りの朝。いつも通りの食卓。いつも通りの父の台詞。いつも通りの母の台詞。
そして、私は、
「お父さん、お母さん、私ね・・・」
自分で選択した言葉を口にする。
あとがきです。
えーっと、これで5作目ですね。
これはこの前見た夢を参考に描いたものです。
実際、見覚えのある男性に(というか、もはや仲の良い人に)手を握られたのは自分の夢の出来事で、手の感触が今でもはっきり残っています。夢にしてはリアルすぎて目が覚めた時は、現実だと思い込んでいたほどです。誰かが本当に握っていたのかも。笑
さて、今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回のテーマは「選択」とでもしておきたいと思います。誰しも敷かれたレールの上を歩く方が楽ですが、選択することも大事というのを感じているので、この様な作品に仕上げました。
でも、たまにはギャグ系も書きたいと思う今日この頃です。泣
では、またお目にかかれることを楽しみにしてます。
260831 鹿糸