愛しき坊主頭
何故か花畑にいる私はその中央に座り、花冠を作っている。そして、私は遠くからその光景を見ていた。
シロツメクサを摘んで、冠に絡ませていく姿はとても乙女な姿。しかも何か鼻唄を歌っている様子。今流行りのラブソング。太陽の光を反射する程の無地の白いワンピースで地面に座り込んでいる姿は天使のよう。
出来上がった花冠を、私は自慢の黒髪に乗せ、煌めくばかりの笑顔。満足な出来のようだ。まるで絵本の中のような世界。途端に、背中に氷を落とされたような寒気が襲う。
「気持ち悪っ」
私の毒付きと共に、世界は崩壊した。
青かった空は黒ずみ、太陽は暗黒の球体に姿を変え、シロツメクサは次々と萎れてゆく。夢の中の私は、網目のように割れていく地面の中へと吸い込まれ――。
ベッドの中で寝返りをうち、それから目を開いた。何時? 時計を見るが、寝惚けてかすんだ目ではなかなか針が見付からない。
なんちゅー夢だ。理想の私と現実の私、結局現実の私が勝って目覚めてしまった。
睡魔に負け再び目を閉じようとした時、携帯の着信音が鳴る。あまりに不意打ちで、一気に目が覚めた。鳴るなら鳴るって言ってからじゃないとびっくりするじゃないか。
私は文句を心の中で言いつつ、その着信音があの流行りのラブソングだと気付き、立ちくらみがするほど勢いよく起き上がった。さっき、夢の中で歌っていたあの曲だ。
*
「おはようございます、百合音さん」
「おはよー日高。今日もだっさいねぇ」
「百合音さんは、今日も美しいですね」
「ウチにも鏡はあるから」
日高は坊主頭を揺らし、にこにこと人のいい笑みを浮かべる。こんなことを言っても、嫌な顔をしない奇特なやつだ。
鞄を机の横にかけ、私は行儀悪く椅子に座る。鞄に教科書なんか入っていない。全部ロッカーにしまいこんでいるから。
でも隣の席の日高は、せっせと鞄から教科書を出し、机に移しかえていた。家で勉強しているのだろうか、その割に私の方が、頭はいいけれど。
私はスカートのポケットから携帯を取り出す。ボディは真っ黒で、ストラップもない。男みたいな携帯で、先ほどのメールの返事を打つ。
その様子を見ていた日高も携帯を取り出した。画面を見つめてため息をつく。
「誰かからのメールでも待ってるの?」
メールを打ちながら何の気なしに言うと、日高は驚いたように慌てて携帯をしまう。黄色いボディだから妙に目立つ。
「そういうわけじゃ……」
照れたように頭をかく。その坊主頭は、決して野球部だからってわけじゃなく、楽だから、らしい。
後ろ姿を見ると「え、昭和初期?」と思ってしまう。制服が、今時珍しい学ランだからだろうか。女子の制服もセーラー服だし。
高校選びの時、ただセーラー服着たいな、という理由で受けた高校だから、文句はない……けど、実際セーラー服って面倒な衣服だったりする。
打ち終り、私は携帯を閉じた。日高はまた鞄に手を入れ、恨めしそうにディスプレイを見る。だけど、何度見ても何も来ていないようで、また鞄に戻した。
次の休み時間、携帯を見つめながら日高は笑顔を隠しきれない様子だった。何がそんなに嬉しいんだか、なんだか面白くない。
「日高、次の物理の授業中に『百合音様愛してます』って叫びなさい」
決めつけた物言いに、日高は目を丸くした。
「またですか……」
難色をしめす。困った顔の日高は眉が八の字になって、より可愛らしさが増す。
「今回で十回目のメモリアルだから。今日もしっかりやりなさい」
そう言って優しく微笑む。日高はにこにこして、わかりました、と答えた。
「百合音さんの為なら」
冴えない顔で、そういうことを言うのは平気らしい。変わったやつだ。
私は自分のいい顔を知っている。その顔をすれば日高が笑顔になることも。なんでも言うことを聞くってことも。
日高は私のことが好き……じゃないだろう。私に遊ばれているのを分かっていて、気が弱いから断れないだけ。もしくはスーパーマゾに違いない。
好きな人は別にいる。いつもメールを待っている、あの子。ミサキという女の子。
私は、あの夢に出てきたような女の子になりたい。そんなのは無理だ、ってことは分かっているけど。
約束通り、日高は物理の授業中『百合音様愛してます!』と叫んだ。
それを言うまで四十五分。授業が終わりそうになるから、私はシャーペンで日高をつついて催促していた。
ようやくそう叫んだ時、クラスは大爆笑に包まれた。日高は顔を真っ赤にし、うつむいた。よしよし、と頭を撫でてあげたくなる。
だけど、日高が私に言わされていることは周知の事実。先生も分かっているから、日高を睨んだ後、私を見てため息をついた。そして、何事もなかったかのように授業再開。最近、怒られなくなってしまった。つまらない。新しいこと考えないといけないな。
窓でも割らせるか、でも弁償させられるのは嫌だから却下だな。黒幕が私なのは先生も知っているし。日高にそんなことが出来るはずもない。彼は真面目だから先生ウケはいい。
岩槻に何かされているんじゃないか、嫌なら先生から言ってやる。
そう陰で言われているのは知ってんだぞ。
だけど、日高は「平気です」と言う。いつもの笑顔で。その度、私は自分の鬼っぷりに嫌気が差す。酷いことをしているのはわかっている。
シャーペンを弄びながら、首筋が蒸してきたので、長い髪を払った。
だってそうでもしなきゃ、日高は私を見てくれないじゃない。
ほほに小さな痛みが走った。力を入たせいでシャーペンの芯が飛んだのだ。
カチカチカチ。
いつものように三回ノックして新しい芯を出す。だけど、書こうとすると本体の中に戻っていく。最後まで使えない芯、どうにかならないものか。ペンケースから換え芯ケースを取り出すが、それもカラ。
腹立つ!
私は日高の脇腹をグーで殴った。驚いた表情を無視し、ペンケースから換え芯を強奪する。
まったく、何もうまくいかない。どうしてこうなるのだろう。
カチカチカチカチカチ。沢山ノックした後一旦しまい、カチカチカチとノックした。これでいい。一ミリでもずれたら気持ち悪いものだ。
その時、物理の授業を終わらせるチャイムが鳴った。
昼休み、日高に買いにいかせたファッション誌を左手でめくり、右手で日高の坊主頭を撫でていた。ざらざらちくちく気持ちいい。
昼休みに学校外に出るのは校則違反だ。そのリスクを冒してまで買いに行く姿を想像するのはたまらない。
もっとも、お金はちゃんと渡す。これはイジメではない、という免罪符のつもりだけど、日高にしてみたら大した問題じゃない、のかも。
「ゆ、百合音さん……いつまでこうしてればいいんですか」
椅子に座り、首をすくめ居心地が悪そうに私をちらちら見ている。私は自分の椅子に座り、雑誌から目を話さず答えた。
「飽きるまで」
「そうですか……」
なぜか、日高は同級生の私に敬語を使う。他の人にはそうでもないのに。だから、知らない人には私がダブったと思われているらしい。心外。今まで無遅刻無欠席、成績は学年でトップ二十に入ったり入らなかったりくらい。日高が下から数えた方が早い二百番をうろうろしていることを考えれば、私って優秀。
「百合音さんがその雑誌に載ったら、一番の美人ですね」
ちら、と中身を見ながら言う。私は無反応を装いページをめくる。
「だってこの子達、高校生のバイトかショップ店員の副業か、売れないタレントだもん。大人が読む雑誌の本物のモデルとは全然違う」
当たり前だと思う。私はこんな濃いメイクをしなくても大丈夫だし。でもこんなとこに出る趣味はないから、読者モデルなんてならないけど。背も低いし、実は結構足短いし。バレないように頑張ってはいるが。
「日高」
「なんですか」
「百合音さん、って呼んで」
「百合音さん」
日高は素直に、いつもの笑顔で私を呼ぶ。その顔を見ているのが恥ずかしくなって、また雑誌に目線を落とした。
「もう一回」
「百合音さん」
「もう一回」
「百合音さん」
世界で一番、耳に心地いい言葉。
ふいに、右手で触れていたちくちくした髪の毛が、掌に突き刺さるような感覚になる。驚いて手を離した。怪訝そうな面持ちで日高は首を傾げた。
「どうかしました?」
すぐには何も言えなくて、私は左手で右腕をさすった。
「……腕が疲れた」
私は雑誌だけに集中した。日高なんて目に入らなきゃいい。
だけど、まるで雑誌の内容は入ってこない。右側に感じる日高が、何をしているのか気になって気になって仕方ない。
百合音さん、と日高が呼ぶ度、私は許されている気分になる。なにより、その時間は日高が私のことを考えてくれる。
優しい声で呼ばれる度、泣きたくなるほど嬉しくなる。そして、次第に罪悪感に襲われる。私は根っからの悪人にはなりきれない。可愛い女の子でいたいなんていう幻想を捨てきれないから。
日高は鞄からあの黄色の携帯を取り出し、ディスプレイを眺めた。そしてため息。メールはきていないよう。
敗北感がのしかかる。日高は目の前の私より、ミサキを重要視しているんだ。
具体的にミサキがどこの誰なのか、私は知っている。絶対に勝てない相手だということも。
*
部活には入っていないので、いつも自宅へは四時過ぎにつく。……友達もいないし。
私は極端で、好きな相手には日高のようにネチネチ付きまとうが、そうでない人間は目に入らない。大人になったら治るといいけど。さすがに社会人になってアウトローを気取るつもりはない。生きにくいだけだ。
制服を脱ぎ、楽な部屋着に着替えてベッドに横になった。天井や壁は何も飾られることもなく、真っ白。ものがあまりない部屋。机や椅子、収納ボックスは黒しか買わないから、気が滅入るくらい地味な部屋。
寝返りを打ち、鞄から日高に買わせた雑誌を取り出し、部屋の隅に積んである雑誌の上に放り投げた。うまくその山には乗らず、床に落ちた。
本当は、読みたいわけじゃない。日高自身の時間を持ってほしくないから、私の用件で日高の時間を私のものにしたかっただけ。だからいらない雑誌が山になっていく。
こんな不器用なことをしている場合じゃない。やればやるほど、日高の気持ちは遠のいていくんだから。
けどなぁ。
私は腕を頭の下で組んだ。こんな私が告白なんかしても、完全なる負け戦。しかも、高校二年はあと半年ある。来年もクラスが同じかもしれないし、失敗は怖い。
半年前のことを思い返す。
新学期、日高と同じクラスになった時。その時から席は隣だ。……今も隣なのは、三ヶ月前の席替え時、私の裏工作があったわけだけど。
私は百合音、という名が嫌いだった。初めは可愛らしくて好きだった。母の可愛い性格から考えられた名前で、字面の綺麗さも気に入っていたし。
しかし。それが野菜の名前だと知った時から嫌いになった。中学一年生のときのことだ。母は知らずにつけた、ごめんね、とわんわん泣きながら弁明していたが、泣きたいのはこっちだ。野菜の方は百合根と書く。
私の名前は大根やら人参と変わらない、ということになる。花の名前は美しいけど、野菜って。しかも、別名『鬼ユリ』。なんて私にぴったりな名前なんだろ。
幸い百合根はメジャーな野菜ではないからあまり突っ込まれることはないものの、たまにテレビで聞くとそれ以上名前を広めないでくれと、耳をふさぎたくなる。
だけど、日高はその名前を好きだと言ってくれた。あの笑顔で。百合根大好きなんですー、と無邪気に言われ、私は日高の虜になった。あの可愛さは、私を罪人にもさせるだろう。
見た目も良くて、頭もまあ良くて、運動も出来る私だけど、対人スキルは無い。ゼロ。というかマイナスだ。こんなことなら、見た目も頭も運動も出来なくていいから、素直な、普通の子になりたかった。ほんっと最悪。
私はベッドの上、頭を抱えた。あー、どうしよう。このままの関係じゃ嫌われる一方だ。
しかし。私にはリーサルウェポンがある。それを活かすも殺すも私次第。
起き上がり、鞄から黒い携帯を取り出した。
*
三ヶ月前のある日、日高の元にメモが届けられた。ペンケースに押し込まれたメモにはこう書かれていた。
同じ高校のミサキという者です。私、日高さんの事が好きなんです。でも、なかなか話し掛けることができなくて……。
もしよかったら、メールしてくれませんか? 待っています。
そこにアドレスが沿えられていた。返事が来るか、ミサキとしては賭けだった。でも、人のいい日高のこと。その日のうちに返事がきた。
片想いをされているなんて、とちょっと信じられない様子だったけれど、真剣な気持ちであるとミサキは真摯に伝えた。
そうして、二人はメル友になった。
なぜ、私がこんなにも二人のことについて詳しいのか。それは、ミサキと私が同一人物だから。
なぜ『ミサキ』というと。軽く調べたところ、私達の通う高校には『ミサキ』という名の女子は十人以上いる。名字も二名。日高が特定しづらいであろう名前にした。
ミサキは、私とは正反対だ。可愛らしくて素直で、間違っても日高に意地悪を言うことはない。
きっと、日高はミサキが好きだろう。向こうから好きだと言われて悪い気がしないのは当然だ。その気になるのも。
日高はミサキとメールをしているとき、私の名前を出すことはない。たわいのない話しかしないけど、それでいい。『百合音』が聞けないことを『ミサキ』が聞く。
その為の作戦……なのに、日高がミサキに恋してはいけないのだ。策士じゃないのに策に溺れた感は否めない。だから、だらだらしている場合じゃないんだ。じゃないと、どんどん離れていく。存在しないミサキに負ける。
早く、決着をつけないと。
*
よく晴れた日曜日。私は買い物に出かけた。日高の誕生日がせまっているのだ。
ミサキで仕入れた情報によると、日高は最近香水を集めているらしい。日高が香水とは。普通に接していたら気が付かなかっただろう。匂いがしたこともないし、ぶっちゃけ似合わない。
デパートの一階、化粧品の匂いに香水の匂い。酔いそうになりなる。いくつか匂いをかぎ、日高っぽいものを選んだ。爽やかな、今日の青空みたいな匂い。「ユニセックスですよ」という言葉に惑わされ、私用に同じものを買ってしまった。こういうところは乙女だと思う。キャップが青で、見た目はシンプルながら綺麗だ。
正直、メンズの香水を買うことは恥ずかしいから、ユニセックスはありがたかった。綺麗にラッピングをしてもらう。
支払いを終え、紙袋を大事に持つ。
ようやく出来た余裕で、辺りを見回す。休日特有の騒がしさを持つデパート。こんなに人がいるのに、急に孤独な気持ちになる。
平和な笑い声。私がこんな、普通のことをしてはいけない。そう言われている気がした。皆が、私の失敗を待っているような、そんな善者のまなざしがあった。
それから数日たち、日高の誕生日がきた。
零時を過ぎてすぐ、ミサキからバースデーメールを送り、その後アドレスを変えた。
今日の結果には関係なく、もう彼女は必要ない。三ヶ月間だけ、日高の違う面を見せてくれたミサキ。違う自分を夢見させてくれた。日高は、私にもミサキにも優しかった。
半身を失った気がして、真夜中しばし呆然とした。だけど、机の上にあるお揃いの香水が入った箱を見て、なぜだか安心した。日高はお揃いなんて、きっと嫌だろうけど。
ベッドの中に潜り、真っ暗な部屋の中で、日高から貰ったメールを読み返す。全部に鍵マークがつけられていた。明るいディスプレイのせいで目がちかちかする。
ミサキは存分に愛されている気がした。
登校中、常に頭はシミュレーションでいっぱいだった。鞄には、あの香水が入っている。いつ渡せばいいのだろうか。やはり、放課後がいいだろう。
日高は既に席についていた。その後ろ姿はなんだかいつにも増して情けなく見えた。ミサキがメールアドレスを変えたこと、ショックなのかもしれない。
そんな後ろ姿を見せられたら、どうしていいか分からなくなる。ミサキは私だけど、私じゃない。日高に好かれたって、永遠に会うことはないのに。
ばこん、と鞄で背中を叩いてやった。驚いて携帯を机に落とす日高。香水のせいで痛かったかもしれない。
「あ、百合音さん。おはようございます」
携帯を拾いながらのその挨拶は無視し、席についた。
今まで通り、嫌なことを言うつもりだった。でも、のどまででかかった言葉が震えているから発することをしなかった。泣いてない、けど、泣いてしまいそうだと気付かれたくなかった。
日高はおとなしい私を不審がり、ちらちらと様子をうかがってくる。視線を右側に感じながら、髪の毛で顔を隠した。日高なんて、困っていればいいんだ。
「どこか具合悪いんですか」
しびれをきらし、昼休みに問掛けられたものの、私はずっと無視していた。食べているお弁当も食が進まず、半分残したまま蓋をした。
そして返事もせず、教室を出ていこうとした。すると、背後で「日高、今日誕生日じゃん!」という女の子たちの声が聞こえた。
可愛い坊主はモテるじゃん。私はドアを蹴りたいのをこらえ、教室を出た。なんだよ、日高のクセに。
結局放課後まで、私達は口をきくことはなかった。
掃除とホームルームをすませ、部活や委員会に出席する人達と、帰宅する人は入り乱れて教室を後にしていく。楽しげな会話の中、私は隠鬱な気持ちを全面に出していた。
これからフラれるって分かっているのに告白なんて。だけど、グレーゾーンで恋愛なんて嫌だ。私だけを見てくれないなら、恋なんてやめてやる。
「百合音さん、また明日」
こんな私に律儀にも声をかけてきた。そこが可愛い所だが、今はそれどころではないので無視をした。日高は何か言いたげだったけど。
教室を出たのを目の端で確認し、後をこっそり追い掛ける。
日高の後ろ姿を見失わないよう追い掛ける。学校から出て、日高は広い道の方へと歩いてゆく。
ミサキ情報では、バスで帰ると聞いた。その前に捕まえないといけないけど、どこか適当な場所はないだろうか。
気持ちを伝えて、今までの非礼を詫びる。それで許されるとは思えないけど、そう決めた。なんなら、一発や二発、殴ってもらっても構わない。それで許されるなら。
ヤバイ。バス停がすぐそこ。三車線の道路を車が行き交う。もう、場所なんか知るか! 私は走った。
「日高!」
車の音に負けない声で呼び止めた。日高はきょろきょろと辺りを見回している。私はその日高の腕を掴み、脇道に連れていく。
車の行き来がまるでない、静かな道。住宅街だ。もっとマシなとこはなかったか、リサーチ不足を呪いながら、私は刮目する日高の顔を見た。
丸顔で、学ランに首がうまっているような、中学生みたいな顔。だけど、背は私より少しだけ高い。
「百合音さん……」
一日口を利かなかった人間に拉致されて、日高は挙動が乱れた。厚い唇があわあわと揺れている。
私は考える前に行動を起こした。朝、いや、一日中何度もシミュレーションをした通りに。
鞄から紙袋を取り出し、日高につきつけた。一日鞄に押し込まれた紙だから、かなりやつれた感じだ。自分にがっかり。どこまでもガサツなんだから。
「誕生日だから、好きだからあげる。それと、今までゴメン」
ぶっきらぼうな言葉。まったく心にも思っていないような声、内容に、我ながら落ち込む。しかも、あっさり告白までした。言ってから、頭が混乱してくる。もう、戻れない場所に来てしまった。
「百合音さんが、僕を?」
「そうだよ。いいから黙って受取りなさい」
だめだ、顔が見られない。
風が、私のスカートを揺らした。
「どうして、ゴメンなんて謝るんですか」
思いもよらない力強い声の反撃。
「どうして、って。当然じゃない。あんなことさせられてたんだから、謝罪くらいされてもいいの」
何故か、私は偉そうに答える。違う違う。こんな言い方やめなさい。
でも、予想と違う。日高は戸惑いながらも受け取り、そして何もかも終わり、の予定。それなのに、なんでこんな風に言い返してくるの。
「僕は……」
日高はうつむいた。なんで、謝られているのに落ち込むのか、意味不明。
「僕、別に嫌だったわけじゃありません。百合音さんが僕に構ってくれて嬉しかった」
なんのことやらと顔を見ると、今まで見たことがないような、鋭い表情をしている。いつも見ない男の顔に驚く。
日高が、こんな顔するなんて。
「百合音さんの前で、心に無いことを言った覚えはありません」
「どういう、意味?」
さっぱり理解出来ず、私はすっかり日高のペースにハマッていた。こんなに男を意識したことはない。どうしよう。
私より太い眉。ざらざらした頬。うっすら口周りを彩る髭。
私の混乱をよそに、日高は表情を変えず続ける。
「百合音様を愛しています」
十一回めの言葉だけど、正面きって言われたのは初めてだった。あまりのことに、頭が状況を理解しないまま口が動く。
「今、言って欲しいなんて頼んでな……」
そこで、ようやく気が付いた。
私、告白された。
倒れそうになるのを堪え、思わず一歩下がる。
「おかしい! 日高は他に好きな人がいるんでしょう」
すると、日高は紙袋を開いた。丸い指先で丁寧にラッピングを解く。その姿はなぜか、紳士を思わせた。
「どうして、香水にしたんですか」
ブランド名の入ったビンを私に見せる。答えようがない。ミサキ情報なんだから。
「僕、香水なんて似合いますか?」
「……なんとなくだから、そこまで……」
「僕が香水を集めていると知っているのは、ミサキさんだけです」
どうしてここでミサキの名前が。何も言い返せない私をよそに、日高は紙袋に香水を戻し、腕に通した。そして開いた手で胸ポケットから生徒手帳を取り出す。
表紙を開いたその裏に、私が書いたミサキメモが挟まれていた。ずっと、持っていてくれたんだ。
「最初から、凄い百合音さんの字に似てるな、と思ったんです。でも字体を変えているみたいだから確証はなかった」
確に、バレないように相当字体は崩した。私自身、わからないくらい。それを……。
「僕は知ってます。百合音さんの字も、神経質に、いつもシャーペンを三回ノックすることも」
自信満々だった。日高は、私の知らないところで私を見ていた。胸の中が広がっていく気がする。苦しいけど、心地いい。
「だから、カマをかけました。誕生日を気にしてくれていたから、プレゼントかなーって期待して、香水集めをしているなんてでっち上げたんです。だけど、口も聞いてくれないからやっぱり勘違いだったのかも、とも思いました」
すると、日高は勝鬨をあげる武士のような顔をした。それくらい誇らしそうだった。
負けた……。
「バレないように、わざと時間差でメールを送ったりして、可愛いなって。まさか、という思いと、僕のことを本気だなんてウソだ、っていう思いで結構悩みましたよ」
いつもの笑みを見せた。
「いつもの百合音さんも、ミサキさんも、僕は好きです」
どっちも私だ。なぜだか腹立たしい気持ちになった。両想いで嬉しいのは嬉しい。けど。
「日高のクセに、私を騙したんだ。罠にかけたんだ。許せない!」
そこで、私は日高に抱きついた。この気持ち、どうしたら収まるのか分からなかった。だから抱き締めた。感情のまま、きつく。
「苦しいです……」
「窒息してしまいなさい」
さらに力を入れ絞めあげた。日高が立っていられなくなるまで、ずっとずっと抱き締めた。
了