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追憶の救世主  作者: たかこ
第2部 東の森の魔女編
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第4章「決壊」(10)

第4章「決壊」


10.


 「何よ、あれ!」


 リサが素っ頓狂な声を上げて、その場に立ち止まる。大きく見開かれた瞳は、窓の外を向いていた。

 わが姉ながら見事な間抜け面であると思うが、それは、隣に居るリースとてほとんど同じ事だ。彼もまたぽかんと目も口も開いたまま、窓の外の異様な光景を視界に入れて呆けていたのだから。

 イリス上空を、流星群と呼ぶにはあまりに近距離で、青白い光がいくつもいくつも流れていく。城の廊下は、光量を落とされたランプの光で淡いオレンジ色に包まれていたのだが、その中に青白い色は難なく侵入してくる。オレンジと青のせめぎ合いに、廊下は普段の夜より遙かに明るさを増していた。

 「……『星降り』?」

 一つだけ思い当たる単語に行き当たって、リースは声を漏らす。星降り。そう、これはそのような名前の現象だった気がする。幼い頃、一度だけ経験した時の様子がおぼろげに記憶の中にあったのだ。

 文字通り星が降るように、夜空に光が降る夜の事。「イリスの守人が、一晩だけ夜空を駆ける日だ」と。あの頃はまだ生きていた母が語って聞かせてくれた。その時は母の告げた言葉を真に受けていただけだったが、成長した今ならそれが本当はどういう事か、リースにも少しは分かる。イリスの守人とは、イリスピリア大国の守り手の象徴である金毛の獅子の事。そうしてその獅子が指すものとは、イリス周辺に張り巡らされた強力な結界だった。要するにこの現象は、結界に何らかの変化が現れたときの兆しなのだろう。

 「優しい魔力……だけど、一体誰が……」

 不安そうにアリスが呟いた言葉に、リースも眉をしかめた。呪術師の彼女が言うのだ。この光は魔力なのだろう。魔力は普通目で見ることなど出来ない。魔法というものに変えられて、初めて可視化するのだ。だから、目で見ることが出来るこの光は、一体どれくらい強い魔力なのだろうか。

 そこまで考えた時、ざわりと胸が騒いだ。青い光はとても美しいのに、イリスの夜にそれが降り注ぐ様はとても壮観なのに。リースの心はちっとも感動というものを浮かび上げはしない。それよりむしろ、出所の分からない不安が徐々に高まっていくのが感じられていた。







 「え……」

 肌が泡立った瞬間、ミレニィは思わず声を上げていた。状況は何も変わらないはずである。シズクは相変わらず青白い顔で倒れ、ルビーは彼女の首筋に手を伸ばしている。だが、部屋の空気はそれまでとは明らかに変わっていた。魔力が……部屋に満ちる魔力が、突然活発に動き出していたのだから。

 「何?」

 ルビーも変化に感づいたのだろう。相変わらずその右手はシズクの首にかかるネックレスを触れていたが、顔はきょろきょろと周囲を忙しなく見ていた。厳しい表情に、僅かに焦りが混じるのをミレニィは目撃する。

 直後、視界に青いものが入って、ミレニィの視線はそちらへと慌てて移動する事になった。青い光は、新たに現れたものではない。例の球体が、息を吹き返したように青く、光り輝きだしていたのだ。そこから感じるのは、今までにも増して濃密な、魔力の奔流。

 「早めに退散するに、越した事は無いわね」

 おそらく独り言だろう。舌打ちしつつルビーは呟くと、若干慌てた様子でシズクの方へ両手を伸ばしていた。ネックレスを奪う気だ。

 「駄目!」

 ルビーのしようとしている事を咄嗟に悟ってミレニィは走り出していた。

 それを奪われてはいけない。止めなければ。何故そう思ったのか、ミレニィ自身さっぱり分からなかった。ただ漠然と、嫌な気持ちが胸の奥から競り上がってきていたのだ。

 ルビーにとっては、ミレニィの存在など少しも問題にならないのだろう。ミレニィが駆け寄ってくるのをちらりと見ただけで、行為そのものをやめようとはしなかった。

 「――――!」

 だが、ミレニィが彼女達の元へ到達する直前で、ルビーは突然その動きを完全に止めていた。それだけではない、リオが現れた時以上に動揺した色をその顔に浮かべると、真っ赤な唇を引き結んでいたのだ。

 彼女の青い瞳は自身の手元に釘付けになっている。一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐにミレニィにも、事態の異様さが分かった。青ざめた顔で、ルビーの見る場所と同じところを見る。彼女の手首をきつく掴んでいる手の方を。

 「シ、シズ……」

 あまりの出来事に一瞬頭の処理が追いつかなかった。走るのを完全にやめると、呆然と立ち尽くす。

 ネックレスを奪い取ろうとするルビーの細い手首を、しっかりと掴んだ手。恐ろしいくらいに蒼白だった肌は、時を経て徐々に生きた人間の色を取り戻しつつある。

 「どうして!」

 ルビーがそう叫んだところで、彼女の……シズクの瞳はうっすらと開かれていく。最初は虚ろに。でもすぐに力強い生気を宿した不思議な青い瞳。それはどこか、この球体の放つ光の色に似ている気がした。

 「引きずり込まれたはずよ? どうして戻ってこれるの!」

 ミレニィも、シズクがまさか目覚めるとは思って居なかったが、ルビーにとってはミレニィよりも更に予想の範疇を超える出来事だったらしい。それまで彼女が纏っていた冷静という名の衣は、シズクの目覚めによってあっさりと脱げ落ちてしまっていた。

 「貴方の魔力で、出来るはずは――」

 「そんな事より」

 狼狽ともとれる反応を示すルビーに、シズクの視線は冷ややかだった。言葉を遮ると、大きく息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出す。そうして、さらりと焦げ茶色のポニーテールを揺らしながら上体を起こすのだった。

 「いいの? 逃げなくて」

 「な――」

 「イリスの結界は、悪しきもの、悪意ある者を退ける、強力な結界なんでしょう?」

 シズクの声とは思えぬ、冷徹な声だった。ハッとしてミレニィは彼女の方を見ると、肩で息をしているのが分かる。どこか苦しいのだろうか。

 シズクの元へ近づこうとしていたミレニィだったが、直後に感じられた、深くて強い魔力の躍動に、身をすくめてまた立ち止まってしまう。

 何かが変わった。身体の芯まで揺さぶられる振動には、そう感じさせる力があった。不思議な事に、それきり例の球体は光を失い、眠りについたように何の反応も示さなくなる。おかしいほどに荒れ狂っていた魔力の奔流も、ここへ来た時のように穏やかな流れに変わる。部屋の中は、一見静かになったかに思えた。

 「……ぅ、ああああああっ!」

 突然あがった悲鳴にびくりとして、ミレニィは思わず両手を口に当てる。静かになりつつあった部屋を再び騒がしくしたのは、赤髪の女だった。ルビーは、何かに耐えるように呻き、その場にうずくまってしまう。シズクのネックレスに伸びていた手は、緩くウェーブのかかる赤髪をくしゃくしゃに掴んでいた。

 「――――」

 先ほどまで敵であった彼女であるが、哀れみさえ呼ぶその様子に、ミレニィはぞっとする。一体彼女に何が起こったというのだ。

 「う、裏切り者の分際で! 何故イリスピリア王家に味方をするの? うぅぅ……その石は、も、元々我々の――魔族シェルザードの物だったのにっ!」

 恨み節の様に低い声でそれだけ言うと、ルビーの姿は先ほどのリオのように空気に溶けていく。人が簡単に消えてしまうなんて。二度目になっても、その光景を見た後の心臓のドキドキはちっともマシにならない。リオもそうだが、ルビーにしても普通の人間ではないだろうと思った。魔族シェルザード。去り際の彼女の台詞に、さっと背筋に冷たいものが走り抜ける。いや、しかし今はそんな事より――

 「シズク!」

 本来の一番の目的を思い出すと、ミレニィは今度こそシズクの元へ駆け寄っていた。彼女は球体の置かれた台座を掴み、危なっかしい動きで立ち上がろうとしている。慌ててミレニィは肩を貸して、シズクの手助けをした。

 「シズク、大丈夫?」

 右肩の傷が痛々しかったが、それ以外に外傷は特に見当たらない。一瞬それに安堵するも、シズクの額に浮いた脂汗の量に、ミレニィは不安を募らせた。

 「あはは……何かいろいろ滅茶苦茶だよね。ミレニィは、大丈夫だった?」

 ふわっと苦笑いを零して、シズクはミレニィにそう尋ねてくる。先ほどルビーに向けていた冷徹なものとは違う。普通の少女が浮かべる表情がそこにはあった。シズク・サラキスだ。そのことが何故か凄く嬉しくて、思わず涙が競りあがってきたが、ミレニィはそれを堪えて泣き笑いのような表情を顔全面に浮かべる。

 「平気よ。どこも怪我してないわ」

 こんなに怖い思いをしたのはミレニィにとって初めての経験だった。将来は魔道士になる身なのだから、いつかは危険な目にだって合うかもしれない。そうは思っていたが、まさか学生時代にここまで生命の危機に瀕するなんて思いも寄らなかったのだ。剣を突きつけられて、体中が震え上がった。魔法は得意だったはずなのに、呪文の最初の一文すら頭に浮かんでこなかった。そんな中、怪我一つ無く生き残れたのは――

 「シ、シズクのおかげよ! 貴方が居なかったら私、絶対に生きていなかったわ!」

 ぽろりと、悲しみからでも、恐怖からでもない涙が零れた。いけないと思い、何とか涙を止めようと頑張るが、くしゃりと変な顔になるだけで、涙は止まらなかった。

 「そっか……良かった」

 そんなミレニィをきょとんとした顔で見つめてから、シズクはにっこりと今度は満面の笑みを浮かべてくれる。

 終わったのだ。怖いものは全て、去ったのだ。

 やっと取り戻した平穏に、体中の力が抜けていく。失って初めて、日常というもののありがたみが身に染みた。くだらない事を細かく気にして、自分は今まで、何て浅はかで馬鹿だったのだろう。明日ジャンとクレアに会ったら今までの事を全て謝ろう。もちろんシズクにも。シズクの笑顔を見て、そんな事を思っていた時だった。


 がくん、と。


 笑顔のまま、シズクがその場に崩れ落ちていく。一瞬何が起こったか理解できず、泣き笑いの変な顔のまま、ミレニィは彼女が倒れ行く様を眺めるしか出来なかった。頭の処理機能が完全に停止する。一秒が、何分にも何時間にも感じられた。

 「シズ……ク?」

 ようやくそう漏らしたのは、シズクが低く呻く声が聞こえた時だった。停止していた時が一変して目まぐるしくまわりだす。

 「シズク! シズク!」

 狂ったように名前を呼びながら、ミレニィは倒れたシズクの肩を抱き、上体を起こそうと必死になる。触れた彼女の身体は、小刻みに震えていた。ローブ越しにじっとりとした感覚が伝わってきて、額だけではなく、シズクが全身にびっしょり汗をかいている事を初めて知る。思えば目覚めてから、彼女の息遣いはずっと荒かった。冷徹な表情はとても大人びて見えたが、もしかするとずっと、何かに耐えていたせいなのかも知れない。さきほど自分に向けてくれた笑顔も、やっとの思いで浮かべたものかも知れなかった。

 「ねぇ、しっかりして――」

 「……ぁ」

 けほりと小さく咳を零し、それきり一旦シズクは呻くのをやめた。だが、口に押さえつけていた手を、酷くのんびりした動きで離し、シズク自身の目の前にかざした瞬間、ミレニィは戦慄する。

 どろりとした血が、部屋の青白い光を受けて怪しく輝いていた。蠢くようにそれはシズクの手首を伝い、ゆっくりと流れ落ちていく。ぱたぱたと新たな音が立つと、それはシズクの口から更に零れ落ちた血が床をうがつ音だった。白い床に出来た紅い染みは、恐ろしく目を惹いた。

 「――――っ」

 喉の奥で小さな悲鳴が零れる。目の奥がちかちかして、まるで思考がまわらなかった。ミレニィに出来た事はせいぜい、苦しそうに肩で息をするシズクの背中をさする行為くらいだ。

 血をこれだけ吐き出しても、何度もシズクは喘いだ。そしてそのたび、まだ足りないとばかりに紅い血は零れ落ち続ける。下手な悪夢を見ているような気分だった。さきほど自分の命が危険に曝されていたときよりももっと強い恐怖が、ミレニィの心の中を支配する。

 「お、お願い……しっかりして」

 彼女の背中をさする以外何にも出来ない自分が恨めしくて、涙が止まらなかった。

 「ミレニィ――ごめ」

 「謝らないでよ! 貴方は何も悪い事、してないじゃない!」

 かすれた声でこちらを見上げて、何を言うかと思えば、そんな事だった。何をそう謝るのか。何故謝る必要があるのか。謝らなければならないのは、むしろ自分の方ではないか。

 元々幼い顔つきであるが、涙目でこちらを見上げてくるシズクは、酷く頼りない印象をミレニィに与えた。華奢ではないはずなのに、小ぢんまりして見えてしまう。このまま彼女が消えてしまうのではないかと考えたら、どうしようもなく怖かった。

 「ま、待ってて! 誰か……誰か助けを、呼んでくるから! 待ってなさいよ!」

 そうだ。自分にできる事があと一つだけあった。ここは、世界中の知識の粋を集めたイリスピリア城だ。シズクを助けられそうな人もひょっとしたら居るかも知れない。ミレニィに出来る事は、その人を探し出してここへ連れてくる事だ。

 まわらない思考を無理矢理まわすと、ミレニィは勢いよく立ち上がった。そうして、未だに苦しみで呻くシズクを一回だけ振り返ると、すぐに思いを断ち切るように夜の廊下に向かって全速力で走り出していた。

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