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追憶の救世主  作者: たかこ
第2部 東の森の魔女編
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第4章「決壊」(8)

第4章「決壊」


8.


 「や……あぁぁぁっ」


 床に両手を付けて、ミレニィは泣き崩れていた。ぽたぽたと、白い床に黒い点がいくつも出来る。

 先ほどの光景がミレニィの脳裏にこびりついて離れてくれなかった。あの球体に触れた直後、シズクはばったりと倒れたのだ。貧血などで倒れるのとは訳が違う。まるで魂が抜けたみたいに、操り人形の糸をばっさり切り落とした後のように、彼女はその場に力なく崩れ落ちたのだ。今も青白い顔で、台座の横に倒れている。もしかしてシズクは……死んでしまった?

 (――死)

 動かなくなること、何も考えられなくなること、消えてしまうこと。

 ぼんやりとしか理解していなかったそれを、今しがた自分は目の前でリアルに感じてしまったのだ。地肌で感じる死の香りは、ミレニィの背中を凍り付かせるのに十分な力を持っていた。震えが来る。


 「予想通りね。ティアミストの魔道士として落ちこぼれなら、こうなる」


 激しく混乱していたミレニィの耳に、そんな声が入って来た。耳障りな声色だと思う。涙で滲む視界で、ミレニィは声の主の姿を必死で見定めようとしていた。赤髪の妖艶な女の姿を。

 「でも、魔道士として落ちこぼれでも、お人よしなところは変わらなかったわね……」

 少しずつ台座へと歩みを寄せながら、彼女は馬鹿にするような口調で吐き捨てる。

 (ティアミスト? 落ちこぼれ? ……誰の事を言っているの?)

 「まったく馬鹿よね。偽善者の考える事は、私には理解できないわ」


 「――――」


 女のその言葉が耳に入った瞬間、頭の中が真っ白になる。思いに突き動かされるがままに立ち上がって走り出すと、我に帰った時にはもう、乾いた音が殺風景な部屋に上がっていた。一瞬の沈黙の後、唐突に時は回り始める。

 「てっ……訂正しなさい!」

 目を見開いて、ミレニィは女を睨みつけていた。右手のひらにひりひりとした感覚がこびり付いている。初めて知るに近い感触だった。今まで誰かにこんな事をした経験は、ミレニィには無かったから。

 「今言った言葉、全部訂正しなさいよ!!」

 無我夢中で怒鳴り散らす。相手は剣を持っていると知っていたが、それも今は怖くは無かった。恐怖よりも、怒りの方が勝っていたのだ。

 『偽善者』と、目の前の女はシズクに向けて確かに言った。ミレニィが触れさせられるかもしれなかった例の球体に、自ら触れて、そして倒れたシズクに向かって。あんな事、並大抵の覚悟では出来やしない。そんな彼女を、偽善者と言うのか。

 自分の事ではないのに。自分があざ笑われた訳では無いのに。ここまで、他人へ向けられた言葉に不快感を抱いたのは初めての事だった。他人に向けられた言葉で、ここまで涙が溢れるのも、初めてだった。

 「……ただ怯えるだけで何も出来ない子だと思ってたけど、意外と度胸あるじゃない」

 ミレニィに叩かれた方の頬を手で押さえながら、女は妖艶な笑みを浮かべる。決して友好的ではない。殺意とも取れる笑顔。

 「でもね、時にはその度胸が身を滅ぼす事もあるのよ。今みたいにね」

 くすり。と鼻で笑うと、女は例の紅い剣をミレニィに向けて構えていた。嘲るように薄められていた瞳は、突然凶暴な色を宿す。

 あぁ。自分はこの剣で殺されるのだろう。漠然とそう思う。恐怖でまた全身が震え始めていたが、女を叩いた事を後悔していはいなかった。彼女がシズクに向けた言葉は、絶対に許せるものではなかったし、自分がした行動も決して間違った事ではなかったはずだったから。

 「怯えたまま、部屋の隅でうずくまっていたら良かったのに」

 そう告げた直後、紅い剣が部屋の光を受けてぬらりと光った。いよいよ剣が自分に向かって振り下ろされようとしているのだろう。あんな切れ味の良さそうな剣で切られたら、きっと凄く痛い。痛いだけでは済まないかもしれない。

 「――――っ」

 思わずきゅっと目を閉じて、事が起こるのを覚悟したミレニィだったが、ひゅっと風を切る音が聞こえたきり、事態は一行に動かなかった。待てども待てども、剣が自分の体を裂く感覚はやって来なかったのだ。

 「……?」

 さすがにおかしいと思ってミレニィはそろりと瞳を開く。開いた後で、目の前のあまりの光景にぽかんと間抜けに口を広げてしまった。


 『偽善者って意見には賛同しかねるけど……ティアミストがお人よしなのは否定できないわね、確かに』


 ミレニィの目の前には、見たことの無い女性が立って居たのだ。

 全身青づくしといっても過言ではないくらい、青だらけの女性。髪から衣装から、全てが微妙に異なるトーンの青色で埋め尽くされている。こちらからは見えないが、この調子だと瞳の色も青なのではないか。おかしな事に、彼女の背中からは薄い羽のようなものが生えていた。イミテーションかとも考えたが、それにしては良く出来すぎている気がする。更におかしな事に、女性はミレニィに振り下ろされそうになっていた剣を、素手で――しかも手のひらで受け止めていたのだ。

 「…………」

 いくら腕の立つ格闘家でも、手のひらで剣を受け止めるのはほぼ不可能な事と言ってもいい。切れ味の悪い刃物ならば可能な話かもしれないが、女の紅い剣は、ミレニィの見た限り最高級の切れ味を誇っていた。身体全体が鋼ででも出来ていない限り、そのような事は不可能なはずなのだ。だが現に今、ミレニィの目の前で青髪の女性は難なくそれをやってのけてしまっている。

 「誰なの? あんた」

 さすがにこの状況は、赤髪の女にとって予想外の出来事だったのだろう。初めて余裕をなくした表情を浮かべると、蒼髪の女性に向かって不機嫌そうに言い放つ。

 『あら、無関係の魔道士を巻き込んだり、一国の王女を誘拐してまで手に入れようとしていた物の事、忘れちゃったのかしら?』

 赤髪の女の言葉に、蒼髪の女性は飄々とした調子で返すのだった。剣を前にしているのに、彼女には慌てた様子も恐怖する様子も見られない。まあ、素手で剣を受け止められるのだ。彼女にとって、刃物は恐怖の対象外であってもおかしくない。

 「!? ……偉大なる蒼イアーリオ・ワイス

 『ご名答』」

 女性の言葉を聞いて、赤髪の女は何かを思い出したようだった。吐き捨てるようにそう告げると、告げられた方の女性は、嬉しそうにそう呟く。

 ミレニィとしては、正直なところ、訳が分からなかった。偉大なる蒼イアーリオ・ワイス。それは、かの水神の神子が持つといわれる、伝説の杖の名前ではなかっただろうか。女性の名とするには、少し仰々しくもある。

 一時、状況は緊迫したものになっていた。剣を素手で受け止めた体勢のまま、蒼髪の女性と赤髪の女はにらみ合いを続ける。ぴりぴりと、張り詰めた空気が場を支配し始めていたが、そんな雰囲気は長く続く事は無かった。蒼髪の女性の方が、あっさりと身を引いたからだ。

 「?」

 女性は紅い剣からやんわりと手を離してから、完全に赤髪の女とは反対の方向を向く。すなわち、ミレニィが居る方を。

 ミレニィとしては、この女性の行動は釈然としなかったが、彼女の姿を正面に据えて、言葉を失ってしまう。予想通り、女性の瞳はサファイアをそのまま埋め込んだかのような美しい青色をしていたからだ。そして、その容姿にしても、プロポーションにしても、ほぼ完璧に近かった。思わず息を呑んでしまう程に。

 女性は、ミレニィを視界に入れてため息をついたようだった。決して疲れや絶望からくるため息ではない。全くしょうがない。と言った感じものだ。


 『ただでさえややこしい事になってるのに。面倒な事になったわね……』


 呟きつつ、女性の白い腕はミレニィの胸元にあるクリスタルへと伸びる。細長い指でハート型のそれを掴むと、呆けるミレニィの眼前で、それはあっという間に砂へと変貌してしまう。サラサラと音を立てながら、紅いクリスタルだったものは、あっけなく白い床に落ちていった。本当にあっけない。あれほどミレニィを惑わし、苦しめた物が、一瞬で無に帰したのだ。

 きょとんとした目で、ミレニィは目の前の美女を見つめた。突然現れた事といい、クリスタルを一瞬で砂に変えてしまった力といい、普通の人間ではない気がする。だが、ミレニィの目に彼女は、決して悪い存在としては映らなかった。

 「貴方は誰?」

 『私? 私はリオ。そうね……シズクの友達って所かしら。貴方と同じね、ミレニィ』

 名前を言い当てられてどきりとしたが、決して嫌な感覚ではなかった。完璧なまでに整った容姿だったが冷たい印象は全く受けない。リオの顔には慈愛のような雰囲気が満ちている気がした。

 (シズクの友達? ……私も?)

 そんな事が頭に浮かんで、少しだけ胸の辺りが温かくなるが、それも長くは続かない。シズクの名前を聞いて、先ほどの光景が頭の中でフラッシュバックしたからだ。ごとりとシズクが崩れ落ちる光景を思い出して、一気に気持ちが沈んでいくのが感じられた。涙がまた、じわりと浮かんでくる。

 (え……?)

 と、ずっと握っていた右手の拳の中で、何かが動いた気がした。そろりと目と同じ高さまで手を持ってきて、ゆっくり開く。涙目では細部まで分からなかったが、先ほどシズクから渡された青いクリスタルが、ぴしぴしと音をたてて粉々に崩れつつあった。

 『時間切れかしらね』

 切なそうに言ったリオの言葉が、印象的だった。何の時間切れか、首をかしげたミレニィだったが、直後に起こった事で、唐突に理解する。目の前に居るリオの姿が、少しずつ空気に溶け始めていたから。

 「リオ?」

 『シズクのために、欠片を渡した訳だけど……あの子ったら、大事な時に自分以外の人のために使っちゃうんだから』

 ミレニィに告げているというより、ほぼそれは独り言に近かった。リオは悲し気だが、少しだけ嬉しそうにそう呟いてから、最後に赤髪の女の方をもう一度見た。彼女が見たときにはもう、女は台座の横に倒れるシズクのすぐ側まで歩み寄っていた。両者の瞳は、一瞬火花を散らしたようだった。

 『一つ、忠告しておいてあげるわ、ルビー。天才と呼ばれた人間を母に持ち、その天才を凌ぐ程の魔力を持って生まれた娘。それが、シズクよ』

 リオの言葉に、ルビーと呼ばれた女はぴくりと眉を跳ね上げたが、それだけだ。


 『シズクを甘く見ない事ね』


 そう言ったのを最後に、リオの姿は部屋の空気に完全に溶け込んでいってしまう。ふわりと柔らかくて小さな風が起こると、彼女の姿はもうどこにも見ることは出来なかった。消えてしまったのだ。

 ぽかんと呆けているミレニィとは打って変わって、ルビーはというと、鼻を鳴らして例のあの嘲るような笑みをその顔に取り戻していた。脅威であるリオが去って、余裕を取り戻したのだろう。その場にしゃがみこむと、彼女は横たわるシズクの首筋に……正確に言うと、彼女の首にかけられた銀の鎖に手を触れていた。







 ふわふわと、力を抜いて水面に浮かんだ時のような、そんな心地よい感覚が体中を包んでいた。優しい揺れは、シズクを益々眠りへと誘う。だが、ふと、ここは一体何処なのだろうという疑問が頭の中に浮かび、それがシズクの意識を一気に覚醒へと向かわせていた。


 「――――」


 瞳を開いて、身体を起こす。視界が一瞬白んだかと思うと、突然周囲の景色は一変してしまっていた。


 「って……えぇぇっ!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったのも、無理の無い話だと思う。

 眼下に広がるのは、間違いなくイリスの夜の町並みであり、目線とほぼ同じ高さに、雲があった。イリスピリア城で最も高い位置にある塔の最上階ですら、この位置からでは遙か下に見える。自室の窓から眺めるよりも遙かに近めの星空は、美しく瞬きを繰り返す。360度大パノラマの、まさに絶景状態。しかも、足場など一つも無い。文字通りシズクは今、浮いているのだ。イリス上空に。

 妙な浮遊感から逃れたくて、必死にじたばたともがくも、上手く身動きが取れなかった。全く理解不能である。これだけ高い位置に浮いているのに、風をちっとも感じない事にも違和感を覚える。第一自分は、一体どういうしくみでこんな場所に浮いていられるのか。


 「ほっほっほ。まぁそう、慌てずに」


 じたばたと間抜けにもがくシズクの耳に、聞き覚えのある声が届いた。

 (え?)

 身体の動きをひとまず停止させて、シズクは声の主の姿を確認する。視線の先には、予想通りの人物が居た。サラサラとした長い髭。慈愛の満ちていそうな瞳は、若葉色を称える。全身白づくしの、謎の老人。

 「パリスさん?」

 パリス老人は、穏やかな笑顔でシズクの隣に佇んでいたのだ。いや、正確にいうと、シズクと共に浮いている、だろうか。こんなおかしな状況なのに、彼の顔からは焦りという文字は見られない。だが、シズクとしてはそれで益々訳が分からなくなってしまう。この場に自分が何故居るのか、何故浮かんだまま平気で居られるのかも大いに疑問だったが、彼がこの場に居る事の方がもっと不思議だったからだ。ひょっとしたら自分は、夢を見ているのでは――

 「おやおや、夢ではありませぬよ、コレは。まぁ、限りなくそれに近いとは思いますが」

 「へ?」

 心を読んだかのパリス老人の言葉に、シズクはまた変な声を上げてしまう。顔中に疑問の色を乗せて首をかしげるシズクの仕草がおかしかったのだろう。パリス老人は、目を細めて楽しそうに笑うと、こう告げた。

 「ここは、魔力の世界です」

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