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追憶の救世主  作者: たかこ
第2部 東の森の魔女編
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第4章「決壊」(4)

第4章「決壊」


4.


 ――夜空が綺麗。


 そう思える余裕がようやく出てきたのは、ついさきほどの事だった。部屋の明かりはつけずに居た。だが、周囲は暗闇で覆われる事はなく、落ち着いた銀の光が優しく包んでいる。今夜の晴れ渡ったイリスの夜空は、月明かりが一際明るかったからだ。もうすっかり夜なのだと気付いたのも数分前の事。それまではただただベッドの毛布に包まり、感情に任せて泣いてばかり居た。鏡で確認した訳ではないが、きっと今自分はこの上なく酷い顔をしているのだろう。

 「…………」

 くちゃりと鼻をすすると、ミレニィは小さく息を吐いた。そうしてもぞもぞ動いて、窓辺に両腕をかける。色白のミレニィの肌は、月明かりを受けて淡く青色に透き通っているようだった。蜂蜜色のふわふわした髪は、乳白色に輝く。こうして月光に曝されていると、泣きはらしたこの顔も少しはマシに見えるのではないかと思えた。

 今朝のいざこざの後、クレアに付き添われて保健室に駆け込んだミレニィだったが、処置を受けた後も、気持ちの部分は回復する事はなかった。とても授業など受けられる状態ではなく、保険医にも今日は休むよう諭されてしまったのだ。そして、それからずっと、部屋で泣いていた。昼ごはんも晩御飯もすっかり食べ損ねてしまった。少し冷静になった今やっと、腹の虫が騒ぎ出している事に気付いたくらい。はしたない音をたてる自身のお腹をさすりつつ、ミレニィはため息を一つ零した。

 ――自分が情けない。

 夕食の少し前に、クレアが部屋を訪ねてきてくれていた。皆で晩御飯を食べようと、誘ってくれたのだ。正直なところ、嬉しかった。ここしばらく、ミレニィ自身がクレアやジャンを避けてしまっていたため、昼ごはんも晩御飯も意図的に一人で食べた。一人で食べる食事は、なんだか物足りなくて、口の中もお腹も、そして心も満たされないものだった。だから、そろそろ恋しくなってきていたのだ。クレアやジャン達と食べていた食事の味が。

 だが、その申し出も断った。泣きはらした顔を彼らに見せるのが嫌だったからという部分も大きい。だがそれ以上に、情けなかったのだ。自分の事が。彼らに――特にシズクに、合わせる顔が無かったのだ。

 (どうして……)

 また鼻をすすると、涙が再び溢れてくる。つんと鼻の奥に痛みを感じて、胸が締め付けられた。

 どうして自分は、彼女を――シズク・サラキスを避けてしまうのだろうか。妬いていたのは確かだ。だが、それをあからさまに表に出せるほど、ミレニィは思い切りの良い性格ではない。それなのに、どうして――


 『ねぇ知ってる? 人間の感情には様々あるけれど、一番恐ろしい感情は何なのか』


 「――――っ!?」

 途端、心臓が思い切り跳ね上がっていた。確かに今、声が聞こえたからだ。女の声だ。きょろきょろと忙しなく視線を移動させるが、この寮室にはミレニィ一人しか居ないはずである。部屋唯一の出入り口である扉も、ミレニィ自身の手によって確かに施錠されているはずだった。彼女以外の誰かが居る事など、ありえないのだ。

 『探しても無理よ。だって私はここだもの』

 ここと言われても分からない。声の主を捜し求めてきょろきょろするミレニィだったが、視線の先にあるのはいつもどおりの部屋の光景だった。だが、一瞬キラリと光ったものに視線を寄せて、そしてそれから目が離せなくなる。

 「――――」

 『そう。私はここ』

 視線の先には、あの例の赤いクリスタルがついたネックレスがあった。あまりの事実に、ミレニィはぽかんと間抜けに口を広げてしまう。あぁ、とうとう自分は頭までおかしくなってしまったのだろうか。ネックレスが話すなど、そんな馬鹿なことが起こるわけが無かろう。かの水神の神子が持つといわれる伝説の杖ならば、意思を宿すというし、こんな風に会話が出来てもおかしくないかもしれない。だが、今ミレニィの目の前にあるネックレスは本当にただのアクセサリーなのだ。小遣い程度の値段で買える、大して珍しくも無いハート型をしたクリスタル。

 『で、さっきの話の続きなんだけど。知ってるかしら? 人間が持つ感情の中で、最も愚かしいものは何か』

 ミレニィの動揺も、声の女にとってはどうでも良い事なのだろう。別段気にする風でもなく、さっさと話題を切り替えてくる。声に問われてミレニィはますます困惑を深めていた。人間の持つ感情の中で、最も愚かしくて、恐ろしいもの。もしかして、それは――


 『答えはそう、『嫉妬』よ』


 まさにミレニィが思い描いていた通りの答を、声はあっさりと告げてくる。

 『誰しもが持つ感情。だけど、時に人を狂わせるもの。どんな賢人でも、この感情に取り憑かれてしまうと、たちまち幼子のように我侭になり、しまいには戦争まで起こしかねない』

 朗々と語る声の内容に、ミレニィは確かにとも思う。歴史を紐解いていくと、他人への妬みが関係している争いなどその辺にごろごろ転がっている。一番最近の事例で言うと、ファノス国の国王が暗殺されたのを皮切りに、今のオタニア付近で起こった大規模な紛争も、もとを正すと人と人の間に渦巻く愛憎が原因だったという。

 嫉妬。妬み。簡単に人を狂わせてしまう感情。だが、それが一体何に関係すると言うのだろう――


 『あの王子の事、好きなのでしょう?』


 一際怪しげに響いた声は、ミレニィの心臓を鷲づかみにする。きゅっと音をたてて、実際に今、鼓動が止まってしまったのではないかと錯覚したくらいである。身体が引きつる。赤く月光を反射するクリスタルを視界に入れるも、そこからは何か危険なものがじわりとにじみ出ているようだった。あれには近寄っては駄目だ。本能的にミレニィの心が警鐘を鳴らす。

 「…………」

 『答えなくても私には分かる。だって貴方の心は、あの少女への黒い気持ちで一杯なんだから』

 「――――!?」

 明らかなミレニィの動揺に、声は今度は嗤ったようだった。嘲るような軽い笑みが聞こえると、心の中がカッと熱くなる。

 『あの少女に対する、嫉妬の気持ちで一杯』

 「違う!」

 咄嗟に大声で怒鳴り散らしていた。しんとした部屋に、声はあっさりと溶け込んで消えていく。だが、声は消えてもミレニィの怒りは収まる事はなかった。目をむいてクリスタルを睨みつける。もちろんクリスタルに顔など存在しないため、声の主がどのような表情を浮かべているかは判断できない。

 叫んで再び、じわりと涙が浮かび上がってきた。シズクに対して、確かに嫉妬の気持ちは持っていた。だが、声が言うように黒くてどろどろしてなどいない。恋心から派生する延長のような、そんな軽い感情であるはずなのだ。争いを起こすどこかの賢人のように、自分が狂ってしまうほどはその感情で埋め尽くされていない。

 「違うわ! 私、そんな事――」


 『王子を自分のものにしたいでしょう?』


 「――――っ」

 ミレニィの言葉は、再びの女の声によって遮られてしまった。蜂蜜のように甘く、とろりとした口調。それはまるで、誘惑するかのように。

 初めは単に耳から捉えていただけの声は、次第に頭の中にぐらぐらと響くようになる。いけない、と身体中が警戒音を発している。この声に耳を傾けては駄目だ。頭のどこかではそのことをきちんと理解している。だが、本能の部分ではどうだろうか。自分は確かに――リース王子の事を想っている。

 『もっと側に行けたらって思わない?』

 もっと近くに行けたらと思っている。ずっと隣に彼が居てくれたら、きっとどんなに自分は幸せだろう。

 『いい方法があるの』

 (何? それは?)

 声に返答したのは、ミレニィの唇ではなかった。頭の中で囁いただけの言葉。だが、声の主は聞き取ってくれたらしい。ふふっと柔らかく声を零すと、こう告げたのだ。

 『任せてしまえば良いのよ。嫉妬という感情に――』







 「――なんだか、嫌な夜空ね」


 資料をめくる手を休めると、図書館の窓から覗く空を視界に入れて、アリスが言った。

 「そうか? いつもより晴れてて、寧ろ綺麗だと思うけど」

 同じく本をパタンと閉じてから、気だるそうに頬杖をつきつつリース。

 今夜のイリスの空は、一際明るかった。図書館の中は、ランプの柔らかな光りで満たされているが、例えそれら全てを消してしまったとしても、視界は明るいままではないのかと思える。雲一つ無い快晴だ。満月から欠け始めた月も、悠然と空に君臨している。

 「分かってないわね~。リースは」

 更に横から声がかかって、リースはムッとなる。軽く半眼になると、声の主であるリサをうっすらと睨んでやった。だが、そんな事で怯むような姉ではない事は、リース自身ちゃんと理解している。案の定リサはぴくりと眉を上げただけで、他にこれといった変化を示さない。

 「綺麗すぎる月夜っていうのは、何かが起こる予兆だったりするのよ」

 アリスやリースと同じく、本に埋もれながらリサが言った。

 もうすっかり夜だ。いかに24時間開館しているイリスピリア国立図書館であっても、試験前でもなければ、切羽詰まるような課題の提出もないこの時期に、人の気配はまばらだった。閲覧ゾーンに至っては、リース達以外は誰も居ない。だが、仮に彼らの様子を見る者が居たとすれば、彼らが居座っている閲覧机の上は、何やら小難しそうな本達で溢れ帰っているように見えるだろう。いや、事実溢れ帰っている。

 本達のどれもが、イリスピリアの名家のリストであったり、世界の歴史に触れたものであったりした。アリスがセイラから依頼された、ティアミスト家以外で滅びたり途絶えたりした家系、事象、物はないか。という調査の真っ最中なのだ。何故アリス以外の二人も参加しているかというと、答えは簡単だ。リースは、そもそもの言い出しっぺはあんたなのだから、とアリスに手伝いを強要されたのである。そして、リサはもちろん自主参加だった。シズクに関する詳しい話も知れて、彼女にしてみれば一石二鳥なのだろう。

 「月が綺麗過ぎる夜云々はまぁ置いておくとしてもね、最近物騒みたいよ。イリスの町での軽犯罪発生件数がここ数週間で急激に増えて来てるそうだし」

 言ってリサは、怖いわよね、と零す。

 「前まではほとんどなかった重犯罪も、ここ数年漸増傾向らしいわよ」

 全て城を抜け出さぬよう忠告された際に、ネイラスから説得に使われた内容の受け売りだそうだ。

 だが、リースは姉の言葉の内容にぴくりと眉を吊り上げる。少し意外だったからだ。

 周知の通りイリスの町周辺に張り巡らされている結界は、世界で最も強固なものの一つである。通常ならば魔物しか跳ね除けないそれは、イリスに至っては更に強力であり、悪意、邪気まで払ってしまうと聞く。魔道の国と称されるイリスピリアの象徴ともいえる結界。それをもってしても、犯罪が増加しているというのだろうか。

 「リースはともかく、アリスはか弱い女の子なんだから、一人歩きは気をつけた方が良いわよ!」

 眉を吊り上げると、リサは身を乗り出してアリスにそう忠告する。忠告された側のアリスはというと、言われた内容にどう反応してよいものやら、焦った末に、はぁとかまぁとか言っている。リースは、見た目は華奢でもこの又従兄妹の呪術の腕前は相当である事を知っているし、か弱いと言うには程遠いほど彼女の神経は図太く出来ているという事も知っているので、一人歩きしたところで、チンピラの方がのされて終わりだろう、と胸中で呟いて居た。まぁリサとて、そんな事は承知の上で言っているのだろうが。

 「あ! か弱い、で思い出した。……ねぇ、シズクちゃんの体調は良くなったのかしら?」

 身を乗り出した状態で、リサは急に表情を曇らせる。突然何を言うかと思えばそんな事だった。

 「…………」

 『か弱い』という単語から連想されるものに、大いに疑問を感じさせられるところではあるが、口に出して突っ込むことはしない。シズクの話題は、ここのところどうも苦手なのだ。彼女の名前を耳にするだけで、ぎくりとしてしまう自分がいる。だから、アリスが一瞬だけ意味ありげな視線をこちらに寄こしてきても、リースはあえてそれを無視していた。

 「……大分良くはなったみたいですよ。今日からは学校に行っているみたいですし」

 リサと同じように表情を曇らせると、アリスは肩をすくめてそう告げた。

 一度だけ、彼女はシズクの寝室に訪ねて行ったらしいのだが、その時にシズク本人から面会拒否されてしまったのだという。あんな事があった後だ。シズクが滅入るのも分からなくも無い。そっとしておいた方が良いという話になり、アリスもリサも、それ以来訪問を自粛している。

 だがそうは言ってもアリスは心配で仕方ないのだろう。本人を訪れる事は無かったが、こっそりシズクの世話を焼いていた使用人に話しかけては、シズクの様子を尋ねている。今朝登校していったという情報も、その使用人からもたらされたものだとリースは思う。

 アリスの言葉にリサは、そっか。と、どこか煮え切らない声を漏らす。おそらく、思う事は皆一緒なのだろう。たとえ体調の方が回復したとしても、シズクの心の部分はどうか分からない、と。そしておそらく、心の部分では全くといって良いほど回復していないのだろう、と。

 「シズクと私とリースの3人で笑ってた日が、物凄く昔の事のように感じるわね」

 寂しそうな色を瞳に宿すと、伏せ目がちにアリスが言った。

 オタニアでシズクと出会ってから、イリスピリアに向けて一月程の旅をした。その間実際、命に関わるような危機にも何度か遭遇している。だが、イリスピリアに到着してからの今の状況に比べれば、あの頃の方が格段に気持ちが軽かった。楽しかったと言ってしまっても良いと思う。何の気兼ねもせずにシズクと会話できていた頃を思い出し、リースはなんだか苦しくなった。そういう日が、ひょっとしたらもう戻ってこないのではないだろうかと思うと、何だかんだ言っても気持ちはしぼんでいく。

 「また、戻れるのかな……あの頃に」

 一同黙り込んでしまった状態がしばらく続いたが、アリスが窓の外を見つめてそう零した事で、再び時がまわりだした。彼女の言葉に、リースとリサも視線を外へと向ける。

 欠けた月は、月にしては眩しすぎるほどの銀を、夜空に撒き散らして居た。

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