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追憶の救世主  作者: たかこ
第1部 魔道士の城編
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第7章 「月夜の来訪者」(4)

第7章 「月夜の来訪者」


4.


 ゆらゆら揺れる意識を覚醒させたのは、体の芯まで響く、大きな振動だった。


 どぉん、と大きな音が耳を突く。一瞬遅れて、激しい衝撃が再び体に伝わってきた。小さな体でそれを受けて、シズクは大きくよろめく。この振動、地鳴りではない。――『空気』が揺れているのだ。


 「時間が、無いわね……」


 女性の声がした。

 見ると、目の前には自分よりも一回り背の高い女性が立っている。その姿と声に、ひどく胸を締め付けられる。懐かしさに、涙がこぼれそうになった。

 (ここは……?)

 上空を見上げると、空は夕方でもないのに、真っ赤に燃えていた。怒りと悲しみの色だ。空色の瞳で、シズクは、それを不安そうに眺める。

 あたりは騒がしい。人々の逃げ惑う姿がそこかしこに見られ、それに続く爆発音。建物は――燃えている。冬でもないのに、シズクは身が震えた。両手で肩をおさえても、震えは納まることはなく、それどころか一層激しくなっていく。

 (恐い……。何? ここは)

 軽くシズクの頭は混乱していた。ここは一体どこだろう。ひどく懐かしく、そしてただただ、悲しい場所。ここは――

 「―――ン―」

 ふと、目の前の女性が何事かを呟いて、こちらを振り向いてきた。

 一瞬だけ視界は乱れるが、すぐにまた正常に戻る。目の前で金色がかった土色の髪がひるがえる。そしてそこに飛び込んできたのは、

 「あ――」

 目が覚めるような、深いブルー。それは、シズクと同じ不思議な色彩を放つ――青い瞳だった。シズクは一瞬で、その瞳に引き込まれてしまう。決意を込めた、強い意志の象徴。この瞳に、わたしは見覚えがある。


 「お母さん……」


 声は、自然に出た。


 ――お母さん。


 そう、目の前のこの女性こそが、わたしの本当のお母さん。

 肩まで伸ばした土色の髪に、すうっと通った鼻筋。優しくて、暖かくて。綺麗な人だった。町一番の美人と周りから言われていた。そしてそれが、シズクの一番の自慢だった。どうして今まで忘れてしまっていたのだろう。あんなに大切で、かけがえの無い存在だったのに。

 シズクに呼ばれて、女性は鋭い表情を一時崩し、慈愛の籠もった笑みをこちらに向けてくれた。それだけで胸が、締め付けられる。

 「大丈夫よ」

 女性は、しなやかな柔らかい指で、幼いシズクの頬を撫でる。その甘い感触を受け、軽い睡魔のような誘惑に襲われたが、寸でのところではっとなった。そしてぼんやり理解する。そう、現実じゃない。きっとこれは夢なのだ、と。

 人々の悲鳴、怒号。建物の崩れる音、破壊音。そして……やさしい母のぬくもり。

 意識は現在のシズクだったが、肉体はあの日の幼いシズクだった。あの日の夢。そう、わたしは今、過去の夢を見ている。過去の――わたしが『シズク』になる前の、全てが、失われてしまった日。

 「お母さん」

 「大丈夫だから」

 恐怖に耐えきれなくなって、シズクは母の体にしがみついた。それを母は、やさしく受けとめ、頭を撫でてくれる。涙が溢れる。

 「みんな、死んじゃう……」

 先程まで一緒に笑い合っていた人々が、恐怖や絶望のうちに、死んでしまう。形あるものが、消えてしまう。その事が、何よりの恐怖だった。

 「なんで? なんでみんな……」

 そう言って、幼いシズクは泣きじゃくった。

 「…………」

 母は、何も言わずにしゃがみこむと、目線をシズクと同じ高さに合わせた。ひどく傷ついた表情を浮かべている。何に傷ついたかは、シズクには分からなかった。

 「……いい事、よく聞いて」

 シズクと同じ色の瞳で、見据えられる。そのあまりの真剣さに、シズクの目からあふれ出ていた涙は、止まってしまった。

 「母さんが何とかここを食い止めるから、あなただけ先に逃げなさい」

 「え……」

 「逃げて、とりあえず安全な場所へ。……そうね、イリスまで行ければ、国王がなんとかしてくれるかも知れない」

 「こくおう?」

 聞き慣れない単語に、シズクはきょとんとして首をひねる。その様子に、母は一瞬やさしく微笑んだ後、

 「……イリスピリアで一番偉い人の事よ。首都のイリスに向かいなさい。これを見せたら力を貸してくれるはずだから」

 そう言って、首元をまさぐり始めた。

 母子のやり取りの最中も、爆発音や悲鳴が耐えることは無い。空が赤い。……おそらく、悠長にしている時間は無いのだ。母がいつもより早口で、動きに焦りが見えるのが、何よりの証拠だろう。

 「本来は、カインに託すべきなのだろうけど……」

 シャランッという軽い金属音がしたかと思うと、次の瞬間には、シズクの首筋にひんやりした感触がはしった。

 「――――っ」

 一瞬ひるんだシズクだったが、すぐにそのひんやりの正体に気付いた。

 「え? これって……」

 「大切な物よ」

 母の手によってシズクにかけられたもの。それは、銀のネックレスだった。いつも母が肌身話さず身につけているもので、何度かシズクは欲しいとせがんだ記憶がある。しかし、絶対に渡してはくれなかった。大きくなったらね。と苦笑いするばかりで、首につけることすら、させてくれなかった。それを母は、今まさに、自分にくれると言っているのだ。あんなに大切にしていた物のはずなのに……。

 「なんで?」

 思わず聞いてしまう。胸が、おかしいほどざわつく。本当は、幼いシズクにも、母がこれを自分に託す理由がなんとなく分かっていた。しかし、聞かずにいられなかった。否定して欲しかったのだ。こんな物、母から受け取りたくなんてない。だって、それはまるで――

 「賢い子。あなたは本当に聡明で、母さんが何も言わなくても、全部分かってしまっている」

 言って、母は娘の頭を優しく撫でた。誉めているのに、その表情はひどく悲しそうに見える。止まっていた涙が、堰を切ったようにまた、流れだした。

 「もし母さんに何かあっても――」

 「嫌だ! そんなの嫌だよ!」

 母の言葉を遮って、シズクは叫んだ。そんな言葉、聞きたくない。おえつを漏らしながら、揺らぐ視界の先の、母を見た。美しく、強い人。それが、母という人だった。

 「走りなさい」

 真剣な瞳で彼女は言い放つ。いやいやと首を振るシズクの肩をつかんで、方向を無理矢理変えさせた。それでシズクはわっと泣きだしたが、それでも母は、我が子を引き寄せて自分の元にとどめようようとはしなかった。

 「走って、そしてイリスに行きなさい。国王に会って、助けを求めなさい」

 爆発音が近づいてくる。もうそこまで、脅威は迫っているのだ。

 「ネックレスを見せたら良いから。けれども、渡しては駄目よ、決して」

 力なく、シズクは頷いた。涙でもう、前が見えない。

 「この『石』は、偉大なる遺産。荷が重いものを託すことになる」

 ネックレスが何だとか、そんな事はどうでも良かった。ただ、涙が止まらなかった。おえつで震える肩を、後ろから母に優しく抱き締められる。おそらくこれが、最後の包容。耳元で囁かれる、愛しているの一言。声は少し、かすれていた。

 「さぁ、走って!」

 背中を強く押されて、シズクは駆け出した。全力で走る。振り返っては駄目だ。振り返っては駄目だ。振り返っては――

 物凄い衝撃音の後、視界は真っ白になった。次に気が付いた時には、もうそこには真っ赤な空も、人々の屍も無く、あるのはただの木造の天井。


 (……あぁ、戻ってきたんだ)


 全身ひどい汗をかいている。呼吸がまだ少し荒い。頭が割れるように痛かった。現実に戻ってきた事に安心する反面、大きな喪失感がシズクの胸を突く。

 「シズク?」

 声をかけられ、視線をそちらへ移動させる。ぼんやりとした視界の先には、心配そうな表情を浮かべたリースとアリスの姿があった。辺りを確認すると、部屋の床に自分は倒れていたのだと分かる。アリスが何事かを唱えている声が耳に心地よい。癒しの術だろう。おそらく、あれからそれほど時間は経っていない。

 「気が付いたんなら良かった。うなされてたぞ」

 言ってリースは、あいまいな表情でこちらを見つめてくる。とろんとした目で、シズクも視線を返す。

 「夢を見たの……」

 「夢?」

 「昔の夢」

 「…………」

 リースは目を見開いて口をかたく結ぶと、今度は真剣な表情をこちらに向けた。

 「悲しい夢だった。空が赤くて――」

 「もう、いいから」

 小さく頷いて、シズクは瞳を閉じた。閉じる直前に、アリスの心配そうな視線とぶつかったが、力なく笑いかける事しか出来なかった。

 目を閉じて、真っ暗になった視界に、再びあの光景がフラッシュバックした。それは何度も何度も頭の中で再生され、そして同じ場所で停止する。


 どうして今まで忘れていたんだろう。

 あんなに大切な事だったのに。

 あんなに悲しい事だったのに……。


 言いようの無い感情に、胸を締め付けられる。きつく瞳を閉じて忘れようとしても、あの時の真剣な母の表情は、シズクの頭から消えてくれそうになかった。

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