表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追憶の救世主  作者: たかこ
第1部 魔道士の城編
47/208

第7章 「月夜の来訪者」(3)

第7章 「月夜の来訪者」


3.


 「御機嫌よう、シーナ様」


 不適に笑うと、女はシズクと目線を合わせた。その声色は決して悪くはないのに、ひどく冷たく響く。胸が、ありえないくらいの大音量で悲鳴を上げた。

 (シーナ?)

 女の言葉に、シズクは眉をひそめる。今、目の前のこの女の口から確かにその言葉が紡がれた。聞き間違えるわけが無いほどに単純な名前。


 『シーナ』


 その名前に、一つだけ覚えがある。おそらく、この世界で最も有名な名の一つだろう。

 そう、伝説の勇者――金の救世主メシアの名前だ。その名が、今確かにシズクに向かって使われた。

 「…………」

 自慢じゃないが、生まれてこの方、実年齢より五歳下に見られた事は数限りなくあるが、伝説の人物――それも絶世の美女の一人――に似ていると言われた事など一度もない。もちろん、シーナという名前でもない。他に思い当たるものはないか、必死で考えてみたが、やはり心当たりが無い。

 「意味が分からない。って顔ね。ま、無理も無いか」

 目の前で声がした。顔を上げると、女の深い色の瞳と目が合った。クリウスと同じ、夜の湖面を思わせる神秘的なブルー。紛れもない魔族シェルザードの証だ。魔族シェルザードと人間の判別が難しいなんて、誰が言いだした話なのだろうか。簡単ではないか。……こんなに深い青色の瞳は、人間には存在しない。でも……気のせいだろうか。その不思議な青は、シズク自身の瞳の色に、ひどく似ている気がするのは。

 「あんたの名前、知らないからね。だから名前の代わりに、あんた達みたいな人間の事をこう呼ぶのよ」

 赤髪の女はそこで言葉を切ると、口の端を釣り上げて、

 「シーナ。ってね」

 そう、言った。

 その瞳に映るのは、嘲笑と関心の色。彼女の目的は全く見えないが、それでも友好目的ではない事は確かだ。そう思うと、シズクの全身を電流のように戦慄が駆け抜けた。

 「意味が分からないんだけど。『あんた達みたいな』って何? わたしが何だって言いたいの?」

 言って、シズクは目の前の女を睨み付ける。やっと出せた声は、思いの外低かった。

 女の言葉の意味にも、やはり心当たりがない。いやそれどころか、彼女の言葉は、さっきから理解できたためしがない。訳の分からない事ばかりを言うのだから。そのくせ、彼女の言葉全てが意味深なのが癇に障る。

 シズクの睨みは、悲しいかな女には効いていそうにはなかった。その代わり、興味深そうに女は目を見開く。

 「知る必要ないわ、そんな事。あんたと私はもう会うこともないだろうから。そう――」

 またも途中で言葉を切ると、女は狡猾な視線をシズクの首筋に注いだ。まるで獲物を狙う獣のような、そんな目だ。

 一歩、また一歩と。女がシズクの方に近づいてくる。女の前進に合わせて、シズクも後退する。じりじりと、壁が背中に迫りつつあるのがわかった。

 「今から私の目的が、達成されるのだから」

 とんっ。と背中に部屋の壁が触れたのが分かった。部屋に唯一の窓が斜め横に見える。月の光が、ありえないくらいに美しかった。

 退路が立たれてしまった事に焦りを感じる。それに合わせて心臓の鼓動が一気に加速しだした。今のシズクを満たすのは、明らかな危険信号と、そして――恐怖だ。

 「…………」

 月明かりに照らされて、きらりと何かがきらめいたのが分かった。女は相変わらず、狡猾な視線をシズクの喉元に向けている。しかし、それはやがて歓喜の色に染まると、

 「……見つけた」

 口元を釣り上げてそう言い、女はその右手をシズクへと差し出してくる。差し出されたその手は、何の迷いもなくシズクの喉元に近付き、そして――

 (……え?)

 意識した時には、シズクはもう横に転がっていた。しゃらんっという涼やかな音が、場違いにも部屋に響く。

 咄嗟に避けた瞬間に、女の指がかすかに触れたもの。それは――シズクの首にかけられた、銀のネックレスだった。

 「…………」

 素早く体勢を立て直すと、シズクは驚愕の表情で女を見た。

 (狙われた? ……このネックレスが?)

 訳が分からない。それとも、単なる気のせいなのだろうか? 軽い混乱を覚えたが、女の視線とぶつかってそれ以上の思考は中断されてしまう。

 (今はそれどころじゃない!)

 「いい身のこなしじゃない。魔道士だと思って油断してたわ」

 シズクの見せた動きが、予想以上に素早かったのだろう。女は軽く関心したような顔をしていた。

 シズクは、身軽さには自信がある。昔からナーリアによく言われたものだ。『魔道士だからって、全て魔法に頼りきりでは駄目だ』と。魔道にも通じ、且つ体術にも通じている。というのが、理想な魔道士の姿なのだそうだ。……まぁ、シズクがその理想的な魔道士かというと、特に魔力の面に置いて、決してそうではないのだが。

 「…………」

 「でも――」

 女は、好奇の色はそのままに、不適に微笑んでシズクの方に歩み寄ってくる。板張りの床に、足音は鈍く響いた。

 (何とかしなければ)

 事情はさっぱり分からないが、このままではいけない事だけは確かだ。そう思い、必死に打開策をひねり出そうとするが、

 「その動きが、いつまでも出来ると思わないようにね!」

 「――っ!」

 予想よりも遥かに速い動きで、女はシズクに迫ってきた。とっさの事で、シズクは思わず目をつむってしまう。次に目を開けた時には、女はすぐ目の前だった。

 「命が惜しかったら、ちょろちょろ逃げ回らないことね」

 笑顔で末恐ろしい台詞を吐くと、女は即座にその相貌をすっと薄める。鋭い目線に当てられて、シズクはすぐさま硬直した。クリウスと同じ。相手をねじ伏せるためだけの眼光。

 シズクがおとなしくなった事を確認すると、とんっと女は、シズクを挟んだ状態で、窓枠に両手をつく。いわゆる、男が女を落とす時のシチュエーションだ。だが今は、当たり前だがそんなロマンチックな展開の途中ではない。むしろ、これは命の危機だ。

 しなやかな手つきで、女は右腕をこちらへのばしてくる。なんとかそれを避けようと、シズクは力一杯仰け反ったが、

 「いい子ね……」

 シャランッとまた、繊細な音が部屋に響いた。もちろん、発生源はシズクのネックレス。女の指が、再び触れたのだ。

 (やっぱり……このネックレスを狙っているんだ)

 何が何だかさっぱり分からない。目の前の女の素性も、このネックレスを狙う目的も、何もかも。でも、そうやすやすとネックレスを渡してしまうのは、シズクとしてはどうしても許せない事態だった。

 シズクは意を決すると、素早い動きでネックレスのプレート部分を両手で握り締めた。裏には変な文字と記号が刻まれ、表には小さな石がはめ込まれた、例のプレートだ。ネックレス全部は無理でも、これだけは――渡したくない。

 「な――っ!」

 女はシズクのとった行動に、面食らったようだった。一瞬大きく目を見開いたが、次の瞬間にはもう怒りで目を吊り上げていた。

 「離しなさいっ!」

 それまでの妖艶な声とは打って変わって、激しい怒号を浴びせてくる。そして、物凄い力でシズクの両手をプレートから引き剥がそうとしてきた。

 「やだ!」

 女に負けじと、シズクも声を張り上げる。

 渡すものか。これは、このネックレスは、自分が守らなければならない。

 女とシズクは、しばらくの間もみ合う形になった。女は物凄い力でシズクの手を引き剥がそうとしてくる。対するシズクは爪を立てられても何をされても手を離そうとはしない。ところが、らちがあかないと悟ったのか、女は突然、行動を変えてきた。

 「――――っ!」

 ぐいっと視界が後方へ移動した次の瞬間、鈍い音がシズクの耳に届いた。それと同時に、後頭部に深い鈍痛を感じる。目の前に火花が散って、痛みのため息が詰まった。女に、頭を思い切り壁に打ち付けられたのだ。更に、痛みに呻くシズクの喉に、細長い指が絡み付いてきた。

 「おとなしく言うことを聞いていれば良いものを……」

 涙で波打つ視界の先で、怒りに燃える女の瞳とぶつかった。彼女の手は、シズクの喉を捕らえて離さない。その指に徐々に力が加えられていくのが分かった。息が――詰まる。

 「これの価値すら分からない分際で」

 これ、と言って女はもう片方の腕を、ネックレスの鎖に当てた。そしてそのまま、勢い良く引っ張りはじめる。かなりの力が加えられているはずだったが、ネックレスの鎖は、シズクの首に食い込むだけで一行にちぎれる気配は無い。おそらく――ただの素材では無いのだ。

 「いいこと? これはね、あんたみたいな未熟者が持つべきものでは無いの」

 声と共に、首を締め付ける力は更に強められる。シズクは空気を求めて喘ぐが、一行に喉は通らない。

 (駄目だ……渡しては駄目だ!)

 心の叫びとは裏腹に、シズクの意識は徐々に遠退きはじめていた。

 「この石はね……」

 もう、女が何を言っているのかもよく分からなかった。ひどく頭がぼんやりして、耳が遠くなる。

 (駄目。守らなければ。渡しては――)


 『渡しては駄目よ、決して』


 意識が途切れる寸前に聞いたのは、ひどく懐かしい声だった。


 『渡しては駄目。この『石』は、偉大なる遺産なのだから――』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ