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追憶の救世主  作者: たかこ
第1部 魔道士の城編
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第5章 「魔道士の城」(1)

第5章 「魔道士の城」




 ふわっと、柔らかい香りが鼻をくすぐる。


 花の香りだ。

 それは『彼女』が好んでよくつける香水の香りだった。清楚で純粋な、彼女に良く似合う、柔らかい香り。

 普段ならばこの香りがすると、優しさと愛しさが体の中を包み込み、愛撫をせがんで駆け寄っていくところだ。

 しかし、今は違った。

 

 「――…かた無いのよ」

 

 声が届く。

 儚くて、今にも消えてしまいそうな声。そして、どこかに諦めを含んだ、冷たい声だった。

 「仕方が無いのよ……」

 もう一言。今度ははっきりと、耳に届く。

 それと時を同じくして、冷たいものが喉元に触れた。

 細くて白い、美しい手だ。それだけは昔から少しも変わらなかったが、果たしてこれ程、この手は冷たかっただろうか? 柔らかく、温もりがあったのではないか。こんな手は……知らない。

 手は、まるで愛しく撫で上げるように喉元をさ迷い、やがて場所を定めたのか、動きを止めると、急に力がこもる。

 「――――っ」

 視界が揺らいで、涙目になるのが分かった。その瞳のまま、上を見上げる。彼女の黒瞳は、恐ろしく美しく、そして悲しいくらいに絶望に満ちていた。豊かな黒髪が、だらんと頬に当たる。まるで地獄へと続く黒い縄梯子のようだ。

 指の力は徐々に強まる。この細い腕のどこにこんな力があるのか不思議でたまらない。

 呼吸が妨げられて息苦しい。このままでは、おそらく自分は死ぬのだろう。

 しかし、抵抗はしなかった。ただただ悲しかった。もう、諦めてしまっていたのだ。

 指にこめられる力は一段と増して行き、徐々に意識は閉塞へと向かう。

 「――――」

 ほとんど感覚も失っていたが、ふと、頬に何か冷たいものが当たるのが分かった。――泣いているのだろうか。

 「――お……」

 かすかな意識の中で、必死に声を絞り出す。彼女には、はたして届くだろうか。


 ――お願いだから悲しまないで。


 一緒にいるから。付いていてあげるから……




 「一緒に逝きましょう……アリシア」




1.


 「――――っ!?」


 妙な浮遊感が一瞬。

 直後、それまで見ていた風景から一転して、アリスの周囲は突然景色を変えた。潮騒のように鳴っていた音も消えて、のどかな小鳥の鳴き声だけが耳に届く。

 呼吸が荒い。まるで、長い間水の中に潜っていた後みたいだ。それなのに、体中に嫌な汗をかいている。

 「…………」

 どうやら夢を見ていたようだ。――悪夢を。

 変な眠り方をした時にたまに見る。そうしていつも、同じタイミングでこんな風に目が覚める。後に残るのは悲しさと苦しさと、そして安堵の溜め息だけ。

 ……そんな夢だ。

 最近はあまり見なくなっていたのだが、久しぶりに見た。

 「…………」

 アリスは不安を振り払うように首を左右に振ると、ゆっくり起き上がる。そして、まだ眠りから覚めきらない目で周囲の様子を伺い始めた。

 広い部屋だ。所々に置かれた装飾品も派手すぎず質素すぎずといった感じで趣味がいい。部屋の一方の壁際には大きな窓が一つあった。光の方向からして、きっと南向きだろう。

 上を見上げると、天井から豪華そうなシャンデリアが重たげにぶら下がっている。そして部屋の中央部にベッドが一つ。これもまた豪華なつくりで、ふかふかのシーツや掛け布団は羽毛でも入っているのだろう。寝心地だけは、それまで寝た事のある寝床の中でも最高ランクのものだった。客人用の寝室といったところだろうか。

 そのベッドの上にアリスが今居るという訳だ。どうやら寝かされていたらしい。

 シーツの包み込むような感触が少しだけ名残惜しかったが、状況が状況なだけにそんな悠長な事は言っていられない。そう思って、アリスはベッドから降りるとゆっくり床に足をつけた。床にもまた豪華な絨毯がしかれており、柔らかな感触が足の裏を受け止める。

 ふと足元を見ると、自分の靴が丁寧にそろえられた形で置かれていた。

 「ここどこ……って言っても、分かる訳がないわよね」

 靴を履きながら、アリスは呟く。しかし独り言に答をくれる者など居る訳も無い。声は部屋に響く事もなく、空しく消えた。

 辺りをもう一度よく見渡してみるが、もちろん知った場所ではない。ついさっきまで居たはずの町の宿屋とは、比べようもない程の豪華なしつらえなのだから。

 部屋に唯一の窓から見える外は、明るかった。太陽の位置からして、おそらく正午くらい。しかし、あれから何日経っているのかは、分からなかった。分かることと言えば、窓から見える景色にも全く見覚えが無いという事くらいだ。切り立った崖が見え、その下に豊かな森が見えた。とすれば、ここは崖の上に建っている建物という事だろうか。

 「…………」

 周囲の状況からは全く何も見えてこない。アリスは、半ばふて腐れるような感じで乱暴にベッドへ座り込んだ。そうして腕を組み、考えてみる。

 眠り込む前アリスは、シズクと一緒に買い物をしていたはずなのだ。それが突然、こんな場所にいる。確かあの時……ここへ来る前の事だ。あの時アリスはシズクと話し込んでいたのだ。アリスの方から話を持ち出して、雨の中少しだけ立ち話になった。それから……シズクがとまどった表情で口にしたのだ。自分は仲間として見られているのか、と。

深刻そうな顔で俯く彼女の姿が今でも目に焼き付いている。

 「……シズク、大丈夫かしら」

 アリスの思考はいつの間にかシズクの事へと移っていた。

 あのときのシズクは、いつもと様子が違ったのは確かだった。朝からずっと変だったから。その様子は、イライラしているようにも不安そうにも、また、何かを恐れているようにも見えた。

 本当に自分は一緒にいて良いのか。とこちらに尋ねてきたシズクは、普段よりも何倍も幼く見え、放っておいたら今にも泣き出してしまいそうな気がしたくらいだ。あんなシズクの姿、出会った頃の明るい彼女からは想像もできない。

 きっと、疑問と不安だらけなのだろうとアリスは思う。

 町中で変な襲撃に巻き込まれたかと思ったら、あのほけほけ師匠に突然同行を依頼されたりするし。リースはあんな性格だから、行動を共にし始めてからはいつもシズクをからかっていたし。

 まったく男ってものはデリカシーが無いんだから。と何度憤りを覚えた事やら分からない。

 それでもシズクは楽しそうにやっているようだったから、少しは安心していたのだが……そうでも無かったのかも知れない。それを気付けなかった自分に、少しだけ苛立つ。

 「……大丈夫なのになぁ」

 ため息交じりに独り言を漏らした。そう、大丈夫なのだ。

 そんなに不安に思わなくても、きっとリースも師匠もシズクの事を仲間だと思っているだろうに。彼女に非などは、どこにも有りはしないのだし……アリスとしては、むしろ居てくれた方が嬉しかったりするのだし。

 今まで言葉として一度も伝えられていなかったのが悪かったのだろうか。気持ちや行動で出していても、言葉としてはっきり示さないと伝わらない事だってあるのだろう。だとしたら、次シズクと会ったら絶対に言ってあげなきゃいけない。

 大丈夫だ、と一言。

 そして男二人にはシズクに対する態度についてガツンと言ってやらねば。

 「そうと決まったら話は早いわ! さっさとここがどこだか調べて、みんなの所へ帰らなきゃ!」

 それだけ叫んでから、アリスは再び立ち上がった。独り言でもなんでもいい。決意をするために、自分に言い聞かせているのだから。頭の中で考えるだけではどうにもならない。行動しなければ。

 とにかくまずはこの部屋から出るのが先決だろう。辺りを見渡す限り、脱出に使えそうな場所は見当たらなかったが、意外なところに見つかるかもしれない。がぜんやる気が出てきた。

 その時だ。


 「帰られたら困るんだよね」

 「――――!?」


 背後から声がかかる。先程までは何の気配もなかった場所だ。というか、この部屋にはアリスひとりしか居ないはずなのだ。周囲を見回してみて、確認したばかりなのだ。人が居るはずが無い。

 だがその声にアリスは戦慄を覚える。聞いたことのある声だった。

 「…………」

 「帰られたら君をここまで連れてきた僕の顔が丸つぶれじゃないか。まぁ……ここが何処かくらいは教えてあげられるけどね」

 清らかな、少年の抜け切らない美声。

 そうだ。この声はさっき、自分が気を失いここへ連れてこられる前に聞いた声だ。

 ゆっくりとした動作で振り返ると、先程まで何もなかった場所に、まばゆい銀色が存在していた。

 銀の髪の美しい少年。

 「…………」

 「そんなに怖い顔しないでよ」

 半ば睨むように少年を見つめるアリスに、少年はおどけた調子で言った。

 「言ったでしょ、ここが何処か教えてあげるって。ここはわが主、エレンダル・ハインの館さ。いや、城と言った方が良いかな」

 「――――!」

 少年の口走った言葉に、アリスは息を飲んだ。

 ――エレンダル。

 それは、セイラの杖を狙い、自分達を追い回していた相手の名だから。

 彼がこの目の前にいる少年の主人なのだろうか。だとしたら……自分をここまで連れてくるよう命令したのは……彼? そう考えると、つじつまが合う。

 「……それで? 私を人質にして師匠達をおびき寄せようって寸法?」

 皮肉げに溜め息を着いてからアリスはベッドに座り込んだ。

 「物分かりがいいね。僕の話を疑ったりもしないなんて」

 対する少年の方は感心したように肩をすくめた。

 疑うも何も、エレンダルの名前を出してきた限り、少年が嘘を着いているということは無いだろう。自分達とエレンダルの事を知っているのは、自分達以外で言うとオタニア魔法学校の魔道士達だけだ。それに、たとえ万が一彼が嘘をついているとしても、エレンダルに次ぐ新たな敵が登場だなんてやっかいな事、考えたくもなかった。

 少し状況が見えてきた。自分はおそらく、セイラ達をエレンダルの元へおびき寄せる、餌なのだろう。そのために、ここまで連れてこられた。

 「まったく。あなたのご主人は一体何を考えているんだか。師匠の杖を手に入れたからって生気を吸われるのがオチで、他に何もいいことがないのに」

 大げさにため息をついて言ってやる。しかし、少年は全く意に介していないようだった。小さく肩をすくめると、

 「そうでもないと思うよ。あの杖には、それなりの使い道がある」

 と意味ありげに述べたのだ。

 「使い道?」

 使い道といっても、せいぜい呪術を使うための媒体くらいにしかならないだろうに。いくら神代から存在する大いなる杖と言っても、杖は杖なのだから。

 「そう。水神レムスの力を宿す杖を使って、できる事があるのさ」

 楽しそうに言う少年に対して、アリスは怪訝そうに眉をひそめた。

 エレンダルが何にこの杖を使おうとしているのか、皆目検討がつかない。呪術に使うというのなら分かるが、エレンダルは魔道士だ。それとも、杖に何か秘密でもあるのだろうか。

 そんなアリスの心中に気付いたのだろうか、少年は意味ありげに微笑むと、

 「まぁ着いて来なよ。ご主人様が直々に君と話がしたいそうだから」

 まるで面白いショーを楽しみにする子供のような表情で言った。

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