第一部 第六話 ――報せと、測られる価値
南の森からの風は、いつもより冷たかった。
朝の執務室。
地図の前に立つラルト・アルヴァリアの表情は、静かだが硬い。
「――数が合わん」
低く、抑えた声だった。
机の上には、騎士団と魔法師団から上がってきた報告書が並んでいる。
魔物の討伐数、目撃地点、魔力反応の記録。
どれも単体で見れば、異常と断じるほどではない。
だが、並べると違和感が浮き彫りになる。
「出現数が増えているわけではありません」
そう言ったのは、セリウスだった。
長身で、穏やかな顔立ち。
だが、その目は報告書の行間まで読み取っている。
「ただし、動きが……統制されている」
ラルトが頷く。
「縄張りを越えている、か」
「はい。本来なら交わらない種が、同じ方向に流れている」
そこへ、ガイウスが腕を組んで言葉を重ねた。
「騎士団の巡回部隊も、同じ感触を得ています。
森が――静かすぎる」
その場に、沈黙が落ちた。
椎名は、少し後ろに控えながら、地図を見つめていた。
(……集められている)
言葉にはしない。
だが、戦場で何度も見た兆候だった。
「椎名」
ラルトが名を呼ぶ。
「あなたは、どう見る?」
その問いに、部屋の視線が集まる。
椎名は一歩前に出て、地図を見ながら口を開いた。
「森の奥に、“核”があります」
即答だった。
「そこに近づくほど、魔物は減り、周囲が騒がしくなる。
……典型的な誘導です」
ガイウスが眉をひそめる。
「魔族、ということか」
「可能性は高いかと」
セリウスが、静かに息を吐いた。
「やはり、来ましたか」
ラルトは、椅子に深く腰掛けたまま、指を組む。
「大規模侵攻ではない。
だが、放置すれば確実に被害が出る」
視線が、椎名に戻る。
「あなたなら、どう動く?」
それは、意見を求める問いだった。
椎名は少し考え、答える。
「力を誇示する必要はありません」
地図の南端を指でなぞる。
「探るべきは、奥ではなく“周縁”です。
魔物が集められている理由を、外から削ぐ」
ガイウスが、ふっと口角を上げた。
「囮を叩く、か」
「餌を断つ、と言った方が近いですね」
セリウスが興味深そうに頷く。
「魔力の流れを乱せば、統制は崩れます」
ラルトは、しばらく黙っていたが、やがて決断した。
「騎士団、南部警戒を強化。
魔法師団は、異常魔力の観測を優先」
そして。
「椎名。
あなたには、同行してもらう」
一瞬、空気が張り詰める。
「前線ではない。
判断役としてだ」
椎名は、静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
――その後。
城の中庭で、カインが一人、剣を振っていた。
いつもより力を抑え、動きは慎重。
魔力の光も、控えめだった。
「……難しいな」
呟きに、椎名が声をかける。
「考えすぎると、身体は固まります」
カインは、苦笑する。
「あなたの剣を見てから……自分が、どれだけ魔力に頼っていたか、分かりました」
「頼ること自体は、悪いことではありません」
椎名は、隣に立つ。
「ただ、頼れなくなった時に、何が残るかです」
カインは、剣を下ろした。
「……父上が、あなたを同行させるそうですね」
「はい」
少し間が空く。
「……戻ってきてください」
その言葉は、真っ直ぐだった。
「この領地には、あなたが必要だ」
椎名は、一瞬だけ目を伏せ、そして微笑んだ。
「務めを果たして、必ず」
その夜。
南の森の奥深くで、
人ならざる視線が、アルヴァリアの方角を見据えていた。
笑みとも、嘲りともつかぬ感情を滲ませながら。
「……面白い駒が、現れた」
低く、響く声。
まだ、その名は知らない。
だが確かに、椎名という存在が、盤上に置かれた瞬間だった。




