第四部 第十五話――静かな干渉者たち
朝霧が、城下を覆っていた。
中立公国アルヴァリアの都は、いつもより音が少ない。
人の往来はある。商人も、職人も、兵もいる。
だが、そこには説明しがたい“間”が生じていた。
――皆、何かを待っている。
理由を知らずとも、空気がそう告げていた。
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城門前。
三つの馬車が、間隔を保って並んでいた。
紋章はそれぞれ異なる。
・アルスト王国
・カンフリークト帝国
・ルカ聖王国
偶然にしては、あまりにも揃いすぎている。
椎名は、城壁の上からその様子を見下ろしていた。
(示し合わせたわけではないでしょう。
ですが……狙いは同じでございますね)
中立公国の“反応”を測る。
それが、彼らの共通目的だった。
「椎名」
背後から、公爵の声がかかる。
「使節の受け入れ準備は整っているな」
「はい。
それぞれ、同時刻ではなく、時間をずらして対応いたします」
「よし」
公爵は、城門の方を一瞥した。
「余計な誤解は生むな。
だが、期待も持たせるな」
「承知しております」
椎名は、いつも通り丁寧に応じた。
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最初に通されたのは、アルスト王国の使節だった。
「我が国は、あくまで“懸念”を抱いているだけです」
穏やかな笑み。
言葉も柔らかい。
「先日の境界の件。
貴国が、どのような立場をお取りになるのか……
理解を深めたく存じまして」
椎名は、静かに答える。
「我が国の立場は、変わりません。
中立であり、いずれの国にも与しません」
「ですが――」
使節は、ほんの一瞬だけ声を落とした。
「中立公国が“脅威を排除した”という事実は、
周辺国に大きな影響を与えます」
「左様でございますね」
椎名は、微笑まない。
「ですので、我が国は説明責任を果たしております。
侵入者を排除した。
それ以上でも、それ以下でもございません」
使節は、それ以上踏み込まなかった。
踏み込めなかった、と言うべきか。
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次に訪れた帝国の使節は、より露骨だった。
「中立とは、弱さではないと証明された。
それは理解する」
低い声。
「だが、孤立は別だ」
椎名は、視線を逸らさない。
「我が国は、孤立しておりません」
「ほう?」
「距離を取っているだけでございます」
その言葉に、使節の目が細まった。
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ルカ聖王国の使節は、最後まで“善意”を装っていた。
「難民の流入について、貴国のお力添えを……」
椎名は、即答しなかった。
(難民問題を、政治の道具に使うおつもりですか)
だが、口に出すことはない。
「我が国は、人道を軽んじることはございません」
あくまで、原則のみを返す。
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外交が進む一方で、城内では別の動きがあった。
財務局から上がった報告書。
治安部門の記録。
そして、貴族家からの“陳情”。
「最近、領内で不穏な噂が増えております」
文官が告げる。
「“中立公国は、すでにどこかと結託している”
そのような流言です」
椎名は、静かに目を伏せた。
(始まりましたね)
噂は、剣よりも扱いが難しい。
斬れば、飛び散る。
「発信源は?」
「特定できておりません。
ですが……一部の下級貴族が、資金的に不自然な動きを」
「監視を続けてください」
声は穏やかだが、迷いはない。
「表沙汰にはなさらず。
“掃除”は、静かに行います」
文官は、深く頭を下げた。
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夕刻。
訓練場で、ファルカは槍を構えていた。
以前よりも、動きが安定している。
「……っ!」
踏み込み。
突き。
引き。
椎名は、少し距離を取って見守る。
「呼吸が、よく整っております」
「……意識してる」
ファルカは、息を整えながら答えた。
「戦ってる人たち、いっぱいいるだろ」
「はい」
「でも、椎名は……前に出ない」
椎名は、わずかに首を傾げた。
「出る必要が、ございませんので」
「それって……逃げじゃないよな?」
問いは、真っ直ぐだった。
椎名は、少し考え、言葉を選ぶ。
「逃げるか否かは、立ち位置で決まります」
「立ち位置?」
「はい。
守るべき場所に立ち続けることも、戦いでございます」
ファルカは、槍を握り直した。
「……俺も、そこに立てる?」
椎名は、即答した。
「立てます。
いずれ必ず」
少年の表情が、少しだけ明るくなる。
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夜。
城の灯が、一つ、また一つと消えていく。
椎名は、地図の前に立っていた。
国境線。
街道。
そして、目立たぬ点――内側。
(外からの圧。
内からの腐食)
どちらも、戦争の前触れだ。
「……中立は、試され続けますね」
独り言でさえ、丁寧な口調は崩れない。
だが、その目は、静かに鋭かった。
この国を壊そうとするなら――
名も旗も掲げずに、排除する。
夜は、深まり。
次の話数では――
貴族内部の裏切りの兆しと、
椎名の“見えない粛清”が始まります。




