第四部 第十話――沈黙に値札が付く
首都ヴァルアスに、各国の使節団が集結した。
街路はいつもより整えられ、騎士団の巡回も倍に増えている。
だが市民の表情は硬い。
この集まりが「平和のため」でないことを、誰もが直感していた。
会談の名目は――
「周辺諸国の安定と交易の再確認」
だが実態は違う。
中立公国を、
どの程度、どの方向へ引き寄せられるか
その値踏みの場だった。
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会場となったのは、王城内の大広間。
円卓を囲む形で、各国の代表が席につく。
・アルスト王国:若く野心的な宰相
・カンフリークト帝国:老獪な外交官
・ルカ聖王国:聖職者の衣をまとった使節
・そして――中立公国
ラルト・アルヴァリア公爵は、背筋を正して席に着いていた。
威圧するでも、へりくだるでもない。
“同等である”という姿勢そのもの。
椎名は、会場の壁際に控えている。
名簿上はただの「随員」。
誰も彼を重要視していない。
――それでいい。
⸻
最初に口を開いたのは、アルスト王国の宰相だった。
「中立公国殿。
貴国の地理的価値と統治能力は、我が国でも高く評価しております」
丁寧な言葉。
だが、“価値”という単語がすでに答えを含んでいる。
「そこで、提案があります」
宰相は書類を差し出した。
・交易関税の優遇
・軍事技術の提供
・国境警備の共同運用
要するに――
同盟未満、従属以上の関係。
「中立は維持したままで構いません。
ただ、いざという時に“協力”していただければ」
それは、戦争が起きた時に
黙認しろ
という意味だ。
ラルト公爵は、書類に目も落とさず答えた。
「ありがたい提案です。
ですが――」
一拍置く。
「それは、中立ではありません」
会場の空気が、わずかに揺れた。
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次に動いたのは、カンフリークト帝国の外交官。
「公爵殿。
中立を貫くには、相応の力が必要です」
老いた目が、値踏みするように細められる。
「もし不測の事態が起きた場合――
貴国は、単独で守り切れますかな?」
それは、脅しでもある。
“守れないなら、頼れ”
“頼るなら、従え”
椎名は、背後からその男の呼吸を読んでいた。
嘘はない。
本心だ。
だが――
その考え自体が、すでに致命的だった。
ラルト公爵は微笑んだ。
「ご心配なく。
中立公国は、これまでも単独で守ってきました」
それ以上は言わない。
説明しないことが、最大の説明になる場面だった。
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最後に、ルカ聖王国の使節が口を開く。
「神は、秩序を愛されます」
柔らかな声。
だが、その奥には明確な線がある。
「混血、異種族、魔族との交流――
それらは、いずれ禍根を生む」
遠回しだが、はっきりしている。
中立公国の在り方は、神に反する
という主張だ。
椎名の目が、わずかに細まった。
だが、ここで動く必要はない。
ラルト公爵は、ゆっくりと立ち上がった。
「貴殿の神の教えを否定するつもりはありません」
会場が静まる。
「ですが――
それを、我が国に適用する権利は、誰にもない」
それだけだ。
剣を突きつけるよりも、強い拒絶。
⸻
会談は、結論の出ないまま終わった。
だがそれでいい。
今日の目的は、合意ではない。
“立場を示すこと”だった。
夜。
椎名は、城の回廊を静かに歩く。
背後に、気配が一つ。
「……やはり、付いてきましたか」
振り返らずに言う。
影から現れたのは、どこかの国の密使。
名乗ることもない。
「公爵は頑なだ。
だが、貴方なら話が分かるだろう」
金貨の袋が差し出される。
「中立は、高くつく」
椎名は、足を止めた。
ゆっくりと振り返り、穏やかな声で告げる。
「――いいえ」
一歩、近づく。
「中立は、売り物ではありません」
次の瞬間、
密使は“何が起きたか分からないまま”床に転がっていた。
致命傷はない。
だが、二度と裏の仕事はできない。
椎名は、袋を拾い上げ、衛兵に渡す。
「処理は、公爵家の規定通りに」
それだけ告げ、去っていった。
⸻
翌日。
各国使節団は、それぞれの国へ帰っていった。
表向きは、何も変わらない。
だが――
彼らは理解した。
・中立公国は、買えない
・脅せない
・そして、壊しに行けば“静かに壊される”
ラルト公爵は、書斎で椎名に言った。
「派手な成果はありませんな」
椎名は、微笑んで答える。
「ええ。
ですが――これが一番、戦争を遠ざけます」
中立とは、沈黙ではない。
沈黙を選び続けるための、不断の闘争だ。
そしてそれは、
確実に次の局面へ進みつつあった。




