第一部 第四話 ――公爵家という居場所
朝の空気は澄んでいた。
街の中心部に近づくにつれ、建物の造りが変わっていく。石材は上質だが、過剰な装飾はない。見栄よりも機能を重視した街並みは、昨日の印象を裏切らなかった。
「こちらが、公爵城です」
ガルドの言葉とともに視界に入った城は、威圧的というよりも、落ち着いた重みを感じさせる佇まいだった。
城門前の兵士たちは、椎名を一瞥しただけで剣に手をかけることはない。
だが、油断もしていない。完全に制御された警戒心。
(……よく訓練されている)
城内に入ると、すぐに一人の老人が迎えに現れた。
背筋は伸び、白髪は整えられている。
視線は鋭いが、冷たくはない。
「私はマルコ。アルヴァリア公爵家の執事長です」
椎名は即座に姿勢を正し、深く一礼した。
「椎名と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
その動きに、マルコはわずかに目を細めた。
「……随分と、慣れておられる」
「地球では、同じ職に就いておりました」
マルコは何も言わなかったが、その沈黙には明確な意味があった。
――値踏みだ。
「公爵様は、すでに執務室におられます」
重厚な扉の前で、マルコが一礼する。
「どうぞ」
中に入ると、広い執務室が現れた。
書類が整然と積まれ、地図と報告書が壁一面に貼られている。
机の向こうに座る男が、ゆっくりと顔を上げた。
「初めまして。私は――」
「ラルト・アルヴァリアだ」
落ち着いた声。
威厳はあるが、威圧はない。
椎名は跪き、頭を下げた。
「椎名と申します。身分も素性も不明な者ですが、本日はお目にかかれて光栄です」
「顔を上げなさい」
促され、椎名は視線を上げる。
ラルトの瞳は、鋭い。
だがそこには、試すような冷たさよりも、人を見る目があった。
「森で魔物を討伐したそうだな。しかも、魔力を使わずに」
「……結果として、そうなりました」
「謙遜は不要だ」
ラルトは、指先で机を軽く叩いた。
「この領地は、力ある者を排除しない。だが、同時に――」
一瞬、言葉を切る。
「力だけの者も、必要としない」
椎名は、自然と背筋が伸びた。
「あなたは、何を求めてここに来た?」
その問いは、重かった。
椎名は、少しだけ考え、正直に答えた。
「……居場所を」
ラルトの目が、わずかに見開かれる。
「地球では、守るべきものを守れませんでした」
言葉を選ばず、淡々と語る。
「だから、ここで同じことができるとは思っていません。ただ――」
椎名は、城の窓の外に広がる街を一瞬見た。
「この領地は、守られている。そう感じました」
沈黙。
ラルトは、長く椎名を見つめた後、静かに頷いた。
「……よく見ている」
椅子から立ち上がり、椎名の前に立つ。
「アルヴァリアは、完璧な領地ではない。陰謀も、脅威もある」
だが、と続ける。
「それでも、私はこの地を守りたい」
ラルトは、椎名を真っ直ぐに見据えた。
「力を、剣を、知恵を。
そして何より――その姿勢を、貸してほしい」
その言葉に、椎名の胸が微かに震えた。
「……私に、何をお求めですか」
「執事だ」
即答だった。
「戦う執事であっても構わない。だが、まずは“支える者”としてだ」
執事。
その言葉は、椎名にとって、剣よりも重かった。
マルコが一歩前に出る。
「公爵家は、家族も使用人も、命を預け合う場所です」
椎名は、深く息を吸った。
「――お受けいたします」
迷いはなかった。
「私にできることがあるなら、全力で」
ラルトは、静かに笑った。
「では、歓迎しよう」
扉が開き、次々と人が入ってくる。
穏やかな微笑みを浮かべた女性。
「アリアです。よろしくお願いしますね」
無邪気に駆け寄る少年。
「エリアスだよ!」
少し距離を取りながら、興味深そうに見つめる少女。
「……リアナです」
最後に、凛とした立ち姿の青年が一礼する。
「カイン・アルヴァリアです」
椎名は、一人一人に丁寧に頭を下げた。
「本日より、この家に仕える椎名と申します」
その瞬間。
ここが、自分の居場所になるかもしれない。
そう、確かに感じた。




