第四部 第二話 ――静かな国境、騒がしい影
王城の会議室は、厚い石壁に囲まれ、外界の音をほとんど遮断していた。
それでも、椎名には分かる。
この部屋の空気は、外よりもずっと張り詰めている。
長机を囲むのは、公爵ラルトを中心とした中立公国の重鎮たち。
財務、外交、軍務、内政――いずれもこの国の均衡を保つために存在する者たちだ。
だが今日、その均衡はわずかに、確実に、傾き始めていた。
「北部国境での件だが……」
軍務卿が口火を切る。
「“盗賊団”と名乗る武装集団が、補給拠点を二か所襲撃している」
「盗賊にしては、動きが正確すぎますね」
外交卿が即座に返す。
「巡回の間隔、守備兵の交代時刻――すべて把握している」
財務卿は眉を寄せ、指を組んだ。
「被害自体は軽微だ。しかし、回数が増えれば話は別だ。
物流が滞れば、民の不安は一気に膨らむ」
それを聞きながら、椎名は一歩引いた位置で静かに立っていた。
視線は机ではなく、人の表情に向いている。
――焦っている者。
――怒っている者。
――そして、妙に落ち着きすぎている者。
「公爵」
椎名は、会議の流れを遮らぬよう、低い声で呼びかけた。
ラルトが頷く。
「現地に派遣された調査班から、先ほど報告が入りました」
「続けてくれ」
「盗賊団の装備は、北方人族国家の正規軍と同規格。
ただし、紋章や識別具はすべて削られております」
会議室が、静まり返った。
それはつまり――
国家が直接手を出しているわけではない、という“建前”。
「偶然、というには出来すぎているな」
軍務卿が低く唸る。
「ですが、証拠がない」
外交卿は苦々しく言った。
「名指しで抗議すれば、“中立公国が緊張を煽った”と逆に非難されかねない」
ここで、ラルトが静かに手を上げた。
「我々は、剣を抜かない」
その声は穏やかだが、揺るぎがない。
「だが、無視もしない」
視線が、自然と椎名に集まる。
「椎名。
君の考えを聞かせてほしい」
一瞬の沈黙の後、椎名は一歩前に出た。
「では、僭越ながら」
彼の声は冷静で、感情を乗せない。
「今回の件、狙いは二つです。
一つは、我が国の“中立神話”を内側から揺さぶること。
もう一つは――」
言葉を区切り、椎名は続けた。
「“反撃させること”です」
「反撃、だと?」
「はい。
我々が正規軍を動かせば、それだけで相手の目的は半分達成される。
中立を破った、という印象が残るからです」
「では、どうする」
ラルトが問う。
「正規軍は動かしません」
椎名は即答した。
「代わりに――“国として存在しない者たち”を使います」
空気が、一段重くなった。
「冒険者か?」
「それとも、諜報部か?」
椎名は首を横に振る。
「どちらでもありません。
“偶然、盗賊を狩る者たち”です」
その意味を理解し、ラルトは小さく息を吐いた。
「……責任の所在が、霧散するな」
「はい。
中立は守られ、秩序も回復します」
軍務卿が腕を組み、低く言った。
「だが、失敗すれば?」
椎名は、ほんのわずかに微笑んだ。
「失敗した場合でも、
それは“盗賊同士の抗争”として処理されます」
会議は、しばし沈黙した。
やがて、ラルトが立ち上がる。
「決定だ」
「北部国境の件は、椎名に一任する」
その言葉は、信頼であると同時に、重い責任でもあった。
会議後、城の回廊を歩きながら、椎名は窓の外を見た。
遠くに連なる山々、その向こうには、別の人族国家がある。
――彼らはまだ、剣を抜いていない。
だが、手は確実に柄にかかっている。
「戦争は、もう始まっているな……」
ただしそれは、
太鼓も号令もない、
静かな戦争だった。
中立公国は今日も、中立のままだ。
しかしその影では、
誰にも知られぬ形で、
次の一手が動き出していた。




