第三部 第十話――剣が黙し、責務が語る
南方の森を発った一行が、公爵領の中心都市へ戻ったのは、戦から三日後のことだった。
街は、いつもと変わらぬ営みを続けている。
市場では果物の売り声が響き、子どもたちは石畳を駆け回り、職人たちは槌を振るう。
だが――
城門をくぐった騎士たちの装備が、明らかに“使われた後”であることに、気づく者は気づいていた。
剣の刃に残る欠け。
鎧に刻まれた焼け焦げ。
魔石の光を失った指輪。
「……戦が、あったんだね」
誰かの呟きが、静かに風に溶けた。
アルヴァリア城、執務室。
ラルト・アルヴァリア公爵は、届いたばかりの報告書に目を通していた。
首都ヴァルアス、冒険者ギルド、各地の有力貴族。
すでに南方の森で起きた戦闘は、歪んだ形で広まり始めている。
「誇張が多いな」
「はい。魔族を“殲滅した”と書かれているものまでございます」
椎名は、控えめに応じた。
「事実は?」
「前哨戦を退けただけです」
「ならば、問題はそこです」
ラルト公爵は書類を机に置き、静かに椎名を見る。
「人は、勝利を“都合よく”使う。
我々が望もうと望むまいと、この戦は――政治に組み込まれる」
「はい」
椎名は、即座に肯定した。
「すでに各国は、アルヴァリア公爵領を“盾”として見るか、“刃”として見るかを測っております」
「中立とは、難しい立場だな」
「ゆえに、“行動しない中立”は、もはや許されません」
ラルト公爵は、短く笑った。
「やはり、そうか」
そして、静かに決断を口にする。
「森の監視体制を倍増。
騎士団は常設配置に移行する。
魔法師団とも連携を密に」
「承知いたしました」
「首都には、正式な報告を出す。
だが――戦力の詳細は伏せる」
椎名は一礼した。
「賢明かと存じます」
窓の外では、エリアスとリアナが、中庭で剣の真似事をして遊んでいた。
ファルカも、その輪の中にいる。
まだ幼い動きだが、以前よりも足運びが安定している。
「……子どもたちを、戦場に近づけてしまったな」
ラルト公爵が呟く。
「いいえ」
椎名は、穏やかに首を振った。
「“守る覚悟を持つ大人がいる”と知ってもらえた。それは、決して悪いことではございません」
「君は、そう言うな」
「私の役目でございますので」
一瞬、二人の間に、言葉以上の理解が交わされた。
その夜。
椎名は、城の回廊を歩いていた。
静まり返った城内で、足音だけが響く。
ふと、南方の方角を見る。
森は、遠く闇に沈んでいる。
だが、確かに感じる。
――見られている。
(次は、規模が違う)
前哨戦は終わった。
だが、戦争は始まったばかりだ。
「……それでも」
椎名は、小さく息を吐いた。
「守ると決めた以上、迷いはございません」
魔力のない身体。
この世界の常識から外れた存在。
それでも、剣はここにある。
意志も、覚悟も。
南方の闇が、ゆっくりと蠢く。
同時に、世界もまた、大きく形を変えようとしていた。
そして――
その変化の中心に、アルヴァリア公爵領があることを、誰もが理解し始めていた。
静かに、しかし確実に。




