第三部 第六話 ――本戦 南方の森、境界線崩壊
夜明け前。
南方の森は、いつもより静かだった。
鳥の鳴き声は消え、虫の羽音すら途絶えている。
代わりに空気の奥で、低く、重く、脈打つような違和感が広がっていた。
「……始まりますね」
椎名は静かに息を吐いた。
森の縁に設けられた前線拠点。その簡素な土塁の上から、黒くうねる樹海を見据えている。
その背後では、アルヴァリア公爵領騎士団が既に配置についていた。
重装歩兵、機動騎士、魔法師団――数百名規模。
しかし誰一人、無駄な声を上げていない。
森から、魔力の濁流が溢れ始めていた。
地面が震える。
木々の根が軋み、空気が歪む。
「魔物群、第一波来ます!」
前線の斥候が叫ぶのとほぼ同時に、森が割れた。
牙と爪、異形の肢体。
狼型、昆虫型、巨躯の獣――魔物が、数の理不尽そのものとして押し寄せてくる。
「前列、迎撃! 魔法師団、制圧射!」
号令と同時に、戦場が爆発した。
炎が地を舐め、水の奔流が魔物を押し流し、
風の刃が群れを切り裂き、光が貫き、闇が動きを縛る。
詠唱はない。
魔法は、術者の感覚と鍛錬がそのまま現象となって噴き出す。
だが――
「多い……!」
魔物は止まらない。
焼かれても、切られても、後続が踏み越えてくる。
その中心。
森の奥から、異質な存在感が歩み出た。
魔族。
人の形をしているが、明らかに違う。
魔力の密度が、周囲の空間を歪ませていた。
「インベイ……!」
騎士団の空気が一段、張り詰める。
「皆様、落ち着いてください」
椎名の声は、戦場の中でも不思議とよく通った。
「魔族は、私が対処いたします」
彼は剣を抜く。
装飾も魔力もない、ただの鋼。
だが――踏み出した瞬間。
地面が爆ぜた。
魔族が放ったのは、圧縮された魔力の塊。
見えない衝撃波が前線を薙ぎ払う。
騎士数名が吹き飛ばされる。
「――!」
椎名は躊躇なく間に入った。
剣を振る。
ただそれだけ。
衝撃波が、真っ二つに割れた。
魔力が散り、空気が元に戻る。
魔族の目が見開かれた。
「……貴様、魔力を使っていない?」
「ええ。使えませんので」
椎名は静かに答え、距離を詰める。
魔族は笑った。
次の瞬間、地面から闇が噴き出し、無数の影が絡みつく。
だが椎名は、影が動く前に踏み込んでいた。
剣閃。
影ごと、魔族の腕が落ちる。
「な……」
悲鳴は続かなかった。
次の一太刀で、魔族の首が宙を舞う。
――背後で、さらに異変。
森の奥が、光る。
巨大な魔法陣のように、地形そのものが歪み、
そこから、大型魔族が複数姿を現した。
「第二波……本命ですね」
椎名は息を整える。
「ガイウス様、騎士団を後退させてください。
魔法師団は広域制圧に専念を」
「椎名殿は!?」
「私が、前に出ます」
迷いはなかった。
椎名は、一人で前線を越える。
魔族の一体が、天を指差す。
次の瞬間、空が落ちた。
高密度の魔力が凝縮され、疑似的な隕石のように降り注ぐ。
だが椎名は、走る。
落下地点を見切り、衝撃が発生する刹那に斬り込む。
剣が魔力の核を断ち、爆発は内部で潰れた。
「ば、馬鹿な……!」
椎名は答えない。
ただ、人を守るための剣を振るう。
その背で、騎士団と魔法師団が立て直す。
炎と水と風が連なり、戦線が再び形を成す。
――やがて。
魔物の数が、減り始めた。
森はまだ不気味に沈黙しているが、
少なくとも、本戦第一局面は制した。
椎名は剣を下ろし、深く息を吐く。
「……被害状況の確認を。
負傷者は、最優先で後送してください」
戦場に、朝日が差し込む。
だが誰もが理解していた。
これは――
始まりに過ぎない。
南方の森の奥で、
さらに大きな意思が、確実にこちらを見ていることを。




