表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
影縫う剣と蒼き城の執事  作者: わまたよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/47

第三部 第一話 ――南方の森、静かな異変

南方の森は、今日も変わらず霧を孕んでいた。


アルヴァリア公爵領の南端に広がるその大森林は、昼なお薄暗く、木々の隙間から差し込む光すら、どこか濁って見える。魔力が濃い土地特有の現象だと、人々は説明する。風は重く、空気は湿り、踏みしめる落葉は音を立てず、ただ足裏に沈む感触だけを残した。


――だが。


「……妙ですね」


低く、しかしはっきりとした声が、霧の中に溶けた。


椎名は森の縁に立ち、視線を奥へと向けていた。老執事然とした落ち着いた立ち姿。いつもと変わらぬはずのその背に、わずかな緊張が宿っていることを、傍らに立つ騎士団長ガイウスだけが察していた。


「何がだ」


短く問うガイウスに、椎名はすぐには答えない。代わりに、地面へ視線を落とし、しゃがみ込み、指先で土を掬った。


黒い。


湿り気を含んだ土は、森では珍しくない。しかし、その黒さは異様だった。まるで、焼け焦げた痕跡が、時間をかけて土と同化したかのように。


「魔物の足跡が……整いすぎています」


「整いすぎている?」


「ええ。逃げ惑うでもなく、餌を探すでもない。隊列を組んで歩いた跡です」


ガイウスの眉がわずかに動いた。


魔物は、本来群れこそ作れど、統率された行動など取らない。特に、この森に棲む個体は凶暴で、同族同士で殺し合うことすらある。


「……魔族、か」


「可能性は高いでしょう」


椎名は立ち上がり、森を見渡す。その視線は、霧の向こう、見えぬ何かを測るように静かだった。


アルヴァリア公爵家の屋敷に戻ったのは、その日の夕刻だった。


重厚な扉が閉じられると同時に、執務室の空気が張り詰める。集められたのは、ラルト公爵、セリウス魔法師団長、ガイウス騎士団長、そして椎名。


「南方の森に、異変が起きている」


ラルト公爵は、前置きなく切り出した。だがその声音は、いつものように冷静で、感情に流されることはない。


「魔物の活動が活発化している。だが、問題は数ではない」


「はい」


椎名が静かに頷く。


「統率です。魔物が、命令に従っている」


セリウスが椅子にもたれ、深く息を吐いた。


「魔族が直接関与していると見て間違いないだろう。だが……妙だな」


「妙、とは?」


「斥候にしては動きが大きすぎる。かといって、侵攻には早すぎる」


椎名は、その言葉を聞きながら、内心で頷いていた。


――これは、試しだ。


人族がどこまで気づくか。

どこまで耐えるか。

どこで刃を抜くか。


「前哨戦、でございましょう」


椎名の言葉に、全員の視線が集まる。


「本格的な侵攻の前段階。こちらの反応を見るための動きです。討伐に騎士団を出せば、戦力と対応速度が測られる。出さなければ、恐怖と不安が広がる」


ラルト公爵は、しばし黙考し、やがて頷いた。


「では、どう動くべきだ?」


「最小限で、確実に」


椎名は即答した。


「騎士団の主力は動かしません。代わりに、少数精鋭を森の縁に配置し、魔物の動線を観察。討伐は、必要最低限に抑えます」


「被害が出た場合は?」


「……出させません」


その言葉は静かだったが、確信に満ちていた。


夜。


屋敷の一角、簡素な訓練場で、ファルカは一人、木剣を振っていた。小さな体に不釣り合いなほど、真剣な眼差し。


「……ファルカ」


振り下ろされた剣が止まる。


「椎名様」


すぐに姿勢を正し、頭を下げる。その所作は、年齢に似合わず整っていた。


「今夜は、ここまでにしておきなさい」


「はい……ですが」


言いかけて、ファルカは言葉を飲み込む。その視線は、南の空へと向いていた。


「森のこと、ですね」


図星を突かれ、ファルカは小さく頷く。


「怖いですか」


問いかけに、ファルカは少し考え、首を横に振った。


「……わからない、です。でも、何かが始まる気がして」


椎名は、その頭にそっと手を置いた。


「よく気づきました。それは、剣よりも大切な感覚です」


「僕も……行った方がいいですか」


「いいえ」


即座に、しかし柔らかく否定する。


「今は、見ることを学びなさい。戦場は、剣を振る前に、すでに勝敗が決まっていることが多いのです」


その言葉の意味を、ファルカはまだ完全には理解できない。ただ、胸の奥に、確かに刻まれた。


その夜更け。


南方の森の奥深く、霧が渦を巻くように動いた。


木々の影から現れたのは、人の形をした影――否、人ではない。


「……反応は良好、か」


低く、嗤うような声。


その背後には、静かに跪く魔物たち。獣のはずの瞳に、意思の光が宿っていた。


「さあ、人族よ」


影は、南を見据える。


「どこまで、持つかな」


森は、何も答えなかった。


だが確かに――

戦争の歯車は、静かに、確実に回り始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ