第二部 第十二話 ――沈黙の波紋
夜明け前のヴァルアスは、妙に静かだった。
襲撃があったにもかかわらず、街は平然と朝を迎えている。
露店は開き、馬車は行き交い、人々は噂話を交わしながら歩いている。
――だが、それは表層にすぎない。
アルヴァリア公爵の別邸、その応接室。
重厚な扉の向こうでは、空気が張り詰めていた。
椎名は壁際に立ち、静かに報告を聞いていた。
「……襲撃者は二名拘束、一名逃走」
騎士団副官が淡々と告げる。
「いずれも王都の地下区画を熟知しており、
装備は高位の魔道具。個人で用意できる水準ではありません」
ラルト・アルヴァリア公爵は、机に肘をつき、指を組んだまま黙っている。
「所属は?」
「不明です。
ただし、魔族特有の魔力反応は確認されていません」
その言葉が、重く落ちた。
――つまり。
「人、ということですね」
椎名が、静かに口を開いた。
全員の視線が、彼に集まる。
「貴族、あるいはその関係者。
王都の事情に通じ、なおかつ、公爵様の動きを把握している」
断定ではない。
だが、論理は揺るがない。
副官は、苦々しい顔で頷いた。
「……否定できません」
沈黙。
公爵は、ゆっくりと椅子にもたれかかった。
「王都は、変わらんな」
吐息のような声。
「腐っている、とは言いません。ただ――」
視線が、椎名へ向く。
「沈んだ澱が、底に溜まりすぎている」
椎名は、答えなかった。
言葉を挟む場ではない。
会議が終わり、人が散ったあと。
応接室には、公爵と椎名だけが残った。
「椎名」
「はい、公爵様」
「昨夜の判断、見事だった」
真正面からの評価。
「だが……重荷を背負わせてしまったな」
椎名は、一瞬だけ目を伏せた。
「重荷とは、責任のことでしたら」
顔を上げる。
「私は、それを承知でここにおります」
公爵は、椎名をじっと見た。
「そなたは、己が何者として見られ始めているか、理解しているか?」
「……はい」
執事。
護衛。
そして今は――。
「公爵家の“意志”として、でございますね」
その答えに、ラルトは小さく笑った。
「やはり、隠せぬか」
笑みは、すぐに消える。
「王都の貴族たちは、昨夜の件を“知らぬふり”をするだろう。
だが、それは理解した証でもある」
「理解、とは」
「手を出してはならぬ存在が、はっきりしたということだ」
椎名は、胸の奥で小さく息を吐いた。
(……面倒な立場になりましたね)
だが、不快ではなかった。
地球で、彼は何度も「守れなかった」。
力があっても、立場がなく、声が届かなかった。
ここでは違う。
少なくとも――今は。
その日の午後。
椎名は、別邸の裏庭で、弟子――ファルカと向かい合っていた。
「……師匠」
ファルカは、昨夜の出来事を、断片的に聞いている。
「人は、どうして争うんですか」
唐突だが、真剣な問い。
椎名は、すぐには答えなかった。
少年の目を見つめ、ゆっくりと口を開く。
「欲しいものが、同じだからです」
「欲しいもの?」
「安心。
居場所。
誇り」
ファルカは、考え込む。
「じゃあ……師匠は?」
「私は」
椎名は、わずかに微笑んだ。
「守りたいだけです」
それ以上でも、それ以下でもない。
夜。
王都の別の場所。
一人の貴族が、書簡を燃やしていた。
「……失敗、か」
低く呟く。
「いや――」
炎の揺らめきを見つめながら、口元が歪む。
「想定以上、だな。
あの執事……いや、“椎名”という男は」
火は、完全に燃え尽きた。
だが。
沈黙は、終わりではない。
それは、次の動きの前触れにすぎなかった。




