第二部 第十一話 ――静かなる刃
夜のヴァルアスは、昼とは別の顔を持つ。
灯りに照らされた大通りの裏で、影は濃くなり、音は吸い込まれる。
晩餐会が終わり、アルヴァリア公爵一行は別邸へと戻る途上にあった。
貴族用の馬車は二台。前後を騎士が固めている。
椎名は、後方の馬車脇を歩いていた。
(……来ます)
根拠はない。
だが、長年の経験が告げている。
気配が――減った。
街の雑音。
人の足音。
遠くの話し声。
それらが、意図的に切り取られたかのように、静まっている。
「止まれ」
椎名は、小さく告げた。
同時に、前方の騎士が異変に気づく。
その瞬間だった。
――空気が、裂ける。
風圧。
音もなく、横合いから放たれた衝撃が、騎士の一人を吹き飛ばした。
「敵襲――!」
叫びが上がるより早く、椎名は前に出ていた。
魔法だ。
だが、火でも雷でもない。
圧縮された空気が、刃のように振るわれた――そんな感覚。
(詠唱なし……操作が巧妙ですね)
闇の中から、人影が三つ現れる。
黒衣。
貴族の装いではない。
「……対象、確認」
低い声。
次の瞬間、二つ目の衝撃が飛ぶ。
椎名は、抜刀した。
音は、ほとんどなかった。
ただ、鋼が夜気を切り裂く、乾いた感触だけ。
迫る不可視の圧力を、刀身で受け流す。
真正面から弾かず、角度を変え、流す。
衝撃が、地面を抉った。
「……なに?」
敵の一人が、わずかに声を漏らす。
魔法が、切られた。
そう認識するのに、一拍遅れた。
椎名は、踏み込む。
一歩。
距離は、詰めるためにある。
「――っ!」
敵が反射的に魔力を集める。
だが、間に合わない。
椎名の刀が、相手の懐へ入った瞬間。
柄で、鳩尾を打つ。
鈍い音。
男は息を吐き、膝から崩れ落ちた。
殺していない。
必要がない。
背後から、別の敵が来る。
今度は、明確な殺意を込めた一撃。
闇が、刃の形を取る。
椎名は、半身になる。
闇の刃が、外套をかすめる。
同時に、逆手で一閃。
――刀は、相手の肩口で止まる。
力を抜き、押さえ込む。
「……動かないでください」
静かな声。
だが、逆らえばどうなるかは、誰の目にも明らかだった。
残る一人は、既に距離を取っていた。
「……魔法を、使っていない?」
掠れた声。
「はい」
椎名は答える。
「使えませんので」
一瞬の沈黙。
そして――逃走。
椎名は追わなかった。
目的は、護衛。
敵を殲滅することではない。
「公爵様」
刀を納め、振り返る。
ラルト・アルヴァリアは、無事だった。
「怪我人は?」
「軽傷が一名。命に別状はございません」
「……そうか」
公爵は、深く息を吐いた。
「魔族か?」
「断定はできません。ただ――」
椎名は、倒れた襲撃者を見る。
「貴族社会の内部事情に、詳しすぎます」
その言葉が、意味するところを、ラルトは理解した。
――敵は、外だけではない。
その夜。
椎名は、一人で夜空を見上げていた。
(……地球とは、違う)
魔法がある。
理不尽がある。
だが――。
(守るべきものが、ここにはある)
それだけで、十分だった。




