第二部 第十話 ――測られる価値
銀製の食器が静かに触れ合う音が、広間に規則正しく響いていた。
評議会館の晩餐会は、表向きは和やかで、礼節に満ちている。
だが、その実態は違う。
ここは言葉で血を流させる場だ。
椎名は、貴族席の末席に座りながら、周囲の空気を静かに観察していた。
姿勢は崩さず、視線は必要以上に動かさない。
(……視線が、絶えませんね)
直接的な敵意ではない。
だが、興味と警戒が入り混じった視線が、何度も彼の上を滑っていく。
――執事が、なぜここに座っている。
――公爵が、なぜこの男を連れている。
――そして。
――この男は、危険か。
「椎名様」
柔らかな声がかかった。
隣席に座るのは、壮年の貴族。
身なりは控えめだが、目だけが鋭い。
「ヴァルディオ伯爵でございます。以後、お見知りおきを」
「これはご丁寧に。椎名でございます、伯爵様」
椎名は、わずかに頭を下げた。
「執事の方が、こうして席に着くのは珍しい」
ヴァルディオ伯爵は、杯を口に運びながら言った。
「アルヴァリア公爵様は、随分と大胆な御判断をなさる」
「公爵様は、人を見る目をお持ちです」
曖昧だが、否定でも肯定でもない返答。
伯爵は、ふっと口角を上げた。
「では、椎名様。人を見る目がある方から見て――」
言葉を区切る。
「この王都は、健全に見えますかな」
核心を突く質問。
椎名は、すぐには答えなかった。
一拍置き、食器を静かに置く。
「……難しい問いでございますね」
「ほう?」
「表通りは整い、人は多く、物も流れております。
それだけを見れば、繁栄しているように見えます」
慎重な前置き。
「ですが」
椎名は、伯爵の目を見る。
「繁栄と健全は、必ずしも同義ではございません」
伯爵の瞳が、わずかに細まった。
「続けていただけますかな」
「人が多く集まる場所には、必ず歪みが生じます。
それを是正する者がいるかどうか――それが健全さを決めると、私は考えております」
遠回しだが、鋭い。
伯爵は、静かに息を吐いた。
「……なるほど。公爵が評価なさる理由が、少し分かった気がします」
その会話を、周囲の何人かが聞いていた。
視線が、より明確な意味を帯び始める。
次に声をかけてきたのは、若い貴族だった。
「椎名様。少々、率直なお話を」
名を名乗らない。
それ自体が、牽制だ。
「昨日の件……あなた様は魔法を使わなかったとか」
「はい」
「それで、あの場を制した」
「結果としては」
若い貴族は、笑みを浮かべる。
「この国は、魔法が力の基準です。
魔法を使えぬ者が前に出る――それは、危険ではありませんか」
挑発に近い言葉。
椎名は、表情を変えなかった。
「危険かどうかは、結果で判断されるべきかと存じます」
「結果?」
「死者は出ておりません。
被害も最小限でございました」
淡々とした事実。
「それ以上に、何をもって危険とおっしゃるのでしょうか」
一瞬、空気が凍る。
若い貴族は、言葉を失った。
――反論できない。
魔法を使ったかどうかではない。
秩序を保てたかどうか。
その基準を、椎名は当然のように提示した。
遠くで、ラルト・アルヴァリア公爵が、その様子を見ていた。
(……余計なことは言わず、しかし引かぬ)
内心で、静かに評価を改める。
晩餐会が進むにつれ、椎名への接触は増えていった。
表向きは世間話。
実際は、探り合い。
だが、どの会話にも共通していた。
――椎名は、決して踏み込みすぎない。
そして。
――決して、誤魔化さない。
やがて、晩餐が終盤に差し掛かった頃。
広間の奥で、わずかな騒ぎが起きた。
「……おや?」
給仕の動きが、一瞬だけ乱れる。
椎名は、即座に気配の変化を察知した。
(これは……)
魔力の流れが、微かに歪んでいる。
強くはないが、意図的だ。
視線を向けると、壁際に立つ一人の男が見えた。
貴族の装いだが、立ち姿が不自然に静かすぎる。
(……護衛ではない)
誰かの視線が、椎名と交差した。
その瞬間、男の口元が、僅かに歪む。
――敵意。
椎名は、何も言わず、静かに立ち上がった。
「公爵様」
低い声で、最小限の報告。
「少々、空気が乱れております。
お気をつけください」
ラルトは、即座に理解した。
「……承知した」
晩餐会は、表向きは何事もなく進行する。
だが、水面下では。
――何かが、動き始めていた。
そしてそれは、言葉だけでは済まない。
椎名は、静かに確信していた。
(近いうちに……来ますね)
次は、刃か。
それとも、魔法か。
いずれにせよ――。
試されるのは、ここからだ。




