第二部 第八話 ――評価という名の包囲
噂というものは、奇妙な速度で形を変える。
昨日までは「執事が私兵を追い払った」という話だったものが、
一夜明ければ「剣も抜かずに制圧した」になり、
さらに半日も経てば「騎士団でも止められぬ腕前」へと変質する。
王都ヴァルアスは、そうした噂を糧に生きる街だった。
アルヴァリア公爵家の屋敷では、朝から来客が増えていた。
とはいえ、表立って訪ねてくる者はいない。
使者、代理、遠回しな挨拶。
どれもが「様子見」を装った接触だ。
「……ずいぶんと、分かりやすい動きだな」
ラルト・アルヴァリア公爵は、執務机に届いた書簡の束を見下ろしながら、低く呟いた。
「はい。皆様、“敵に回す価値があるか”を測っておられるようでございます」
椎名は、淡々と答える。
「昨日の件で、一線を越えたと判断した者もいれば、逆に距離を詰めようとする者もいる」
「政治とは、そういうものだ」
ラルトは、苦笑を浮かべた。
「椎名、君は目立ちすぎた」
「……申し訳ございません」
「いや、責めているわけではない」
公爵は首を振る。
「だが、これで“執事”という肩書きは、ほとんど意味を失った」
それは、評価だった。
そして同時に、警告でもある。
「今後は、君自身が“一つの戦力”として見られる」
「承知しております」
椎名は、即答した。
「私の行動が、公爵家の評価に直結することも」
「分かっていて、あの場に出たのだな」
「はい」
沈黙が落ちる。
しばしの後、ラルトは静かに言った。
「……それでも、後悔は?」
椎名は、ほんの一瞬だけ考えた。
商人の震える声。
剣を突きつけられた恐怖。
それを、見て見ぬふりをした場合の未来。
「ございません」
その答えに、ラルトは目を細めた。
「そうだろうな」
同じ頃。
ルメイル伯爵の屋敷では、空気が張り詰めていた。
「――私兵が拘束された?」
「はい。正規の騎士団に」
「相手は?」
「……アルヴァリア公爵家付きの、椎名という執事です」
報告を受けた伯爵は、指で机を叩いた。
「執事、だと?」
「ええ。しかし、目撃者の話では――」
部下は言葉を濁す。
「剣を抜かず、魔法も使わず、二名を制圧したと」
伯爵は、しばらく無言だった。
(……聞いていた噂以上だ)
「愚かな真似をしたな」
「申し訳ございません」
「いや」
伯爵は、ゆっくりと口角を上げた。
「むしろ、よい材料だ」
「と、申しますと」
「力がある者ほど、使い道も多い」
その言葉には、善意は含まれていない。
「直接は触れるな。次は、間接的に圧をかける」
「具体的には?」
「“評価”だ」
伯爵は、薄く笑った。
「優秀すぎる執事が、主人の顔を立てずに動く――
そう見える状況を、少しずつ作る」
一方、王都の外れ。
高い塔の影で、一人の男が街を見下ろしていた。
人の姿をしているが、纏う魔力の質が違う。
濃く、鋭く、しかし完全に制御されている。
「……面白い」
低く、愉しげな声。
昨日の広場の光景が、脳裏に蘇る。
(魔力を使わず、剣を抜かず……
それでいて、あの完成度)
魔族の観測者は、確信し始めていた。
(彼は、“こちら側”に近い)
だが同時に。
(……決して、来ない)
そうも思う。
夜。
椎名は、自室で書類を整理していた。
今日一日で集めた情報、噂の変化、貴族たちの反応。
(包囲が、始まりましたね)
剣や魔法ではない。
評価と視線による、静かな圧迫。
だが、椎名の表情は変わらない。
(公爵様のためならば)
彼は、刀を鞘に収め、深く息を吐いた。
次に来るのは――
「公の場」での動き。
それを、椎名は既に見据えていた。




