第二部 第七話 ――剣を抜かせる理由
王都ヴァルアスの昼は、騒がしい。
商人の呼び声、馬車の軋む音、冒険者たちの笑い声。
人が多いということは、それだけ利害が交錯するということでもある。
アルヴァリア公爵家の屋敷を出て、椎名は公爵の許可を得て一人、市街へ足を運ばせていた。
表向きは「必要物資の確認」。
実際は、街の空気を自分の肌で確かめるためだ。
(……妙ですね)
人の流れが、わずかに歪んでいる。
視線が一点に集まり、しかし誰も近づこうとしない。
恐怖と好奇心が、同時に漂っていた。
椎名は、その中心へと歩み寄った。
広場の一角。
倒れ伏す数人の男と、剣を抜いたまま立つ騎士。
――いや、騎士ではない。
装備は似ているが、徽章がない。
私兵だ。
その前に、震えるように立つ一人の商人。
「もう一度言う」
「この場所の通行料だ。払えないなら、ここで商いはできん」
「そ、そんな……。昨日も支払いました……!」
私兵の一人が、剣を軽く振った。
空を裂く音だけで、商人は一歩退く。
(……強盗ではありませんね)
これは、既存の権力を装った圧迫だ。
椎名は、一歩前に出た。
「失礼いたします」
場違いなほど穏やかな声だった。
私兵たちの視線が、一斉に集まる。
「その行為は、公国の法に照らして正当なものでしょうか」
「……なんだ、貴様」
「通りすがりの者でございます」
椎名は、深く一礼した。
「ですが、この商人様が脅されているように見えましたので」
私兵の一人が鼻で笑う。
「法だ? ここはルメイル伯爵様の影響下だぞ」
(……なるほど)
昨日の面会が、ここに繋がるとは。
「それでも、公国法は公国法です」
椎名の声は、変わらない。
「通行料を徴収する権限は、正式に認められた者に限られております」
「うるさい」
剣が、椎名に向けられた。
「消えろ。巻き込まれたくなければな」
――ここまでだ。
椎名は、ゆっくりと一歩、踏み出した。
次の瞬間。
剣が振り下ろされるよりも早く、
音が鳴った。
金属が弾かれる、高く乾いた音。
私兵の剣は、椎名の持つ刀に触れた瞬間、軌道を失い、地面に突き刺さっていた。
誰も、何が起きたか理解できない。
椎名は、剣を抜いていない。
ただ、鞘ごと受け、流しただけだ。
「……いまのは」
「警告でございます」
椎名は、静かに告げた。
「これ以上続けられるのであれば、正式に騎士団へ通報いたします」
「な、なめるな!」
二人目が、横から斬りかかる。
だが――
足元が、滑った。
正確には、踏み出す直前の地面が、わずかに沈んだ。
椎名が、足運びで石畳を踏み替え、体重を伝えただけだ。
だが、その微細な変化が、相手の重心を崩す。
剣は空を切り、本人は転倒する。
騒ぎは、一瞬で広場全体に広がった。
「なにが起きている!」
駆けつけたのは、正規の騎士団だった。
先頭に立つ騎士が、椎名を見る。
「……椎名様?」
ガイウス騎士団長の部下だ。
顔を知っている。
「事情を説明いたします」
椎名は、簡潔に、しかし一切の誇張なく説明した。
騎士は私兵たちを拘束し、商人に頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました」
商人は、何度も椎名に礼を述べた。
「ありがとうございます……命の恩人です……」
「大げさでございます」
椎名は、そう言って微笑んだ。
だが、その様子を、遠くから見ている者がいた。
屋根の影。
風に紛れるほどの魔力操作。
(……魔法を使わずに、あれほどの制圧)
低い声が、誰にも聞こえぬところで呟く。
(やはり、噂以上だな……椎名)
その夜。
王都のあちこちで、同じ話題が囁かれた。
――剣も抜かず、魔法も使わず、私兵を制圧した執事。
――アルヴァリア公爵家付きの男。
噂は、もはや「噂」ではない。
それは、
王都が認識し始めた“異物”の存在だった。
椎名は、屋敷の自室で、静かに刀を手入れしながら思う。
(……目立つつもりは、なかったのですが)
だが、守ると決めた以上、避けられない。
盤面は、さらに一段階、進んだ。




