第二部 第三話 ――静かな招待状と、見えない刃
首都ヴァルアスの夜は、昼とはまったく異なる顔を見せる。
白亜の建物群は魔導灯に照らされ、柔らかな光を帯びて浮かび上がる。その光景は一見すれば華やかで、王都の威光を誇示しているかのようだ。
しかし、その陰には、昼間以上に濃密な思惑が渦巻いている。
アルヴァリア公爵家が滞在する屋敷にも、夜の訪れとともに静けさが満ちていた。
ラルト・アルヴァリア公爵は書斎の机に向かい、いくつかの書簡に目を通している。その向かい側に、椎名は控えめに立っていた。
「……来たか」
ラルトが低く呟き、ひとつの封書を机に置く。
封蝋には、見覚えのある家紋。
昼の会合に姿を見せていた、中央派の侯爵家のものだった。
「随分と早い動きでございますね」
椎名は一歩近づき、しかし封書には手を触れずに言葉を添えた。
「正式な会議の前に、個別で“話”をつけたい、というところでしょう」
「内容は……」
ラルトが封を切り、目を通す。
読み進めるにつれ、その表情がわずかに硬くなった。
「晩餐への招待、か。随分と丁寧な文面だが……」
「条件付きの招待でございますね」
椎名は、文面を見ずとも理解していた。
――“友好的な関係を築きたい”。
――“今後の協力を前向きに検討したい”。
そうした言葉の裏には、必ず代償がある。
「断れば、敵意を示したと受け取られましょう。
かといって、受ければ――」
「飲み込まれる、か」
ラルトは椅子に深く腰を下ろし、短く息を吐いた。
「首都のやり方は、やはり好かんな」
椎名は静かに首を振る。
「いえ、公爵様。
彼らにとっては、これが“礼儀”なのでございます」
その言葉には、皮肉でも軽蔑でもない、ただの事実だけが含まれていた。
「では、どうする?」
ラルトの問いに、椎名は一瞬だけ考えを巡らせる。
「……お受けになるべきかと存じます」
「ほう」
「ただし、公爵様ご自身が主導権を握られる形で」
ラルトの視線が、椎名に向けられる。
「具体的には?」
「晩餐には参ります。しかし、“決定”は一切なさらない。
話を聞き、礼を尽くし、何も約束しない」
「それで、相手は納得するか?」
「納得は致しません。ですが――」
椎名は、少しだけ視線を落とした。
「彼らは、“拒絶されなかった”という事実だけで、一時的に満足なさいます」
ラルトは、短く笑った。
「……君は、本当に貴族社会に向いているな」
「恐れ入ります。ただ、存じているだけでございます」
晩餐の場は、侯爵家の屋敷で行われた。
豪奢な広間。
長いテーブルに並ぶ料理は、味よりも見栄を優先したものばかりだ。
集まっているのは、侯爵本人と、数名の親しい貴族のみ。
露骨な圧力ではない。
だが、人数と空気で囲い込む――典型的なやり口だった。
「アルヴァリア公爵様、本日はお越しいただき光栄ですな」
侯爵は満面の笑みで迎えた。
「こちらこそ、お招きいただき感謝いたします」
ラルトもまた、礼儀正しく応じる。
椎名は一歩下がり、執事として背後に控える。
視線は低く、だが耳はすべての言葉を拾っていた。
食事が進み、酒が振る舞われる頃、話題は自然と“協力”へと移る。
「実は、公爵様の領地と我が家とで、物流の連携を――」
「それは魅力的なお話でございますね」
ラルトは否定も肯定もせず、曖昧に返す。
侯爵の目が、わずかに細くなった。
「その際、いくつか……調整が必要になるかと」
――本題だ。
椎名は、ここで初めて口を開いた。
「侯爵様、僭越ながら一言よろしいでしょうか」
場の視線が、一斉に集まる。
「おや、執事殿が話すとは珍しい」
侯爵は面白そうに頷いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。
ただ今のお話でございますが――調整とは、具体的にどのような点をお考えでしょうか」
声は穏やか。
だが、逃げ道を与えない問いだった。
侯爵は一瞬、言葉に詰まる。
「……それは、いずれ改めて」
「承知いたしました。
でしたら、本日は“構想段階のお話”としてお伺いするに留めるのが、よろしいかと存じます」
丁寧で、柔らかい。
しかし、それ以上踏み込ませない壁。
侯爵は、内心の苛立ちを隠しながら笑みを保った。
「……なるほど。
公爵様は、良い執事をお持ちだ」
「過分なお言葉でございます」
椎名は深く一礼した。
晩餐は、表向き和やかに終わった。
だが、屋敷を後にする馬車の中で、ラルトは低く言った。
「……完全に目を付けられたな」
「はい。ただし――」
椎名は静かに続ける。
「本日は、向こうの“手札”を一枚、表に出させることができました」
「ほう?」
「彼らは、公爵様を“取り込める存在”と見ております。
それは同時に、“今はまだ排除対象ではない”という意味でもございます」
ラルトは、しばし沈黙した後、苦笑した。
「綱渡りだな」
「ええ。しかし、公爵様は――」
椎名は、まっすぐに主を見つめる。
「この首都で、十分に渡り切れるお方でございます」
馬車は静かに走り去り、夜の王都に溶けていく。
そして、椎名は心の中で確信していた。
――次は、もっと露骨な手段が来る。
脅し、分断、あるいは“失脚の噂”。
だが、それでも。
(この盤上に立つ限り、主を守り切る)
それが、執事・椎名の揺るがぬ覚悟だった。




